LF98(34) 投稿者:貸借天
第34話


「あ、緒方さん」
「初音ちゃん。理奈の様子はどうかな?」
「うん。眠ってるだけみたいだから大丈夫だって」
「そうか……」
 英二は安堵の息を吐き、理奈の顔を覗き込んだ。
 由綺と初音の二人を護りながら大立ち回りを演じ、そして圧殺黒呪によって体力
を限界以上に酷使したのだ。
 それでも、美咲のかけた治癒魔法で傷をいやした今は、穏やかな寝息を立ててい
た。
「ようやく、すべてが終わったな……」
 感慨深げに呟く。
「……うん。あ、そうだ」
 初音はすっと立ち上がると、深々と頭を下げた。
「助けていただいて、どうもありがとうございました」
「……ん?」
「あの、お礼はすべてが終わってからだって言ってたから……」
「ああ、そういえばそうだったな。いや、礼には及ばないぜ」
 英二は軽く目を細めた。


 魔法の連発で精神疲労が激しい美咲だったが、怪我がひどい綾香と葵を見て、そ
ちらへと歩み寄っていった。
 彰が止めるのをやんわりと拒み、先に葵に治癒魔法をかける。
 そして、その場にくずおれた。
「だっ、大丈夫ですか!?」
「美咲さん!」
「……大丈夫」
「ぜんぜん大丈夫そうに見えないよっ」
「だ、大丈夫」
 ゆっくりと足もとを確かめるようにして立ち上がり、
「あ……っ」
 ふらっと後ろによろけた背中を冬弥が支えた。
「美咲さん、無理しすぎだよ……」
「そ、そんなこと……ないわよ」
 なんとか自分の足で立とうとしてさらにふらつく美咲に、綾香がいたわるような
眼差しを向けて言った。
「あの、私の事は気にしないでいいですから、もうゆっくりしてください」
「で、でも、そんなに怪我してるのに……」
「美咲さん」
 彰が強い調子でさえぎった。
 その真剣な表情を見て美咲はそれ以上なにも言えなくなり、それでも、少し間を
置いてからためらうようにうなずき返した。
「……うん、わかった。……駄目だね、私。みんなに迷惑かけてばっかりで……」
「なに言ってるんだよ。迷惑なんてぜんぜんかけてないって」
 まったくこの人は……と、冬弥がやや苦笑気味に笑うと、由綺が心配そうな顔を
した。
「美咲さん、すごく顔色悪いよ。早くどこかで休ませてあげないと」
「でも、ここから教会はちょっと遠いな……」
「私たちの泊まっている宿は近いよ」
 はるかの言葉に、冬弥は顔を輝かせた。
「そういえばそうだ。行こう美咲さん。歩ける?」
「う、うん……」
「あ、冬弥。僕が……」
 彰が美咲に肩を貸そうと寄り添ったところで、さらに背後から声がかかった。
「あ〜、ちょっと」
「?」
 みなが一斉に振り返ると、英二が理奈を背負って立っていた。
 由綺の顔がはっと強張る。
「理奈ちゃん……!」
「悪いが青年。うちの妹も一緒に休ませてもらえないか? 俺たちがとった宿は、
あいにくちょっと離れてるんでな」
「冬弥くん、彼女も連れていってあげて。私たちを護るためにあんなになっちゃっ
たの」
「それは別に構わないけど……」
 すがるように見上げてくる由綺に戸惑ったようにうなずき返し、それから英二を
見た。
「あの、医者に行かなくて大丈夫なんですか?」
「ああ、その点に関して言えば心配ない。そちらの女性が治癒魔法をかけてくれた
そうだからな」
「いえ、そうじゃなくて、あなたが……」
 その言葉に、英二は「ん?」と眉を上げた。そして、自分の身体を見回してみる。
 確かに、痛みはそこらじゅうにあった。しかしそれほど大きな怪我はしていない
し、応急処置はすでに済ませてある。
「ああ、大丈夫だ。なんだ、俺の心配までしてくれたのか? 心優しい青年だな」
「え、いえ、その……」
 英二はくつくつと肩を振るわせた。
「まあ、医者に行くのは妹を寝かせてからだな」
「わかりました」
 次に英二は、彰に肩を借りて立っている美咲に目を移した。
