「光芒」その三 投稿者: なるるる
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 翌朝、オレはもう一度総務部に挨拶に行くと、公団ビルを出て探査機組立セン
ターに向かった。鹿児島への連絡便は今日の午後にならないと出ないので、それ
まで見学していかないかといわれたのでそうすることにしたのだ。
 ビルの玄関にあるタッチパネルで、施設間を巡回している電動バスを呼ぶこと
ができる。5分ほどして、8人乗りほどの小型電動バスがやってきた。運転して
いるのはHMだった。
 微かなうなりだけを響かせて10分ほど走ると、探査機組立センターについ
た。円筒形の4階建て、というか平屋の建物を縦に4倍に引き伸ばしたような印
象のビルだった。
 玄関では白衣を着た研究員が一人、オレのことを待ってくれていた。
「あ、こんにちは。来栖川リビングテックの藤田です」
「えぇ、連絡は聞いています。ではこちらへどうぞ」
 エレベータに乗り2階に上がる。建物の外周を取り巻く廊下を歩く。作業服を
着た男性型HMが目立つ。その多くは片手の先を精密工具アタッチメントに付け
替えていた。廊下を三分の一周ほど歩くと、なにか映画館の入口のような防音の
大きな扉があった。
「ここがバーチャルシミュレータルームです。まだH―IIIロケットも工場で組
み立て中ですから、今日はこのシミュレータの立体映像と擬験でロケットと探査
機の概要について見ていただきます。そのあと探査機の実物を見ましょう」
 その部屋の中には、床屋の椅子というかそういった感じの椅子に沢山のケーブ
ルが延びたものが4台向かい合わせに並べられていた。そして、それぞれの正面
に何かのコンソールのようなものがついていた。
「これもまだ開発途上なんですけど、イメージダイブ型シミュレータなんです。
このシートに座ってみてください」
 オレは言われるまま椅子に座った。高級車の座席といった感じのなかなか座り
ごこちのいいシートだった。
「ちょっと失礼します」
 研究員が、オレの首筋と額になにかクリームのようなものを塗り電極を貼りつ
けた。そして、コンソールのスイッチを入れるとオレの後ろから頭の半分くらい
を覆うカバーが降りてきた。
「それじゃぁ、この部屋の照明を落としますから目の前にあるランプが点滅する
のを見てください。それと同時に音楽が流れます。それで、この肘掛のところに
あるセンサーの上に手のひらを置いてください。しばらくすると、光と音に含ま
れているα波成分があなたに最適のパターンになったところで同調します。そう
なりますと急に眠くなりますので遠慮せずに寝てください。そうすればシミュレ
ータが起動して知覚神経に直接イメージを投入しますので」
「寝てて訓練ができるわけですか、そりゃ楽ですね」
「厳密に言うと睡眠とは異なった状態なんですけどね。夢を見ているREM睡眠
に近い状態なんです。このイメージダイブ型シミュレータに入っているときは」
「はぁ、そうなんですか」
 いまいち判ったような判らないような説明だけどまぁいいか。
「では、始めます」
 部屋の照明が暗くなる。目の前のカバーの内側に何色もの淡い光が動き回る。
両耳からは波の音のような、木の葉が擦れ合う音のような、自然の音にも聞こえ
るし人為的に何かのメロディを付けたようにも聞こえる「音楽」が聞こえてき
た。
 しばらくどころじゃない、2、3秒もしないうちに猛烈に眠くなってきた。な
んかすげー単純な人間かも、オレって。まぁ、言われたことだし遠慮せずに寝る
とするか……

 気がつくと……正確に言うと夢を見始めると、か。オレは巨大なロケットを見
上げていた。
「これは、宇宙開発公団愛島宇宙基地において製作中のH―III型ロケットで
す。全長は62メートル、全備重量は485トン……」
 そばからきれいな声で説明があった。そっちを見ると、いかにもSFチックな
ボディスーツを着た美しいHMが立っていた。
「このシミュレータにてご案内役を勤めさせていただきます、HMX―171ソ
