LF98(27) 投稿者:貸借天
第27話


 セリオの回し蹴りが冬弥の顔の左側面に襲いかかる。
 体勢が崩れていて、かわせない。両手で握っていた刀から、左手だけを離してブ
ロックする。
「ぐうっ……!」
 女性らしいすらりと伸びた足のどこにこれほどの威力が秘められているのか、冬
弥は身体ごと勢いよく吹き飛ばされた。
 間髪入れずに、セリオが間合いを詰めていく。
 なんとか踏ん張って倒れるのを持ちこたえたところに、連続で七つ、八つの拳が
送り込まれた。
 冬弥は刀の腹でそれを受けるが、その威力は刃を通して支えの手にまで突き抜け
てくるようだった。
 そうやって上段に意識を向けていると、セリオは不意に鋭いローキックが放った。
 なんの抵抗もなく、冬弥の膝が落ちる。次の瞬間には、顔面に華奢な拳が迫って
いた。
 見た目とは裏腹に恐ろしい破壊力があるその拳を、冬弥はどうにかよけた。
 その直後、セリオの膝が跳ね上がる。
 相打ち覚悟で、冬弥も剣の柄で相手のみぞおちを狙った。
 が、ダメージを受けたのは冬弥だけだった。
 苦悶に顔をゆがめ、腹を押さえて前のめりになる冬弥のえり首めがけて、セリオ
は肘を落とした。これが入れば、勝負は決まったも同然である。
 しかし命中の寸前、冬弥のえり首近くに蒼く輝く光の盾のような物が現れて、セ
リオの肘をさえぎった。
 重い砂袋を地面に叩きつけたような音が響く。
 セリオは構わず、今度は顔面めがけてもう一度膝を跳ね上げた。
 また光の盾が現れてそれをも防いだが、ぴしぴしと音を立てて亀裂が走った。
 さらに攻撃を加えようとするセリオから、ようやく立ち直った冬弥が身を起こし、
距離をおこうと動く。
 そうはさせじと、セリオは素早くその差を縮めた。
 冬弥が上段に得物を構えた時、セリオもまた、片足立ちの状態から自分の胸元に
逆足の膝を引きつけていた。
 二人はまったく同時に攻撃態勢に入り、そしてまったく同じタイミングで攻撃を
繰り出した。
 身体を貫きそうな勢いのある横蹴りと、茜色の陽光を半円を描いて斬り裂く袈裟
斬りが、それぞれ相手に向かってうなりを上げる。
 この激突は、どちらもダメージを受けなかった。
 まずセリオの蹴りは、冬弥の胴を護るように現れた光の盾によって、三たび妨げ
られていた。その際、ヒビの入っていた光の盾を完全に破壊することはできたが、
蹴りは冬弥に届きもしなかった。
 そして冬弥の斬撃はセリオの首もとへと迫ったが、例の手のひらの魔力文字によ
ってあっさりと受け止められたのだった。
 盾を形成していた蒼い光の残滓が散り散りに宙を漂うなか、いったん仕切り直そ
うと身を引く冬弥に向かって、セリオはひたすら前に出る。
 冬弥との距離が開いたとたん、芹香からの攻撃魔法が来ることがわかり切ってい
るからだ。
 最初は、セリオは命令を遂行すべく執拗に美咲ばかりを狙っていたのだが、再三
再四、冬弥と芹香のコンビネーションに追い払われ、まず、自分を邪魔する者の排
除から行うことにした。
 ターゲットに指定したのは冬弥だった。
 芹香から先に始末してしまった方が早いという考えが頭をよぎったが、なぜか彼
女に攻撃するのがためらわれた。
 ともかくも、セリオは冬弥一人相手に接近戦を挑み続けた。こうすれば、巻き添
えを恐れて芹香は魔法を使えない。
 もっとも、芹香の攻撃魔法の命中精度は凄まじく高いので、ちょっとした距離で
も開こうものなら、すかさず雷撃を飛ばしてくる。
 そうさせないためにも、セリオは冬弥に間合いを開かれるわけにはいかなかった。
 それに、冬弥との接近戦をする限りでは、セリオの方が断然有利なのである。闘
いは、セリオが完全に押していた。
 しかし冬弥にはもう一人、心強い味方がいた。
 後方で、頑強な結界の中から援護してくれる美咲である。
 さっきも、もう少しでやられるといった場面で、美咲の放った防御魔法に護られ
たのだ。
 だが、その光の盾も、セリオによってあえなく粉砕されてしまった。
(あの光の盾は並みの攻撃なら十回は優に防げるのに、それをたった三回で破壊し
てしまうなんて……!)
