LF98(35) 投稿者:貸借天
第35話


 年に一度の大きな祭に、浮かれざわめく民衆たち。
 あたりには夕闇が迫り、彼らを照らす朱い光も今はずいぶん細く弱く、陽が完全
に落ちるのも時間の問題だった。
 大陸最大とうたわれる悠凪王国のリーフ祭初日は、夜を迎えるにあたり、まさに
宴もたけなわな状況へ刻一刻と近づきつつあった。
 だがそれとは別に、喧噪まっただ中の大通りは避けて、裏通りも含めたなるべく
人通りの少ない街路を選んで歩く一団があった。
 人目を忍んでいるわけではないが、怪我人や眠っている者がいるので、雑踏の中
をかき分けて進むのは得策ではないのだ。
 その一団の内訳は冬弥、彰、はるか、美咲、英二、理奈、浩之、芹香、綾香、葵、
好恵、初音、フラン、セリオの総勢十四名である。
 あかりと雅史と志保は一足先に『くまチュウ亭』に戻り、そして理緒もまた、バ
イト先の寮へと一人戻っていた。


「ん……」
 背中で眠る妹が身じろぎしたのを感じ、英二は肩越しに振り返ってそっと呼びか
けた。
「理奈……?」
「……んん……あら……にい……さん? 私……なにしてたんだっけ……?」
 寝ぼけているような返答をする妹に、英二は軽く笑いかけた。
「目が覚めたみたいだな。大丈夫か?」
「私……確か、あの変な黒い壁に挟まれて……助かって……? えーと? ……ね
え兄さん、あれからいったいどうなったの? 由綺は? 由綺は無事なの?」
「ああ、無事だ」
「そう……よかった。……あら? 私……確か右脚に怪我してたはずなんだけど…
…」
「立てそうか?」
「ええ、降ろしてくれる? 兄さん」
 英二が腰を落として地面に片膝をつき、背負われていた理奈はその背中から離れ
て自分の脚で立った。
「痛みが……ない……痕もない? ど、どうなってるの? まさか夢だったってこ
とないわよね?」
 右の太腿にあるべきはずの大きな裂傷が跡形もなく消えてることを知り、驚きつ
つ訊ねる。
「彼女が治癒魔法をかけてくれたのさ。よく礼を言っておけよ、理奈」
「え?」
「こ、こんにちは。あ、もうこんばんはかな……?」
 英二が指し示す先には、照れながら恥ずかしそうに挨拶する美咲。もちろん理奈
とは初対面である。
「え? あ、こんばんは。治癒魔法? あなたが……?」
「ええ」
「そうだったの……どうもありがとう」
「いいえ……」
 優雅な動作で丁寧に頭を下げる理奈に、美咲はやはり照れた様子で首を左右に振
った。人からお礼を言われるのを苦手としているらしい。
 周りを見渡して、理奈は初対面なのが美咲だけではないことに気がついた。いつ
の間にか、知らない顔がたくさん増えていたのだ。
「えっと……ねえ、兄さん。私が気絶している間に、いったいどんなことがあった
の?」
「ふむ……そうだな。順を追って説明してやるか」


 英二が理奈に事ここに至るまでのあらましを話している頃、浩之は、いつもの何
を考えているか読み取れない表情で横を歩いている芹香に訊ねた。
「ところで先輩。セリオとかフランとかが、なんで敵に回ってたんだ? なんかあ
ったのか?」
 こく。
「そうそう、姉さん。いったいどういうことだったの?」
「…………」
 浩之と綾香に促され、芹香は語りはじめた。
 研究に一段落がついたある日のこと、特になにか考えがあったわけでもなく、タ
ロットカードで占いをしたこと。
『盛大』『祭』『親しい異性』『再会』――そんなキーワードが示されたこと。
 今の時期、祭を行うのは悠凪王国だけだった。
 異性どころか、親しくしている同性でさえ数えるほどしかいない芹香は、どこで
誰と再会できるのかすぐに見当がつき、翌朝馬車に乗って出発した。
 たびのお供にフランとセリオ。
 できればマルチも連れていってやりたかったが、先日魔道の研究の手伝いをさせ
た時に大ドジをやらかした彼女は身体に深いダメージを負ってしまい、療養中のた
