「千鶴姉ーっ! 千鶴姉ーっ!!」 「なぁに〜?」 「電話出てくれるーっ? 今こっち料理から手ぇ放せないんだよー!」 「ん、わかったー」 「ごめ〜ん!」 パタパタパタパタ… 「電話電話…あ〜はいはいちょっと待っててねえ、今出ます今出ますっと…はい、柏木でございます」 『あ、もしもし千鶴さんですか? こんばんわ、耕一です』 「あ、耕一さん? お久しぶりねえ。元気にしてました?」 『あ、はい何とか…。すいません、だいぶご無沙汰しちゃって…』 「ふふっ、気にしないでいいのよ。ほら、『便りが無いのは良い便り』っても言うし」 『ははっ、そう言っていただければ助かります。…で…あの…梓はいますか?』 「あら、せっかく久しぶりに話せたって言うのに、耕一さんは私より梓の方がいいって訳なのね?」 『あ、いやっ、そう言うわけでは…』 「ふふっ、冗談です。ちょっと待っててくださいね、今替わります。……梓ーっ! 電話よーっ!」 「えーっ! だから手が放せないってー!」 「耕一さんからだけどーっ?」 ………ダダダダダダッ! 「そ、それを早く言えってば! も、もしもしっ耕一!?」 『…何かしてたのか?』 「あ、うん、お鍋に火をかけてたんだけど今止めたから…」 「じゃあ後は私が見とくわね〜」 「あ、うん、お願い…ってちょっと待ったーっ! 楓ーっ! 初音ーっ! どっちでもいいから千鶴姉を止めてーっ!!」 『…みんなあいかわらずだなあ』 「ふふっ、ちょっとやそっとじゃ変わりゃしないって」 『ま、そりゃそうだ。…しっかしこっちから電話かけたの久しぶりだなあ』 「そりゃあね。電話かけるのいっつもこっちからだったし…」 『でも、お前電話かけるときっていつも公衆電話からだよな? 黙って家からかけりゃいいのに…』 「え、だって…家の電話であんまり長話するのもなんだしさ。それに、ここって携帯もまだ繋がんないし…。それに…」 『…それに?』 「…耕一と話してるとこ見られるの…なんか恥ずかしくてさ…」 『…梓…』 「ん?」 『…お前ってさ…』 「な、何よ…」 『結構可愛いとこあんだな』 「な、な、な、何よいきなり!? わ、悪かったわね!」 『いや別に悪いとは言ってないぞ。逆に新鮮味があってなかなか…』 「あーもういいでしょ、そんな事は! で、何なの用事は!」 『ん? ああ、そうそう。お前そろそろ大学の下見をしたいから付き合って欲しいって言ってただろ?』 「え? あ、うん…」 『今月末の土日とかって大丈夫か? ちょうどそこだと俺両方ともバイト休みなんだよ』 「えっ、本当! ちょっと待ってね。…う〜ん、うん、多分大丈夫だと思う」 『よ〜し、んじゃ決まりな! じゃあこっちの人気スポットとかグルメ情報とか色々調べとくからさ』 「ちょっと! あたしは遊びに行く訳じゃないんだからね! ちゃんと大学のこととかも調べといてよ!」 『へ〜いへい。わかってますよ。…相変わらずお堅いなあ』 「何か言った?」 『べ〜つ〜に〜』 「うむ、よろしい! よ〜し、そうと決まったらこれから宿探さなきゃないか」 『ん? そんなの俺んとこに泊まればいいだろ?』 「え? …な、なに言ってんの! か弱い乙女に飢えた狼のいる場所に泊まれって言うの!?」 『誰がか弱くて誰が飢えてるって?』 「そんなの決まってるでしょ!」 『いや、つーか俺達付き合ってんだからさあ、俺の部屋に泊まるくらい何ともないと思うんだが…』 「それとこれとは話が別! …さては耕一、なんかHな事考えてたんでしょう?」 『え、い、いや! そんなことこれっぽっちも考えちゃいないって! ただその方が梓の宿代も浮くし、俺も最近まと もなもん食ってないからさ! 一石二鳥かなあって思って…』 「…ふふっ。いいよ、別に泊まってやっても。じゃあちゃんと部屋片づけといてよ?」 『お、おう! これでも俺は近所じゃ”きれい好きの耕ちゃん”で通ってんだ! 