嗤う首 投稿者:東西 投稿日:3月26日(日)02時54分
 いきなりだが、障子を挟んだ部屋がうるさい。
 私 こと 足立は、柏木家の縁側にいる。
 両隣には柏木四姉妹のうち、三女の楓ちゃん、四女の初音ちゃんがいる。
 三人仲良く月を眺めながら温かい御茶を啜っているのだが……

「足立さん、お姉ちゃん達いつまでやってるのかな?」

 困った顔で初音ちゃんが尋ねてくる。

「自業自得……疲れ切るまでやらせればいいのよ、初音」

 楓ちゃんが湯飲みに視線を落として言い切る。
 疲れ切るまで、と言っても、私達の背後では夕方、初音ちゃんが帰ってくる少し前から
修羅場が繰り広げられている。事情は私と楓ちゃんは知っているが、初音ちゃんは知らな
い。
 しかし、私も耕一君ほど若ければ二人を口説いてみるのだが……何年前の話か? 野暮
なことは聞かないでほしい、もっとも、今の私がどうであれ両手に花である現状は変わり
はしない。
 障子で隔てた修羅場にいる耕一君も今は両手に花ではある、命を賭けての状況であるの
は中から聞こえてくる音から察することが出来るのだが、彼の若さが羨ましい。

「ところで、なんで足立さんはうちにいるんですか?」

 初音ちゃんが、首を傾げながら尋ねてくる。
 私がこの場にいる説明を求めているのだろうが……何処から説明をして良いモノか……

「『雨月山の鬼』のお話は二人とも知っているよね?」

 知っているに決まっているがあえて私は尋ねる。
 初音ちゃんはきょとんとした表情で、楓ちゃんは多少表情に翳りを見せて頷く。

「なら、『鬼の首』のお話は知っているかな?」

 初音ちゃんは驚いたように首を横に振る、楓ちゃんは無反応……視線を庭に戻す。あま
り興味を引く話ではないかな?

「どんな話なんですか?」

 視線を庭に向けたまま、楓ちゃんが先を促す。
 そんな楓ちゃんに、私と初音ちゃんは怪訝な表情を浮かべて顔を見合わせる。が、催促
をされたのなら話すしかない。

「そう、これは鬼の娘に助けられた次郎衛門と、その鬼の娘が逃げた後のお話から始まる
んだが……」








               「嗤う首」









 足立さんが朗々と語り始める物語を私は知っている。
 私、柏木 楓はその次郎衛門を助けた鬼の娘『エディフェル』の記憶を持っているから、
あの時、そう、次郎衛門と私がエルクゥからも、人間からも身を隠そうとしたとき、私達
『エルクゥ』が来る以前より『鬼』の話があった山へと身を隠した。鬼の討伐に失敗した
ときに鬼に近付くような人間はいないと考えたためである。

「次郎衛門、また『首』と戯れているのですか?」
「明日の天気を聞いていただけだ、エディフェル」

 エディフェルだった私と、次郎衛門は「鬼の棲む山」に小屋を建てて過ごしていた。
 ただ、その山には私達『エルクゥ』とは異なる、本当の『鬼』が棲んでいた、私達はそ
の地に住まうため、その鬼の「命の火」を吹き消した。その火の色は今でも鮮明に覚えて
いる、今までに見たこともない不可思議な色をし、強く、しかし淡い感じの輝きであった。

「その首……腐らないのですね……」

 そんなことを聞くつもりはなかった。ただ漠然と私達を不安に陥れるその首が嫌いだっ
た。その首は私達が其処に住まうようになって数ヶ月、変容を遂げていない。私が言った
ように腐りもしていなかったのだ。気味が悪い……私達エルクゥでもなく、次郎衛門のよ
うな人でもない、次郎衛門はこれを『物の怪』と呼んだ。私達エルクゥとは違う化け物だ
そうだ。
 次郎衛門は、その化け物の止めとして首をはねた。
 しかし、胴から離れ、「命の火」すら散らしたその首は不可思議なことにそれからしば
らく嗤い続けていた。次郎衛門は鬼の胴を大地に埋めるも、首をその埋めた場所の上に置
いていた。

