LF98(19) 投稿者:貸借天
第19話


 由綺たちの間をそわそわと行き来するドグルスが、ふと歩みをとめた。
 何か危険が迫ってくるようなキナ臭い予感を感じ、周囲へと目を配る。
 と、依頼主お抱えの私兵たちや、ドグルスが創り出した土人形たちを蹴散らしな
がら、こちらへまっすぐ突き進んでくる英二と好恵の姿を遠くに捕らえ、彼は目を
すがめて呟いた。
「ふぅむ……? あれは坂下か……?」
 老魔道士はこめかみのあたりをポリポリと掻いた。
 好恵がなぜ敵と行動をともにしているのか、その理由をドグルスは考えてみた。
 まず、一番に考えられるのは裏切り。だが、一番考えにくい理由でもある。好恵
はそういう背徳的行為を嫌悪するタイプだ、とドグルスは見て取っていた。
 では、他にどんなものがあるだろうか。
「ふぅぅむ……」
 腕を組んで思案するが、納得のいく答えを思いつかなかった。しかし、ドグルス
はそれほど気にしなかった。今がどうあれ、この一件が済めば術をかけて彼女を隷
属するつもりだったので、寝返って敵になろうが別に関係ないのである。
 だが、間もなく始まるお楽しみの時間を邪魔させるわけにはいかない。
 ドグルスは背後を顧みると、自分のすぐそばで忠実な使い魔のように佇んでいる
二人の少女と向き合った。


 間断なく続く地獄の苦しみのさなか、初音は靄がかかって薄ぼんやりした思考に
過去の記憶を甦らせていた。
 それは二年前のことである。
 彼女は、自分の奥深くに棲んでいる鬼を目醒めさせようとしていた。
 今回が初めてではない。もう何度も挑戦している。
 三人の姉と一人の従兄が心配そうに見守る中、初音は内なる鬼を──心の檻に閉
じこめられているはずの鬼を解き放とうとした。
 そして、失敗した。
 姉たち──特に鬼独自の交信能力に優れた一つ上の姉が探ってみたところ、初音
には間違いなく鬼が宿っているという。だが、初音は鬼を顕現させたことはおろか、
自分の内にいるはずの鬼の気配を感じたことは一度としてなかった。ただの一度も
だ。そして今回もそんな様子は微塵も現れなかった。
「気にすんなよ、初音ちゃん。できないからって、特にどうなるわけでもないんだ
からさ」
 彼女の一族の男性だけに課される、内なる鬼との凄絶な死闘──それに勝利した
従兄が穏やかに声をかけてくる。
「そうそう。何かあった時にゃ、あたしたちが護ってやるって」
 きつい性格とは裏腹に、もっとも面倒見のいい二番目の姉がそっと頭をなでてく
れた。
「……大丈夫」
 一つ上の無口な姉が、優しい眼差しでコクリとうなずく。肩の上で綺麗に切りそ
ろえられた黒髪が小さく揺れた。
「耕一さんの言う通りよ、初音。いいじゃない、別にできなくても。普通に暮らし
ている分には鬼の力なんて必要ないんだから。鬼を発動させる必要があり、そして
その力で何かを為した者が現在までにほとんどいないからこそ、私たち柏木一族は
信憑性の薄い伝説となっているのよ」
 一番上の姉が腰をかがめて初音と目線を合わせる。
 ふわりと風に舞う長く美しい黒髪、慈愛あふれる瞳には、この世を去って久しい
彼女らの母親の面影が色濃く残っていた。
「うん」
 初音は素直にうなずいた。別に落ちこんだりはしない。争いごとが苦手な彼女は、
特に鬼の力など欲しているわけではないからだ。まあ、これは彼女だけに当てはま
ることではないが。
「使えるなら使えるに越したことはない」
「もし自分や、自分以上に大切な何か、あるいは誰かを護らなければならない時に、
何もできないよりはいい」
 上の三人はそう考え、そして彼女も同じ気持ちで姉たちに鬼の制御法を習ったに
過ぎないのだ。だが……。
・
・
・
・
(こ……ここで鬼を解放できなかったら……みんな……みんな死んじゃう……!)
  懐古を振り切り現在へと意識を戻した初音は、内なる鬼を目醒めさせようとして
いた。しかし、心のどこかで無駄だと思っている自分がいることにも気付いている。
 あれから二年、毎日やっていたわけではないが、彼女は彼女なりに真剣に取り組
んできた。だが、覚醒を行おうとするたびに、自分に宿っているはずの鬼の気配を
片鱗すら感じることもなく、「今回も駄目だったか……」という気持ちでこれまで
過ごしてきた。
 自分で呼びかけても駄目、姉に呼びかけてもらっても駄目、何をどうやっても初
音の中の鬼は頑として出てくることを拒んだ。いや、鬼がそのような意思表示をし
たわけではないが、あらゆる手段を尽くしてこの結果なのだからそんな風に感じて
しまう。結局、いま現在に至るまで初音は鬼と無縁の存在でいた。
(でも、それじゃ本当に死んじゃうよ……! 出てきて……! お願い、出てきて
……!!)
