LF98(30) 投稿者:貸借天
第30話


「無益な殺生は好みません。もう一度訊きます。おとなしく降伏する気はありませ
んか?」
 冷たく静かな表情で女剣士が言った。
「…………」
 ヴォルフは半分ほどの長さになった自分の剣を黙って見つめていたが、それをポ
イと捨てると、へっへっへと笑いながら両手を上げた。
「いやぁ、まいったまいった。わかった、降参」
 女剣士は探るような眼差しでしばらく様子をうかがい、やがて剣を鞘に収めて背
後の綾香へと向き直った。
「大丈夫ですか?」
「……え、ええ……」
「出血が激しいですわね。もう、あまり動かない方がよろしいですわ。間もなく衛
兵がやってきますから……」
「あっ!」
 綾香が声を上げたのは、女剣士が柄に手をかけたのと同時だった。

 キンッ!

 振り向きながら抜いた剣で、ヴォルフの剣を受け止める。
「ぬぅぅぅっ!!」
 気合いとともに続けざまに斬りかかってきた。その手にした得物はむろん、半ば
で折れた自前の剣ではない。おそらく、そこらに落ちていたのを拾い上げたのだろ
う。

 キンキン、キィンッ!!

 しかし、鋭く迅い撃ち込みを女剣士は軽々といなした。
「ちっ!」
 背後からの不意打ちもまったく通用せず、忌々しげに舌打ちしてヴォルフが退が
る。
「……降参したのではなかったのですか?」
「ふん、このまま舐められっぱなしでいられるかよ。と思ったけど、あんた俺の手
には負えそうにねーな、すっげぇ悔しいけどよ。せめてタレスがいてくれりゃあ、
なんとかなったかもしれねぇが……。まあとにかく、今回は俺の負けだ。これ以上
闘う気にもならねーし、トンズラさせてもらうぜ」
「仲間を放ったらかしてですか?」
 女剣士が通りの先を見やる。
「衛兵が来るんだろ? それを聞いた以上、逃げないわけにはいかねーだろ。とっ
捕まりたくねーしな」
「…………」
「仲間っつっても、これだけ騒ぎが大きくなって、しかも衛兵にまで嗅ぎ付けられ
たとあっちゃあな。最後まで付き合う気にはなれねぇよ。俺は一人で逃げる」
「そういうわけには参りません。あなたの身柄を拘束します」
「へっ?」
 ヴォルフはぽかんと口を開けた。
「……なんでだよ。こんなお祭りの日に、わざわざこんな面倒ゴトに自分から巻き
込まれるこたーねぇだろが?」
 周囲には数多くの土の塊がそこら中に見られ、それに近い数の剣のみを武装した
男たちが横たわっている。全員が死んでいるわけではなく、苦しげなうめき声もあ
ちらこちらで聞こえていた。
 明らかに、なにか大きな事件が起こったということが一見してわかるような状況
だ。
「はーん、そうか。あんた、この事件の解決の手助けをして、報奨金をいただこう
ってハラか?」
 揶揄するようなヴォルフの言葉を冷然と流し、女剣士が言った。
「……人身売買組織の者を放っておくことはできません」
「ッ!?」
 強い意志を秘めたその言葉に、人を見下したように笑っていたヴォルフの顔つき
がはっきりと変わった。
 それを見て、女剣士――悠凪の近衛騎士隊長である篠塚弥生は確信した。
 どうやら今の言葉は、この男にとって完全に予想外だったらしい。ということは、
自分たちの動向はまったく感づかれていなかったということだ。
 予定とは少し違うが、奇襲という形は間違いなく取れている。そればかりか、何
もしていないのに、すでに組織はほとんど壊滅状態だ。人身売買組織の者全員を一
網打尽にすることも不可能ではなさそうだった。
 だがそんなことよりも、弥生には何にもまして気がかりなことがあった。
 表情こそ冷静そのものだが、胸を掻きむしるような思いを抱いているのだ。
「……あんた、ナニモンだ? なんでそのことを知っている?」
 警戒心も露わなその質問に答えず、女剣士は一歩前に踏み出した。
「綾香っ!!」
