LF98(25) 投稿者:貸借天
第25話



 ずざざざざっ!!

「ぐっ……!」
「綾香さん!」
 思わず注意をそらした葵に、フランが殴りかかっていった。右のストレートをか
わした葵の顔面に、返しの左フックが入る。
 首をひねって多少威力を逃がしはしたが、次の攻撃に対応できるほどではない。
スキありと言わんばかりに、フランは魔力による発勁を繰り出そうとした。
 葵の表情が凍りつく。
 これをまともに喰らえば、まず立ち上がることはできない。それどころか、人生
が終わってしまう可能性すらある。
 なんとか身をかわそうと全身を叱咤する葵を横目に、フランは急遽発勁のターゲ
ットを変更した。真横から伸びてきた綾香の掌に自分のそれとぶつけ合わせる。

 ッドォォォォォォォォン!!

「くあっ……!!」
「――――!」
 鼓膜が破れそうなほどの大きな音とともに、綾香とフランは、相手と正反対の方
向にそれぞれ吹っ飛んだ。
 綾香は空中で体勢を立て直して、うまく足から着地した。
 フランは地面に手をつくと、受け身を取りながら一転して起き上がる。
 先の発勁同士の激突のダメージで、両者ともに右腕がしびれていた。
「いまよ、葵! フランの右手はしばらく使えないわ!」
「はいっ!」
 葵が攻め込む。一拍おいて、綾香も飛び出した。
 フランは左の拳だけを構えた。
 葵が左右の拳の後に、突き蹴りを見舞った。
 そのどれもフランは退がってかわす。回り込むようにして距離を詰める綾香も注
意しなければならないので、葵に対してうかつに反撃することができない。
 綾香の身体が宙に翔び上がった。
 疾風空中四段蹴り。
 風を味方につけたようなその蹴りを、やはりフランはみっつ目までは危なげなく
かわした。そして最後の旋風脚を警戒するが、よっつ目の蹴りは真下から駆け上が
ってきた。
 不意をつく形になりはしたものの、それでもフランは首をそらして頬をかすらせ
るに留めた。しかし身体が完全に起きてのけ反ってしまい、反撃も防御も難しい体
勢になっている。
 その瞬間、雷光のごとき葵の崩拳がうなりを上げた。
 フランは動く左の腕でどうにかブロックした。手のひらに備わっている鉄壁の魔
力文字を使う暇はなかった。
 威力に押され、フランの小柄な身体が吹っ飛ぶ。
 空中での大技を終えて着地するやいなや、綾香はフランを追って駆け出した。
 技後の硬直のため一歩おくれをとって、葵も後に続く。
 いまフランの右腕はしびれており、さらに崩拳を受けた左腕にも少なからずのダ
メージがある。この機を逃す手はない。
「はあっ!!」
 綾香のハイキック。
 フランは体勢を崩しながらも、身を屈めてそれを頭上にやり過ごした。しゃがん
だ状態のまま、後ろへと退がって距離を置こうとする。
 そうはさせじと、充分に間合いが開ききる前に葵が斜めから攻撃した。
 だが、素早く立ち上がったフランが右足を跳ね上げ、葵の右上段回し蹴りと空中
でかち合わせた。
 フランはそこから相手の足を巻き込むように下方へと流し、地に足が着くと身体
を旋回させて左の後ろ回し蹴りへとつないだ。
 葵がバックステップで軽やかに避ける。
 技を空振りしてスキだらけのフランに、綾香が手心を加えた発勁を繰り出した。
 かわされない自信があったので威力を抑えたそれは、しかし命中の寸前、フラン
が右手の魔力文字で受けきった。どうやら、もうしびれがとれたらしい。
「くっ!」
 そのことを悟った綾香がふたたびハイキックを放った。
 フランもまた、先と同じように屈み込んでそれをかわす。そして、身を低くした
