・以下の文章は『プレWA』とでも言ったところの話です。 「・・・よし」 一つ頷いてから、深呼吸。一回。二回。 先程から心臓が痛い。いつもより数倍速く『仕事』をしている。 空が高い。 夏を少し過ぎたあたりのこの時期は、いつも空が透けているような感覚にとらわれる。遠く遠く、どこまでもまっすぐに青い。 窓際の席に腰掛けながら、俺は外を見ていた。 五階建ての校舎。その三階。 すでに授業は終わり、部活動を始めているクラブの元気のいいかけ声が聞こえてくる。 視線を、外から中に移す。俺の教室。 俺以外に誰もいないこの空間は、外の喧騒を一方的に受け入れているように見えた。きれいに拭かれた黒板には、明日の日直の名前。行儀良く並んだ机の上には、誰が忘れたものだろう、雑誌と、それに俺のカバン。 そしてもう一つ。 俺の隣の席にちょこんと鎮座した、カバン。 サンリオのキャラクターであるうさぎのキーホルダーがぶら下がったそのカバンは、ここ一年通学に使っていたことを考えるととてもきれいで、隣の俺のと比べるとまるで新品みたいに見える。 カバンの持ち主のことを考えて、何となく手をポケットに突っ込むと、かさりとした紙の感触がした。 その途端、廊下の方から、たったった・・・という足音が聞こえる。 心臓の鼓動が、また速くなる。 足音は俺の教室の前で止まり、扉が開く。 ドキドキは最高潮。 「・・・あれ?」 そういって教室に入ってきたのは、森川由綺。 俺の、その、えーと・・・彼女。 付き合い始めてそろそろ二週間になる。 「冬弥君、待っててくれたんだ」 まるで混じりっけのない、天使のような微笑みを俺にくれる。 「あ・・・ああ、その・・・お、俺も日直だし、ゴミ捨てとかやってたら、時間もちょうど良かったし、ひ、一人で帰るのは味気ないし、今日、も、森川が養成所のレッスンないっていってたし、そう、俺たちって二人で一組の日直だろ?だから、えーと・・・」 耳たぶまで熱くなるのを感じながら、俺は、しどろもどろに説明する。 「つまり・・・その・・・」 「せっかくだから、一緒に帰らない?」 「そう、できれば一緒に帰りたい・・・って、え?」 恥ずかしくてずっと下げていた顔を上げると、はにかみながら彼女がこちらを見ていた。 「途中までだけど・・・ねっ」 はにかんだまま、彼女は真っ赤になっている。 ・・・可愛い。 「う、うん・・・帰ろウカ」 きちんと答えたつもりだったが、声がひっくり返ってしまった。 「じゃ、じゃあ・・・行こう?」 彼女が促し、俺たちは教室を出る。 あーあ。 心の中で一人思う。 もっとかっこよく受け答えするつもりだったのに・・・ 予定では、俺はホストのように流暢に彼女と会話し、そして・・・ ポケットに手をやる。紙の感触。 今日こそ、デートに・・・誘うはずだったんだけどなあ。 階段を下りて、昇降口に着く。 あたりに人の気配はない。 彼女が下駄箱から靴を取り出している。学校指定の茶色のローファー。 俺の心臓はさっきからずっと高鳴りっぱなしで、こんなに静かでは、鼓動が彼女に聞こえてしまうのではないかとさえ思える。 彼女が靴を下におろす。 心の中で、誰かが俺に囁く。 ・・・誘え! ・・・今を逃したら、後はねえぞ! ・・・ふたりっきりじゃねえか。チャンスだよ、チャンス! 心臓は、ドキドキからバクバクになっていた。 「あ、あの・・・森川・・・」 なかば心の声に押されるようにして、俺は声をかける。 「あっ!」 「ーーー!」 彼女が、突然大声を上げる。俺の声は、どうやら聞こえなかったらしい。 泡を吹きそうになっている俺に、彼女は、すまなさそうに言った。 「ごめんなさい、私・・・カバン忘れてきちゃった」 「い、いや、別に・・・その・・・取っておいでよ、待ってるから」 照れ隠しだろう、彼女が、えへへ、と笑う。 「ほんとにごめんね。私、その・・・ちょっと舞い上がってるみたい」 自分で言って恥ずかしくなったのか、また真っ赤になりながら言う。 「す、すぐに戻るから!ほんとにすぐだからね!」 たたたたた・・・ 彼女が走り去った後、俺は、一人溜め息をつく。 結局、誘えなかったな・・・ 階段の方を見ながら、ぽつりつぶやく。 「舞い上がってるのは俺もだよ、森川・・・」 帰り道。 俺たちはとりとめのない話題で盛り上がっていた。 学校のこととか、森川の通ってる養成所のこととか、俺の私生活のこととか。 俺は緊張して、さっきからろくな話題を出せていない。 俺の右手はポケットの中だ。先程から出番のない映画の前売りチケットが二枚、指に当たっている。 駅へ続く大通りは、夕方近くと言うこともあって、人が多い。 「あのさ、森川」 「・・・なあに?」 明日デートしよう、と言おうとして、訳の分からないプレッシャーに襲われる。 