め動けなかった。
 華美になりすぎない程度に内装を施された馬車の中、大きな車輪が舗装された道
路を咬む音を聞きながら、マルチとの約束――もし再会する相手が浩之だったのな
ら、ヒマがあるなら来栖川本邸まで足を運んでもらえないかと伝えること。もっと
も約束とはいっても、あまりにも寂しそうなマルチを見かねて、芹香が胸のうちで
一方的に決めたことなのだが――を思い出しつつ、窓の外を流れゆく風景を眺めた
り、久しぶりに会う浩之に想いを馳せながら旅を楽しんでいた。
 あるいは、再会する親しい異性とは浩之のことではないのかもしれないが、一番
はじめに思い浮かんだ彼の顔がどうしても頭から離れなかった。
 とにかく芹香は浮かれていた。相変わらず表情に現れた変化は、わかる者にしか
わからないほどのささいなものだったが。
 御者はセリオとフランが交代でつとめた。なにをさせてもそつなくこなすこの二
人のこと、旅は素晴らしい早さで進んだ。
 しかし来栖川専属の馬車ともなれば、車は気品漂う重厚な作りになっており、ま
たそれを引く馬も毛並み鮮やかにして立派な体格。一目見ただけで、どんな身分の
人間が乗っているかすぐわかる。
 本邸を出発して三日目、彼女たちは野党に襲われた。もちろん、あっさり撃退し
た。
 護衛がいないことを幸いと思ったのか、十数名のならず者たちは舐めてかかって
きたのだが、別にそうしなかったとしてもこの三人にはまったく歯が立たなかった
であろう。
 それからは特になんの障害もなく、旅は順調に続いた。
 ところが、悠凪まであと一日というところで、ドグルスたちの襲撃を受けたので
ある。
 抵抗はほとんどすることができなかった。
 不運とは重なるもので、ちょうどその時、芹香はある事情で魔法が使えなくなっ
ており、またフランは魔力の充てんで眠りについていたのである。
 やむなく、セリオが独りで闘ったのだが、多人数の相手に完全に囲まれてしまっ
てはどうしたって限界がある。
 あっという間に馬車の中に乗り込まれ、緊急事における強制覚醒を起こし始めて
いたフランを先に押さえられてしまった。
 しかし、危うく芹香まで捕らえられそうになったのはなんとか救い出して、馬車
と切り離した馬に乗せてかろうじて逃がすことができた。もちろん、セリオ本人は
あるじに対する追っ手を少しでも減らそうと大立ち回りを演じ――。
 芹香が覚えているのはここまでだった。
 乗馬が得意でない……というよりは、はっきりいって下手の極致にある彼女は、
振り落とされないよう、馬にしがみつくのに必死だったからである。
 その際、なぜかセリオと並んで遠乗りに出かけてゆく綾香の後ろ姿が思い出され
た。仲のいい二人はそんな風に一緒に行動することが多く、そういった場景をたび
たび見てきたのである。
 運動神経に優れた妹なら決してこんな無様な乗り方はしないだろうと思いつつ、
鞍(くら)も鐙(あぶみ)も付けていない馬の背中に死に物狂いでへばりつきなが
ら、一年単位で寿命が縮まっていきそうなこの時間が早く終わって欲しい、と祈る
ように過ごしていた。
 恐ろしい早さで流されてゆく風景、いつしか雨が降り始めたことに気づく余裕さ
えないまま、それでも芹香は一度も落馬することなく、どうにか追っ手を振りきる
ことができたのだった。
「……そんなことがあったの……」
 綾香が感無量の面持ちで呟くように言った。
「……芹香様を乗せた馬を逃がしてのち、なんとかスキを見て私も逃げようとはし
たのですが結局それはかなわず、私もフランさんと同じようにサークレットで支配
されてしまったのです」
 芹香が覚えている分以降の出来事を、セリオが話して聞かせた。
「で、それから捕らわれた二人を追って、姉さんもここへ来たのね?」
 こく。
「…………」
「え? この件に関しては、私の責任? 自業自得? なにそれ? どうして姉さ