『鬼瓦の代わりにくらいにはなるだろう』

 と言っていた。
 当時、私には「鬼瓦」が何のことかわからなかったが、次郎衛門がそう言うなら、と放っ
て置いた。
 そうして、しばらく経つと笑い声が聞こえなくなったのだが、私達は奇妙なことに気が
ついた。それは、次郎衛門と翌日の天気の話をしていたときのことだ、その日、日は隠れ、
厚い雲が空を覆っていた。

『明日は晴れぬかな?』

 次郎衛門が空を見上げて呟いた途端であった。嗤うことを止めた首が再び笑い出したの
である。いぶかしんだ次郎衛門が、

『では、やはり雨だというか?』

 そう尋ねると、鬼の首はピタリと嗤うのを止めた。
 果たして、翌日は雨が降ったのである。

「外れましたか? 鬼の予言は」

 次郎衛門は首を横に振る。
 それ以来、次郎衛門は天気を首に尋ねるようになったのだが……

『お前にかかる災厄は、俺が退ける』

 私が、「狩りの対象」である人間に力を与え、あまつさえ、その人間と共に逃げるなど
と言う一族の恥をさらした結果、エルクゥ達がどう動くのか? 不安に駆られたときにか
けられた次郎衛門の言葉、その言葉にも鬼の首は反応したのである。

 嗤いではなく、沈黙で……

 それ以来、次郎衛門と鬼の付き合いは変わった、次郎衛門は色々な事柄をぶつけ、鬼の
不確かさを見ようとしていた。
 しかし、鬼の予言は外れることはなかった。

「エディフェル……」
「はい」

 次郎衛門の表情に逡巡が浮かぶ、数ヶ月、幾度もなくかけてくれた言葉を紡ごうとする
のがわかる。私はその言葉をかけられるのが嬉しかった。この人に思われていることを実
感できるときであるから、でも、この時、この人はその言葉をかけるべきかどうかを迷ってい
る。いつも通りだった……そして、私はそんな彼に先を促した。

「どうしました? 次郎衛門」

 迷っていることはわかっていた、この言葉をこの人にかけさせることで、この人をより
不安にさせることもわかっていた。しかし、私は聞きたかったのだ、そして、見たかった
のだ……

「守ってみせる、絶対に」

 強い決意のこもった瞳、慈愛に満ちた瞳、私だけを見てくれる瞳、そして、私はその瞳
を見つめながら、

「ええ、守って下さい。そして、私も貴方を守って見せます」

 静かな微笑みをたたえて、いつもそう返していた。その時、決まって無粋な笑い声は響
かない、次郎衛門は未来への確信を欲しがっていたが、私は何も聞こえてこないことに安
堵すら感じていた。そう、私達二人以外を気にする必要はなかったのだから。







 その後は、「雨月山の鬼」で語られるように、皇族の長女にして、エディフェルの姉リ
ズエルに殺される。
 その後のことは昔話でしか知らない。「鬼の首」がどうなったのかも知らない。
 そして、足立さんの話は、そんな私の知らない部分へとさしかかった。











「そう、そして、次郎衛門は鬼の群を滅ぼした」

 ここで私は一呼吸おく、話は既に次郎衛門の一人目の伴侶が殺され、その妹の助力によ
り仇を討ったところまで進んでいた。
 初音ちゃんは、この話の間ずっと興味深げな瞳を私に向けていた。
 楓ちゃんは、ずっと庭に視線を向け、遠くを見るような瞳をしていたのだが、ここに来
て私に視線を向ける。その瞳は、初音ちゃんと同じ好奇心を満たそうとする瞳だ。

「その後、前妻の妹と再婚した次郎衛門だがその首は近くの寺に預けた。
 そう、怖かったのだろう。前妻の時のように誓いの結末を予見されるのが……」
「では、次郎衛門は新しい奥さんとのことを『鬼』に尋ねることはしなかったんですか?」
「そう、次郎衛門は尋ねることはなかった」

 楓ちゃんの片眉が小さく動く、

「次郎衛門は……ってことは、その奥さんが尋ねたの?」

 初音ちゃんが突っ込んで尋ねてくる。

「そう、尋ねに行ったのは鬼の妹だったんだ」
「それで……どうだったの?」

 暫し間を置く、

「嗤ったそうだよ、『幸せになれるか?』と言う問いにね。
 そして、それ以来、どのような問いであろうと鬼の首は嗤うことはないそうだ。
 物の怪の、恨みがその時点で晴れたのか、それとも力つきただけなのかどうか
はわからないけどね」