ニアです。私は、セリオ・シオンに続く第三世代ハイエンドHMとして開発中
で、まだイメージグラフィックス段階ですが、こちらでこうしてご案内役をさせ
ていただけて大変うれしく思っております」
 紺碧の瞳、白銀の髪、その髪の一本一本まではっきりと見て取れた。
「では、このロケットの構造を順次見てみましょう」
ソニアがそう言うと、オレの体がふわっと宙に浮いた。移動感はなかったが、あ
っという間に「地面」が遠くなってオレはロケットの先端部の前に浮いて立って
いた。
「これがロケットに搭載する衛星や探査機、一般にペイロードと呼ばれていま
す、それらを格納するフェアリング部です。このH―IIIロケット1号機のフェ
アリング部には、冥王星探査機PULUTO―Sが格納されることになっていま
す。では、フェアリングの内部をご覧ください」
 オレの横に浮いているソニアがそう言うと、目の前のフェアリングの一部がす
っと消えたようになり、中に収められている探査機が見えた。
「どうぞ、中に入ってご覧ください。私に代わって、探査機自身のAIシステム
がご説明させていただきます」
 オレはフェアリングの中に入った。背後でフェアリングの外壁が閉じると同時
に、内部が広がって大きな部屋のようになった。
 大きなパラボラアンテナとノズル、アームのついた探査機本体がその部屋の真
ん中にあった。オレはふわっと体を浮かせるとその探査機に近づいた。
「へー、これが冥王星探査機ね」
 オレはその機体に近づくと、中心部分と思われるパーツに手を触れた。ちゃん
と冷たい金属の手触りまである。
「浩之さん……」不意に名前を呼ばれた。
 HMが立っていた。ガイド役のイメージかと思った、だけどオレは気づいた…
…
「マルチ……」
「はい、そうです。浩之さんとお会いした。浩之さんに……愛していただいたマ
ルチです」
「な、なんで、ここにいるんだ……」
 マルチ  拭い去ろうとしても拭い去れない 心への刻印
 あの日、運用試験を終えたその夜、オレの家へやってきたマルチ。
 あれから二度と出会うことは無かった。マルチの妹たちにも、そしてそれから
星の数ほど発売されたHMのどれにも、もうマルチのような心は無かった。
 オレはあの日のことを素敵な夢として心の奥に閉じ込めたままでいた。決し
て、二度とかなうことの無い夢。そう、オレにとってあのことは夢に違いなかっ
た。甘く切ない夢。そう思い記憶を封印することでしか、オレは平静を保つこと
ができなかった。
 あの一週間、そしてあの甘美な一夜。それは、本当にこの世の出来事だったの
だろうか。あまりにも純粋であまりにもけなげであまりにもやさしいマルチ。そ
して朝が来て、自分を作ってくれた人々、まだ見ぬ妹たちのために、自らの存在
が消え去る瞬間に微笑んで向かっていったマルチ。そんなマルチの存在をオレは
未だ現実のことだったのかどうか認識できずにいた。

 マルチは、その大きな深い緑色の瞳に涙をあふれさせると、
「浩之さん……浩之さん……浩之さ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん」
その細い小さな体をオレの胸に躍らせた。
 オレは全身でマルチを受け止め、あらん限りの力でマルチを抱きしめた。
 暖かい体温、やわらかな身体、滑らかな肌、熱い息遣い、そして石鹸のような
日の光のような草原を渡る風のような心地よい香り。
 オレも涙を流していた。バーチャルシミュレータでなぜ涙を流せるのか、オレ
にはわからなかったが、頬に流れる熱いものを止めることはできなかった。

「浩之さん。わたし、わたしもう一度だけ浩之さんにお会いしたいとずっと思っ
ていたんです。眠りから覚めてこの旅の準備をしている間ずっと……」
「旅って、この探査機におまえが乗ってるのか」
 マルチは、あの時と変わらない笑顔でオレに言った。
「わたしは、この探査機PLUTO―SにAIシステムとして移植され、冥王星
探査の旅に出ます。PLUTO―Sは約7年間かかって冥王星のそばまで行き、
