「光芒」その四(了) 投稿者: なるるる
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 行きと違って、雲一つない青空の中を国内最後のYSは気分よく駆け抜けた。
まるでこうして空を飛べることがうれしくてしょうがないというような飛行だっ
た。そして、そのうれしさを、YSは鹿児島空港の滑走路に羽でもあるかのよう
に着陸することで締めくくった。
 空港のロビーにごった返す人々、色とりどりの土産物店、反響する喧騒の中に
立つと、何かさっきまでオレは太宰治描くところの竜宮城か、そうでなければこ
の世の果てにでも居たような気がしてならなかった。
 普段はうっとおしいだけの人いきれと騒音が、現実感をオレに取り戻させてく
れるような気がしていた。
 自動販売機でカフェオレを買い、ロビーの椅子に腰を下ろすと携帯電話を取り
出す。
「あかりか、オレだ」
「あ、浩之ちゃん。出張は終わったの?」
 ビットレートの低いデジタル処理でもはっきりとわかるあかりの声が、ゆっく
りと体に染み込み、なにか違うもののようだったオレをオレ自身に戻してくれる
ような気がする。
「あぁ、いま鹿児島空港だ。これから帰りの飛行機にチェックインするんだ」
「そうなの、じゃぁあと2、3時間くらいで帰れるよね。会社に寄っていく
の?」
「いや、今日は直帰でいい。大体の報告はメールしたから、出社するのは月曜で
いいんだ」
「そうなの。じゃあ夕飯はうちで食べない? 今日はお父さんもいるんだ」
「あぁ、助かるよ。よろしくな」
「何がいい? これから買い物に行くから好きなもの言って」
「そうだなぁ。なんか野菜類が食べたいなぁ。そう煮物とか。島だとなんか冷凍
とかレトルトっぽいものしか食べれなくて」
「わかった、じゃぁお母さんとがんばって作るね」
「あ、それとなあ」
「なに?」
「こないだ言ってた旅行だけど、よかったらオレの両親も一緒に今度どっかに…
…」


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 あれから3ヶ月。仕事もプライベートもやたら忙しくてちょっと参りぎみなオ
レだったが、その日は珍しく定時に会社を出ることができた。
 エレベータを降り、ロビーを駆け抜けようとしたとき、オレは誰かにぶつかっ
た。
「あっ、すいません。急いでいたもので」
「そんなに急いでどこ行くんだい」
 ぼそりとつぶやいた相手は、およそこのビルにはふさわしくない風体の、よれ
よれのジャケット、だらしなく緩めたネクタイ。その上についていた顔は長瀬博
士だった。大きな赤皮のトランクを手にしていた。
「どうしたんですか、こんなところで」
「打ち合わせだったんですよ。来栖川航宙技研にね」
 確かに来栖川航宙技研はこのビルの中にある。
「帰りかい?」
「えぇまぁ。普段はこんなに早く帰れないんですけどね」
「いずこも同じだよなぁ。労働力だけが日本の資源だからな。ところで、これか
ら暇かい」
「えぇまぁ……」
 なんか口実をつけてやり過ごそうと思ったのだが、なんとなく付き合う羽目に
なってしまった。どうもこのオッサンには何もかも見透かされるような気がして
逆らえない。
 長瀬に連れられるまま、オレはガード下の小汚い居酒屋、というよりは酒場と
いうほうがふさわしい店の縄のれんをくぐった。
 安酒と様々なものの煮える匂いと人いきれと喧騒の中で、長瀬はカウンターに
2つの空きを見つけ、ビニール張りのスツールに座った。オレもその横に座っ
た。
「中ジョッキ2つ。あと、どて焼きと串カツ盛り合わせ」
「あいよーっ、生中2つ!」
 鉢巻を締めた親父が威勢良く奥に注文を通す。
 立派な体格のおかみさんが、どんっ、とカウンターに泡立つジョッキを置く。
 長瀬がジョッキを持ち上げ
「それじゃぁ、藤田浩之君と神岸あかりさんの将来を祝して」
「って……なんで知ってるんですか」
「来栖川ネットのBBSに書いてたじゃないか。うれしそうに」