「綾香さん!」
 若い男女の大声が聞こえた。
 そのうち一人は、人間にはあり得ないようなとてつもなく大きな気配を放ってい
る。
「浩之……! 葵……!」
「お知り合いの方々ですか?」
 ぱっと顔を輝かせる綾香に背中越しに訊ねる。
「ええ」
「それでは、お願いがあります。その方々とともに、この男を抑えていてもらえま
せんか? しばらくすれば衛兵がやってまいりますので、あとは彼らに引き渡して
いただければ結構ですから」
「くっ……!」
 ヴォルフは表情を固くして、焦りのうめき声を洩らした。しかし、動けない。
 むざむざ捕まってたまるかと思っていはいるものの、弥生にはスキがまるで見あ
たらなかった。なんの構えもとらずにごく自然体で立っていて、しかも意識は綾香
の方に向けているにもかかわらず、それでも付け入るスキがないのだ。
「……うーん。それじゃ、あなたはどうするの?」
「私にはすべてに優先して、それも大至急やらなければならないことがあります。
たまたま傷だらけのあなたを見かけて先にこちらへ来ましたが、もう行かねばなり
ません」
「そう……わかった。ほんとは私にも早く確かめたいことがあるんだけど、命の恩
人だしね。その頼み引き受けるわ」
「ありがとうございます」
 背中を向けたまま言っては礼儀としては相応しくないのだが、状況が状況だけに
仕方がない。
「綾香っ。大丈夫か!?」
 浩之たちがやってきた。もちろん、葵もフランもいる。
「浩之。いきなりで悪いんだけど、そこの男をとっ捕まえてちょうだい」
「へっ?」
 出し抜けのセリフに呆けた表情をしている浩之に、
「お願いします」
 弥生も声をかけた。
「えーと……なあ、綾香。この人は?」
「そんなことはいいから、早くして」
「わ、わかったよ」
 にべもない口調で言われ、仕方なくうなずく。
「でも、あとでちゃんと状況を説明しろよ」
「もちろんよ」
「だけど、とっ捕まえるってどういう風にすりゃいいんだ? 当て身でも入れとき
ゃいいのか?」
「はい、それで結構です」
 弥生の応えを聞きながら、浩之がヴォルフへと近づく。
 と――。
「動かないでください」
「う……っ」
 のど元に突きつけられた、白銀の輝き放つ魔力剣。
 息を呑んだのはヴォルフだけではなかった。綾香も葵も浩之も、大きく目を見開
いて弥生に注目している。
 浩之が近づいたとき、ヴォルフは何かをしようとかすかに身じろぎした。警戒し
ていた浩之はもちろんそれに反応したが、弥生の剣が突き出されたのはそれよりも
早かった。
 そして浩之ら三人は、剣を突きつけるまでの弥生の動きをとらえることができな
かったのである。
「そうか……無拍子ね……!」
「え? なんだって、綾香?」
 驚愕のかすれ声で紡がれた言葉に思わず聞き返すと、いささか急いた口調の言葉
が弥生から返ってきた。
「あの、お早くお願いします」
「あ、す、すんません」
 慌てた様子でヴォルフの背後へと回り、
「くっ、くそっ――ぉ……」
 ののしりの言葉を最後まで言わせることなく、えり首を手刀で一撃して昏倒させ
る。
「……ふう」
「それでは、私は行きます。あとのこと、よろしくお願いします」
「まかせといてください」
 力強いその言葉にうなずき返し、弥生は剣をおさめてその場を駆け去った。
 長い黒髪を朱い風景に踊らせて遠ざかっていく弥生を見送ったあと、浩之が口を
開いた。
「さて、綾香。いまの人はいったい誰なんだ?」
「知らない」
「あのな……」
 簡潔極まりなく、やたら素っ気ない答えに苦笑していると、
「悪いけど、ほんとに知らないのよ。最初は敵かと思ってね、綾香さん大ピーンチ
とか思ってたんだけど。手を貸しましょうか、って助太刀してくれたのよ」
 遠ざかる後ろ姿を目で追いながら綾香が言い直した。
「うーん。それじゃ、あの人はいったい……」
