LF98(37) 投稿者:貸借天
第37話


「えっと、それで、浩之はこのあとどうするの?」
 改めて、綾香が訊ねた。
「え? ああ、オレの方は……まずあかりに傷を診てもらって……それからは特に
予定はねーな。ま、たぶん、いつもの四人で祭見物に繰り出すことになるだろ……
あんまり気は進まねーけど。綾香は? 身体も治してもらったことだし、先輩らと
お出掛けか?」
「もちろん。姉さん、行くでしょ?」
「…………」
 こく。
「あと、葵と好恵とセリオとフランもね」
「えっ、私ですか?」
「なに? あたしも一緒に?」
 不意に名を呼ばれ、葵と好恵は少し面食らった。
「いいじゃない。行こ行こ」
 軽い調子で誘ってくる綾香に、好恵は諦めにも似たため息を吐いた。
「ったく、強引なのは相変わらずねぇ。まあ、あたしの方は別に付き合っても構わ
ないけど」
 小さく苦笑していたが、その表情はなにか懐かしいものを見たように柔らかかっ
た。
「よし。で、葵は?」
「えっと……あの、それじゃあ、ご一緒します」
「オッケー。セリオとフランも行くでしょ?」
 それは、綾香にとって聞くまでもないと思っていた質問だったのだが、意に反し
て二人はためらいがちに首を横に振った。
「申し訳ありません。私たちはご一緒することができません」
「えっ!? どーして?」
 予想外の答えに、綾香は心底驚いたという顔でその理由を訊ねた。
「実はあのサークレットで支配されている間、魔力の充てんの時間をあまり与えて
もらえなかったため、エネルギー源である魔力の残量が残り少ないのです。このま
ま出掛けますと、街の真ん中で行動不能となる恐れがあります」
「ですから、どうぞ皆様だけでお出掛けください。私たちをお連れになりますと、
せっかく楽しんでいらっしゃるところに水を差されるだけでなく、持ち帰りに労す
る大きな荷物を自ら背負い込んでいく結果となりましょう」
「そ、そうなの? もしかして、いま動いているのも予備エネルギー?」
「はい。その残りも、かなり怪しくなってまいりました」
「早々に眠りに入って、魔力の充てんを行う必要があります」
 その性質ゆえ焦りの表情などは見られないが、二人の魔道人形はキッパリと言い
切った。ここまではっきり言い切るということは、本当にせっぱ詰まっているのだ
ろう。
「そっか……まあ、そういうことなら仕方ないか……さっきセリオも言ったとおり、
祭はまだ始まったばかりなんだしね……」
「はい、明日は必ずご一緒させていただきますので……」
 とても残念そうな親友に、セリオもわずかに目を伏せた。
「そうか。セリオたちはエネルギー切れなのか。オレなんか、逆に元気が有り余っ
ててしょーがねーんだけどな。できれば分けてやりたいぐらいだぜ」
 何気なく言った浩之だったが、芹香には何か思うところがあったらしい。くいく
いと袖を引っ張って、呼びかけた。
「え? なに? 先輩」
「…………」
「……分けることができる? なにを……って、ひょっとして、元気を?」
「そんなことできるの、姉さん?」
 こく。
 耳ざとく聞きつけて訊ねる妹に、芹香はしっかりとうなずいてみせた。
「え、ホントにできるのか!? いや、ていうか、本当にできるんならこっちから
頼みたいぐらいなんだけどよ。有り余りすぎてちょっと持て余し気味だったし、な
により、元の状態に戻るのが少しは早くなるだろうし」
「それで姉さん、いったいどうすればいいの?」
「…………」

 おいでおいで。

「はい」
 芹香の手招きに応じて、セリオとフランがそばまで歩み寄った。
「…………」
 少し頬を染めて言いよどんだが、やがて彼女はいつも以上の小声で二人の魔道人
形に告げた。
「え゛!?」
「あら」
 しかし、その言葉に過敏に反応したのは浩之と綾香の方だった。
「え、先輩。マジで?」

