LF98(40)  投稿者:貸借天


第40話


「楽しんでるぅ? 浩之」
 軽い口調で呼びかけながら、綾香が芹香をともなって浩之のところにやってきた。
「おう、綾香。あ、先輩も」
「へぇ、馬子にも衣装とはよく言ったものねぇ」
 盛装した浩之の姿を見てからかうように目を細める綾香は、もちろんしっかりと
ドレスアップしている。
 姉の芹香とともに、際だったその美しさは来栖川の名と相まって列席者の注目の
視線を一手に集めていた。
「ちっ。素直に似合ってるって言えねーのかよ」
「…………」
 浩之さん、とてもよくお似合いです。
「え? あ、ああ、サンキュ先輩。んー、先輩は素直だから好きだなぁ」
「…………」
 ぽっ。
「駄目よ、姉さん。浩之をおだてたら調子づかせるだけなんだから」
「そこ、るせーぞ」
「なにしろ浩之ってば、外見には似合わずかなりのお調子乗りだもんね」
「るせーってば、そこ」
「…………」
 なおもやいのやいのとやっている二人を見て、芹香は変化とも呼べないような淡
い微笑みを浮かべた。
 そして二人に気づかれないよう、そっとその場を離れていった。


「さーてと、好恵はどこに行ったのかな〜?」
 浩之とひとしきりジャレ合ったあと、綾香はぐるりと首を巡らせた。
「いったいどんな格好になってるのか、実に楽しみだわ〜」
「ああ、坂下だったらオレ見たぞ」
「え、ほんと? どこ行ったか知らない?」
「知らねー。でも綾香、ンなこと言ってるけど坂下のドレス姿ってかなりよかった
ぜ」
「わかってるわよ。あのコ、普段は女っ気のない服装してるけど、スタイルもプロ
ポーションもいいし絶対似合うはずなのよね。でも結局、女の子らしい格好した好
恵の姿って一度も見せてもらえなかったのよ。だからこの機会にぜひ見ておかない
と」
「……坂下もかわいそうに」
「うーーん、どこ行ったのかしら……さては逃げたかな?」
 浩之の言葉は聞こえなかったのか、聞こえなかったフリをしたのか、綾香がちょ
っと悔しそうにうめいた。
 その時、近くを通りかかった葵の姿を視界の端でとらえた。
「あら葵」
「はい? あ、綾香さん。藤田先輩も」
「ラッキ♪ ちょうどいいところに。ねえ葵、好恵見なかった?」
「好恵さんですか? たしか『綾香さんと顔を合わせれば、からかわれるのは目に
見えてるから』とかおっしゃって、止める間もなく会場の奥の方に行っちゃいまし
たけど……」
「くっ……遅かったか」
 無念、とばかりに大げさに下唇をかむ。
「綾香……お前って、けっこうヤな奴なのな」
「なによ〜その言い草はぁ。好恵とは長い付き合いなのよ。それなのに一度もそう
いう格好してるとこ見せてくれないってことは、これは『そんなに見たければ実力
で見なさい』っていう、私に対する挑戦なのよ」
「なんでそうなる。つくづく坂下もかわいそうに……」
 浩之は気の毒そうな表情を浮かべ、葵は困ったように苦笑した。
「あら」
 すぐ横から意外そうな、そして聞き覚えのある透き通るような美声が耳に入った。
「あ、リナさん。初音ちゃんもこんばんは」
「こんばんは藤田さん」
 挨拶すると、にっこりと天使の微笑みが返ってきた。
「綾香さんと葵さんもこんばんは」
「こんばんは」
 初音が振りまく天使の微笑みに、自然、綾香と葵の二人も優しい笑顔になる。
「鶴来さん、出発が一日遅れてしまったわね」
「うん……」
 綾香の言葉に初音は少しうつむいたが、すぐに顔を上げた。
「でも、しょうがないよ。なんの役にも立てなかったけど、私も当事者の一人だっ
たし。それに、由綺さんが専用の馬車を貸してくれるって言うから、これくらいの
お手伝いはしなくちゃ」
 初音はもともと今日中に蛍崎を発つつもりだった。できるだけ早く隆山に帰って
家族を安心させたかったのだ。
 由綺が、彼女専用の馬車を護衛付きで貸し与えることを自ら提案したため、帰宅
手段はあっさりと確保できた。しかし、今度の事件の関係者全員を集めての会合に
初音も呼びかけられており、由綺への感謝を込めて、出発を一日延ばして参加する