 美咲は、セリオの攻撃力に恐れを抱かずにはいられなかった。彼女なら、美咲を
守護している防護結界も、そう苦労することなく破ってしまうかもしれない。
 それに、冬弥はすでにまともな一撃を何発かもらっている。芹香が援護できない
以上、美咲がなんとかしなければならない。
 美咲は、一定時間、新陳代謝機能を早める魔法を練り上げている最中だった。こ
れは効果時間中、受けたダメージを徐々に回復させ続けるものだが、セリオの攻撃
は重く激しいので、とても追いつかないだろうことは考えるまでもなかった。
 しかし、即席効果のある回復術は対象者に直接触れなければ発動しないので、い
ま使うことはできないのである。結界から出るわけにはいかないし、よしんば近づ
いたところで、美咲ではあの攻防の中には入れない。
 早く術を完成させ、もう一度光の盾を創り出そうと呪文の詠唱を急ぐ間にも、冬
弥とセリオは闘い続けていた。
 相変わらずの防戦一方だったが、冬弥の眼は死んではいない。
 彼は攻撃よりも護りの方を得意としているのだ。といっても、セリオの猛攻をし
のいでいるのかというと、まったくそうでもないのだが。
 今も、左の二の腕に強烈な回し撃ちを受け、防御が甘くなった左から重点的に攻
められて、顔と脇腹に二発ずつもらってしまった。
 それでも瞬間的に打点をずらし、タイミングをずらし、急所へのダメージと決定
打を避け続けているので、どうにか持ちこたえている。
 ふと、冬弥は自分の身体が淡く発光していることに気がついた。また、身体中に
散らばる痛みが、ほんの少しずつ引いていくことにも気づく。
 美咲が援護の魔法をかけてくれたことにすぐに思い至ったが、あまりにゆるやか
な回復速度なので、十重二十重のダメージにはまるで追いついていなかった。それ
どころか、セリオは攻撃の手を休めないので差は開く一方である。
 セリオは強い。
 冬弥の腕では、どうやっても太刀打ちできる相手ではなかった。
 かといって、退くわけにはいかない。また、負けるわけにもいかなかった。冬弥
が破れると、美咲の死は確実だからだ。
 芹香もなんとか援護しようと、呪文を完成させてそれの維持をできるだけ引き延
ばしつつスキをうかがっているものの、セリオは近接戦闘を常に心がけている。魔
法を発動させる機会はなかなか見出せなかった。
 もともと、全力で魔法を放つわけにも、強大な術を使うわけにもいかない。セリ
オを破壊してしまわないよう、かなりの手加減をしなければならないのだ。
 動きを止めるのに一番最適なのが雷系魔法なので、威力を絞り込んだ雷光衝<ラ
イトニング・ボルト>を何度か放っているのだが、まるで当たらなかった。
 芹香がジリジリとしている間にも、セリオのラッシュは続いていた。
 正面からの攻撃を続け、冬弥の意識を前方に集中させておく。
 不意に、残像を残しそうなほどの高速サイドステップで眼前から消え去り、死角
をついて右の回し蹴り。かわされると、連続して後ろ蹴り。
 冬弥は剣の腹で受け止めた。蹴りの勢いを借りて、押されるように大きく後方へ
退く。
 間合いが開き、今がチャンスとばかり、芹香の手のひらから数条のイカズチがほ
とばしった。
 セリオは流水を思わせる迅くなめらかな体さばきで、降り注ぐイカズチの間を縫
うようにして、冬弥との距離を詰め直した。かすることさえ許していない。
 迎撃の横薙ぎを身を屈めてかわしざま、セリオが足払いを仕掛けた。
 とっさに跳び退いた冬弥に、セリオは低い姿勢で一回転をし、電光石火の踏み込
みから、えぐり込むように水月に肘を突き出した。
 それに対抗して冬弥も肘でブロックする。が、身体で一番硬い部位とはいえ、特
に鍛えてるわけでもない冬弥の肘では、鍛えられたセリオのそれに対抗できるもの
ではない。
 鈍い痛みに顔をしかめ、食いしばった歯のすき間からうめき声がこぼれる。
 セリオはそこからさらに膝を跳ね上げ、冬弥の脇腹に深く食い込ませた。
「ぐっ……!」
 息を詰まらせ前屈みになる冬弥に、突き上げるような掌底の二連打を容赦なく浴
びせる。身体を起こされた冬弥の口から、鮮血が飛び散った。
 ふらつく相手を軽く押しやり、間合いを調整して、セリオは勝負を決めにいった。