任せとけって! その代わり梓も何か 美味いもん作ってくれよな!』 「うん、任せといて! しばらくはそんじょそこらのものじゃ満足できなくなるくらい美味しいの作ってあげるから覚悟 しててね?」 『おう! 覚悟しとくよ! …ところでさ、梓…』 「ん? 何?」 『あの…今度だけじゃなくてさ…お前が…もしこっちの大学受かったらさ…』 「ん?」 『その…一緒に住まないか…?』 「…え?」 『あ! いや! ほ、ほら、や、家賃も半分で済むしさ! そ、それに飯だってコンビニ弁当ばっかよりは梓の手料 理の方が良いし食費だって浮くしさ!』 「………」 『それに…その…』 「…さては耕一、なんかHな事考えてたんでしょう?」 『…ああ…今度は考えてた…』 「………」 『………』 「……とく」 『…え…?』 「考え…とく…」 『あ、ああ…。…あ、い、今…飯時だったんだろ!? そ、そろそろ切るな!』 「あ、う、うん…あ、あのさっ! 耕一…」 『…うん?』 「あ、その…ううん、何でも無い…」 『そっか…。じゃな…』 「ん…じゃね…」 チン… 「…ふう…ふふっ、月末かあ…」 「随分嬉しそうね梓ちゃん」 「え? そりゃだって久しぶりに耕一に会えるんだもんって、でええええ! ち、千鶴姉!」 「最近様子が変だと思ったらそういうことだったんですね」 「いいなあ、耕一お兄ちゃんと付き合ってるのかあ…」 「なっ! 楓と初音も!? み、み、み、みんな一体いつから!?」 振り返ると、みんなが後ろでしゃがみ込んであたしのことを見上げていた。 「ここら辺から…」 『え、だって…耕一と話してるとこ見られるの…なんか恥ずかしくてさ…』 「うわああ! 楓! あんた、なにそのビデオカメラは!?」 「やっぱり液晶はSH○RPです」 「そんなこと聞いちゃいない!」 「ねえねえ、耕一お兄ちゃんとはもうキスとかしたの?」 「えっ、あっ、いやっ…」 「あ〜っ! 梓お姉ちゃん真っ赤になってる〜! やっぱりしたんだ〜!」 「そっ、そうなの梓!?」 「いやっ、その…」 「ふっ、まさかキスだけで終わるなんて事はないでしょう」 と、楓の唇の右端がくいっと吊り上がる。 「えっ? ど、どういうこと楓?」 「さかりのついた年頃の男女がキス程度で満足するはずがありません…」 『梓、俺…お前が欲しい…』 『ん…耕一…い、いいよ…あたしも…耕一のことが…』 『あ、梓…も…もう辛抱たまら〜ん!』 『あ〜れ〜お代官様〜いけませぬ、なりませぬ〜(はあと)』 「…閉じる障子、消される灯火、そして椿の花がほたりと落ちて…」 「「ほ、ほたりと落ちて…?」」 「留まることを知らない二つの欲望はめくるめく官能の世界へと誘われ、そして本能の赴くままにお互いの肉体を 貪るように…!」 身振り手振り付きで雄弁に語る楓。もう既に自分の世界に入っている。 「あ、梓お姉ちゃんがそんな…そんな…! …ふぅぅぅ〜…」 バタンッ! 「こ、こら楓! 勝手な想像するな! ほら、初音がぶっ倒れちまったじゃないか!」 「ね、ねえ梓ちゃん? い、今の本当なの…? お、お姉ちゃんには本当のこと教えてね? …えぐっえぐっ」 「だーっ! なにも泣くこと無いだろ、千鶴姉! 頼むから足にすがりつくなって!」 「だ、だって…官能の世界…お互いの肉体…」 「誘われてもいないし、貪ってもいない! 第一、あん時はお互い初めてでそんな余裕は無か」 「『あん時』? 『お互い初めて』?」 はっ、し、しまっ… 「………」 「あ、あの、ち、ちづ…ねえ?」 「………ふ………不潔よーーっ! 私だってまだなのにーーーっ!!」 ダダダダダダダダダダッ! 千鶴姉は半分鬼化しながら何処かへと走り去ってしまった。 「あ、ああっ! ちっ! 千鶴姉ーーっ! 待ってーーーっ!!」 「『実録! 