「あははは、見てたんですか。じゃぁ仕方ないか」
 オレは長瀬のオッサンとジョッキを打ち合わせた。
 乾いた喉に心地よい刺激が落ちていく。げっぷをひとつ返す。
「どうだい、結婚前の気分は?」
「いやぁ、もうてんやわんやでなんかうれしいとかそんな気分じゃないですね。
なんかもう早く終わっちゃわないかなぁ、って気分ですよ」
「そんなもんだろうな」
 ……まぁ、そうかも知れないけどそう言っちゃぁ身も蓋もないじゃないか。ど
うもこのオッサンとは話が続かない。
 串カツが来たので、とりあえず腹の減ってたオレは遠慮なくいただく。薄い肉
を包む衣の香ばしさと染み込んだソースが絶妙だ。店は汚いが料理はなかなかう
まい。
「そういえば、あの探査機。いつ打上げなんですか」
「PLUTO―Sな。来月の十二日打上げ予定だ。天候さえ順調ならな」
「十二日ですか。十九日は式なんです。良かったら披露宴来てくださいよ、招待
状送りますから」とりあえず社交辞令で言っておいた。
「私はそういう席は苦手なんだよ。それに、打上げが終わっても当分あの島に居
る予定だし」
「よくあんなところに居つづける気になりますね。あのとき出張所に居た岡野っ
てやつも、ノイローゼになりそうだって上申書出してあの島から出してもらった
んですから」
「まぁなぁ、普通の人間ならそうだろう。だけど、中には私みたいに気に入って
しまって居付いてしまう人間もいるけどな」
「気に入ったんですか?」
「あぁ、あの島は此岸と彼岸の境にあるような気がしてな。そういえば、あの島
さらにHMが増えた、1万を越えるらしい」
「しまいに人間が居なくなるんじゃないですか、あそこ」
「そうなるかも知れん。ロボットたちがロケットを作り、そのロケットでロボッ
トが宇宙に飛び出して行く。そういう場所になっていくのもいいんじゃないか」
「そう…なんですか」
 オレは想像してみた。ロボットたちが自分たちだけでロケットを作り、宇宙に
飛び立って行く。空気も水も要らない、何万年でも眠っていられるロボットたち
はどんなに時間がかかっても、いつか必ず目指すどこかへ到達できるに違いな
い。でも、一体彼らはどこを、何を目指すんだろうか。自分たちだけで作るロケ
ットで。
 オレはどて焼きに箸を伸ばし口に運んだ。と、ほとんど同時にダッシュでビー
ルを口に含んだ。その小鉢には口の中が真っ赤になりそうなぐらいに七味唐辛子
が振り掛けてあった。
「辛いじゃないっすかー」
「そういえば、あの島がなぜ無人島だったか聞いたかい?」
 話をそらすなよ、オッサン……
「えぇ、なんでも戦争末期に決戦兵器を作るために全員疎開させたとかで」
「これがあの島にあったものだ」
 長瀬はトランクの中から一枚の古い写真を取り出した。そこには、なにかロケ
ットの図面のようなものが写っていた。
「ドイツのA10ロケットの図面だ。A4ロケット、V2ミサイルを発展させた
2段式ロケットで第2宇宙速度、地球を脱出するのに十分な速度を得ることがで
きるはずだった」
「それが決戦兵器だったんですか? アメリカを直接攻撃できる」
「いや、これは兵器じゃなかったんだ。名目は決戦兵器だったんだがな」
「じゃぁ、いったい何のために」
「君には想像もつかんかも知れんが、あのとき日本民族は本当に戦いで滅びるこ
とを覚悟していたんだ。しかし、たとえ最後の一人が滅びても何かを、どこかに
残そうとしたんだ」
「滅びても、何かを……」
「無論、あのころの日本の国力と技術では荒唐無稽なことだったろう。たとえ可
能であったとしても、具体的にじゃぁ何を宇宙に送ろうとしていたのかも、今と
なってはまったく判らない。実際に何を載せるかまでは決まっていなかったと思
うな」
「じゃぁ、なんでそんなことを」
「希望を捨てたくなかったのさ。何もかもが抗えない現実の力の前に敗れ去って
も、それでも人は何かに希望を託そうとする」
 長い間があった。長瀬はジョッキを空にした。