状態のまま右手を伸ばして、地面に落ちている曲刀をつかんだ。
 立ち上がりざま、綾香に斬りつける。
 フランの剣の腕はあっさりあしらえるほど悪くはないが、しかし格闘術の能力と
比べればはるかに劣っている。
 この局面で剣を使ってきたことにいささか意表を突かれた綾香は、その端麗な顔
に驚きを張りつかせながらも、身をのけ反らせて銀の一閃に空を切らせた。
 当たらなかったことに特になんの反応も見せず、フランは無表情に左の腕をすっ
と上げた。そこに、横から攻めてきていた葵の正拳突きがブチ当たる。
 フランの身体が宙を舞った。ただし、これは彼女が自ら跳んだ結果である。
 間合いを詰め直そうと一歩を踏み出した葵に、フランが空中を移動しながら曲刀
を投げつけた。葵は苦もなく避けたが、出鼻をくじかれて思わず足が止まってしま
った。
 ここで、もう何度目になったか定かではない仕切り直しとなった。
「はあ……はあ……」
 葵が額の汗を拭う。
「ふっ……ふっ……」
 綾香は肩を軽く上下させながら、ようやくしびれがとれ始めた右腕を曲げ伸ばし
たり揉みほぐしたりして回復を急いだ。
「……まいったわね……好恵に抜けられたのはかなり痛いわ。私たち二人がかりで
なんとか一歩リードってところかしら。いえ、一歩っていうのもけっこう怪しいか
もね……」
「そう……ですね。でも……」
 葵は一度、言葉を切り、
「それでも……大丈夫です、きっと。私たちには、まだアレがありますから」
「そうね……連携のタイミングは、もちろんバッチリ覚えてるわよね?」
「はい」
 綾香の口元に力強い笑みが浮かんだ。
「じゃあ……そろそろキメるわよ、葵」
「はいっ」
 二人は腰をぐっと落とし、突撃の構えをとった。
 呼吸を合わせ、仕掛けるタイミングをはかる。
 そして、いざゆかんという段になった時、出し抜けに横手から場違いな声がかか
った。
「うひょ〜。俺の相手は、これはまたえらい美人だな。殺すにはもったいねぇや」
「……!?」
 そのやけにひょうきんな声に、綾香と葵は気を削がれて突撃の呼吸が乱れてしま
った。
「あー、フラン。あいつらに攻撃するのは少し待て」
 声のぬしは、ゆったりとした歩みで翠の少女の方へと近づいていく。
 やがて少女の隣に並ぶと、あごに手を当てて値踏みするような視線で綾香の全身
をなめ回した。
「ぅ〜〜ん。見れば見るほど、殺すにゃ惜しい姐ちゃんだな。なあ、そっちの髪が
長くてムネがでかい方。俺の女にならねぇか?」
 あくまでのん気なその男のセリフに、綾香はぽかんと口を開け、それから鼻で笑
って応えた。
「いきなり出てきて、あんたなに言ってんの? 私たちはいま取り込み中なのよ。
ナンパなら、よそでやってちょうだい」
「あ、そんじゃ、その取り込み中に俺も混ぜてくれよ。その権利はちゃんとあるん
だぜ? 俺はあんたたちを一人残らず殺すように言われてっからな」
「ふぅん。つまり、あんたは私たちの敵ってわけね」
「そういうこった」
 ということはしばらくの間、フランを一人で相手にしなければならないというこ
とである。
 綾香は口の中で小さく舌打ちした。
 その男の実力は定かではないが、綾香と葵のどっちが相手をするのであれ、でき
るだけ急いで倒して対フラン戦に加勢しなければならない。
(まったく、やっかいな時に現れてくれたものね……)
 腹の中で綾香がうなっていると、男はマイペースに話を続けた。
「で、さっきの続きだ。俺の女になってくれよ。そうすりゃ殺されずにすむぜ?