 全力の左正拳突き。
 避ける余裕はない。
 深いダメージに半ば意識を白濁させながらも、冬弥は意を決して前に出た。
 まともに入る。
 打点とタイミングをずらしたとはいえ、強烈無比な一撃だ。一瞬、脳震盪を起こ
し、意識が完全に吹っ飛んだ。
 朦朧としながらも、冬弥はセリオに向けて左手を伸ばす。
 そのゆるやかな動きが何をするつもりなのか判断がつかなかったが、冬弥の手が
届く前にセリオは今度こそとどめを刺すつもりだった。
 瞬時にして全身の魔力を活性化させ、凶暴な“力”へと昇華する。
 流動する“力”のうねりをたわめながら、右の掌へと集めて圧縮し、叩きつける
ように突き出した。
 勁力を魔力で代用した発勁。決まれば文字通り、一撃必殺である。
 セリオは命中を確信していた。冬弥はほとんど意識を失っており、また伸ばされ
た彼の手は非常にゆっくりとした動きなので、あとから放ったにもかかわらず、セ
リオの発勁が届く方が断然早い。
 セリオの掌底は、冬弥の胸部へなんの障害もなく吸い込まれてゆく。
 彼女は心臓を狙っていた。とどめを刺すにはここが一番確実だからだ。
 が、しかし――。
「!?」
 冬弥の胸部へと達する直前、セリオは手のひらに凄まじい抵抗を感じた。

 ッグァシャァァァーーーン!!!

 と、次の瞬間、金属の破砕音のようなけたたましい音が聞こえ、その時にはセリ
オの手のひらからは発勁を形成する“力”の一切が失われていた。また、突き出し
た腕の勢いも失われている。
 そのため、セリオの掌底は叩くでも押すでもなく、ただ、ぽんと冬弥の胸に触れ
たに過ぎなかった。もちろん、冬弥にはなんのダメージもない。
 セリオはしばらく頭を混乱させていたが、冬弥の身体の前面に蒼い光のカケラが
無数にきらめいていることに気がつき、なにが起こったのかなんとなく理解した。
 今のは、攻撃を何度か妨害された例の光の盾だ。あれが、発勁が命中する寸前に
発動して“力”のすべてを打ち消してしまったのだ。
 セリオがその考えに至るまでの間にも、冬弥の手はゆっくりと伸ばされ続けてい
る。彼女が我に返る前に、その手は額にはめられているサークレットに触れていた。
 あっと思った時には、額からサークレットが外された。そのとたん、セリオの動
きがぴたりと止まる。
 まるで石像のように固まっている彼女の朱い髪の間をスルスルと通して、冬弥は
サークレットを完全に抜き取った。
 そこまでやり遂げてから、まるで役目を終えたとでもいうように、冬弥はふらっ
と身体を横倒しにすると、どうと地面に倒れた。
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 両の頬がとてもやわらかく暖かいものに包まれ、また、そこから癒やしの波動が
全身のすみずみにまで行き渡ってゆく感覚。
 ガンガンする頭の痛みが少しずつやわらぎ、冬弥はぎゅっとつむっていた眼を薄
く開けた。
 最初に視界に飛び込んだのは、ほっと安堵の息を洩らす美咲の顔だった。真上か
ら、冬弥の顔を覗き込むようにしている。
「藤井くん……よかった……気がついた……」
 いつもは優しさをたたえたその表情がゆっくりと崩れてゆき、美咲の澄んだ大き
な瞳にじわりと涙がにじんだ。
「あ……みさき……さん……?」
 視界いっぱいを埋め尽くす美咲の顔。
 その瞳が熱く濡れていることに気がついた時、冬弥はぼんやりとした思考のまま、
知らず言葉を紡いでいた。
「みさきさん……だいじょうぶ……?」
「えっ……う、うん、大丈夫。……なにしてるんだろうね、私。痛いのは藤井くん
の方なのに、逆に気を使わせるなんて……」
 美咲はにじんだ涙を拭おうと、冬弥の頬を包んでいた手を外した。とたん、冬弥
は顔をしかめ、小さなうめき声を洩らす。
「う……っ」
「あっ、ごめんなさい……!」
 美咲は慌てて、もう一度冬弥の頬を包み込んだ。とたん、冬弥の顔が安らかにな
る。
「……本当、なにしてるんだろうね、私……。ごめんね、藤井くん。起き上がれる
ぐらいに回復するまでもう少し時間がかかるから、しばらくこのままでいてね」
「……う、うん」
 お互いの息遣いが感じられるほどの至近距離で見つめられ、冬弥は思わずドギマ
