LF98(22) 投稿者:貸借天
第22話


「セリオオオォォォォーーーーッ!! わしの邪魔をしたあの女を殺せええェェェ
ェーーーーッ!! 心臓をえぐり出して、ここへ持ってくるんじゃぁァァッ!!
それと、フラン!! もはや手加減は無用じゃ!! わしの邪魔をしようとする者
は、ことごとく皆殺しにせぇいッ!!」
「了解いたしました」
 朱い瞳、朱い髪の魔道人形はあるじの命令に従って、残像すら残しそうな勢いで
走り去っていった。
 その場に残っているのは、壁にもたれ掛かるようにして座っている英二、憤怒の
形相を張り付かせたドグルス、そして、短く刈り込んだ頭に野性的な顔立ちを載せ、
ふてぶてしい笑みを浮かべた男。
「ぬっ……!」
 英二は痛む肩を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。
 ドグルスはその様子をちらりと一瞥してから、もう一人の男に向かって咎める口
調で言った。
「……ゼルガー、今まで何をしておった。もう少しでわしは、そこの男に殺される
ところだったではないか……!」
「ふん……いつまでも遊んでるからだろーが。そうやって調子こいてっから、圧殺
黒呪もイレイズされちまうんだよ」
「ぐ、ぐぬぬ……!!」
 ドグルスの顔色が変わった。
「残念だったなぁ。圧殺完成までもうあとほんの少しってところでオジャンになっ
ちまって。なんならもう一辺、圧殺黒呪かけるか?」
 ゼルガーと呼ばれた男はそう言って、底意地の悪い笑みを浮かべた。
 圧殺黒呪をかけるために必要不可欠なもの――闇鴉の心臓、黒曜トカゲの爪と牙、
コウモリ猫の眼球。触媒となるそれらを先の術で使い切ってしまったため、圧殺黒
呪をかけ直したくても出来ないことをゼルガーは知っているのだ。
「や、やかましいわ! 余計なこと言っとらんで、さっさとその男を殺せい!」
 ドグルスは額にいくつもの青筋を立てて、ゼルガーを睨んだ。
「おお、やだねぇ、老人のヒステリーは」
「……………………ゼルガー」
 ドグルスの放つ気配が、にわかにキナ臭いものになる。
「ああ、わかったわかった。やりゃいいんだろ、やりゃ。だいたい、さっきだって
ちゃんと働いただろうに……」
 ゼルガーは小さく肩をすくめた。
「それ以前に、自分で相手すりゃいいじゃねえか。闘って勝てない相手でもなかろ
うに……」
 仕方がないという風にも、なんで俺がという風にもとれる複雑な表情でブツブツ
とこぼしていたが、ややあって、ゼルガーは英二の方に向き直った。
「まあ、そういう訳で死んでくれや」
「……また、ずいぶん勝手なことを言ってくれるな。それに、何がそういう訳なん
だ?」
 小さく笑ってはいるが、その視線の鋭さは並のものではない。
 だがゼルガーは、錐をねじ込んでくるかのような英二の視線を難なく受け止めて、
うすら笑いを浮かべた。
「勝手も何も、俺たちに関わっちまった以上、あんたたちはみんな殺される運命な
んだよ。じゃ、アバヨ」
 いきなり足元から駆け上がった颶風(ぐふう)が、英二のあごに襲いかかる。
 紙一重の差でそれを避けた時、振り上げられた足がかかとから落ちてきそうな素
振りを見せた。英二の注意が、半ば反射的に上方に集められる。
 次の瞬間、ふたたび下から颶風が駆け上がった。
 今度こそあごをまともに捕らえた……かに見えたが、反射的に首をそらしていて、
なんとかかするに留めていた。
 しかし、あごは人体急所の一つ。これだけ威力のある蹴りなら、かするだけでも
かなりのダメージがある。
 果たして、英二の膝が落ちた。
 もろに喰らっていれば、人生が終わっていたかもしれない一撃だった。
 地面に片手をついて身体を支えていたゼルガーは即座に立ち上がり、ちょうどい
い高さにある英二の顔面に遠慮無しの突き蹴りを見舞った。
 十字受けで防ぐ。勢いに負けて、背中を壁に強く叩き付けられた。
  英二の顔が、かすかにゆがむ。
 ブロックした腕は右――強烈な一撃をそこで受け止めたのは好恵に続いて二度目
だ。今ので、骨の髄に響いてくるような痛みが走り抜けた。
(しくった……同じところで受けてしまうとはッ……!)