「やらなければならないことってのも気になるわね」
「なんだそれ?」
「あの人が言ったのよ。すべてに優先して、それも大至急を要することがあるって
ね。そういえばあの人の向かった方向は……確か、好恵がいたわね」
 浩之は少し目を見開いた。
「坂下? おう、そういや坂下は敵だったのか? そのあたり、どうなってんだ?」
「えっとですね……」
 葵が口を挟む。
「好恵さんは、相手が人身売買組織ということを知らずに雇われていたんだそうで
す。でも、いまは頼もしい味方です」
「そうか。なんだ、それじゃオレは殴られ損じゃねーか」
 苦笑気味に言うと、綾香が悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「あら、浩之。あんた好恵に殴られたの?」
「思いっきりな。見ろ、ここ」
「……アザになってますね。そこ以外にもたくさんありますよ」
「ほんと。ずいぶんカッコいい顔になってるじゃない、浩之」
「馬鹿。そんなこと言っちゃあフランが……」
「――申し訳ありません。浩之さんのお顔をそんなにしたのは私です……」
 小柄な魔道人形の少女が目を伏せ、神妙な顔つきで言った。
「ほれ見ろ。……ああ、だからそんな気にすんなって。ほら、顔上げろよフラン」
「はい……」
 浩之は翠の瞳をじっと見据え、
「よし、フラン。これは命令だ。あん時のことは忘れろ、いいな?」
「ですが……」
「わ・す・れ・ろ」
 躊躇するような口振りを押さえ込むように強い口調で言う。
「――わかり……ました」
 ややぎこちない動きでフランはうなずいた。
「うん、いい子だ」
 よしよしと頭を撫でる。
 翠の少女はそんな浩之を無表情に見上げていた。
「まあ、それはそれとしてだ。オレの顔、そんなにひどくなってんのか……?」
 綾香と葵を振り返って訊ねる。
「ええ……だいぶ腫れ上がってます」
「顔中、青アザだらけよ。痛い?」
「そ、そんなに青いのか?」
「はい、青いです」
「うん。かなり青いわね」
 深くうなずく二人。
「ちぇ。いい男が台無しだな」
 頬を撫でさすって、痛みに顔をしかめる。
「これはもう、ほとんど凶悪犯の顔ね。もともと目つきも悪いし」
「うわっ、ヒデェなぁ。そこまで言うかよ」
 浩之が不満そうに唇を曲げると、綾香はくすくすと笑いながらゴメンゴメンと謝
った。葵も苦笑している。
 そこで、それまで黙ってやりとりを見ていたフランが涼しい声で告げた。
「皆さん。衛兵の方々が見えられたようです」
「ん? 来たか?」
 耳をすませると、確かに複数の声と足音。
 ほどなくして、衛兵たちがやってきた。警官も多く含まれている。
 背後の、石壁を模した隠し扉から現れたのは――。
「……あっ! 誰かと思ったら、矢島じゃねーか!」
「そう言うおまえは藤田!?」
 お互いを指さし、同時に素っ頓狂な声を上げる二人。
「おい、矢島。早くどいてくれよ。あとがつっかえてんだからよ」
「あっ、すんません!」
 背中から先輩とおぼしき年上の男に促され、矢島は慌てて場所をあけた。
 隠し扉から武装した男たちがぞろぞろと出てくるのを横目に見ながら、
「な、なんだおまえ。悠凪の衛兵になってたのか」
 意外そうに浩之が言った。
「ま、まあな。で、藤田はここでなにをやってんだ? っていうか、おまえそりゃ
いったいなんだ? なんかすごいことになってるじゃないか。足もとから吹き上が
ってくる風はどこから来てるんだ?」
 そばに立っているだけでビリビリと肌が震えるようなものすごい気配に、周りの
者たちも一人残らず好奇と驚きの視線を向けている。
「いや、まあちょっといろいろあってな。あ、そうだ、こいつを捕まえてくれ」
 いささか決まり悪そうにしながら、足もとで伸びているヴォルフをあごで指す。
「? 誰だ?」