ああ、俺の名はヴォルフってんだ。あんたの名前も教えてくれねぇか?」
 ヴォルフと名乗った男への綾香の返事は、氷竜の息吹よりも冷たい目つきだった。
「……あんたの女になんてならなくても、私は殺されてやるつもりはないわよ」
「なあ、頼むよ。俺、あんたみたいないい女を殺したくないんだよ。もう一人、そ
っちの貧乳寸胴少女の方はどうでもいいけどよ」
 ぴくっ。
 葵が一瞬、顔を強張らせた。
 時を同じくして、ネコを思わせる綾香の瞳がすっと細まる。
「……葵。あの男、あんたに譲るわ。思いっきりぶちのめしてやんなさい」
「い……いえ……。わ、私はフランさんの相手をします……」
 耳打ちする綾香に、葵は地面に目を落として呟くように言った。
「なに言ってんのよ。あんなことほざくような奴は、遠慮せずに半殺しにするつも
りでガツーーンとやっちゃいなさい!」
「で、でも……事実ですから……」
「あーっ、もう! そんなことは関係ないのよ! あんたはあの男に侮辱されたの
よ!? このまま黙ってたら女がすたるわよ!!」
「で、ですけど……」
 歯切れの悪い応えに、綾香はふぅと大きく息を吐いた。
「……わかった、葵。それじゃ、私がカタキをとってあげる。悪いけど、少しの間
あなた一人でフランの相手をしてて。あのクソバカ男をギタギタにしたら、すぐに
そっちへ行くから」
「は……はい……」
 暗く、沈んだ調子で葵。
 綾香はキッとヴォルフをにらみつけた。
「……ったく、ずいぶんひどいこと言ってくれるわねぇ。覚悟しなさいよ? 二度
とそんな口がきけないようにしてあげるから」
「ちょ、ちょっと待て。悪かった。謝るから、俺と闘うようなことはしないでくれ。
さもないと、あんたマジで死んじまうぞ?」
「できるものなら、やってみなさいッ!!」
 轟然と叫ぶや、綾香は飛燕の迅さでヴォルフとの距離を詰めた。
「ちっ、しゃーねえ。おい、フラン。おまえはそっちのおチビちゃんの相手をして
やれ」
「了解いたしました」
 フランが葵に向かって走り出した時、綾香とヴォルフは互いを間合いにとらえた。
「はあっ!!」
 地面から跳ね上がったムチのようにしなるハイキックを、ヴォルフは後方へ身を
そらして避けた。
 そして、いつの間に抜き放ったのか、腰に挿していた剣を振りかぶる。
 綾香はそれをフェイントだと見切った。
(本命は左!)
 右の剣を無視して、左腕の動きに意識を向ける。すると、読み通りヴォルフは剣
を途中で止めて、左の拳を繰り出そうとした。
 足もとはすでにしっかりと固まっている。ヴォルフの左にあわせて、綾香は右の
カウンターを狙っていた。
 が、ヴォルフの攻撃のタイミングがいきなり変わった。高速で飛んできた拳が突
如として、当たってもまったくダメージが無さそうなほどの超低速になったのだ。
 当然、綾香のカウンターのタイミングも狂わされてしまう。
(読まれた!?)
 慌ててカウンターを放とうとしていた右を防御に切り替えた時、ヴォルフの左手
がするすると伸びていった。
 詠みが外され、てっきり違う方向から鋭く迅い攻撃がくると警戒していた綾香は、
その緩慢な動きに対して反応することができなかった。

 もみっ。

「…………」
 硬直。
 膨らみを鷲掴みにされた綾香は、いまヴォルフがなにをしたのかがとっさには理
解できず、状況の確認をしようと、いやにゆっくりとした動作で自分の胸を見下ろ
した。
 その時の彼女は、どんなシロートにでも倒されそうなほどの、とてつもなく大き
なスキを見せていた。
 そうなることがわかっていたのか、ヴォルフはきわめて冷静な表情で、振りかざ
していた剣を袈裟がけに斬り下ろした。
 思考さえも硬直させていて、綾香の反応は明らかに鈍っている。気が付いた時に
は、首の根もと付近まで剣が迫っていた。
(ッッ!!)