ことにしたのである。
 もっともその召集は強制ではなかったため、由綺自身は早く家族の元に帰ること
を勧めたのだが、初音は考えを曲げず会合に参加し、せっかくだからとパーティに
も出席することにしたのだった。
「明日は朝一番で発つつもり」
 そう言う初音の頭を理奈がそっと撫でた。
「そうね……気をつけてね。ま、護衛もいることだし大丈夫でしょうけど。いくら
なんでも、今回みたいに『気がついたら見知らぬ土地だった』なんてことには、ま
あならないでしょう」
「あはは……うん。でも、当時の私は別に旅をしてたわけじゃないんだよ?」
「あら、そうなの?」
「うん。一番最後に残ってる記憶は……たしか、家の居間でみんなと一緒に食事を
していて……なんだったかな? なにかキノコのようなものを食べたような……。
で、食事のあとから意識があやふやになって、それで気がついたら蛍崎のへんぴな
場所にいたんだよ」
 捕らえられたばかりで牢屋にいた時には、いったい何故こんなことになったのか
とまだ頭が混乱していて、事のいきさつを思い出すことができなかった。
 また、牢から救出されて以降は次々に新たな闘いが展開してゆき、悠長に過去を
振り返っている暇はなかった。
 そして一晩ゆっくり休み、今日になってようやくおぼろげながらも思い出し、鮮
明ではないが、最後に残っていた記憶を霞がかった場景として脳裏に描き出すこと
ができたのである。
 その記憶の絵画には、最年長の姉が調理した料理を、怯えの混じった目で見つめ
る二人の姉と従兄の姿が描き出されていた。
 そこまで思い出して初音はなんとなく理解した。つまりは、姉千鶴の手料理が原
因なのだ。
(千鶴お姉ちゃん……梓お姉ちゃんにさんざん攻められてそうだな……)
 その光景が目に見えるようで、一刻も早く帰って安心させてやりたかった。
「へぇぇ? じゃあ、そのキノコを食べたのが原因だったわけ?」
「うん……たぶん」
「毒キノコだったのかしら……今度からは気をつけてね」
「うん」
 初音がうなずくと、綾香が不思議そうに言った。
「それにしても、変な毒キノコね。話を聞いている限りでは、いったいどんな効果
があるのかよくわからないし……。ねぇ、姉さんだったらなにか知ってるんじゃな
い? あれ? 姉さん?」
 周りをざっと見回してみるが、極上の絹で織り込まれた純白のドレスを身にまと
う芹香の姿は、どこにもなかった。
「どこ行っちゃったのかしら……」
「あら。魔女さんも一緒にいたの?」
 理奈の問いにうなずきながら、
「ええ。さっきまではここにいたのに……いつの間にか、どこかに行っちゃったみ
たい……」
「ぜんぜん気がつかなかったな」
 浩之も同じように辺りを見回し、そして諦めて顔を正面に戻した。
「でも、まさかあの“月影の魔女”さんと、こんな形でお近づきになれるとは思っ
てなかったわね。まあそれを言うなら、あなたもそうなんだけど。ね? エクスト
リームの女王さん?」
 笑みを含んだ理奈の台詞に綾香はわずかに驚きの表情を見せ、それから苦い笑み
を浮かべて言葉を返した。
「それはこっちの台詞ですよ、大陸一の芸能人さん。でも、どうして知ってるんで
すか? あの大会には『アヤカ』という名前だけで出場してたのに」
 悠凪から南東へ、馬の足で一週間ほどの距離に高瀬という名の都市がある。
 そこでは毎年、武具のみの使用が許可されたエクストリームと呼ばれる闘技祭が
開催されており、綾香は去年の大会の女性部門にて、前大会までの覇者を含めた並
み居る強豪たちをすべて素手で退けて、見事優勝してみせたのである。初出場で、
しかも弱冠十五歳の若さにして、だ。
 さらに言うなら、その年は綾香以外の出場者は皆なんらかの武器を装備していた。
 一般に、素手で剣士に立ち向かった場合、三倍の実力差が生じるとされており、
己の五体のみを武器とした格闘術で大会を制した綾香は、優勝と同時に女王の二つ
名をもらい受けることとなったのであった。
 申し込みの際、よけいな騒ぎが起きないよう『来栖川』の名は記さなかったため、