ギしていた。まどろんでいたような意識が鮮明になり、心臓は早鐘を打っている。
 だが、身体の節々で好き放題暴れ回る痛覚は、対照的にグングンおとなしくなっ
ていった。
 冬弥は眼を閉じた。
 あちこちにあった青アザが、腫れが、徐々に引いていくさまがはっきりとわかる。
 美咲の治癒魔法の効果は抜群だった。
 しばらくして、美咲は冬弥の頬からそっと両手を離した。
「そろそろいい頃だと思うけど……藤井くん、立てる? まだどこか痛い?」
 促され、冬弥はゆっくりと身を起こす。
 点検するように自分の顔や身体を、特に痛かったところをあちこち触ると、
「……いや、大丈夫。すごく調子がいいよ」
 うなずき、立ち上がった。
 礼を言おうと美咲の方に向き直った時、冬弥は地面に正座しているセリオの姿を
視界のすみにとらえ、はっと緊張した。
 セリオの座っている位置は、冬弥の真後ろ。今まで彼女に膝枕をしてもらってい
たことに、果たして彼は気づいたかどうか。
「ッ、セリオ!? 美咲さん、あぶな……!」
 冬弥は思わず抜刀しかけたが、ある一点に目が止まって言葉を中断させた。
「サークレットが……無い……?」
 その呟きに応えるかのように、セリオがすっと立ち上がる。
「あれ? えっと……俺、何をどこまでやったんだっけ……? なんか、途中から
記憶がなくなってる……。あの、美咲さん。俺、どうして倒れてたの?」
「その質問には、私がお答えいたします」
 きまり悪そうに周りを見る冬弥に、真っ直ぐの瞳を向けてセリオが言った。
「私を支配していたサークレットは、あなたの手によって除かれました。とどめを
刺そうとしていた私の技を、そちらの美咲さんが放った術で止め、そのスキにあな
たが私の額からサークレットを抜き取ったのです。そして、すでに意識をほとんど
失っていたあなたは、そこで地面に倒れてしまわれたのです」
「……俺が……やったの……?」
「はい。本当にありがとうございました、感謝の言葉もございません。そして……
まことに、まことに申し訳ありませんでした。本来、人間の皆さまに役立てられる
べき魔道人形である私が、あろう事か、人間の方をこの手にかけようなどと……!」
 うなだれるセリオの肩をぽんぽんと叩いて、芹香が冬弥に目を向けた。
「…………」
「え? 許してあげて下さいって? この子は私の身代わりに、敵の手に落ちたの
です……? うーん、なにがあったのかは知らないけど、そんなにかしこまらなく
てもいいよ。とにかく、みんな無事でなにより……あっ!!」
 無事という言葉に関して、ある重大なことに思い至り、冬弥は大きな声を上げた。
「そうだ……由綺……!!」
 せっぱ詰まった表情で、通りの先を見やる。
 その瞬間、虫が這いずり回るような不快感を背中に覚え、冬弥はビクッと背筋を
伸ばした。
「なっ、なんだ……!?」
 通りの先に、なにか恐ろしいモノがいる。毒でも含んでいるようなその気配が風
に乗って吹きつけ、全身にまとわりついてくるようだった。
「藤井くん! 芹香ちゃんが言うには、由綺ちゃんたちが危機にさらされてるんだ
って。早く行って、助けてあげないと……!」
「由綺が……!? わ、わかった。すぐに行こう!」
 焦りも露わに、答えを待たずして走り出す冬弥。
 そんな彼を見て、美咲はほんの一瞬だけ瞳に寂しさを宿した。おそらくは自分で
も気がついていないであろうが。
 しかしそれは本当に一瞬だけで、美咲はすぐに由綺を心配する不安そうな表情に
戻ると、当然のように冬弥のあとに続いた。
 ほとんど時をおかず、彰とセリオと芹香が二人の背中を追う。
 垣間見せた美咲の寂しさには美咲本人のみならず、周りの人間も誰一人として気
がついていなかった。
 ただ、セリオだけがそのことに気がついていた。




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 最後の、美咲の寂しさ云々は必要ないような気がする……。
 それにしても、彰の影が薄い薄い。
 彼に関しては設定がなんにも思いつかなかったものだから、この世界ででっち上
げた特殊能力とかもひとつも持っていないし……。