 ようやく硬直を脱し、切れ長の瞳を大きく見開きながら、必死の形相で身体を勢
いよくひねる。
 首筋に灼けるような痛みが走り、その後、生暖かいものがゆるやかに滑り落ちて
いった。
 かわしきることはできなかったが、致命傷はなんとか免れた。いや、あの状況か
らこの程度の負傷で済んだのは、もちろん優れた体術によるところも大きいが、そ
れ以上に運がよかったとしか言いようもないことだった。
 豊かな胸を両手で隠すようにして、綾香は怯えた表情でヴォルフとの距離を広げ
た。
「……んぅ……あんたっ……な……っこの……〜〜……ッッ!」
 激昂して何かを言おうとするのだが、のどの奥では様々な罵倒の言葉たちがどれ
が一番最初に出るかについて大乱闘を繰り広げており、結局頭の部分だけが途切れ
途切れに洩れてくるだけだった。
「いや〜、あんた見かけよりもムネでけぇな。着やせするタイプってやつか?」
 感触を思い出しているのか、これ見よがしに左手をニギニギさせながら、ヴォル
フがにやついた笑みを浮かべて言った。
 やっとのことで、綾香ののどから一番手の言葉が飛び出した。
「あっ、あんたいきなり何すんのよ!!」
「はっはっは。驚いたか?」
「こっ……この……ッ!!」
 綾香はさらに激しく声を荒げようとしたが、
「動けなかっただろ?」
「ッ!」
 ヴォルフのこれまでにない鋭さを秘めた笑みを見て、言葉を詰まらせた。
「人間、相手にまったく予想もしていなかった行動をとられると、完全に硬直して
しまってなんの反応もできなくなるもんなんだよ。それが戦闘中だった時にゃ、こ
れ以上はないくらいのバカでかいスキを見せてくれるのさ」
「…………!」
 先の自分を思い出して綾香は奥歯を噛みしめた。
「だ、だからって、あの場面でああいうコトする!? フツー!!」
「あの場面だからこそさ。まったく予測できなかったろ? ん?」
 しれっと言うヴォルフにますます怒りが募るが、顔が赤いのはそれだけが原因で
はあるまい。胸を隠す両腕に知らず力が入った。
「でもまあ、あそこからよくかわせたな。多少手を抜いたとはいえ、そんだけの傷
で済すまされるとは思わなかったぜ」
「く……」
 ヴォルフが一歩前に出ると、綾香はじりっと後ろに退がる。
 いまや彼女は、下品に笑う目の前の男に気を呑まれてしまっていた。
「なあ、おとなしく俺の女になってくれよ。下手すりゃ、次はその首が飛んじまう
かもしれねぇんだぜ?」
「……っ」
 綾香はヴォルフの顔をきつくにらみつけた。そうすることで、自らの心を奮い立
たせようとするかのように。
 真っ向勝負では、そうそうおくれを取るつもりはない。
 しかし技術的にはともかく、綾香は精神的にヴォルフと闘うことを嫌がっていた。
「やれやれ、しょうがねぇなぁ。んじゃ、少しいたぶってやるとするか。それで言
うこと聞くようになるだろ」
 傲慢なセリフとともに、ヴォルフは無造作に歩き出した。
 それに反応して足が無意識に後退しようとしたが、今度は強い意志でもって綾香
は踏みとどまった。
(好き放題言ってくれるわね……! もう頭にきた。なにがなんでも、ぶっ飛ばし
てやる……!!)