正体まで感づいた者はまずいないだろうと踏んでいたのだが、綾香は何事にも例外
があることをよく知っていた。
 その若さでエクストリームを制した「アヤカ」という名の女戦士に興味を持ち、
その正体を探ろうとする者は少なからずいたことだろう。もっとも、その内の九割
九分九厘は『来栖川』までたどり着かなかったであろうが、全員の追跡から逃れき
れるなどと甘く考えてはいなかった。それでも、緒方理奈から言い当てられるとい
うのは綾香の予想の範囲外のことだった。
「まあ、私たちは仕事の関係上、大陸中のほとんどの街に足を運んでいるからね。
そうなるとマユツバな噂から意外な事実まで、実にさまざまなものが耳に入ってく
るのよ。その中にエクストリームの女王に関しての情報もあってね、つい昨日まで
は根も葉もない噂だと思ってたんだけど、まさか本当にあなただったなんてね」
 理奈がしてやったりというふうに笑う。
「……えっ? てことは、カマをかけてたんですか?」
「うん。まあ、そういうこと。でも“月影の魔女”の妹は、姉と違って武の道を歩
んでいるって話は聞いたことがあったから、それなりに確信は持ってたけどね」
「なんだなんだ。聞いてねーぞ、そんな話。あの『エクストリームの女王』っての
は、綾香のことだったのかよ」
 浩之が驚き半分、意外半分の口調で言った。
「そりゃまあ話してなかったしね、知らないのも当然でしょ」
「水くせーなぁ。教えてくれてもいいじゃねーか」
「こーゆーことは本人の口からは語らないものよ。浩之だって、同じ立場だったら
自分から言ったりはしないでしょ?」
 綾香はさらりと受け流す。
「……まあ、たしかにそうだけどよ……。っと、葵ちゃんは知ってたのか?」
「あ、はい知ってました。あと、好恵さんもご存じです」
 葵がうなずき、
「すいません先輩。綾香さんから口止めされてましたので……」
 上目遣いで、やや申し訳なさそうに続ける。
「ああ、いいっていいって、葵ちゃんが謝ることじゃねーよ。それに、別にオレも
そんな気にしてるわけじゃねーし。しかし……なるほどなぁ。まあ、綾香の実力な
ら納得もいくけど。んじゃあさ、その大会、一緒に葵ちゃんや坂下は出場してなか
ったのか?」
「はい。私はその時まだ出場できる年齢ではありませんでしたので……。それと、
好恵さんはちょうどその頃“狼牙”に所属したばかりで、新米の傭兵として早速の
仕事が入っていて大会どころではなかったんですよ」
「ふぅん……。あの大会って、年齢制限があるのか?」
「ええ。十五歳以上でないとエントリーできないんです」
「葵ちゃん、サバ読んで出場すればよかったのに」
「あはは……それ、綾香さんにも言われました」
「綾香、握手しようぜ」
「あっはっは。いいわよ」
 二人はガッチリと握手を交わした。
「なんか妙なことで意気投合してるわね」
 理奈がおかしそうにくすりと笑みを洩らした。
 その隣で初音もくすくすと笑っている。
 握り合った手を上下に振ったのち、綾香は名案を思いついたかのごとく、パッと
顔を輝かせた。
「そうそう理奈さん。ちょっと訊きたいことがあるんですけど」
「なあに? 改まって」
「さっきも言ってましたけど、理奈さんたちって、大陸のいろんなところを回って
きてるんですよね?」
「ええ。まあ、地図に載っているような街はほとんど」
「それで――ちょっとお訊きしたいんですけど、えっと、『柏木一族』の伝説につ
いてはご存じですよね?」
 初音がはっと顔を強張らせたのは、綾香の問いに答えようと理奈が口を開くより
も早かった。そして取り繕うようにあわてて表情を元に戻す。もっとも、最初の笑
顔を完全に取り戻すことはできていなかった。
「? どうかしたの?」
「う、ううん。なんでもないよ」
「……そう?」
「うん……。え、えと。なんだか知らないけど背中がチクッてしたから……」
 初音はなんとか、不自然でない嘘をとっさに口に上らせることができた。
「チクッとした? 虫か何かかしら……?」
