それぞれの年賀状〜柏木四姉妹の場合。 投稿者:西山英志



 十二月三十一日、大晦日の夜。
 柏木四姉妹は、それぞれの年賀状を書いていた。


其の一 柏木千鶴の場合。

「えーと、コレでいったい何枚かしら?」
 そんな事を言いながら、柏木千鶴は肩を、コキコキと鳴らす。
 自室の机の上には、山の様に年賀状が積まれている。
 鶴来屋の写真が入った、年賀状だ。
 鶴来屋の会長という職業柄、年始に出す年賀状の量も半端では、無い。
 千鶴は其の宛名書きを、たった一人でやっているのである。
「・・・・・・ふうっ、」
 溜息を一つ、つく。
 机の上に置かれた、マグカップのコーヒーを口元に運ぶ。
 コーヒーは、すっかり緩くなっていた。
 千鶴の視線が、不意に机の横に置いてある一枚の年賀状に目を、止める。
 それだけ、他の年賀状とは違っていた。
 綺麗な毛筆の字で書かれている。
 千鶴の、直筆だ。
 其の年賀状には、別の写真が印刷されている。
 四姉妹の着物姿の、写真だ。
 鶴来屋の宣伝用にと、撮影されたものだが千鶴はコレを使わなかった。
 なぜか?
「・・・・・・やっぱり、『あの人』以外には、見せたくないものね・・・・・・」
 独り言の様に、千鶴は呟く。
 その頬は、薄く桜色に染まっている。
 この年賀状の送り先は、決まっていた。
 ・・・・・・多分、返事は来ないだろう。
 それでも、別に良いのだ。
「あっ、そうだ」
 千鶴はそういって、筆をとり年賀状に一行、文字を付け足した。
「・・・・・・これで、よしっ」
 そう言うと、千鶴は満足そうな笑顔を浮かべた。

『お正月には、是非遊びに来て下さいね。私、待っています。』

 年賀状にはその一行が、綺麗な毛筆で書き込まれていた。


其の二 柏木梓の場合。

「駄目」
 ぽいっ、
「コレも駄目」
 ぽいっ、
「あ〜っ、駄目駄目っ!」
 ぽいっ、ぽいっ、と梓の部屋のゴミ箱に年賀状の失敗作が放り込まれる。
「・・・・・・どうして、上手くいかないのかな・・・・・」
 柏木梓はそう言いながら、白紙の年賀状とにらめっこをしていた。
 かれこれ、この状態が一時間続いていた。
 ばふっ、
 大きな音を立てて、梓はベッドに倒れ込む。
「なんて書けば良いのかな・・・・・・」
 ガリガリと頭を、掻く。
 後一枚で全ての年賀状を、梓は書き終わるトコまで来ていた。
 だが、その後一枚に梓は、悪戦苦闘している。
 送り先は・・・・・・、良く知っていた。
 言いたい事は、山程ある。
 伝えたい事も、山程ある。
 ずっと、ずっと前から・・・・・・・。
「くそっ、『アイツ』め〜っ」
 むんず、とベッドの横に置いてあるヌイグルミを掴む。
 熊の、ヌイグルミだ。
 何となく『アイツ』に似ていた。
 それを力任せに、投げる。
 ばんっ、
 壁に大きな音を立てて、ヌイグルミが床に落ちる。
「・・・・莫迦」
 そう言う、梓の顔には寂しそうな翳りが、あった。
「・・・・・・・・・・・よしっ」
 暫くして、梓は何かを決心したような顔になり、机に向かった。
 極太のマジックペンのキャップを抜いて、書き出す。

