「いい風…」 私は一人、縁側で夜風にあたっていた。 今、屋敷には誰もいない。 梓はかおりちゃんと旅行に、楓と初音は夏休みで遊びに来る耕一さんを迎えに行っていた。 「…………」 冷たい風が、風呂上がりの火照ったからだに心地よい。 ふと、空を見上げる。 空には満天の星。 こんな夜空を見ると、私は哀しい気持ちになる。 あの夜も、こんな星空だったから。そう、叔父さまが逝ってしまったあの夜も…。 「叔父さま…」 …ボーン、ボーン。 居間の時計が9時を知らせる。 ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン…。 「…?」 最後の鐘がいつまで経っても鳴らなかった。 そして気付いたときには、あたりから虫の音が、いや、全ての『音』が消えていた。 「…どうしたのかしら?」 その時、庭の方から何か気配を感じた。 「…づる」 「誰っ!」 「千鶴…」 「お…叔父さま?」 「よお…」 そこには賢治叔父さまが、いや、賢治叔父さまの『魂』が立っていた。 「本当に…本当に叔父さまなの?」 「ああ…ま、ちょうど今、お盆で幽霊話の時期だしな」 「え…?」 叔父さまはそんな冗談めいたことを言って、ちょっと照れくさそうに笑った。 「ふふっ…叔父さまらしいわ…」 「ははっ、違いない」 既に亡くなった叔父さまが私の前に現れて談笑している…。 そんな光景に不思議と違和感は感じなかった。 「隣…いいかな?」 「あ、はい…どうぞ」 「じゃ、失礼して…どっこいしょっと」 私が少し腰をずらすと、叔父さまはそこに座った。 「…他の3人は元気か?」 「ええ…特に梓なんか前よりもがさつになっちゃって…。少しは楓や初音を見習って欲しいと思ってますわ」 「ははっ、あいつは俺よりも男勝りだったからなあ…。ま、みんな元気で何よりだ」 「ええ…」 …それからしばらく、お互い何も言わずに夜空を眺めていた。 「もう、1年経ったんですね…」 「…ん?」 「叔父さまが逝ってしまわれてから…」 「ああ…」 「…………」 「…………」 「「あの…」」 「「 ! 」」 「あ、千鶴からでいいよ」 「い、いえ、叔父さまから…」 「そうか、じゃ…あの、耕一のことなんだが…」 「…『鬼の血』…ですか?」 「ああ…」 「…耕一さんは大丈夫ですわ。『鬼の血』を完璧に制御しています。もう暴走することはないと思います…」 「…そうか。…あいつには申し訳ないと思ってるよ。親らしいことを何一つしてやらなかったからな…」 「でも、それは!」 「いや、理由はどうあれ何もしなかったのは事実さ。…でも良かったよ、あいつがおれと同じ道を歩まずに済んで…」 「…どうして?」 「…ん?」 「どうして…叔父さまは死ななきゃならなかったの? いえ、叔父さまだけじゃない、柏木家の男達はみんなそう。みん な、『鬼の血』のせいで不幸になっていく。耕一さんだってひとつ間違えればどうなっていたか…」 「…………」 「でも…でも、不幸なのは私達女だって同じだわ! 私達はそうして死んでいった人達の全てを背負って生きていか なきゃならない…。叔父さまにはわかる? そうやって、一人遺されて生きていくことの辛さが!」 「千鶴…」 心の底に押し込めていた『想い』が…涙とともにあふれ出てくる。 「私ね…叔父さまが逝ってしまった日…叔父さまが帰ってきたら…『好き』って言おうと思っていたのよ?」 「…………」 「叔父さまにはもう、『鬼の血』に抗う力が残ってないのはわかってた。でも、だからこそ想いを伝えたかった! 少 しでも叔父さまの支えになりたかった! なのに…」 「…ちーちゃんにはいつも苦労ばっかさせてるな、俺…」 「…あ…」 叔父さまは優しく微笑むと、そっと髪をなでてくれた。大きな手のひらのぬくもりが、たまらなく心地よかった。 「千鶴は充分俺の支えになっていたよ。確かに俺の人生は不幸だったかもしれない。でも、悔いはなかった」 「叔父さま…」 「…ごめんな、千鶴の気持ちに応えてやれなくて。でも、うれしかったよ」 「あ、あのっ、私…」 それ以上言葉を続けることが出来なかった。そんな私を、叔父さまは優しく見つめていてくれた。 「さてと…」 叔父さまは立ち上がって空を見上げた。 「…叔父さま?」 「死んじまった後もお前達のことが気がかりで残っていたけど、どうやらもう時間のようだ」 「…往って…しまうんですか?」 「ああ…向こうに女房も待たせちまってることだし。…なあ千鶴…お前、生きていくことが辛いって言ったよな。けど な、どんなに辛いことがあっても、それは決して乗り越えられないもんじゃない。それに、生きてりゃ必ず帳尻は合う もんさ。大丈夫、千鶴は絶対幸せになれるよ」 「…………」 「…俺達の分まで、強く生きるんだ。じゃあ…元気でな」 「ま、待って! 叔父さま、おじ…」 ボーーン! 「 ! 」 9つ目の鐘が鳴る。そして、再び辺りが虫の音に包まれ始めた。 居間の時計を見てみる。 …9時ちょうどだった。叔父さまの姿は、もうどこにもない。 「今のは…夢?」 いや、夢ではない。私の頭には、叔父さまの大きな手のひらのぬくもりが残っていた。 「叔父さま…」 涙が…止めどなく流れ落ちる…。 …その時、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。 「あ、千鶴さん、ここにいたんですか。こんな所にいると風邪ひいちゃいます…よ…」 「…………」 耕一さんの姿が涙でぼやける。 「ち、千鶴さん? ど、どうかしたんですか? 何か…あったんですか?」 「耕一さん…」 次の瞬間、私は耕一さんの胸に顔を埋めていた。 「ち、千鶴…さん?」 「お願い…どこにも…行かないで…」 「え…」 「もう…置いて行かれるのはいや…」 「千鶴さん…」 「お願い…」 「…大丈夫、俺、どこにも行きませんよ」 そう言って耕一さんは、私を優しく抱きしめてくれた。 「あ…」 「俺…ずっと千鶴さんのそばにいるから…」 「耕一さん…」 耕一さんの『想い』が私を包み込む。 心が…何か熱いもので満たされていくのを感じた。 「…あの…耕一さん…」 「…はい…?」 「もう少し…もう少しこのままでいて…」 「…ええ…」 耕一さんはくすっと微笑むと、さっきより少し強く抱きしめてくれた。 …耕一さんの胸に抱かれながら、ふと夜空を見上げてみる。 空には満天の星。 でも…もう哀しい気持ちにはならなかった。 それは、叔父さまが励ましてくれたから。 そして…耕一さんが抱きしめてくれたから…。 ― …俺達の分まで、強く生きるんだ。じゃあ…元気でな… ― さっき叔父さまが最後に言ってくれた言葉を、ふと思い出す。 …叔父さま…私、強く生きていきます。叔父さまだけではなく、父さんや母さん…いえ、『鬼の血』のために死んで いったみんなの分まで、強く…。 これから先、どんなに辛いことがあっても、たとえそれが一人では乗り越えられないようなことでも、耕一さんとな ら…きっと乗り越えていける。だから…もう心配しないで。 …叔父さま…今まで…見守っててくれてありがとう。私、叔父さまに会えて本当に良かった。叔父さまと暮らせて 本当に幸せだった。…これからは叔母さまと仲良くね。 いつか…またいつか逢えるそのときまで……さよなら……叔父さま……。