んの責任なの? あ、魔法が使えなかったから?」
 ふるふる。
「…………」
 横に首を振ると、芹香は誰に対してなのか、申し訳なさそうな顔で話の続きを語
った。
 実は、最初の『祭』や『再会』などの結果が出た占いには、他にキーワードがあ
ったこと。そのキーワードは、セリオとフランが捕らわれてしまうことを暗示した
ものだった。
 親しい異性との再会とはすなわち、浩之と久しぶりに会えることだと浮かれてし
まい、芹香はそれについて確認することを怠ってしまったのだ。
 追っ手を振りきったあと、ドグルスたちに襲撃を受けた場所まで戻って人っ子ひ
とり残っていないことを知り、途方に暮れた芹香は自分の占いが外れていたのだろ
うかと、もう一度タロットカードを取り出した。
 そして、得られた結果に『重なる不幸』と『ひとり旅』も存在していたことがわ
かったのだ。
 また、『過失』というキーワードも得られた。この場合、浮かれて確認を怠って
しまうことを暗示したものだったのだろう。
 ともあれ、これで合点がいった。
 もっとも、だからといって事態が好転するわけもない。なんとしても、捕らわれ
た二人を取り戻さなければならない。
 今まで以上に全身全霊を込めてカードをさばき、行き先が悠凪王国であることを
突き止めた芹香は、黒い瞳に強い決意をみなぎらせて歩き出した。
 この時ばかりは馬術に暗い自分を少し恨めしく思った。
「うーん、なるほど。先輩の自業自得だってところはわかったけどよ。それはそれ
として、なんで魔法が使えなかったんだ? 少なくとも、それさえなければ占いも
外れてただろうに」
 話を聞き終えた浩之が不思議そうな顔で訊ねた。
 すると、芹香はなにも答えず、ただ顔を少し赤らめた。
「? 先輩?」
「あ、浩之。そのことについては言及しないように」
 綾香が口を挟んだ。
「? なんで?」
「いろいろとあるのよ、女性の魔道士には。ああ、まあ別に魔道士に限ったわけじ
ゃないけどね」
「あん? なにを言って……」
「はいはい、いいからこの話はもう終わり」
「なんだよ、気になるじゃねーかよー。いったいどういうこっ……あ……もしかし
て……」
「…………」
 なんのことか察しがついたらしい浩之の様子に、芹香はますます顔を赤らめてう
つむいてしまったのだった。


「浩之くん」
「えっ? あ、リナさん。もう動いて大丈夫なんですか?」
「ええ。おかげさまでね」
 理奈はにっこりと微笑んだ。
「私が眠っている間にどんなことがあったのか、だいたい話は聞いたわ。ええと、
あなたが“月影の魔女”さん? はじめまして。私、緒方理奈よ」
「…………」
 差し出された手を握り、こんばんは、来栖川芹香ですと挨拶を返す。
 そして理奈は、他の顔ぶれとも挨拶をかわした。
「それにしても驚いたわよ。目が覚めてあたりを見回せば、浩之くんの周りには女
の子ばかりなんだもの。なかなか隅に置けないわね」
「えっ、ちょ、勘弁してくださいよ、リナさん」
 苦笑して頭を掻く浩之に、くすりと目を細める理奈。そこに、初音が嬉しそうに
近寄っていった。
「理奈さん」
「あら初音。大丈夫? どこも怪我しなかった?」
「うん、理奈さんのおかげで全然。どうもありがとう」
「そう。よかったわ」
 初音を見る理奈の瞳は、まるでかわいい妹を見るそれのようにとても優しかった。
「それはそうと、浩之くん。なんかすごい状態になってるわね」
 相変わらず、足もとから絶えず吹き起こる氣流により、浩之の髪や衣服は強風に
あおられたようにバタバタと揺れている。
「ああ……実はこれ、一週間は元に戻らないそうなんですよ」
「そうなの?」
「ハルカさんには元に戻せないそうです」
「ん」
 はるかがいつの間にか隣にいて、気楽にうなずいていた。
「気をつけなよ。冬弥、そのせいで以前死にかけたから」