探査機に搭載された観測システムで得られたデータを地球に送信します」
「へ〜、大丈夫かい。おっちょこちょいのマルチにそんな大役勤まるのかい」
オレは、高校時代のマルチを思い出してちょっとからかい口調で言った。
「観測もデータ送信も全部メモリーされたマニュアル通りにスイッチを入れれ
ば、あとは全部搭載機器がやってくれますので、私は眠っていればいいんです」
「眠ってればって、じゃぁ何のためにマルチはこの探査機に乗るんだ」
「この探査機には他にも目的があるのです。冥王星探査を終えた後、そのまま太
陽系の外へ飛び出し外宇宙を探査します。そして、地球へ電波が届かなくなった
後は、この宇宙のどこかにいる知的生命に地球からのメッセージを伝えるために
飛びつづけます。そのメッセージをわたしは託されているのです」
「宇宙のどこか……って、じゃぁ……もう地球には帰ってこれねぇのか」
「はい。一番近い恒星系まで数万年かかります。そこから先はどれだけ長い旅に
なるか判りません。どこかに知的生命がいれば、そこのみなさんが発する様々な
電波が引き金となって私が目覚め、メッセージを送り届けることになっていま
す」
 数万年……あるいはさらにもっと長い間……マルチは一人ぼっちで真っ暗な宇
宙を旅する……
「…マルチ、お前、そんなんでいいのかよ? 寂しくないのかよ? …怖くねー
のかよ?」それは、いつかオレがマルチとの別れを前にして言った言葉だった。
「わたしには、心がありますから」
 マルチから、さざなみのような暖かさがオレに伝わってくる。
「浩之さんが、そして、人間の皆さんが与えてくださった、暖かい心があります
から。真空の宇宙でも、何百万年掛かっても、わたしにその心がある限り平気な
んです」
 あふれそうな笑顔でそう言うマルチ。オレはそんなマルチがたまらなくまぶし
く見えた。果てしない、生身の人間には想像もつかない時間と空間をオレとみん
なとの想い出だけで渡って行けると、笑顔で言えるマルチが。
「マルチ。なにか、オレがしてやれることってねぇのか」
「……抱っこしてください」
 オレは再びマルチの体を引き寄せ、すべての力をこめて抱きしめた。
 自分の体がゆっくりと融けるようにマルチと一つになっていくのを感じた。さ
らに一つになろうとオレは全身の力を注ぎ込みマルチの名を呼び続けた。
 何もなくなった。ただその空間には光だけが満ちていた。オレはオレ自身の肉
体を意識することはできなくなっていた。意識だけがその空間に漂っていた。暖
かな心地よい感覚が皮膚を通してでなく意識全体を包み込んでいた。
「うれしいです」
「オレもだ…… 本当に…… うれしい……」
 言葉だけでは表せないもの、触れ合っても通じないもの、人はその内に込めた
想いのごくわずかの部分しか伝え合うことはできない。それは人がヒトである限
り決してそこから出ることのできない陥穽。それから解き放たれ一つになったマ
ルチとオレにはもう言葉も行為も要らなかった。ただその空間は白熱し輝きオレ
とマルチとのすべてが歓びに満たされていった。やがてそれは宇宙の原初を思わ
せるかのように一点に凝縮し、瞬時に無限へと爆発した。

 オレとマルチは再び静かに向き合っていた。
「マルチ、本当に行くのか……」
 オレは、ぼそっとつぶやいた。偽らざる本心だった。たとえバーチャルシミュ
レータの中だけでも、こうしてマルチと会える。そのことが再びオレの心をマル
チに引き寄せ始めていた。
「夢を、人間の皆さんすべての夢を託されたんです。人間の皆さんはまだ遠い宇
宙へ旅立つことはできません。それでも星を眺め耳を澄まし、星空の向こうに誰
かがいるのかどうかを知ろうとなさってきました。そして、海に瓶に詰めた手紙
を流すようにメッセージを送ってきました。でも、今度はわたしが、人間の皆さ
んからいただいた夢を持って旅立って行けるのです。決して尽きることのない命
を与えていただいたわたしが」
「だからって、何もマルチが行くことはないだろう。お前以外にまたACを作っ