 ゼルガーはゆっくり考え事をする暇を与えず、いつの間に抜いていたのか、剣を
脳天めがけて振り下ろした。
 英二は地面を転がって、銀の一閃から逃れた。跳ね起きて立ち上がった時には、
冷たい光を放つ切っ先が眼前に迫ってきていた。
「ッ!」
 とっさに顔を振った。耳に痛みが走る。だが、それ以上の追撃が来る前に素早く
距離を取って間合いを確保し、体勢を立て直した。
「……ふうっ」
「ちぃ……しぶとい……」
 右手に長剣をぶら下げて、ゼルガーは舌打ちした。しかし、その眼は嬉しそうに
笑っている。
「なかなかやるなぁ、あっさり殺せると思ってたのに……。ま、その方が楽しいっ
ちゃ楽しいんだけどよ……」
「…………」
 英二は最初に見た時から、この男が相当な手練れであることを肌で感じていた。
 そして、先の攻防。間違いなく、一流の腕の持ち主だ。さらに言うなら……。
「……おまえも、強化人間かな……?」
 ゼルガーは、にやりと口元をゆがめた。
「まあ……な。ふふん、だが、シューガルやトルーヴなどと一緒にすんなよ。能力
強化なんぞしなくても、俺はもともと強いんだよ。あいつらと違ってな」
 この場にいない二人を蔑んでいるような笑みを見せる。
「……おまえたちの間には、それほど仲間意識はないみたいだな」
「ふん……これからは、あの二人のような奴が大勢出てくるんでな……いちいちそ
んなもん、持ってられるかよ」
「……どういうことだ?」
「さあな……ッ!」
 これ以上話すことはないとばかりに、ゼルガーはひと息に踏み込んできて横薙ぎ
に剣を振るった。
 身を退いてかわすと、すかさず間合いを詰め直してさらに斬撃を繰り出し、時に
拳打と蹴りを交える。
 そのことごとくを英二はなんとかかわし、さばいてゆく。
 上から下から左右から。
 鋭い突きと弧を描く軌跡が、続けざまに襲いかかってきた。
 それぞれの技に無駄がなく、英二は反撃のきっかけがつかめかった。ヘタに仕掛
ければ、そのスキをついてくるのは明らかだ。たまに甘い攻撃が来るが、それはお
そらく誘いだろうことを見切っている。
(くっ……! だが、いつまでもかわしきれるものではない。どうするッ……?)
 英二の態勢は万全ではない。
 愛用の短剣――その内の一本は、先ほどセリオに叩き折られてしまっている。
 そこらに落ちている剣も使えないことはないが、しかし、これほどの相手なら慣
れない武器ではかえって危険かもしれない。
 ゼルガーは、さっき自分でも言ったように、もともとが強い。
 能力を強化していただけのシューガルとは、まったくの別物なのだ。付け入るス
キがない。
 おそらくは、素の状態で一流の戦士並みの腕を有しているのだろう。そのうえ、
さらに能力強化を施しているのだ。はっきりいって、英二の手に余る相手だった。
(まったく、俺の本業は芸能人だというのに、坂下さんといい、セリオといい、こ
いつといい、なんでこんな強敵ばっかり相手にしなきゃならないんだ……?)
 不平を並べたところでどうしようもない。やれるだけやりながら、助っ人が来る
ことを祈るしかない。それまでなんとか粘るのみだ。
 英二は目の前の敵に集中した。
 裏通りのよどんだ空気を斬り裂いて、ゼルガーの袈裟懸けがうなりを上げた。
 それを左にかわしながら、短剣を首筋へと疾らせる。
 ゼルガーはにっと唇の端をつり上げると、旋回しながらその突きを避けて、遠心
力たっぷりの肘の一撃でこめかみを狙った。
 だが、その時には英二はすでに大きく跳び退いていた。そして、素早く視線を走
らせて目星をつけ、相手が再び襲いかかってくる前に落ちていた剣を拾い上げる。
 ゼルガーは動きを止め、何かを思いだしたような顔をした。
「ふん? そういや、あんたは二刀流だったっけ? でも使えんのかい? それ」
 にやにやと笑う。
「さて……な。だが、剣一本だけじゃ、どうにも出来ないんでな」
 両手の得物を構えると、じゃり……と、靴の底から地面との摩擦音が上がった。
「ふふん。じゃ、剣二本なら、なんとかなるのかな?」
 嘲るような笑いを含んだ質問を、英二は無視した。
 正直な話、かなり分が悪い……のだが、たとえ危険であっても、無いよりはマシ
である。
「さてさて。では、どんなもんか見せてもらおうかね」
 言って、ゼルガーは地面をすべるような足取りで、英二の間合いに侵入した。


 いったい、どちらに行くべきか。
 冬弥の頭のなかは、その一点のみに支配されていた。
 もちろん、誰よりもなによりも優先して由綺を助けたい。
 しかし、知ってしまったのだ。
 セリオという名の、血のような朱い瞳に氷のような冷徹を宿した少女。
 自分の居合い斬りをいともたやすくかわしてのけたその実力は、美咲の心臓をえ
ぐり出せという命令をいともたやすく実行してみせるだろう。
 彰では、美咲を護りきれない。自分も行かなければならない。
 胸がつぶれる思いで、冬弥は由綺がいる方を見た。
「!?」
 そこで、漆黒の武闘着を身にまとう少女が由綺たちを護るように立ち、正面にい
る老魔道士と話をしているところが目に入った。
 猛々しい少女の闘気が、ここまで伝わってくる。
 会話する二人の姿は、どう見ても友好的な雰囲気ではない。
 老魔道士は敵である。その敵と敵対しているらしい少女は、はたして味方なのだ
ろうか……?