「人身売買組織のヤツだぜ」
 浩之の言葉に、周りの衛兵並びに警官たちが全員、顔色を変えた。
「ふっ、藤田! おまえ、なんでそのことを……」
 険しい顔で詰め寄る矢島を、上司らしき中年兵が制した。
「落ち着け、矢島。……悪いがきみたち、ちょっと我々に身を預けてもらえないか
な?」
「お断りよ」
 有無を言わさないような口調に素っ気なく答えたのは綾香だった。
 挑戦的な目で射抜くように見返している。
「……矢島」
 しばし視線をぶつけ合わせてから、中年兵は振り返った。
「彼らはおまえの知り合いなのか?」
「は、はい。って言っても、その男だけなんですけどね……」
「ふむ……」
 あごに手をあて、今度は鋭い眼光を宿す浩之の目をじっと見据える。
「……信がおけるか?」
「え……それは……」
「信じてもらえなくても別にいいぜ。それよりも、オレたちはヒマじゃねーんだ。
取り調べならあとにしてくれよ」
 言いながら、ずいっと前に出る。その脇に綾香が並んだ。
「やましいことなんて何もしてないから、疑われてもいっこうに構わないんだけど。
でも、いまは邪魔しないでもらいたいわね」
「…………」
 三人の間を交錯する視線は、火花さえ散らしそうだった。
 ほどなくして中年兵が折れた。
「……わかった。では、きみたちの用が済んだあとならいいかな? 逃げずに、ち
ゃんと我々に付き合ってもらえるか?」
「いいわ。来栖川の名にかけて」
 さらりと言ったそのセリフに、中年兵の眉の片方がぴくんと跳ね上がった。
「来栖川……?」
「……て、もしかして……」
「東の大貴族の……?」
 周りの兵たちがどよめく。
「私の名は来栖川綾香。“月影の魔女”の実の妹よ」
「……き、きみが……?」
「ええ」
 と、綾香がうなずくのにあわせて、
「本人に間違いねーぜ」
「間違いなく本人です」
「この方は間違いなく、来栖川綾香様です」
 浩之と葵とフランが異口同音に答えた。
「……わかった、信じよう。では、もう行ってもらって構わないぞ」
 少しの間を置いて、中年兵が重々しくうなずいた。
「ありがと。……本当は来栖川の名をちらつかせるのは好きじゃないんだけどね。
ま、あとで絶対にちゃんと付き合うから」
「勘違いしないでもらいたい。相手が来栖川だろうが、この国に災いをもたらす者
なら私は容赦しない。信じるのはきみらの目だ」
「目……?」
「職業がら、犯罪者の目は幾度となく見てきたからな。きみらの目には一点の曇り
もない――と、私は見て取った」
「へえ……。でもさ、もし間違いだったらどうするの?」
 悪戯っぽく笑う綾香に、中年兵も笑って答えた。
「その時は始末書では済まないだろうな。しかし、きみらに関しては最後まで責任
を持って、地の果てまでも追いかけてくれよう」
 言葉こそ冗談めいていたが、その眼に宿る意志の光はあまりにも強く、そして鋭
かった。
 瞬間、綾香はこの中年兵の実力が自分をはるかに上回っていることを悟った。
 スキだらけに見えるが、その実、どんな攻撃を仕掛けてもあっさりいなされそう
な気がしたのだ。
 強い者ほど、その実力を隠すことができる。
 綾香は、初見で中年兵の強さのほどを読み切れなかった。
(……まいったわね。この人、セリオやフランと互角かも)
 心の中で苦笑いしていると、浩之が肩を叩いた。
「じゃ、オレたちゃ行くぜ。おい、綾香」
「ん……あ、ええ。それじゃあ」
「ああ」
 中年兵がうなずく。
「じゃあな、矢島。縁があったら、またどこかで会おうぜ」
「あ? あ、ああ……」
 困惑気味の返事を背中で聞きながら、弥生が走り去ったのと同じ方向に向かって、
浩之たちは駆け出した。




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うーむ、けっきょく矢島を登場させてしまった……。