「それじゃぁ、長瀬さんの……」
「じゃ、飛行機の時間があるのでお先に失礼しますよ。あかりさんを大切にして
ください」
 長瀬は、カウンターにすっと手を伸ばし千円札を三枚置くと、オレが言いかけ
た言葉の続きが出るよりも先に、縄のれんの向こうに消えていた。
 オレは、長瀬の置いて行った千円札で勘定を済ませた。札の横には、さっきの
図面の写真が残されていた。
「お釣りと一緒に送ってやるかぁ。社用メイルで出せるだろ」
 オレはとりあえずその写真を仕舞い込もうとして、何気なく裏に返してみた。
茶色く変色したそこには、色あせたインクと流麗な筆跡で「長瀬源四郎」と書か
れていた。


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「きれいね、浩之ちゃん」
「あぁ、ほんと、気味悪いくらいの星だなぁ」
 ポリネシアンショーを途中で抜け出し、オレとあかりはホテルのプライベート
ビーチに座っていた。ホテルの窓からもれる明かりでわずかに周囲は明るくなっ
ていたが、それでも南洋の星空はオレたちの目をずっと引き付けておくのに十分
だった。
「私ね。こんなすごい星空を見てると思うの」
「何だ?」
「高校のとき地学で習ったんだけど。私たちが見てる星の光一つ一つが太陽と同
じような恒星で、その中には地球と同じような惑星を持つ星もあるんだってね」
「そうらしいな」
「そうすると、こうやって私たちが見てる何十万って星の中には、この地球みた
いな星があって、その星の砂浜でこうやって私たちみたいに空を見上げてる人が
いるんじゃないのかなぁ、って」
「そうだろうなぁ……きっといるだろうなぁ。こうして星を見上げて語る二人
が」
 オレは後ろについていた手を外すと砂浜に寝転がった。
「浩之ちゃん……」
「どうした、あかり」
「いつもだと『何言ってんだ』ってつっこむのに、なんか素直だね」
「そうか? オレはそう思ったからそうだって言っただけだけどな」
「ううん、浩之ちゃん。ほんとに優しくなった。前よりももっと」
「ハネムーンだからな。今優しくしなくていつ優しくするんだ?」
「浩之ちゃん優しいもん。前から、ずっと、わたしのこと優しく見ててくれたも
ん」
 頭の後ろで腕を組んでいるオレのひじに、そっと暖かいものが触れた。
 オレは、組んでいた腕を解くと、やわらかにあかりの腕を取る。ゆっくりと体
重を預けてくるあかりの背中に腕を回す。やわらかな重みと暖かな体温が、潮風
で少し冷えたオレの体にゆっくりと染み込んでいく。
 長い、過ぎ去ってみれば一瞬のようだった、こうして過ごしている時間よりも
短かったようにしか思えない、ひどく曖昧でいいかげんな関係で長い不思議な時
間を過ごしてオレとあかりはここにいた。
 時間なんて、過ぎ去ってしまえばすべて一瞬の出来事なのかもしれない。二人
がこうしている時間も永遠に続くように思えても、やっぱり過ぎてしまえば一瞬
の出来事なのだろう。
 あかりの頭を胸に抱き、肩まで伸びた彼女の髪を指の間に通してなでていく。
 星空が視界のすべてを占める。そう、この宇宙に比べれば、オレたちの時間は
ほんの一瞬にしか過ぎない。何十億の星の中ではオレたちの存在はこの砂浜の一
粒の砂に等しいのかもしれない。
 それでも、オレはあかりを愛していく。オレの存在も終わり、あかりの存在も
終わり、やがて太陽が巨大な赤い星になって地球を呑みこむ。そして、すべてが
宇宙の塵に帰っても、オレがこうしてあかりを愛していた証は必ず残るに違いな
い。
 その想いだけが、一瞬を永遠へと繋いでいけるんだ。限られた時間しか与えら
れないオレたちだからこそ、与えられた一瞬を永遠にできるんだ。
 星空から目をそらし、あかりの頬に両手を添え、あかりを見る。ずっと見てき
た優しい瞳。その瞳は、あかりの背後にある星空よりもずっと美しいものに見え
た。
「…浩之ちゃん」
 そっとくちびるを重ねた、波の音と二人の鼓動が世界のすべてになっていっ
た。