「それはそうと、その節は妹がたいへん世話になったな。礼を言わせてくれ」
「いえ、そんな……」
「妹の目が覚めたら、改めて礼を言いにうかがわせてもらおう」
「あ、あの、そんなお気になさらないでください」
 慌てたように手を振る美咲に、英二はふっと表情をゆるめた。
「さて。それじゃ、きみたちの泊まっている宿に案内してもらえるかな?」
「あ、はい。こっちです」
 冬弥が先頭に立ち、一行は美咲を気遣って、ゆっくりとしたペースで移動をはじ
めた。
 と、離れた場所からその様子をうかがっていた弥生が、衛兵たちに指示を出す手
を止めて待機の合図を送り、きびすを返して歩き出した。
 その向かう先には、一行に加わってそのまま一緒についていこうとしている由綺
の姿がある。
「お待ちください、由綺様」
「え?」
「陛下をはじめ、皆々様がいたく心配なさっておいでです。一度、城内本殿にお戻
りくださりませ」
「えっ、あ……」
 由綺は困ったように顔を曇らせた。
 確かにその通りだ。しかし、理奈は命の恩人なのである。
 とはいえ、自分にできることは何もない。それに、眠っているだけで命に別状は
ないのだ。心配することもない。
 それでも、ここで独り城内に戻ってしまえば、なんだか申し訳が立たないような
気がした。まだちゃんと礼も言っていないのだ。
 それは英二に対してもそうだし、冬弥や美咲、また浩之たちにも同じことが言え
る。彼らのおかげで、自分は助かったのだ。
「あの……」
 どう切り出そうかと口を開く由綺に、冬弥が言った。
「戻りなよ、由綺」
「え……冬弥くん?」
「俺たちの泊まってるとこは知ってるだろ? あとから来ればいいよ。由綺は実質、
昼間から夕方の今までずっと行方不明になってたんだから」
「う、うん……」
「みんな心配してるって」
「……そうだね。わかった」
 由綺はややぎこちなくうなずいた。
「それじゃ、またあとでな」
「うん……」
「では、由綺様」
「あ、うん」
 去ってゆく冬弥たちを見送ったあと、側近の近衛騎士たちに囲まれて由綺も歩き
出した。


「藤田」
「ん? あ、矢島か」
 名前を呼ばれた浩之が振り返ると、そこには矢島と、先の中年兵が立っていた。
「なんだ。縁があったらまた会おうなんて言っときながら、すぐ会っちまったな」
「ま、まあな」
 矢島は頬を掻きながら、周りにちらちらと視線を走らせていた。どうも、誰かを
捜しているようである。
 矢島のことは気にせず、浩之は中年兵と向き合った。
「あ、どうも。取り調べっすか?」
「約束だったわよね」
 浩之の隣に綾香が並んだ。
「いやいや、話は聞いたよ。きみたちは由綺姫様を救い出すために、人身売買組織
と闘ってたんだってな。いや、疑ったりして悪かった」
 中年兵が頭を下げると、二人は顔を見合わせた。
「……うーん。結果的にはそうなっちまったけど、本当は、ただ友だちを助けるた
めだったんだけどな」
「私もね。浩之が何か面倒ごとに巻き込まれてるみたいだったから助太刀したんだ
けど、まさか人身売買と姫君救出なんて要素が絡んでいたとはねぇ」
「まあとにかく、姫様はご無事、それに組織の人間もほぼすべてを検挙することが
できた。まったくもって、きみたちのおかげだな」
「なんかぜんぜん、そんな実感が沸かねーんだけどな」
「同感。そんなことよりも、私は早く傷の手当をしたいわ。こんな応急処置じゃ、
怪我が気になってろくに動けないし……」
 綾香は食いちぎられた首もとを軽く手で押さえ、痛みに顔をしかめた。
 ハンカチや引き裂いた衣服で傷口を縛り、また『息吹き』と呼ばれる特殊な呼吸
法を絶えずおこなっているので、体力の消耗を最小限度に抑えることはできている。
 しかし、それもしょせん急場しのぎである。できるだけ早くしかるべき処置をし
なければ、命に関わる危険性がある。それだけ傷は深いのだ。
