夏の花〜「痕」 投稿者:西山英志


 暑い夏の日差しが、その庭には溢れていた。
 八月。
 夏の盛り、である。
 蝉が、鳴いていた。
 向日葵が風に、揺れる。
「気分は、どうだい?」
 大きな屋敷の一室で、柏木賢治は布団に眠る、兄と話していた。
「・・・・・・今日は、大丈夫みたいだな」
 まるで他人事の様に、弟に話す柏木耕治の顔は酷く窶れていた。
 肌が、白鑞の様に白い。
 長く伸びた、髪は夏の日差しを浴びて黒炭色を放っていた。
 対照的に賢治の肌は日に焼け、短く刈った髪は健康的な青年のように見える。
 はだけた着物の前を直しながら、耕治はゆるりと躰を起こす。
 賢治は兄の躰を、そっ、と支える。
「すまんな」
 そう言いながら、寂しげに笑う。
 また、痩せたな。
 賢治はそう、感じた。
 自分と違い、学者肌で線の細い兄ではあったが、更に最近は病弱になってきていた。
 原因は、解っている。
 それは、鬼の血。
 柏木家の呪われた血の為だと言うことに。
 ちりん。
 ちりん。
 窓に掛けた、風鈴が静かに音を立てる。
 外では、子供達が遊ぶ声が聞こえてくる。
「耕一君は、もう回復したのか?」
「ああ、もう梓ちゃんと遊んでいるよ」
 兄の言葉に、賢治は答えた。

 三日前。
 賢治の息子、耕一は「鬼」となった。
 柏木家に連なる、鬼の血によって。
 まだ、十二歳の子供が、だ。
 素手で、自分の腕の太さもあるワイヤーロープを引き千切り。
 その手で、自分の従姉妹達を殺そうとした。
 しかし、それは未遂に、終わる。
 耕一自身が「鬼」を制御できた為に。
 その躰に潜む「鬼」が未だ、未熟だった為に。
 耕一はそれから三日間、高熱を出し床に伏せていた。
 そして、目覚めたとき。
 耕一は、その時の記憶を無くしていた。

「・・・・どう思う?」
 耕治が、問う。
 制御できるのか?
 制御できないのか?
 この忌まわしい、「鬼」を。
「・・・・・・・・大丈夫、耕一なら出来るさ」
 賢治はゆっくりと、しかし、しっかりとした口調で答える。
「確証は?」
 耕治の口調は、心なしか頼りない。
「確証は、ないさ。でも、解っている事と言えば・・・・・・」
 賢治が、言葉を切ると、その視線を庭の子供達に注ぐ。
「鍵は、兄さんの娘達が握っていると言う事・・・・・・・、かな」
「千鶴達が?」
 兄の言葉に、賢治は頷く。
 あの時。
 幼い耕一が「鬼」を制御した時。
 賢治は耕一の「覚醒」にいち早く感付いた。
 「鬼」の力による精神感応力によって。
 その時、賢治は耕一の心に触れたのだ。
 そこには、耕一の「想い」があった。
 千鶴への、
 梓への、
 楓への、
 初音への、
 無垢なる、願い。
 それが「鬼」を制御できたのだ。
 だから、その「想い」が無くならない限り・・・・・・。
「耕一は、きっと負けることはないさ」
 賢治は、確信していた。
 弟の言葉に、耕治は微笑んだ。
 しかし。

 どくんっっ、

「ぐぅっっ!!」
 耕治が、苦しげに胸を掻きむしる。
「兄さんっ!」
 賢治が駆け寄る。
 がち、
 がち、
 耕治の躰が、震える。
 歯が、鳴る。
 耕治は、自分の躰に爪を立てる。
 ぶちっ、
 ぶちっ、
 皮膚が破け、紅い血の粒が、浮かぶ。
 しかし、耕治の腕の力は、更に強く、なる。
 ぜっ、
 ぜっ、
 ぜっ、
 荒い息を、つく。
 ぎっ、
 ぎいっ、
 耕治の唇から、獣の声が漏れる。
 腕が力の入れすぎで、白くなる。
 着ている着物に、血が染み込む。
「・・・・・・だ、大丈夫だ・・・・・・」
 暫くして、呼吸が落ち着き、耕治はゆっくりと言葉を紡いだ。
 その時・・・・・、
「伯父ちゃん・・・・・・?」
 二人の後ろから、幼い少年の声がした。
 振り向くと、其処には賢治の息子、耕一が立っていた。
 耕一が、心配そうに耕治に、歩み寄る。
「大丈夫?伯父ちゃん・・・・・・血が出ているよ」
 耕治の布団の側に座り、耕一は伯父の顔を心配そうに、見る。
「大丈夫だよ、耕一君・・・・・」
 耕治は、優しく耕一の頭を、撫でる。
 兄の無理な微笑みに、賢治の心が痛んだ。
「耕一君、頼みがあるんだが・・・・・」
「なーに?」
 耕一は無邪気に、微笑む。
「君が大きくなったら、千鶴や、楓達を守ってくれるかい?」
 伯父の言葉に、耕一は暫し考え、
「うんっ、僕が守るよ」
 しっかりとした口調で、答えた。
「千鶴お姉ちゃんも、梓も、楓ちゃんも、初音ちゃんも、みーんな僕が守ってあげる。
絶対に、ぜーったいに、僕が守ってあげるよ!」
 真っ直ぐな、瞳。
 伯父の瞳を見つめ、真剣に答える。
「・・・・・・だから、伯父ちゃんも早く病気を直してね。約束だよ」
 耕一の小さな手が、耕治の前に差し出される。
 指切りの、約束だった。
「・・・・・ああ」
 耕治は小さな耕一の手に、指切りをしながら、答える。
 その瞳には、うっすらと涙が、浮かんでいた。

 耕一が、部屋を出ていった後、耕治は躰を布団へ横たえた。
「・・・・・・いい子だな、耕一君は」
 耕治が、微笑む。
「・・・・・・・・ああ、俺の自慢の息子だよ」
 賢治の声は、優しさと誇りに満ちていた。
「ふふ、あの子だったら、娘を嫁にあげても良いかも・・・・な・・・・・・」
 そう言いながら、耕治はすうっ、と瞼を閉じ、眠りにつく。
 賢治は、音を立てないように、兄の部屋を退出する。
 外では、まだ暑い夏の日差しが庭に降り注いでいた。
 しかし、もうすぐ夏も終わるだろう。
 そして兄・耕治の命も・・・・・・。
 賢治は零れてきそうな、涙を堪えながら、庭に咲く花を見ていた。
 大きく、明るく、まるで耕一の様な、花だった。
 ゆるりと、風に向日葵が揺れていた。


                      夏の花〜「痕」 <了>

1997.12.15.UP