『・・・・・・変わったのは、あなたの方です』 そんな言葉を言う心算は、無かった。 柏木楓は、公園のブランコに座ってボンヤリとしていた。 夕方。 学校の帰り道だ。 夕涼みの風が、夏服の躰に心地良い。 きい。 きい。 と、錆び付いた音をブランコがたてる。 『楓ちゃん・・・・・・、君は何も変わっていないよな?』 朝、交わした言葉を思い出す。 その時の耕一の瞳を、思い出す。 悲しそうな、瞳。 胸が、痛んだ。 張り裂けそうだった。 ・・・・・・もし。 もし、許されるなら。 全てを、打ち明けてしまいたい。 あの人の胸の中に、飛び込んで行きたい。 力強い腕で、抱きしめて欲しかった。 ・・・・・・でも。 それは、許されない事。 耕一がやって来る、数日前。 『・・・・・・・楓、ご免なさい』 千鶴の言葉を、思い出す。 『でも、貴女が耕一さんに近付き過ぎれば、「鬼」が目覚めるかもしれない・・・・・』 姉の顔が、悲痛な表情を浮かべる。 『・・・・・・もう、誰も失いたくないの・・・・・・』 解っている。 『ご免なさい・・・・・』 でも、・・・・・・・私は・・・・・・。 その夜。 夢を見た。 また、あの夢だ。 幼い頃から、見る夢。 目の前に優しく微笑む、青年がいる。 しかし声は、聞こえない。 青年が、手を伸ばす。 楓も、手を伸ばす。 しかし触れる事は、出来ない。 楓は、叫んだ。 「愛している」と。 叫んだ。 「抱きしめて」と。 叫んだ。 「思い出して」と。 ・・・・・目が覚めたとき。 楓の瞳に涙が、溢れていた。 夢の中の青年が、耕一だということは直ぐに解った。 きい。 きい。 ブランコが、揺れる。 夕日が足下に、濃い影を落とす。 公園には、もう楓以外、誰もいなかった。 その時・・・・・、 にゃあ。 鳴き声が聞こえた。 「・・・・え?」 楓は、足下に視線を落とす。 にゃあ。 猫がいた。 ブラウンの毛をした子猫が、じっと楓を見つめていた。 楓が手を差し出すと、子猫はそっと近寄ってくる。 小さな子猫を楓は、胸元に抱き寄せた。 子猫は、逃げようとしない。 それどころか、楓の胸の中で、ゴロゴロと喉を鳴らしていた。 「・・・・・・どうしたの?、はぐれたの?」 とても優しい声で、楓は子猫の瞳を見つめる。 ・・・・・・私と、同じね。 そう思いながら、楓は子猫の躰を撫でる。 ・・・・・そう。 楓も迷って、いた。 耕一への、想い、に。 「・・・・・・耕一さん」 呟きが、漏れる。 どうして、思い出してしまったのだろう? ただ、辛くなるだけなのに。 思い出さなければ、昔みたいに、笑えた筈だ。 耕一の視線だって、辛くなかった。 夜眠る度に、涙が溢れる事も。 ・・・・・・でも。 思い出してしまった。 気が付くと、楓は涙を流していた。 にゃあ。 胸元の子猫が、鳴く。 顔を近付けて楓の涙を、舐めていた。 「・・・・・・ありがとう、優しいのね」 にゃあ。 子猫の返事に、楓の口元に微笑みが浮かぶ。 その時、夕闇に声が聞こえた。 その声に子猫が、気付く。 子猫を呼ぶ声であった。 にゃあ。 子猫が心配そうに、楓を見つめる。 「私は大丈夫よ・・・・・・、さっ、行きなさい」 微笑んで、楓は子猫に話し掛ける。 楓の腕から飛び降りた子猫は、何度も振り返りながら、声の方向へと走っていく。 子猫の姿が消えた後、楓はブランコからゆるりと、立ち上がった。 「・・・・・・さっ、帰らなきゃ」 そう言うと、楓は側に置いてあった鞄を取り上げ、ゆっくりと歩き出した。 その顔には、何か清々しい表情が、あった。 「・・・・いつか・・・・・・きっと」 耕一は、見付け出してくれる。 楓は、信じていた。 先刻の子猫の、様に。 私を、見付けてくれる。 それが何時になるのかは、解らない。 もしかしたら、この現世では見付けて貰えないかもしれない。 ・・・・でも。 きっと、見付けてくれる。 探し出してくれる。 約束したから。 それは、絶対に変わる事の無い、『運命』だと。 だから。 ・・・・・・・・いつか・・・・・・きっと。 運命の人 <了> 1998.1.18.UP