 自らを抱きかかえるようにしていた両腕をほどき、拳を軽く握り込んで構える。
 全体的に固さがまだ少し残っているが、しぼんでいた闘志が甦りつつあった。
 その時――。
「!?」
「んん!?」
 なんの前触れもなく、いきなり綾香のはるか後方で巨大な気配が出現した。
 敵が自分の方に迫ってきているにもかかわらず、彼女は思わず振り返っていた。
 普段なら決してあり得ないことなのだが、その気配のあまりの巨大さと、その出
現のあまりの唐突さに、身体が勝手に反応してしまったのである。
 はっと我に返り、慌てて顔を前に戻した綾香の視界に入ったのは、いやらしい笑
みを浮かべつつ、ワキワキさせた両手を彼女の双丘へと伸ばしてくるヴォルフの姿
だった。

 ぶちっ。

 綾香の中で、なにかが音を立てて切れた。
「……こんのスケベ大王がぁぁぁーーーーーーーーーーッッッ!!!!!」
 綾香、渾身の右ストレート!!
「うほっ!」
 奇妙な一声を発して、ヴォルフは後退した。
 空を切った右腕を瞬時に引き戻し、間合いを調整して、綾香は左の脚を高々と跳
ね上げた。
 ヴォルフは顔を横にそらしたが、力強いその蹴りが通過した後、頬に紅い線がじ
わりと浮き出た。
 綾香はそこで止まらずに、身体を一旋させて右上段後ろ回し蹴りへと連続させた。
 かわせないと判断し、右腕を上げてブロックしようとするヴォルフをあざ笑うか
のように、後ろ回しは急激に軌道を変えて脇腹にめり込んだ。
「ぐぅっ……!」
 ヴォルフの口から苦鳴が洩れる。
 さらに綾香は蹴り足を地面に降ろしながら、その足に全体重が乗るよう流れるよ
うなシフトウェイトから、強烈な正拳突きを叩きつけようとした。
「このアマぁ……ッ!」
 同時に、怒りに眼をつり上げたヴォルフがカウンター気味のパンチを繰り出した。
 既視感。
 刹那、綾香の脳裏に以前見たある光景が甦り、また戦士としての勘が第一級の警
報をガンガン鳴らし始めた。
 綾香の拳はヴォルフのそれよりも圧倒的に迅い。
 どちらに軍配が上がるか一目瞭然の展開にもかかわらず、警報は脳裏に甦ったそ
の光景の時よりもさらに激しく、うるさいほどに鳴り響いていた。
 綾香は攻撃を控えて、ヴォルフの左拳の回避に専念することにした。
 身体を大きく左に振る。
 楽々とかわされ、ヴォルフの左腕は綾香の右隣に突き出された。その途端、長い
黒髪の下に隠れている首筋がぞわりと粟立った。
 危機を告げる武術家の勘に従って大急ぎで屈み込んだよりもほんの一瞬早く、ヴ
ォルフの左腕から蒼黒いなにかがすごい勢いで飛び出した。
 蒼黒いなにかは高速前方縦回転をしながら綾香の首へと迫り、この至近距離から
の不意打ちには、さすがにかすり傷で済ますことはできなかった。
「あぐうっ!」
 右肩の首もと近くの肉を持っていかれ、血しぶきが高く噴き上がる。
 激痛に顔をゆがめるヒマもなく、目と鼻の先で痛いほどの殺気を感じて綾香は顔
色を変えた。屈み込んだ状態から思いきり地を蹴って、その場を緊急離脱する。直
後、彼女の眼前を銀の刃が落下していった。
「ちいっ……!」
 ヴォルフは忌々しげに舌打ちしたが、それ以上の追い打ちはかけなかった。
 綾香は、ヴォルフと蒼黒いなにかの両方が視界に入る位置まで移動した。
「うっく……!」
 顔をしかめて傷口を押さえる。闘えないほど深くはないが、動きに支障が出ない
ほど浅くもない。
 こんな傷を負わせた張本人の正体を見極めようと、綾香は目を凝らし、そして驚