『さっさと、遊びに来い!おせちを食わせてやる』

 殴り書きだが、暖かみのある字が、そこにはあった。


其の三 柏木初音の場合。

「えーと、どれが良いかな?」
 柏木初音は部屋の床に、色々な年賀状を広げていた。
 色々なキャラクターが描かれた、いかにも女の子らしい年賀状ばかりだ。
「今年は、虎年・・・・・・だよね、じゃあ、コレなんか・・・・・・」
 と、言って取り上げたのは、可愛らしいピ○チュウの年賀状だった。
 ・・・・・・・・初音ちゃん、ピカ○ュウはネズミなんだけど・・・・・・。
「あっ、でも、この雪ダルマのも可愛いな」
 そう言って、また新しい年賀状を手に取る。
 その顔は、なんだかウキウキしている。
 それは多分、送り先の相手の所為だろう。
「『お兄ちゃん』、喜んでくれるかな・・・・・・?」
 初音の頬が、うっすらと、赤くなる。
 それは、部屋の暖房の所為ではないだろう。
「えへへへへ」
 少し、躰がむず痒くなるような感じを、初音は楽しんでいた。
 その顔が、不意に暗くなる。
「『お兄ちゃん』、今年は来てくれる・・・・・・かな?」
 去年は、来なかった。
 その前の年も。
 その前の、前も。
 ・・・・・・・・でも、今年こそは。
「うんっ、来てくれる。絶対に来てくれるよ」
 自分に言い聞かせるように、初音は呟いた。
 その顔には、先刻の暗さは無かった。
「よーし、コレ全部、『お兄ちゃん』に出そう」
 初音は床から、気に入った年賀状を五枚程、取り上げる。
 そして机に向かい、可愛いカラーペンを使って年賀状を書き始める。

『お兄ちゃん、絶対遊びに来てね。待っているよ』

 可愛らしい、丸文字で初音は五枚の年賀状を書き上げた。


其の四 柏木楓の場合。

 ゴーン。
 鈍い鐘の音が、夜の大気を震わせていた。
 除夜の鐘だ。
 ゴーン。
 また、鐘の音が寒さで凍てついた大気を震わす。
 その音を聞きながら、柏木楓は夜の道を歩いていた。
 その躰には大きめのジャンパーを、羽織っている。
 はあっ、
 と、夜の大気に、楓は白い息を吐く。
 その手には、一枚の年賀状が握られている。
 送り先は、楓の一番大切な人へだった。
 年賀状をポストに入れる為に、楓は外を歩いていた。
 ポストは、直ぐ近くにある。
 歩いて、二、三分もかからない。
 楓は、ふと夜空を見上げた。
 冬の冷たく、澄んだ空気が夜空の星を一際輝かせていた。
 星を見ていた、楓の口元に笑みが、あった。
 何処からか、音楽が聞こえてくる。
 クラッシックだ。
 交響曲だった。
 静かに、音楽が夜空に流れていた。
「O Freunde, nicht diese Tone  
 sonderm labt uns angenehmere anstimmen 
 und freudenvollere・・・・・・・・・・」
 楓が、静かに歌い出す。
 ベートーヴェン作曲・交響曲第九番「合唱」。
 俗に「第九」と呼ばれる、曲だ。
 楓の小さいが、澄んだ声が響く。
 今年もあと、少しである。
 ゴーン。
 再び、鐘の音が響く。
 楓はポストの前に、来ていた。
「ちゃんと、『あの人』に届くかな・・・・・・・?」
 不安そうに、呟く。
 楓が、年賀状をポストに入れようとした、その時・・・・・・。
「だーれだ?」
 ふと、楓の目の前の視界が、大きな手で遮られた。
 その手はゴツゴツしていたが、とても暖かかった。
「・・・・・・こ、耕一さん?」
「当たり」
 そっ、と顔に触れていた手が、楓の細い肩にまわされた。
「・・・・・・なんとか、間に合ったみたいだね」
 ふわり、と楓の躰が抱きしめられる。
「第九」の合唱が、クライマックスを迎える。
 その時、楓の手から年賀状が、落ちた。

『耕一さん、あいたいです。』

 そこには、ただ短く、しかし想いがこもった文字が書いてあった。


 そして、今年もゆっくりと終わりを告げようとしている。
 そこのあなた、ちょっと窓を開けて夜空を見上げてみませんか?
 ひょっとしたら、あなただけの一番星があるかもしれませんよ。


          それぞれの年賀状〜柏木四姉妹の場合  <了>

1997.12.31.UP