梓メモリアル vol.3』 これにて撮影完了」 と、楓はビデオカメラに向かってピース。 「なんだーーーーっ! 『vol.3』ってーーーっ!!」 …翌朝、楓の部屋を捜索してみたが『vol.1』『vol.2』らしきものはとうとう発見できなかった…。 ― おまけ(一方その頃の耕一) ― 『あ、う、うん…あ、あのさっ! 耕一…』 「…うん?」 『あ、その…ううん、何でも無い…』 「そっか…。じゃな…」 『ん…じゃね…』 チン… 「…ふう…よっしゃ、月末、月末っと…」 「随分嬉しそうね柏木君」 「え? そりゃだって久しぶりに梓に会えるからって、でええええ! ゆ、由美子さん!」 振り返ると、由美子さんが後ろでしゃがみ込んで缶ビールを飲んでいた。 「柏木君とビール飲もうかなって来てみたら電話中だったからこっそりお邪魔しちゃった♪」 「『こっそり』ってどうやって! 鍵はかけといたはずなのに!」 「ふふぅ♪ これでちょちょちょいっとね♪」 と、奇妙に曲がっている針金を二本取り出す。 「なっ、キーピックってあんた…」 「くあ〜っ! やっぱこんな暑い日はキリリと冷えたビールが最高ね! どれ、おかわりおかわりっと…」 と言って、由美子さんは四つん這いになって冷蔵庫まで歩いていった。 「…って由美子さん! あんたさっきから飲んでんの俺のビールじゃないですか!」 「だから言ったでしょう〜。『ビール飲みに来た』って♪」 と、更にビールをぐびぐびと飲み始める。 「ちょっと、いい加減に…!」 「梓ちゃんって言うんだ〜。柏木君の彼女〜」 ぴた。 「お熱いのね〜。ひゅ〜ひゅ〜!」 「ゆ、み、こ、さん? い、一体どこら辺から聞いてたんです…?」 「ん〜とね〜、ここら辺から〜」 『いや、つーか俺達付き合ってんだからさあ、俺の部屋に泊まるくらい何ともないと思うんだが…』 「うわああ! 由美子さん! あんた、なにテープレコーダーに録音してんですか!?」 「ん〜? It’s a S○NY〜」 「あーもう訳分かんねえよ、この酔っぱらい! しかもいまいち伏せ字になりきれてねえし!」 「ねえねえ、梓ちゃんとはもうキスとかしたの?」 「えっ、あっ、いやっ…」 「あ〜っ! 柏木君ったら真っ赤になってる〜! やっぱりしたんだ〜!」 「いやっ、その…」 「でもね〜。いい年した男がキスぐらいで満足するはず無いもんね〜」 と、由美子さんはにへら〜っと笑った。 『梓、俺…お前が欲しい…』 『ん…耕一…い、いいよ…あたしも…耕一のことが…』 『あ、梓…ぼ、ぼかあもう! ぼかあもう! お、奥さ〜ん!』 『あ〜れ〜だめですわ、いけませんわ洗濯屋さん! 私には主人が、主人が〜(はあと)』 「…昼下がりの団地で密かに繰り広げられる愛欲の時間…。うふっ、うふふふ〜。柏木君のえっち〜!」 「ゆ、由美子さん! なに勝手な想像してんですか!」 「柏木君って見かけによらず色々と凄そうだからな〜。あ〜んなことや、そ〜んなことや、あまつさえこ〜んなことも しちゃったりして〜!」 と、色々大胆な格好をしてみせる由美子さん。普段はこんな人じゃないのに…。 「誰がしますか、んなこと! 第一、あん時はお互い初めてでそんな余裕は無か」 「『あん時』? 『お互い初めて』?」 はっ、し、しまっ… 「………」 「あ、あの、ゆ、由美子さん…?」 「…さってと、じゃあ私そろそろ帰るね〜」 由美子さんは、またにへら〜っと笑ってそう言った。 「あ、ああ…気を付けてね…」 「うんっ! じゃあね〜」 カンカンッとアパートの階段を下りていく由美子さんの足音。 しかし鬼の血で倍加されていた俺の聴力は、階段を駆け下る由美子さんのその一言を聞き逃さなかった。 「『卒論研究用資料 柏木耕一観察記録 その3』 録音完了」 ダダダダダダダダダダッ! 「なんだーーーーっ! 『その3』ってーーーっ!!」 しかし、既に由美子さんの姿はもうどこにもなかった…。