「お、おい彰。頼むからあの時のことは言わないでくれ!」
 注意を呼びかける彰に、冬弥が焦ったような口調で懇願した。
「藤井くん……死にかけたって……?」
 両側から二人に支えられている美咲が心配そうに訊く。
「い、いや、その……」
「ど、どういうことなんすか、それ!? 今のこの状態って、もしかしてやばいん
ですか!?」
 口ごもる冬弥に、浩之が詰問するような口調で訊ねた。当然だろう、死にかけた
とは穏やかではない。それが我が身にも降りかかってくるかもしれないのだ。
 しかし、それを口にした彰はのんきそうに笑っていた。
「ハ、ハルカさん!?」
「ん、大丈夫。気をしっかり持てば」
「気をしっかり持てって……瀕死の相手に言う言葉じゃないっすか! ちょ、ホン
トに勘弁してくださいよ、なんかすげぇ副作用でもあるんですか?」
「副作用なんてないよ」
 はるかはあっさり言い切った。
「じゃ、じゃあいったいどういう……」
「ほら、藤田くん不安になってるし。教えて上げた方がいいんじゃない?」
「って、不安にさせたのは彰だろ!」
「でも冬弥の前例があるから、いちおう言っておいた方がいいかなって」
「アキラさん、教えてください。死にかけたってどういうことっすか?」
「言うよ? 冬弥」
「う……わ、わかったよ…」
 しぶしぶ冬弥がうなずくのを確認して、彰は口を開いた。
「えっと、何年か前、冬弥もはるかの仕業で今の藤田くんみたいな状態になったこ
とがあったんだ。で、三日間ぜんぜん眠れなくてヒマを持て余してたものだから、
四日目、歩いて半日ほどの距離にある大きな山に一人で探検に出かけちゃったんだ
よ。ほら、藤田くんだったらわかると思うけど、なんて言うか気が大きくなってた
んだね。それで、山の奥深くでゴブリンの大集団とバッタリ出くわしちゃって、そ
の頃冬弥は今と違って剣なんか扱えなかったし、持ってすらいなかったから、命か
らがら必死に逃げてきたってわけ」
「……なるほど……死にかけたって、そういうことだったんですか……」
 浩之が目を向けると、冬弥は恥ずかしさと苦々しさが入り交じったような顔で下
を向いていた。
「本当に命からがらだったよね、冬弥? だって、帰ってきた時は全身傷だらけで
血まみれだったし、中には骨まで届いてた傷まであったもんね。はっきりいって、
生きてるのが不思議なくらいの重傷だったんだけど、それでも一睡もせずに普通に
回復して、普通に元気になっちゃったんだから、ホント、はるかのワザ?ってすご
いよね。結局、あのおびただしい傷も、身体に宿っていた有り余る莫大なエネルギ
ーによって、たったの三日で完治してしまったし」
「すごいのはわかるけど、ちゃんと元に戻してくれよな……そうすれば、あんな苦
労をしなくてすんだのに……」
 その時のことを思い出してるのか、しみじみと呟く冬弥。その恨みがましい目つ
きを、はるかは柳に風と受け流した。
「あんな苦労をしたのは、冬弥の自業自得」
「うっ……そ、そりゃまあ、否定はできないけど……」
「そういうわけだから、目つきの悪い少年。気をしっかり持てば大丈夫」
「そういう意味だったんすか……まあ、それはわかりましたけど、目つきの悪いっ
てのはもう勘弁してくださいよ」
「じゃ、浩之ちゃん」
「そ、そっちはもっと勘弁!」
 慌てた顔で早口に言う浩之の様子に、一同は声を上げて笑った。




*************************************
 こんな意味のない話、なんで続けてるんだろう、オレ……。
 ていうか、早く終わらせたいのになかなか終わらない……。
 この話では、理奈と初音はやけに仲がいい設定になってしまった。
「天使の微笑み」を持つ者同士だから?
 でも、正確な意味はちょっと違うんだよな……。
 芹香さんが魔法を使えなくなった理由、わからなかった人はまあいないでしょ。