「そうだな、早く医者に行かねーと。それじゃあ、もう行っていいすか?」
「ああ。引き止めて悪かった」
 中年兵は用件が済んだことを手振りで示し、そして二人は一礼してきびすを返し
た。
 そこで、あかりと話をしている矢島の姿が目に入った。
「それじゃーな、矢島。オレたち行くわ。あかり、そろそろ行くぞ」
「うん。またね、矢島くん」
「あ、お、おう。また」
 あかりは矢島に手を振って、浩之のあとを追いかけた。
「ねえ浩之ちゃん。まさかこんなところで矢島くんに会うとは思わなかったね」
「ああ。まったく、世間は狭いよな」
 二人の会話を聞きながら、志保がそっと後ろを振り返った。
 案の定、矢島はあかりの背中を見つめていた。
 しかし当然、あかり本人はそのことに気がついていない。
(……ああ、無情)
 志保は心の中で合掌した。


「さて、帰ろーぜ」
「ねえ、浩之たちはどこに宿を取ってるの?」
「大葉通りの三番街にある『くまチュウ亭』だ。綾香は? 葵ちゃんと一緒なんだ
ろ?」
「ええ。私たちは四番街の『サザン・ウィンド』よ。で、問題は姉さんたちなのよ
ね」
 綾香が背後を振り返った。
「姉さん、どうする? こんなお祭りの日はきっと宿はどこも満室で、いまからじ
ゃあチェックインできるところなんてないかも……」
「…………」
 芹香はあまり深刻そうでない口調で、どうしましょうと呟いた。
「もぉ〜、姉さんはいつだってマイペースなんだから……。うーん、セリオとフラ
ンと姉さんと、三人部屋が空いてるところなんて、見つけられるかしら……」
「なにしろ、この街に来たのは今日が初めてで、勝手が悪いんだよなぁ……」
 思案にくれていると、横から声がかかった。
「ああ、藤田くん。俺たち、そろそろ行くから」
「あ、エイジさん」
 理奈を背負って歩く英二の姿を見て、あかりがぽんと手を叩いた。
「そうだ。ねえ浩之ちゃん。緒方さんたちに訊いてみたらいいんじゃないかな?
私たちより詳しいかも」
「お、そうだな。すんません、エイジさん。実は……」
「ん? なんだ?」
 後ろにいる表情の変化に乏しい三人を示しながら、浩之は彼女たちが泊まれそう
な宿を探していることを説明して意見を求めた。
「あ〜、すまない。俺たちも今日来たばかりだから、詳しくないんだ。青年、きみ
なら何か言ってあげられるんじゃないか?」
 英二に水を向けられ、冬弥は難しい顔で眉を寄せた。
「んー、そうだなあ。そりゃ、確かにしらみ潰しに捜せばどこかにあるかもしれな
いけど、あれだけ大勢の人の群れをかき分けて捜し回るとなると、たぶん日が暮れ
てしまうんじゃないかな。でも、かといってどうすればいいかって訊かれると、そ
れもちょっと……」
 申し訳なさそうな目を向けられ、浩之も困った顔になった。
「うーん。どうする、先輩?」
「…………」
「え? 占いで探してみましょうか? そうか、そういう手があったな」
「そうね。姉さんなら、きっと上手く見つけられるわ」
「へえ、“月影の魔女”の占いか。それは見ものだな」
 皆からの注目の視線を浴びて、芹香は少し恥ずかしそうにしながら懐からタロッ
トカードを取り出し、屈み込んだ。
「…………」
 慣れた手つきでカードを切って、流れる水のようななめらかな動作で静かに丁寧
に地面へ並べていく。
 星辰と風水の呼応から成り立つ時空因果律に基づいた配置により、割り当てた情
報から導き出される必要な時間と空間を限定する。
 芹香は山札の中から、上から数えて二十五番目のカードを抜き取り、念を込める
ような仕草をしてから表に返して山札の一番上に乗せた。すると、山札の周りに陣
形を敷くような形で配されていたカードのうちの三枚が独りでに表に返った。誰か
が触ったわけでも、特に風が吹いたわけでもない。
「…………」
「え、結果が出た? ふんふん、方角はここから見て北東、徒歩約三十分の距離?