  呼びかけるというよりは祈るような気持ちで、初音は必死に鬼を捜し求めた。し
かし相変わらず、何よりも力強いであろうその気配は彼女の中のどこにも見つから
なかった。
「あっ……ごほっ、ごほっ……ぅくぅッ……!」
 頭をギリギリと締めつけられ、胸をギシギシと押しつぶしてくる壁の圧力に初音
はたまらず咳き込んだ。強さの度合いがもう一段階上がったようだ。壁の色も完全
と言っていいぐらい真っ黒である。今が最終段階の一歩手前ではないだろうか。
(出てきて……! お願い、出てきて……! いるんだよね? 私の中にいるんだ
よね!? も、もう限界だよう……)
 初音はまた咳き込んだ。
 この壁はやはり魔法で創られただけあって、普通の壁ではないようだ。
 見た目では胴体だけを圧迫して細い腕や足にはまるで影響が無いように見えるが、
実際にはさらに細い手首や足首にさえも凄まじい圧力がかけられている。
 そしてもっとも苦しいのは右を向けた頭部―─小さな耳とこめかみ、特に頭蓋か
らはミシミシといやな音が絶え間なく鳴り続けている。
 同じように、胸部も呼吸困難に陥るほどの強さで万力のように締め上げられ、肋
骨の軋む音が悲鳴と化して、心を占める絶望の影を際限なく広げてゆく。
 不吉なことに、初音の脳裏に昔の思い出が走馬燈のように駆けていった。
(そ、そんな……)          
 彼女は拒否するように心の中で激しくかぶりを振ったが、そんな事にお構いなく
思い出たちは走り抜け、それはやがて最近のものへと変わってゆく。
 地下牢での孤独な時間。
 新たに捕らえられた二人の女性。
 差し伸べられた救いの手。
 これまで感じたことがないほどの緊張と疲労を強いられた脱出と逃走。
 そして今、これまで感じたことがないほどの苦痛と恐怖──それはこの国の王女
も、助け出してくれた女性も苛まれているはずだ。
(理奈さん……)
 彼女は初音と由綺をかばって闘い続け、そして最後には初音の命と引き替えに深
手を負った。あるいは今も、斬り裂かれた脚から血が流れ出ているかもしれない。
(絶対……絶対、助けるんだからッ……理奈さんも……由綺さんも……!)
 決意も新たに初音は固く目を閉じて、内なる鬼の目醒めを促し続けた。


「ちぃっ……!」
 群がる土人形たちを薙ぎ倒しながら、英二と好恵の二人はドグルスとの距離を徐
徐に詰めてゆく。残っているのは土人形ばかりで、私兵の姿は周囲には見あたらな
かった。
(もう少しだ……!)
 英二は急ぎながらも周りの状況の確認は常に怠らず、決してスキを見せなかった。
好恵にしても同様で、確実に敵の数を減らしてゆく。
 最後に残った三体の土人形を相手にしている時のことだった。
 鋭い手刀攻撃が横手から不意打ち気味に襲いかかり、すんでの所で英二は身をひ
ねってかわした。
 続けざまの第二撃――地面から駆け上がってきた力強い前蹴りを左へ回り込むよ
うにしてギリギリで避け、そのあとさらに左から剣が落ちてきたが、そちらは軽い
ステップであっさりとやり過ごす。と同時に、剣を振り下ろしてきた土人形に反撃
をしておいてから、英二はその場を離脱した。
 これで、土人形は残り二体。だが、それとは別にかなりの使い手がいる。そちら
の相手をする前に、まずは土人形を倒してしまいたかった。
(!!)