 初音ちゃんがほっと息を吐く、
 楓ちゃんは、顔を伏せる。彼女はこの話を始めてから様子がおかしく感じられる。
ずっとふさぎ込むと言うより、思い出に耽るような……



 そんな彼女たちを見て考える……私は嘘をついたのだと。
 後妻の質問に鬼は沈黙をもって応えた。
 その後、次郎衛門と後妻の間に出来た子供のうち、男児は狂鬼の『業』を背負っていた。
次郎衛門を祖先に持つ柏木家は、いまだこの業から逃れられてはいない。しかし、柏木家
が今まで続いてきたのも、女児はこの『業』から逃れられたと言うことと、一部の男児が
この『業』にうち勝てたからである。耕平さんはこれを『血』に課せられたモノだと言っ
た。が、私にはこの鬼の呪いのようにも思える……鬼の呪いだというなら、今の時代、こ
の子達までも呪う鬼を許せない、しかし、呪いならばいつかとける、解く方法もあるのか
も知れない。血そのものが持つ『業』よりはマシに思える、ただ、どちらにしろ私は何か
を怨んでしまうのは確かだ、この子達を不幸にする何かを……

「それで……」
「ん?」
「足立さんはどうしてここにいるんですか?」

 初音ちゃんが首を傾げながら尋ねてくる。
 話すのに熱中してすっかり忘れていたが、私がここにいる理由を尋ねられていたことを
思い出す。

「初音……」

 俯いていた楓ちゃんが、ゆっくり顔を上げながらぼそりと呟き、初音ちゃんの注意を自
分に向ける。

「何、楓お姉ちゃん?」
「足立さんは、お兄さんになるの……」

 ひきっ

 私と初音ちゃんが凍り付く、

「千鶴姉さん、足立さんと結婚するんだって……」

 楓ちゃんが可愛らしく微笑みながら告げる。
 ああ、やはりちーちゃんこと、柏木家の長女 柏木千鶴の妹なんだな と、場違いな
感想を抱くが言葉には出来ない。なぜなら、音もなく、そのちーちゃん本人が傍らに立っ
ていたからである。

「か〜え〜で〜……」

 その声が響くと同時に、楓ちゃんの瞳が猫のような光を放つと同時に姿がかき消える。

「待ちなさい!!」

 追っていったのだろう、同じく姿をけすちーちゃん。

「どう言うこと?」

 初音ちゃんが抜けきれないショックをそのままに、現在の状態確認に頭を働かせてい
るようだ。

「なんだか、ちーちゃんは、耕平さんからこの話を聞いてたみたいでね〜」

 そう言って障子の奥を覗き込む。

「耕一君と行ったらしいんだが、『幸せになれますか?』の問いに鬼は当然のように沈黙。
 『いや〜、今の俺じゃ 千鶴さんのお相手としては早いようだね』
 なんて事を耕一君が言ったもんだから、私みたいに年取った、人生の酸いも甘いも知っ
た者を連れてきて耕一君の反応を見たかったらしいんだが……」

 案の定、部屋の中は凄惨たる状態になっている。
 中には、『業』にうち勝った現在の柏木家唯一の男児、耕一君と、柏木家次女、梓ちゃん
がだらしなく横たわっている。
 明日、この部屋を掃除するのは健気な四女であろう事が予想できる状態だ。

「梓ちゃんが、『じゃ、耕一には、年若い私達から選んで貰うか』何て言ったもんだから、
さぁ大変……っと、言うワケなんだ」

 楓ちゃんもその場にいて頷いていたのだが、私と一緒に喧嘩が始まると逃げてきた。
 初音ちゃんに視線を戻すと、頭を抱えているので表情は見えないが泣きそうな顔をしてい
るのかも知れない。

「明日、私休みだから手伝おうか?」

 湯飲みにまだ温かい御茶を注ぎ、ゆっくりと飲みながら尋ねる。
 初音ちゃんが頷いたような気がした。








 鬼は笑わなかったが、私はこの夜、声を出して笑った。





                 了


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 この作品は、「雨月物語」の「吉備津の釜」と言う作品と、もう一つ怪談を参考にした
作品です。
 気がついた人、ファンの人笑って許して下さい(ぺこり)