「冬弥、どうするの?」
 はるかに腕を引っ張られて、冬弥は我に返った。
 自分が行っても、あるいはセリオを阻止できないかもしれない。しかし行かなけ
れば、美咲は間違いなく殺されてしまう。
「……先に、美咲さんを……助けよう。由綺は……そのあとだ」
 この上なく苦しげな表情をはるかはしばらく黙って見つめた。
「――じゃ、行こ」
「……ああ」
 後ろ髪が引かれたように冬弥はもう一度振り返り、由綺の後ろ姿をじっと見つめ
た。
 そして、なかなか離れようとしない視線を無理矢理引き剥がすようにして身体の
向きを変えると、不安を断ち切るように勢いよく走り出した。


 ゆっくりと宙を舞い降りる魔道士の少女は、足音を立てることなくふわりと着地
した。
 長い黒髪が夕焼けの茜を照り返しながら、小さく風に揺れる。
 整った顔立ちを優しげなそれに演出している双眸は、斜陽のなかにたたずむ魔道
人形の姿をじっと見つめていた。
「…………」
 少女のつぶやきに、美咲と彰が反応した。
「……え? あなた、あのコのこと知ってるの……?」
 こく、と少女はうなずく。
「あ、でもそれなら都合がいいよ。セリオさん……って言ったっけ? 彼女が美咲
さん……この人の命を狙ってるんだ。なんとかやめさせること、出来ない?」
 ふるふる、と少女は首を左右に振り、
「…………」
 今にも消え入りそうな小さな声で言った。
「あ、操られてるの……?」
 こく。
「…………」
「……額のサークレットを外せば、元に戻るんだね……?」
 こく。
 美咲と彰の二人とやりとりしながらも、少女はセリオの朱い瞳を見つめ続けたま
まだった。
 そして、セリオもまた少女の瞳から眼をそらすことはなかった。
 彼女の任務は美咲の心臓をえぐり取ってくること。
 先ほどはそれを実行せんと攻撃を仕掛けたのだが、どうしたことか命令に忠実な
彼女はしかし、この魔道士の少女と視線をかわしてからはその動きの一切を止めて
いた。ただただ、その大きな黒い瞳を見つめ返すのみだ。
 攻撃をためらっているかのようなその姿は同時に、まるで大切な何かを思い出そ
うとしているようにも見える。
「美咲さんっ!」
 そこへ、冬弥がはるかとともに美咲たちの元へ駆け戻ってきた。
 二人はセリオの向こう側から戻ってきたのだが、セリオ自身はそんな様子など目
に入っていないのか、なんの動きも見せなかった。
「ふ、藤井くん!? どうして戻ってきたの!? 由綺ちゃんは!?」
 美咲が驚きに目を見開き、強い口調で訊ねる。
「それは……その。確かに由綺も心配だけど、あの魔道士が『美咲さんの心臓をえ
ぐり出せ』なんて言うもんだから……」
「だ、だけど、じゃあ、由綺ちゃんはどうするの……?」
「え、えっと……」
「わ、私たちのことはいいから早く行って! 由綺ちゃんだって、すごく危ないの
よ!?」
「でも、それじゃ美咲さんはどうするんだよ。あのコはすごく強いよ。彰と二人だ
けじゃ……」
 と、そこで冬弥はすぐそばにいた見知らぬ少女に気が付いた。
「あ、あれ? えっと、この娘は……?」
「あ、そういえば、僕たちだってよく知らないんだよね……」
 彰も少女を見る。
「…………」
 少女は視線を向ける先をまったく変えることなく、そして、やはり小さな声で名
乗った。
「来栖川……芹香さん……? って、もしかして月影の……!?」
 こく。
「な……ほ、ほんとうに……!?」
 ここで初めて少女――来栖川芹香は顔を動かした。
 彼女は冬弥の目をじっと見つめ、
「…………」
「え? ……あのコはキミの友だちで、他の魔道士に操られている? ……額には
められているサークレットを壊すか、外すかすれば元に戻る……?」
 こく、とうなずき言葉を続ける。
「…………」
「……わかった。手伝うよ」
 芹香はペコリとお辞儀をし、今度ははるかを見た。
「私? ……目つきの鋭い……ふじた、ひろゆきくん……? その男の子の力にな