きに目を見張った。
 蒼黒い体毛、野生の獣よりも大きな体躯。
 顔つきは狼のそれだが、額に開いた縦長の紅い眼が、普通の狼ではないことを如
実に語っている。
 蒼黒いなにかは、さきほど倒したゾルトの相棒、三つ眼の魔狼デスロフィアによ
く似ていた。
 もっとも、デスロフィアはゾルトの左腕として存在していたため、頭部と胴体し
かなかったのに対し、この獣は四足で立ち、尻尾もある。
 なにより、『腕』ではない。ヴォルフとは完全に分離していた。
「ほぉ……。タレスの“絶・天狼抜刀牙”を初めて見て、その程度の傷で済ますと
はな……。さっきといい今といい、すげぇ回避力だな、あんた」
 ヴォルフは感心したような顔をし、
「だがその傷、決して浅くはないだろ? 頼むから、これ以上抵抗しないでくれよ。
な? もういいだろ?」
 と、猫なで声で言った。
「……うるさいわねえ。私はあんたの女になんかならないって言ったでしょ? 敵
なら敵らしく、ゴチャゴチャ言ってないで、とっととかかってきなさい」
 強気な綾香のセリフに、ひょいと肩をすくめる。
「……やぁーれやれ。下手に出てりゃ、いい気になりやがって。しょーがねーな。
こうなったら強引に俺のものにしてやる」
 ペロリと上唇を舐めてのそりと前に出ると、タレスと呼ばれた獣もまた、綾香に
向かって歩を進める。そのあぎとは噛み千切った肉をクチャクチャと咀嚼しており、
血混じりのヨダレが地面に落ちて、あとを引いていた。
「く……」
 傷口を押さえていた左手を外し、右手とともに顔の高さまで持ち上げて、綾香は
身構えた。
「あーそうそう、紹介がまだだったな。そこにいる狼みたいなやつはタレストラっ
て名前でな。非常に頼れる俺の相棒だ」
 挨拶代わりなのか、魔狼タレストラがグルル……とのどを鳴らした。
「……ふぅん。デスロフィアってのがいたけど、アレと同じようなものね?」
「おお、知ってんのか? てことは、ゾルトと闘ったんだな? あー、でも俺とア
イツを一緒にすんなよ。アイツときたら、せっかく体内に魔獣を移植してもらった
のに、出現させられるのは左腕だけだし、しかも制御しきれてねぇから体内に隠し
きれず、左腕だけがやけにゴツクなってるしな。おまけに、剣の腕も大したことな
いときた。あんなのに勝ったからって、俺に勝てるとは思わねぇことだな」
「なるほど……確かにそこの狼さんは、アレとはまるで別物みたいね」
「おうよ。さっきは俺も左腕から出したが、ちゃんと制御できてるんなら、本来は
頭だろうが足だろうがどこからでも出せるんだぜ。当然、頭部から尻尾まで全身丸
ごとな。そしてきわめつけは、あるじとは完全に別行動を取らせることができるっ
てところだな。俺とタレス、二身一体の連携攻撃、果たしてあんたに受けきれるか
な?」
 ヴォルフはふてぶてしく笑い、
「もちろん、俺の女にするつもりだから殺さないようにはしてやるが、あんまり言
うこと聞かないようなら、腕や足の一本、タレスに喰われることも覚悟しとけよ?
ま、そんなことになったらすぐに捨てて、別の女を探すかもしれねーがな」
 今度はへらへらと笑った。
「…………」
 綾香はこめかみをひきつらせながら、ギリと奥歯を鳴らした。
(こいつは……! 絶対にぶちのめしてやる……!!)
 固く拳を握りしめた時、ヴォルフは立ち止まった。あと一歩踏み出せば、綾香を
間合いにとらえる距離だ。
「さて……最後の警告だ。どうしても抵抗すんのか?」
「……当たり前よ」

 ジャッ!!