 こく。

「でもまあ、なんとなくわかる気もするわね」
 綾香は腕組みしてうなずく。
「え、えーと……」
「――あの、浩之さん。それでは、よろしいでしょうか?」
 ガラにもなく恥ずかしそうな顔で困っている浩之に、セリオは対照的な無表情で
覗き込むようにして訊く。
「ま、まいったな……はは」
 頬を掻きながら顔を上げると、ルビーの輝き放つ大きな瞳が正面に現れた。
 疲れを知らないはずのセリオの表情には、心なしか疲労感が漂っているようにも
見える。
「お嫌なのでしたら無理にとは申しませんが……」
「あ、んなことねーぞ。そ、それじゃあ……ほれ、どうぞ」
 あさっての方を向いて、両手を軽く横に広げる浩之。顔が少し赤い。
 ウブな少年のようなその様子に、綾香がぷっと吹きだした。
「わ、笑うなよ綾香」
「だ、だってねぇ〜くくく。いやー、長生きはするものねぇ。こんな珍しいものが
見られるなんて……」
「な、なにが長生きはするものねぇ、だ。悪かったな、珍しくて」
 半眼で睨み付ける……が、綾香は口もとに手をあてて、うつむきながら肩を振る
わせているのでなんの効果もなかった。
「――あの、よろしいでしょうか?」
 やや遠慮深そうな声をかけられ、慌てて向き直る。
「え? あ、ああわりぃ。いいぞ」
「それでは――失礼いたします」
 丁寧にお辞儀してから、セリオは互いの息がかかる距離まで近づいた。
 ほっそりとしたたおやかな両腕が持ち上がり、浩之の首に回され……そして、そ
っと寄り添うように抱きつき、密着する。
 伏し目がちだった瞳を閉ざし、鼓動の音を聴くように胸に頬を押しつけた。
(あ……いい匂い……)
 ふわりと薫る女性特有の甘い匂いに、浩之の心臓がひとつ大きく脈を打った。
「あの――浩之さん。では、後ろから失礼します」
「え、あ、ああ」
 フランも深くお辞儀をして、背中から腹の方へと浩之の身体に両腕を回し、背後
からそっと抱きついた。そして、まるで催眠術でもかけられたように、ゆっくりと
目を閉じる。
「…………」
「…………」
「…………」
 そのまま、沈黙が降りた。
 何事か言葉を発することがためらわれるような時間。
 なぜか、身動きすることも許されないような気がして、浩之は黙ってただじっと
し続けていた。
 端から見れば、前後から挟まれるように、美少女二人に抱きつかれている少年。
 周りの、教会にいた人たちから注目の視線が集まり、浩之はますます顔を上気さ
せた。
 芹香の言葉。
「浩之さんに抱きついて、眠ってください」
 眠るというのはすなわち、エネルギーの充てんを行うこと。
 HMは睡眠中に天と地の精気を自らの身体に収束して、疑似生命の源である魔力
に変換して蓄積するのだが、現在浩之の身体には一週間なにも食せずとも生きてい
けるだけの活力が貯えられている。
 その活力を二人に分け与えようとしているのだ。
 普通に眠りに入って魔力の充てんをするとなると、天地のどちらであれ、はるか
な距離の隔たりがあるため完了まで二時間以上はかかるのだが、今回は抱きついて
直接吸収するので、三十分も要らないだろうということだった。
(しかし、それでも……これはさすがに恥ずかしいぜ)
 視線を落とせば、艶のある美しい朱い髪。女性特有の甘い匂いは、絶えず鼻腔の
奥を刺激している。
 前髪のすき間から、整った麗顔が覗き見える。長いまつ毛がかすかに震えた。
 豊かな双丘を押し付けられ、胸の鼓動は否が応でも高鳴る。背中にも、大きさは
違えど同じ感触がたしかに伝わっていた。
(う、う〜む。早く終わって欲しいけど、もっとこうしていたいような……)
「鼻の下伸びてるわよ、浩之」
 綾香がからかうように声をかけた。
「そ、そんなこたぁねーぞ」
「浩之くん、モテモテね」
 理奈からも笑いを含んだ言葉を投げかけられ、
「うー、勘弁してくださいよ」
 浩之は眉を八の字に下げて抗議した。
 そのあとも「役得ね」だのなんだの、二人にからかわれながら二十分ほどが経過
した時、セリオとフランが同時に目を覚ました。
 身体の前後から身じろぎが伝わって、浩之は下を向く。
「ん?」
「――あ」
 セリオの宝石のような朱い瞳と視線が合わさり、浩之は笑いかけた。
「おう、おはようさん。目ぇ覚めたか」
「はい」
 うなずきつつ、首に回していた腕をするりと離して一歩退いた。フランも背中か
ら離れて回り込み、セリオの隣に並んだ。
「どうもありがとうございました」
 二人は深く丁寧にお辞儀した。
「もう大丈夫なのか?」
「はい。十分すぎるくらい分けていただきました」
「ほんとか? その割にはオレ、ぜんぜん消耗した気がしねーんだけど」
 納得がいかない様子で、浩之は自分の身体をあちこち見回した。
「そうですね。数字の上で計算しても、おそらくそうなると思います」
「計算って?」
「私たちが一度の睡眠で充てんできるのは、約八時間分の行動に支障をきたさない
程度の魔力です。それを日に三回おこなって、一日を過ごしているのです。単純に
計算しますと、浩之さんの身体には二四×七の一六八時間分のエネルギーが蓄積さ
れています。いま私たちは二人で一六時間分をいただきました。つまり、浩之さん
にとっては一日分も消費していないということになるのです」