 背後に気配。横へ大きく跳び退いて、間合いを確保する。
 英二の後ろにいたのが土人形だった。そちらへと突進し、一刀のもとに斬り伏せ
る。一呼吸タイミングをおいて右から敵が迫ってきたが、いま倒した土人形を盾に
するように動いて対処した。そのまま地面を蹴り、後方へと退く。
 残り一体。
 土人形がゆっくりと倒れ、その向こうには一人の少女が立っていた。
 夕焼け色のロングヘア。髪と同じ色をした、目尻がわずかにつり上がった切れ長
の瞳。整った顔立ちには無表情が張りつき、額には禍々しさを物質化したようなサ
ークレットがはまっている。また、両の耳には大きな飾りが下げられていた。
 英二は軽く目を見張った。
 先の攻防において、少し危機感を感じた攻撃が二回あった。そのどちらもが技と
して存分に磨き上げられた一撃で、土人形たちが放ってくる攻撃とは明らかに一線
を画したものだった。そんな技を、この少女が繰り出してきたというのだろうか。
 土人形がもう一体いるはずなのだが、周りにその気配を感じない。好恵の方に意
識を向ける。
「ちょっ、ちょっとどういうことよ、これは!?」
 後方から、好恵のうろたえたような声があがった。
「あんた、フランでしょ! 綾香の姉さんのとこの! なんで、こんな所……くう
っ!!」
 闘いが始まった気配を背中で感じながら、英二は少女に対して迎撃の構えをとっ
た。それを合図としたかのように、少女が間合いを詰めて攻撃態勢に入る。
 英二は少女の拳をかわし、左の短剣でのどを突いた。
 少女は身体を振ってそれを避け、もう一度顔面へ拳を打ち込んできた。
 しかし、すでに英二の肢曲は始まっている。
 さらに踏み込みながらそれをかわして右下から斬り上げ、同時に、泳いでいた左
の短剣を高々と振り上げた。
 少女は後ろへ退がって間合いを調整しつつ、下からの一撃から逃れた。
 その瞬間、英二は上からの二の太刀を振り下ろす。
 少女が左へ身をかわそうとするが、その動きを読んだ英二は、最後まで上方に残
っていた右の短剣を少女の移動先の空間へと打ち下ろした。
 これはかわせまい。
 英二はそう思ったが、少女は一度目の回避を終えた途端、脳天への唐竹割りが迫
ってくるのに軽く目を見開きつつも、しかし今までとは比べものにならないスピー
ドで危なげなく後ろへと避けた。
 驚いたのは、今度は英二の方だった。さっきまでとは明らかに違う動きに、戸惑
いにも似た感覚を覚える。
 少女はこちらを向いたままさらに後方へと退がり、五メートルほどの距離をおい
て止まった。と、何者かが宙を翔け、少女の隣にふわりと着地する。それは、光沢
のある翠を髪と瞳に宿す少女だった。
 翠の少女がどこから跳んできたのか、空中を逆にたどってゆく。英二の視界に好
恵が入った。どうやら、そのあたりのようだ。
 確認したいことがあと二つ。
 土人形がもう一体残っていたはずだが、どこにもいない。英二は闘っていないの
で、翠の少女を相手にしながら好恵が倒したのだろう。が、いないということがわ
かれば、その辺はすでにどうでもいいことだった。
 最後の一つ。何よりも訊きたいことが英二にはあった。
「あの二人とは知り合いなのかい? 坂下さん」
「……特別親しかったわけじゃないけど、一応ね」
「何者だ?」
「HMよ」
 HM。
 それは、ルミラ大陸に名だたる来栖川魔道工学によって開発された魔道人形であ
る。
 土人形や石人形とは完全に別物であり、魔法によって命を吹き込まれるところだ
けが共通点である。
 特に最新型のHM−12とHM−13においては、外見上はまさしく人間そのも
のだ。
 来栖川独特にして世界でも類を見ない高等な魔道工学技術による人工皮膚と人工
筋肉は、土や石で創られた人形などとは比べるくもないほどなめらかで自然な動き
を可能にし、そしてその手触りにおいても人間と見紛うほどである。
 また、脳にあたる宝玉はあらゆる状況に対して臨機応変に対応できる柔軟性を示
し、的確な判断を下しては迅速に行動させる。それは、ただ一つの命令を鈍重に実
行する土や石の人形には、絶対に不可能な業であった。
 だが……。
「HM? バカな、あれは戦闘能力を持たないはずだ」
 しごく簡潔な好恵の答えに、英二は即座に反論した。
 HMについての知識を最大限に呼び起こしながら、英二は行く手に立ちふさがる
二人の少女を見た。
 確かに人間離れした雰囲気を持ってはいるが、それでは今さっき見せたあの動き
はいったいなんだったのか。英二の見立てでは、少なくとも素人の技ではなかった。
翠の方とは闘っていないが、立ち居振る舞いからしてそれとわかる。
「本当にHMなのか?」
「あんたの疑問ももっともだけどね、あの二人は特別なのよ」
