「疑問」 投稿者:東西
「ご主人様………」
 聞き慣れた声……

「ご主人様……」

 しかし、その声には自分が聞き慣れた元気の良さは感じられない……

「ご主人様…」

 自分は眠っているのか?起きなければ……
 いつまでも彼女にこんな声を出させているわけにはいかない

 瞼を開ける……ただそれだけの作業がとても辛い……

「マルチ……姉さん……」

 瞼はまだ開ききらない……
 薄く開いた瞼の間から彼女の顔が見える……泣いている……

「ご主人様……」

 安堵の声……ある意味聞き慣れた声……自然と口元がほころびる。

「どうしました?」

 微笑みながら聞いてくる……もう、彼女は泣いてはいない……
 今までベッドに横たえていた身体を上半身だけ起こそうとする、が、それすらもままならない。
 私が身を起こしきれないのを見て、彼女が手を貸してくれる。

「ありがとう」

 自嘲の笑みが浮く……本当に老いたものだ。

「昔のことを思い出した……姉さんに、世話をかけっぱなしだったときのことを……」

 そう言うと彼女は控えめに笑い出した。

「そうですね、木に登って落ちられたときのことは覚えていらっしゃいますか?」

「もちろん」

 七歳……の頃、だったな、公園に彼女と散歩に行ったとき、
 彼女にいいところを見せようとして失敗したときだ。
 でも、あのあと……

「あの後のこと、覚えてる?」

 少し意地悪な顔になったかもしれない。彼女曰く「すぐ顔に出る」だからな……
 彼女は顔を真っ赤にしている、覚えているようだ。

「……ホントに小さいときから意地悪ですね。」

 ふっ

 小さく鼻で笑ってしまう。
 私が木から落ちた後、膝を打ってしまい、痺れて立ち上がれなくなってしまった。
 泣きはしなかった、彼女の前で醜態を見せるのはいやだったから……
 しかし、正面にいる彼女を見上げたとき……

「泣いてたんだよね」

 私は声に出してしまってから笑い出してしまった。
 あの時、彼女は動かない私に驚いてしまい、どうしていいかわからず、泣き出してしまっていた。
 その声に周囲が驚き、怪我をした私そっちのけで彼女をあやしていた。

「感謝してるよ……とてもね……」
「まだ、私は世話焼きに飽きてはいませんよ?」

 そう言う彼女の目は潤んでいる。
 ……もう、こういう会話が洒落にならない歳に私はなっている。

「マルチ姉さん……」
「はい?」

 彼女は眼を少し拭ってこちらを見据える。
 ……ホントに生真面目だ。

「姉さんは疲れないの?」

 彼女は質問の意味に気づいて暗い顔になる。
 私が一番見たくない顔に……
 私の質問の意味……それは、

「私も、もうじき逝く……」
「!」

 私の言葉に彼女の身体が強張る。

「じいさんは、姉さんは私たちがいるから寂しくない、といって、逝った。父さんも……」

 思い出させてしまったか……すでに彼女の瞳から涙はこぼれ落ちてしまっている。
 しかし、聞いておかなければならない。
 彼女のために……自分自身の満足のためかもしれないが……

「私はそうは思わない……息子は姉さんを慕っているし、孫娘も慕っている……
 とても嬉しいことだ。私の姉さんが皆に好かれ、そして同じように姉として慕われる……」
「私も、とても嬉しいです……大恩有るおじいさまのご子息達の面倒を見……」
「違うだろう……」

 その言葉に彼女の言葉がとぎれる。
 私は大きな声を出してはいない……それにも関わらず、彼女の言葉を止めた。

「姉さんは……じいさんを求めているんだろう?
 姉さんを愛したじいさんを私たちに重ねてるんだろう?」

 ……完全に泣かせてしまったな……

「いや、いいんだ……そんなことはどうでも……」

 良いわけはない……ないが、今更のことだ……

「私が聞きたいのはね、姉さん……今まで、姉さんが好いた人達が死んで、これからも死んでいく……
 それで姉さんは……大丈夫なのか?」

 父さんが死んだとき……自分自身ショックが大きかった……、
 姉さんは……じいさん達と共に育ててきた人間が死ぬ、
 自分の息子が死ぬのと同じ感覚、
 そして、じいさんを重ねて見ていたとしたら二度も愛しい人を死なせた心境、
 どちらも、私は、体験はしてはいない……とても幸せな人生だったと自分自身思える。

「姉さんは……これから先も耐えられるの?」

 ここに来て彼女は、
 微笑んでいた。

「ええ」

 短い、ホントに短い肯定。

「私は、愛しい人を失う悲しみを知っています。
 そして誰が私を愛してくれているかも知っています。」

 そう言って、私の手を握ってくる。
 ……ばれていたようだな……

「私は、貴方と、貴方のお父様の姉ですよ?
 そして、あの優しく、強かった人の娘です。」

 そうだったな、貴方は……その二回共を堪えてきた人だ。

「私は、私がいなくなることによって泣く人がいる限り生きて行くつもりです。」

 したんだろうな……父さんも、じいさんも……同じ質問を

「だから、心配しないで下さい!」

 私が心配するまでもなかったか……小さい頃から知っている貴方はとても優しく、
 大人になっても越えられるとは思えなかった人だ……

 ふぅ

 馬鹿だな……私は……

 彼女が、私の頭をその胸に抱きかかえる。

「心配をしてくれて有り難う御座います。
 私の愛しい人……」

 それが私一人に贈られた言葉ではないことはわかっている。
 わかってはいるが、じいさんに対する嫉妬をかき消すほどに嬉しい言葉だった。

「眠くなったな……」

 あらゆる心配事が消えたとたんに眠くなってきた……

「ゆっくり休んで下さい……
 私はここでずっと見ています……」

 彼女が私を支えながら身体を横にしてくれる。

「マルチ……」

 私は続きを口にすることが出来なかったことを自覚しながら、闇の中へと落ちていった。


         完