「明日、晴れると思う?」 全く関係ないことを聞く自分。意気地なし、と心のどこかから声がする。 「んー、今日こんなにいいお天気だからねえ」 空を見上げてから、こちらの顔を覗き込むようにして。 「晴れると思うな、私」 そして、にっこり笑う。 俺は・・・何というか、その・・・その笑顔が、とても嬉しかった。 さっきから変な話題しか出してないのに、彼女はいやな顔ひとつせず返事を返してくれる。優しく、包み込むように笑って。 離したくない。ずっと一緒にいたい。 高校生なんてまだまだガキで、そんなことを考えるのは早すぎると分かっていても、やっぱりそう思う。 自然に、彼女の手を握っていた。 彼女は、ちょっと驚いたような顔をこちらに向け、それから下を向いて、俺の手をゆっくり握り返してきた。 なんだかすこし照れくさくて、俺も下を向く。 二人とも赤くなって、一言も話さずに歩いたけど、どうしてだろう、気持ちはちゃんと通じてる、確かにそんな気がした。 駅について、電車に乗り、また駅について、降りる。 その間中、俺たちはずっと、会話なしだった。 駅から少し歩くと、彼女の家が見えてくる。俺の家は、もうちょっと先だ。 「それじゃ・・・ここで」 そういって、彼女は自分の家の前に立つ。 「今日は・・・ありがとう。あの、待っててくれて・・・嬉しかった」 「いや、そんな、俺も楽しかったし・・・」 途端、気付く。 ポケットの中の、かさりとした感触。 彼女は、俺の誘いを受けてくれるだろうか? 「も、森川・・・」 「・・・?なに?」 声が震える。どこから来る震えだろう。 「あ、明日・・・さ」 「うん」 勇気を出せ、冬弥。あと一息で全部言える。 「え、映画見に行かない?その・・・ま、前売りがあって・・・アクションもので、あんまり・・・女の子が見たいって言うようなヤツじゃないんだけど・・・」 全部言ってから気付く。馬鹿か、俺は。森川は女の子じゃないか。 おそるおそる彼女の方を見ると、無表情のままこちらを見ている。 『迷惑がっている』 その結論が出るまで、そんなに時間はかからなかった。 急に頭に血が上って、何がなんだか分からなくなる。 「ご、ごめんっ!」 それだけ言うのが精一杯で、あとは、振り返って走り出すのみ。 後ろで森川が何か言ったような気がしたが、何も聞こえなかった。 誰もいない家に帰って、晩飯も食わずに、すぐに風呂にはいる。 湯船に浸かっているうちに、自分の馬鹿さ加減に泣きたくなった。 「気持ちが通じてると思ったのは、俺の錯覚だったんだ」 口に出して言ってしまうと、少し楽になれた。 だけど、一番嫌なものを見せつけられたようで、結局、泣いた。 「デートすらOKしてくれない?あー、そりゃかなり嫌われてるね」 どこかのラジオで、DJがリスナーのハガキ相手にしゃべっている。 ・・・いいよ。 風呂から上がって、布団をひきながら俺はそう思った。 もしも嫌われたなら、それはそれで仕方ない。 俺は、彼女に釣り合う男じゃなかったって事だ。 そしたら、彼女に釣り合う男になってから、また告白すればいい。 よしっ! 風呂で泣きたいだけ泣いたせいか、随分と気が楽になっている自分に気付く。 寝よう。 今日はもう寝よう。 布団に入り、タオルケットを頭まで引き上げて、泣き疲れだろうか、俺はすぐに眠ってしまった。 ・・・朝、目が覚めてみると、留守電が入っていた。 森川からだった。 「今日、急に帰っちゃったけどどうしたの?何かあったんだろうかと心配です。 今、こうやって電話かけても留守になってるし。何か困ったことがあるなら、遠慮なく話してね。だって私たち」 ぴーっ! メッセージは一回そこで切れて、またすぐに始まる。 「私たち、えへへ・・・恋人同士だし。明日、レッスンあるけどさぼっちゃう。 だから、見にいこ、映画。楽しみだね。それじゃまた明日」 ぴーっ! 「二件です」 機械の声が、メッセージの終了を告げる。 俺は、柔らかな空気に包まれて、また泣いた。 今度のは、とても心地よい涙だった。 〈了〉 ここまで読んで下さった皆様、ありがとうございました。 読んだ感想や批判、「ここをこうすればもっとよくなる」などのアドバイス等々、是非お寄せ下さい。 WA本編では、悲しいことに冬弥と由綺はすれ違ってしまいます(由綺シナリオでさえ)。ですから、「幸せ至上主義者」西青としては、SSを書くときはまだ二人が幸せだった頃、もしくは二人の間の溝が埋まったあとの話しか書けません。 だけど、それでいいと思っています。 読んだ人を楽しませる(ちょっと語弊がありますが)のが小説ですから。 やっぱり、幸せになってなんぼだと思います。 近日中に第二弾が出ると思います。よろしければ、読んでやって下さい。 長々とどうもすみませんでした。それでは失礼します。