人と神様との接点となる場所? 先輩、それ、どこかわかる?」
「…………」
「たぶん教会だと思います? 人と神様との接点……なるほど、そうか、そうだよ
な。じゃあ、教会に泊めてもらうってことか?」
「あ、なるほど。ここから北東、徒歩三十分っていったら、美咲さんが籍を置いて
いる教会だ。うん、そこなら俺たちでも顔が利くよ」
 まかせてくれ、と冬弥がうなずく。
「よっしゃ。これでなんとかなったな、先輩」
 こくり。
 芹香の表情に安堵が彩られた。といっても、それはわかる者しかわからないほど
の、ささやかな変化だったが。
「それじゃあ、まず先に俺たちの宿に行って美咲さんと理奈ちゃんを休ませて、そ
れから一緒に教会へ向かおうか」
「すんません、頼みます。あ、先輩。オレも途中まで一緒に行くよ」
 こく。
「あ、私も行くわ。葵、いい?」
「はい」
「そうだ、初音ちゃんは?」
「え? あ……」
 英二に見下ろされ、初音は返答に詰まったように下を向いた。
「あー、青年。この子も一緒に連れていってもらえないか? 彼女も捕まってたか
ら、寝泊まりできるところがないんだ」
「いいですよ」
「え、えっと……」
「? どうかしたのかい?」
 何か言いたげな初音に、英二が不思議そうに訊いた。
「あの……私、早く帰らないと……。きっと、お姉ちゃんたちがすごく心配してる
と思うから……」
「あ、そうなのか。家は蛍崎にあるのかい? 送っていこうか?」
「う、ううん。隆山……」
「隆山!? 馬車で五日の距離だぞ? もう間もなく完全に日が落ちるし、明日か
らにした方がいいんじゃないか? 疲れてるだろう?」
「う、うん……」
 初音の返事は要領を得なかった。
「何か、事情があるのか?」
「ううん……そういうわけじゃないけど……」
 聞くところによると、今日は二十一日。初音が思い出せる一番新しい記憶は、十
八日の分だった。つまり姉たちにしてみれば、末の妹が姿を消して三日になるとい
うことだ。
 きっと、ひどく心配げな顔をして捜し回っていることだろう。もしかしたら、長
姉など泣いてしまっているかもしれない。
 初音は、長い間母を演じてくれた一番上の姉の千鶴が、実はとても弱い女性だと
いうことに気づいていた。
 幼い頃は違ったかもしれない。しかし成長するにつれ、両親を亡くし叔父を亡く
し、その課程で段々と心がもろくなっていったのだ。従兄の耕一が来てくれるまで
は、千鶴はいつしか、心からの笑顔というものを見せることがなくなっていた。
 初音は物事の姿形を記憶するのは得意である。叔父を亡くして以降、たまに見る
千鶴の笑顔は、幼い頃見ていたあの屈託のない笑顔とはまるで別物だったのだ。
 耕一が来たことによって、ようやく昔の笑顔を少しずつだが取り戻していったの
である。
 もちろん、他の二人の姉に心配をかけていることにも気をもんでいる。
 面倒見のいい梓、無口な楓。どちらも心優しい女性だし、従兄の耕一もやきもき
して捜しているだろう。見つからないからといって、決して諦めたりしないはずだ。
 だから、早く帰って安心させてやりたい。
 今日一日でいろいろなことが起こったため、脳裏に浮かぶ姉たちと従兄の顔が、
なんだかとても懐かしく感じられた。
 しかし、疲れてるのも事実だ。追われながら走ることがあれほど精神を激しく圧
迫し、また体力を消耗するとは思ってもみなかった。はっきりいって、今の状態で
は軽くランニングしただけでもすぐにバテそうである。
 馬車で五日。初音の足では、その五倍はゆうにかかるだろう。それに、野党など
に襲われたらなす術がない。護衛を雇うにも金がない。
「とりあえず、今日はゆっくり休んだ方がいい。疲れた頭じゃあ、良い案も出ない
ぞ?」
「うん……そうだね。そうします」
 英二に諭すように言われ、初音は素直にうなずいた。




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うーーん、千鶴さんって、どちらかといえば強い女性なのかも(^^;;
むむ、作中のあのあたりはこじつけかもなぁ……。