 理奈は初音の背後へと回ってドレスの生地を入念に見つめ、そっと確かめるよう
に両手で触ってみた。もちろん、それらしいものはどこにもいなかった。
「なんにもいないみたいだけど……」
「あ、あの、たぶん結び目か何かに当たっただけじゃないかな。こういうことって、
時々はあることだし……」
「まあ、それもそうだけど。もう痛くない? 大丈夫?」
「うん、ぜんぜん平気……」
 答えながら、初音は嘘をついて心配かけさせたことを心の中で平謝りした。
 特に気にするほどのことではなさそうだったので、理奈は綾香との会話を再開し
た。
「えっと、それで来栖川さん。なんの話だったっけ?」
「ええ。『柏木一族』についてです」
「もちろん知ってるわよ。無手(素手)にて最強を誇るって言われてる伝説の一族
でしょ? 柏木家の者一人で騎士千人分の戦力だとか、たった一人で竜族と渡り合
えるだとか、いろんな『伝説』を聞いてるわよ」
『伝説』のところをからかうような調子で強調する。
 その、いかにも伝説をまったく信じていないという雰囲気に、綾香は苦笑した。
「じつは、私と葵はその伝説の柏木一族を捜して旅してるんですよ」
「あら!」
 理奈は目を丸くした。
 初音は緊張が表に出ないよう気を配りながら、二人の会話に耳を傾けている。
「驚いたわねぇ。数百年前から伝わる、あの伝説の一族を捜してるって? 実存す
るかどうかもわからないのに、それはいくらなんでも無謀なんじゃない? 何か目
的でもあるの?」
「目的は……一応、私たちと手合わせしてもらおうってことになるんですけど」
「た、たったそれだけで? よくやるわねぇ……あ、ごめんなさい。あなたたちに
してみれば、それは大きな理由なのかもしれないわよね」
「あ、いえ、そんな大層なことではありませんよ。まあ、本当に実存するならそれ
もよし。もしいなくても、この旅で培われたものは自分たちにとってなんらかのプ
ラスになるって思ってますので」
「へぇ……」
「とは言っても、やっぱり実存するのならそれに越したことはないですし、情報収
集にもちゃんと力を注いでますけどね。で、理奈さんにお訊きしたいんですけど、
どこかで一族についての通説以外の伝説を聞いたことってありません?」
「う、うーん、そうねぇ……」
 綾香からの問いに、理奈はあごに手をあてて思案げに顔をうつむかせた。
 葵は期待するような目で見上げながら、彼女の答えを待っている。
 そんな三人の様子を見て、初音は赤い絨毯で敷き詰められた床に視線を落とした。
(……この人たちになら、話しても大丈夫かな……)
 ふと浮かんだその思考を初音はすぐに打ち消した。
 確かに大丈夫だとは思うが、果たして自分の独断で正体を明かしてよいものか。
 その前にまず家族に話を通しておくべきだろう。
(でも、手合わせっていうのは……)
 闘うということである。
 綾香と葵には大きな借りがあるし、柏木一族を捜しているのならその望みを叶え
てやりたい気持ちはあるが、闘いたいと言われるとためらいが生まれる。
 初音には鬼を呼び起こせないため、とうぜん、二人の相手がつとまるのは上の姉
三人か従兄だけである。しかし、彼らは鬼の力を好きこのんで行使したいとは思わ
ないだろうし、そうなると、引き合わせたところでどちらにも迷惑をかけてしまい
かねない。
(闘うのはなんとか諦めてもらうってのは……無理かなぁ)
 とりあえず、初音はもうしばらく様子を見ることにした。
「う〜ん。悪いけど、私はあの伝説あまり信じてないのよね。だからそれほど興味
持ってなかったし、そんなに気に止めてなかったから……」
「そうですか……」
「んー、そうねぇ。伝説発祥の地、旧エルクゥ領には行ってみた?」
「エ、エルクゥ領? どこですかそれ!?」
 理奈が発した聞き慣れない単語に、葵が色めいた様子で素早く反応する。
「あら? 知らないの? あ、そういえば、エルクゥ皇国については通説では扱わ
れてなかったっけ」
「はいっ、初めて聞きました。エルクゥ領ってどのあたりなんですか? 方角は?