 最後まで聞き終えることなく、ヴォルフは剣を疾らせた。
 もちろん綾香は反応し、身体をそらしてそれに空を切らせる。
 一拍おいて、タレストラが足もとからえぐり込むように跳び上がった。
 迫る牙の群れを転身してやり過ごした綾香に、ヴォルフが素早い連続突きを放つ。
 地面をすべるような足さばきで、それらにもことごとく空を切らせるが、息をつ
くヒマもなくふたたびタレストラが襲いかかってきた。
「くっ……!」
 鋭い爪に脚を切り裂かれる。
 傷は浅かったが、動きが乱れた。そのスキをついて、ヴォルフが剣の柄で殴りか
かった。
「がッ……!」
 みぞおちへの一撃を浴びて、秀麗な顔が苦痛にゆがむ。
 そこに、さきほど爪で切り裂いた左脚を狙って、タレストラが絶・天狼抜刀牙を
繰り出した。
 綾香の表情がハッと強張る。
 高速前方縦回転の攻撃をサイドステップでかわそうとしたが、傷がうずいて少し
だけ遅れた。
 左脚を深く切り裂かれ、さらに傷口が広がる。
「うぐぅ……!」
 致命傷には至らなかったものの、深手であることに変わりはない。状況は一気に
悪化した。
「おほー、やるなぁ。タレスの絶・天狼抜刀牙は、魔獣レッドヘルムの首を一撃で
撥(は)ねる切れ味を誇ってるんだけどな。いや、見事見事」
 ヴォルフはパチパチと手を叩いた。
「だが、今の傷は結構深かっただろ? さてさて、いつまでそうやってかわし続け
ていられるかな?」
「く……」
 気圧されて、綾香が退がる。
 タレストラは口もとを彩る血を舌でペチャペチャと舐め取りながら、三つの紅い
眼を爛々と輝かせてゆっくりと足を前に出した。
 その時、二人と一頭が同時に反応した。
「――え!?」
「ぬッ!?」
 さっき感じた大きな気配が、さらに強大で圧倒的になった“氣”を撒き散らしな
がら、こちらへと向かってやってくることに気がついたのだ。
「これは……浩之……!?」
 綾香が、自分でも信じられないという顔で呟いた。
「なっ、なんだ!?」
 うろたえたような声を出し、そちらに注意を向けるヴォルフ。
 今のうちとばかりに、綾香は葵の様子をうかがった。
 思った通り、フランの猛攻に葵は完全に押されていた。ひたすら防御に徹してい
るが、いくつかまともにもらったらしく動きが明らかに悪くなっており、表情には
深いダメージが見え隠れしている。このままでは、長くは保ちそうにない。
(これは、私よりも葵が優先ね……)
 葵と浩之の二人がこっちへ参戦してくれるまで、なんとか持ちこたえないと……
と、綾香が腹をくくった時、
「葵ちゃん!! 綾香!!」
 二人の名を呼びながら、浩之がやってきた。




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うーむ、オリキャラにしかできないことをやらせてみたら、こんなんになってしま
いました。
んー、このシリーズに出てくる女性陣は、なんかやたらといじめられてる気がする
なあ(苦笑)
っていうか、またオリキャラを出してしまった……。
しかも、実はまだ、全員出たわけじゃなかったりするし(爆)


さて、それはそれとして紫炎様のとこの掲示板に常駐してらっしゃる皆様。
以前、なぜオレがあんな質問をしたのか、これでおわかりでしょう。
そう、すべては今回のお話のためだったのです(笑)
というわけで八塚様、あの技の名前とその威力の解説までしていただいて、どうも
ありがとうございました。
あと、リーフ本家のゲーム伝言板の方でお答えくださった赤い彗星様、肉丸様(た
ぶん、このお二人だったと思う)、どうもありがとうございました。
って、たぶん図書館は見てないんじゃないかな……。
仮に見てたとしても、このシリーズを読んでる可能性はさらに低いだろう……。