ればいいんだね……?」
 こく。
「で、でもそれじゃ、由綺ちゃんは……?」
 美咲が心配げな声を出す。
「…………」
「え? その……藤田くんの友だちに護ってもらえばいい……?」
 こく。
「だ、大丈夫なの……?」
 しかし、彰のその質問には誰も答えなかった。いや、答えられなかった。
 ついに、セリオから攻撃的な気配が漂い始めたからだ。
「――来るぞ……!」
 それは、冬弥が刀の柄に手をかけたのと同時だった。
 今までためらっていたのか、それとも単に戸惑っていただけなのか、果たしてど
のような心の動きがあったのかは、その無表情からはうかがい知ることができない。
 だが、迷いを捨てたセリオは一切の感情を交えることなく、ただ美咲との距離を
グングンと詰めてきた。
 命令を――『美咲の心臓をえぐり出せ』という命令を実行するつもりなのだ。
 それを阻止すべく、冬弥は美咲をかばうようにして立ち、涼やかな刃音を響かせ
て刀を抜き放った。
 その時には、冬弥の後方で芹香と美咲が呪文の詠唱を開始している。
 少し離れた場所では、はるかが行動のタイミングを見計らっていた。
“月影の魔女”の言葉に全員が納得したわけではなかったが、もはや迷っている暇
はない。それぞれが、それぞれの闘いのために動き出した。
 そして、まばたき三つを数える頃にはセリオが冬弥の剣の間合いに入り、その瞬
間、茜色の日射しを斬り裂いて白刃の一撃が吹き抜けた。
 身を沈めてかわす少女に、すかさず返す刀でその細い首を狙ったが、しかし手の
ひらの魔力文字で難なく受け止められる。
「!?」
 冬弥の顔に驚愕の色が浮かんだ。が、すぐに刀を引いて己が胸元に引きつけ、鋭
い突きを繰り出す。
 セリオはやはり手のひらで受け止めた。また、直後の右からの雷撃を逆の手のひ
らで弾き散らす。
 しかし、立て続けに疾った五つ六つの雷撃にそれ以上前進することができず、や
むなく後退した。中空に紫電をまき散らすそれらを、苦もなく避けてゆく。
 同時に、はるかが地面を蹴って駆け出した。その脚力は先のセリオと見比べても
なんら遜色がないほどで、残像すら残しそうな勢いで彼女はあっという間にその場
を走り去っていった。
 セリオははるかに対して一瞥すら向けることなく、ターゲット抹殺のためふたた
び前へ出る。
 地を擦るような低い角度から斬り上げられた冬弥の刃を難なく避け、その横を抜
けようとしたが、それよりも早く切り返しの一撃が今度は胴を薙いだ。
 下へはかわせないと踏んだか、横へと跳ね飛ぶセリオを、続けての芹香の雷撃が
美咲からさらに遠ざける。
 その時、冬弥の後方、天に掲げた美咲の両手から淡い翠光がほとばしった。そし
て、空間に刻まれた法印がその光を受けて燦然と輝き、美咲の周りに強力な防護結
界を形成する。
「……美咲さんに関しては、これで少しは安心かな……」
 彰がかすかに安堵の表情を見せた。
「…………」
「え? あ、ご、ごめん。そうだった」
 芹香に言われ、冬弥は刃を返した。
 峰打ち。
 これなら、間違っても斬り殺してしまうことはない。もっとも、セリオの戦闘能
力は極めて高いので、まともに当てるだけでも難しいのだが。
 ともあれ、冬弥たちの態勢はそれなりに整った。あとは、いかにうまく額からサ
ークレットを除去するかだ。
 だが有効な作戦を思いつく間もなく、セリオが三度目の襲撃をかけてきた。




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 ……冬弥の心理、ちょっとおかしいか?
 やっぱ普通なら、真っ先に恋人の救助に向かうかもなぁ……。

 くそ、しまった。
 前回の21話で綾香の使った、裏拳から後ろ回し蹴りまでの四連続攻撃。
 アレはいったいなんていう技なのか問題にしようと思ってたのに……ってまあ、
わざわざ答えてくれる物好きはいないだろうし、たぶんわかる人もいないだろうな。