距離はここからどのくらいなんでしょう?」
「ちょっとちょっと、葵。少しは落ち着きなさいって」
 綾香が苦笑しながら割って入り、興奮してまくし立てるような勢いの葵をなだめ
た。
「あ、ごめんなさい……」
「くす。松原さんは伝説を信じてるのね、すごい剣幕だったわよ」
「え、ええ……まあ。その……もし本当にいるのならぜひお目にかかりたいな、と
思ってまして……」
 葵が恥ずかしそうに顔を赤らめつつ言った。
 理奈は笑みの形に目を細め、それから遠くを見る目つきになって、
「んーとねぇ……エルクゥ皇国って、いったいどこで聞いたのかしら……。あ、思
い出した、隆山だわ。あの辺に仕事しに行った時に知ったのよ。たしか、あの地方
は伝説についてどこよりもくわしく伝わっていたわ」
「ど、どんな内容ですか?」
「ん………………ごめんなさい、思い出せないわ。いちおう一通り教わったんだけ
ど、話の中身はちょっと忘れちゃったみたい。ねえ二人とも。次に旅立つ時は、隆
山地方に足を向けてみるといいんじゃない?」
 理奈の提案を聞き終わる前に、葵が目を輝かせながら振り返った。
「綾香さん」
「そうね。それじゃあ、次の目的地は隆山地方に定めることにしましょうか。その
あとに旧エルクゥ領ってところね」
「はいっ」
 ふと、理奈は視線を天井に向けて何かを思い出すような仕草をした。
「あら? そういえば隆山地方っていえば……」
 そのまま、頭ひとつ分以上背の低い初音へと視線を降ろす。
「たしか初音が住んでるところだったわよね?」
「う、うん」
 初音がややぎこちなくうなずく。
「あっ、そういえばそうでしたよね! 鶴来さん、伝説について何かご存じないで
すか!?」
「え、えっと、あの……伝説については、私はあまりくわしくないから……」
 初音の口からはとっさに嘘が出ていた。
「え、そうなの? 地元なのに?」
 綾香が不思議そうに聞き返す。
「う、うん。地元だからそんなに気にしてないっていうか……。実際、隆山に住ん
でる人の中にも、あの伝説を鵜呑みにしている人ってそれほど多くないと思うよ」
 前半はともかく、後半は本当のことだった。
 どこの土地であろうとも、伝説はあくまで伝説。『柏木一族』にまつわるさまざ
まな物語は、どれも信憑性が薄いものとして一般に普及しているのである。
「そうなんだ」
 初音の説明に、綾香は納得したようにうなずいた。
「やっぱり現地で話を聞いた方がいいと思うわよ」
「ええ、そうします。それじゃあ、鶴来さんとは明日でいったんお別れだけど、近
いうちにまた逢うこともあるかもね」
「うん、そうだね。……あの」
「どうかした?」
「あのね。鶴来屋グループって名前、聞いたことないかな?」
「鶴来屋グループ? 知ってるわよ、隆山で最大の旅館組合でしょ? あっちに行
った時は、私たちそこに宿泊するつもりよ。……って……ねえ、あなたひょっとし
て……」
 と、綾香がある可能性に思い至って半笑いの表情になった。また、理奈も同じ考
えを抱いたのか、興味深そうな顔でその後のやりとりを待っている。
「う、うん。実は、私の一番上のお姉ちゃんが組合の会長をつとめてるの」
「あ、お姉さんなんだ。てっきりご両親のどちらかと思ったんだけど。でもやっぱ
り、あなたって鶴来屋ゆかりの人だったのね。性が同じだし、まさかとは思ったん
だけどね」
「ひゅ〜、驚いたなぁ。鶴来ってどこかで聞いた名前だなぁと思ってたけど、まさ
か初音ちゃんがあそこのお嬢さんだったとは……」
 初音の顔をまじまじと見ながら、浩之が目を大きく開きながら言った。
「ね。それじゃあ私たちの部屋、確保しておいてもらえるかしら? もちろん、空
きがあればの話で」
「うん、いいよ。いつ頃になるの?」
 綾香は葵と顔を見合わせた。
「どうする? 葵」
「やっぱり、祭が終わってからでしょうか? せっかく皆さんとお会いできたこと
ですし」
「それもそうよね。じゃあ……今日からだいたい二週間後ぐらいにそっちに着くよ
うにするから、その前後の日で融通きかせてもらえるかしら?」
「うん、わかった。じゃあ、その辺りの日付で優先的に一部屋空けておくね」
 初音は微笑みながら快くうなずいた。




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 このSSでは、初音の性は『鶴来』であります。
 ちなみに、本当の姓はもちろん『柏木』なんですけど、こちらは隠し名なのです。
 普段は『鶴来』で名乗ります。
 作者も忘れかけていた事実(ぉ