てもらって、たとえこっそりでも代わりに行ってもらうとかできねーのか」
 自分でも無茶なことを言っていると判っていた。でも、それは目の前に迫った
ものへのせめてもの抵抗だった。
「わたしだから行けるんです。浩之さんのくれたすばらしい思い出を持ったわた
しだから、どんなに遠くてもどんなに長い時間が掛かっても、いつか私のこの想
いを、浩之さんからいただいた素敵な想いを、どこかにいるどなたかに伝えるこ
とができると思えば寂しくなんかありません」
「オレは、オレは、オレはマルチのことが好きなんだ。だから一緒にいて欲しい
だけなんだ。それだけなんだ……」
「浩之さんが私を愛してくださったことは、そしてわたしがその愛を受け入れら
れるように造っていただいたのは本当に幸せでした。浩之さんに愛されたからこ
そ、わたしが存在しているのです」
 空間が再び暖かみを増す。何かがオレの感覚にそっと触れる。
「でも、浩之さんにはこの地上で愛していただきたい方がいらっしゃるんです」
「……」
「浩之さんとその方が結ばれ、そしてお子さんができ、そのお子さんがまたどな
たかと結ばれて……そうやって人間の皆さんは夢を伝え、かなえてこられたんで
す。人間の皆さんの命には限りがあるのですね。でも、だからこそ、そうやって
愛し合い長い時間を越えて夢をつないでいかれるのだと思うのです」
「マルチ…」
「いつか、きっと、会えます。浩之さんがその方を愛し、夢を伝え続けてくださ
れば。わたしのもらった夢ともう一度めぐり合えるときが必ずやってきます。そ
の時を信じてわたしは旅立ちます」
 その一言を発するまでに限りない時間が流れたような気がした。でも、オレは
はっきりとその一言をマルチに伝えた。
「元気でな」
「はい。行ってきます」
 あの朝のようなにっこり笑顔。
 それが、オレが本当に最後に見たマルチだった。
 そう、このオレが。

 まだぼんやりとしている。シミュレータシートから立ちあがるのに、研究員の
手を借りた。
「3D酔いですか。慣れない人はよく気分悪くなったりするんですけど、大丈夫
ですか?」
「えぇ、大丈夫です。気分は何とも無いんですがまだ頭がくらくらするようで」
「始めての人は大抵そうなるんですよ。少し休んで行きますか」
「いえ、お気使いなく」
 オレは、その係員の後について、シミュレータルームを出て探査機組立てルー
ムの前にあるコントロール室に入った。
「じゃぁ、探査機本体を見ましょう。探査機本体があるのはクリーンルームなの
で、普通だと防塵服を着て入らないといけないのですが、ここにはムーバルステ
レオカメラがありますので室外から探査機本体をじっくり観察することができま
す。このカメラとマニュピレータで大抵の作業は人間がルーム内に入らずにでき
ます」
 説明をうけて、オレはコンソールの上から生えた覗き眼鏡のようなモニターに
両目を当てた。接眼部の両脇にあるダイヤルを調節するときれいな立体像が結ば
れた。純光学的システムだからデジタル処理のVRゴーグルよりずっと鮮明でく
っきりした画像だ。
 右手の下にあるスティックでカメラを操作する。
「カメラ側のセンサーで探査機本体にはぶつからないようになってます。ある程
度以上近づくと自動ズームしますので」
 右手下方にあるスティックを前に倒すと、ぐいっと探査機本体がアップになっ
た。そのままぐるっとスティックをまわすと探査機の周りを一周して眺めること
ができた。探査機の下側に潜って上を眺める。逆光になったかと思うとカメラに
ついているライトが点灯して細かい部分まではっきりと見えるようになる。
 AIシステムを収納しているラックに何かちょっと派手な色の小さなシールが
貼ってあるのが目にとまった。スティックの上についているシーソースイッチを
前に押すとアップになる。
 目を凝らしてよく見るとネコプリだった。そう、マルチと最後に会った日の夕
方にバス停の前のゲーセンで撮ったネコプリだった。
 妙にひきつった笑いのオレと、かしこまった、でもどこかさびしげなマルチと
のネコプリだった。