「げ。そうなのか……」
 こうはっきりと数字で説明されると、なおさら気が滅入ってくるように感じた。
 二日間、四八時間の完徹をしたことはある。しかし百時間以上となると、途方も
ない話だ。それだけ長い間、ずっと起き続けていなければならないのである。浩之
はますます憂鬱になった。
「ご愁傷様、浩之」
 綾香が喉の奥でくっくっと笑いながら、浩之の肩をぽんぽんと叩いた。
「くっそ、てめー他人事だと思って……」
「んじゃあさ、こうなったらもう、とにかくとことんまで疲れようとするのがいい
んじゃない?」
「……まあな。言われなくても、はじめからそうするつもりだったぜ。夜通しフル
マラソンとか考えたけど、しかし、それはそれですげぇダリイな……」
 浩之は、地面に落ちたらどすんと音を立てそうな重い重いため息を吐いた。
「あら。そんなことしなくても、これから一週間の間、祭をめいっぱい楽しんじゃ
えばいいんじゃないんの? それで少しは発散するでしょ」
「まあ、いちおうは行くつもりだけどよ……。しかし、いまのこんな状態で行けば、
なんやかやと思いっきり注目の的になっちまうだろうからなぁ……」
「そんなこと、気にしなきゃいいじゃない」
「いや、オレはいいけど、他の三人がな……」
 綾香は一瞬わずかに目を細め、それから悪戯っぽく笑った。
「へぇ。浩之、優しいんだ。思いやりがあるのね」
「ばっ……別にそんなんじゃ……。ったく、綾香ぁ」
 思わず言葉を詰まらせる浩之に、綾香はくすくすと笑った。
「でも、それじゃどうするの? 部屋でずっと大人しくしてるつもり? あ、いち
おう行くって言ったっけ?」
「ああ行く。で、あんまり煩わしいようだったら、適当に帰る」
「ん、わかったわ。浩之たちは祭が終わるまでこの街に滞在するつもり?」
「ああ。はじめてだしな。ゆっくりするつもりだぜ」
「んじゃ、明日にでもみんな誘って、あなたの宿に押し掛けるわね。たしか、三番
街の『くまチュウ亭』だったわよね?」
「ああ。オレたちは四〇一号室だ。フロントから呼び出してくれ」
「おっけ。さてと、それじゃ姉さん、そろそろ行きましょうか。私と葵はここで待
ってるから、準備を済ませてきて。好恵とセリオとフランもね。あ、あなたも一緒
にどう?」
 急に綾香に話を振られて初音は少しびっくりした顔になったが、ゆっくりと左右
に首を振った。
「……ううん、私はいいよ。ごめんなさい」
「遠慮しなくてもいいわよ? せっかく知り合ったんだし、仲良くしましょ?」
「ありがとう。でも、今日いろいろあったから、すごく疲れちゃって……」
「そう……じゃ、しょうがないか。また今度一緒しましょ?」
「うん」
 初音はにっこりと天使の微笑みを浮かべた。
「大丈夫? 初音」
 理奈が心配そうに声をかける。
「うん、大丈夫。でも、今日は早めに寝ちゃうつもり。っていうか、もうちょっと
眠いんだけど」
 えへへ、と初音ははにかんだ。
「ええ、ゆっくりお休みなさい。そうそう。明日は私たち舞台に立つつもりなんだ
けど、見に来てくれる?」
「わあ、理奈さんの舞台? うん、すごく見たいけど、でも私、お金持ってないし
……。それに、やっぱりお姉ちゃんたちが心配だから……」
 パッと顔を輝かせる初音だったが、その語調はだんだん尻すぼみになっていった。
「お金なんて別にいいけど、でもそうか……そうだったわね」
「ごめんなさい」
「いいのよ、そんな。そっか……隆山だったわよね、たしか。問題は足をどうする
かなのよね」
 あごに手をあてて悩んでみせるが、理奈の腹にはすでにいくつかの考えがあった。
 まず、由綺に頼んでみる。彼女ならおそらく二つ返事で本人専用の馬車を護衛付
きで貸してくれるだろう。
 万一それがかなわなかった場合、自腹を切って市営か、もしくは個人営業の馬車
を借りるつもりだった。
 知り合って間もないのだが、理奈はなぜか初音をすこぶる気に入ってしまってい
た。だから、困っている彼女のために金を出すことにはなんの痛痒も感じないのだ
が、本人はきっと遠慮して拒むことだろう。
 どちらかといえば、それをどう説得するかで理奈は悩んでいた。
「理奈さんありがとう。とりあえず今日はもう休みます。疲れた頭では良い考えも
出ないぞって、お兄さんも言ってたし」
「そうね……それがいいかもね。それじゃあお休み、初音」
「うん。お休みなさい」
 初音はもう一度、にっこりと微笑んでみせた。
「…………」
 それでは行きましょう、と芹香が初音を促した。
「あっ、ごめんなさい、お待たせしました。それじゃあ――」
 最後に理奈に手を振って、初音は背を向けた。
 そのあとに好恵とフランが続く。
「じゃ綾香、行ってくるわ。フラン、行きましょ」
「はい」
「ん、待ってるわ」
「それでは、綾香様。またのちほど」
「ええ」
 セリオの挨拶を最後に、芹香たちは成田神父長に案内されて、聖堂横に建てられ
た居住用とおぼしき建物の方へと歩き去っていった。




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 ス、ストックがなくなってきた……マジでそろそろ書かないと……。
 それにしても、内容、かなり苦しくなってきたなぁ(−−