 違った意味での特別なのがもう一人いるんだけどね、と好恵は心の中で付け加え
た。
「特別?」
「そう。来栖川芹香……知ってるわよね?」
 好恵が口にしたのは、HMをかつてないほど大陸中に知らしめる原因となった少
女の名である。
 五十年ほど前、大陸有数の大貴族である来栖川が、魔道工学の新たなる可能性を
求めたHM−1と銘打った魔道人形の開発に成功し、発表した。
 しかし土人形などよりははるかにマシとはいえ、その性能は今とは問題にならな
いほど貧弱で、かかってくるコストもまた相当なものだった。
 それでも改良に改良を重ねたHMは着実に進化してゆき、来栖川に後れをとって
なるものかと、他の国の魔工の研究機関も、同じく魔道人形であるBMやDMなど
を開発し、発表し始めた。
 それから数十年、魔道工学における長い競争の時代にあって、来栖川の飛び抜け
た技術は他者の追随を許さなかった。
 だが、それはあくまで身体機能だけのこと。
 人とそっくりの動きをできるとはいっても、それを実行させるための中枢となる
頭脳の開発と発展はどの研究所でも遅々として進まず、こちらに関しては来栖川と
いえども例外ではなかった。
 記憶力は人間を上回るかもしれないが、いざ様々な命令を覚えさせたとしても、
簡単なものならともかく、命令が複雑になればなるほどその動きが固く鈍くなって
ゆき、また応用もきかなくなるのである。
 さじを投げる研究機関が出始める中、来栖川だけは日夜密度の高い研究を重ね続
けるが、それでもはっきりと実を結ぶまでには至らなかった。
 来栖川グループはあらゆる分野において言葉通りの大成功をおさめ続けてきたの
だが、今回ばかりは駄目だろう、近いうちに廃れてゆくだろう、という噂がまこと
しやかに囁かれた。
 ところがである。
 今から十八年前、来栖川宗家において一人の少女がうぶ声を上げた。
 少女の名は芹香。
 彼女は幼き頃からたぐいまれな魔道の才を発揮し、その並外れた天賦は絶えず周
囲の人々を驚かせ続けた。
 一を聞けば十を知り、自ら応用を展開し、新たな疑問にぶつかっては、その都度
確実に理解を深めてゆく。
 まるで乾いた砂が水を吸収するように、彼女は恐るべきスピードでありとあらゆ
る知識と技能をその手にしていった。
 そして、物心がついて以来ひたすら魔道に精進していた芹香は、四十年間魔道を
積み重ねることによって初めて理解できるといわれる魔道工学を、わずか十三歳の
若さで携わるようになった。
 その後の二年間で、彼女は既存のものだけでなく、自ら編み出した数々の魔道的
技巧と手法をも駆使してあらゆる要素を様々な角度から徹底的に突き詰めてゆき、
最終的には、それぞれ異なる七つの至天魔法陣をまさに神業ともいうべき絶妙な配
置で組み上げ、それを構成圧縮して宝玉に封印した人工頭脳を創り出した。
 そのキャパシティーがまた半端ではなく、今までに創り出されたものが人工頭脳
と呼ぶのもおこがましいほどに、彼女が創造したそれは素晴らしいものであった。
 これまでの常識を覆すようなその出来映えに、来栖川の研究者たちは一人残らず
狂喜乱舞したほどで、彼らは宝玉が内包している能力を最大限にまで発揮できるよ
う今まで以上に研究に没頭した。また、次世代機開発においては芹香も加わっての
最高頭脳集団によって精力的に行われた。
 それから約一年後。
 芹香が十六歳の時にHM−12、HM−13が完成し、発表された。
 どこから洩れたのか、来栖川の次世代機HM−12、HM−13は恐ろしく性能
がいいという噂がすでに流れており、大陸中の全魔道工学研究者がこぞって注目し
ていたため、王侯貴族から庶民までもがその発表に大きな関心を寄せていた。
 そして――ルミラ大陸は上を下への大騒ぎとなった。
 そのHMたちは人形どころか、「魔道人間」といっても差し支えないほどの性能
を発揮したからある。
 これまでの魔道人形とはケタが違っており、土人形などに至っては次元が違う存
在であった。
 思考力、判断力、認知力など万事においてぬかりはなく、どんな複雑な命令でも
機敏に確実にこなし、その有能ぶりは人間顔負けですらあった。
 来栖川ご自慢の技術にはますます磨きがかけられており、見た目および手触り肌
触りに関しては、人間との差は限りなくゼロに近いと絶賛された。
 疲れを知らず、食事も必要としない。もちろん休息は必要だが、人間が食事を摂
るのと同じくらいの間隔で魔力の充てんを行えば、一日をめいっぱい稼働させるこ
とが可能である。
 しかも魔力充てんの方法が単純極まっており、それを命令すればいいだけなのだ。
 その命令に対し、HMは瞳を閉ざして眠りに入り、天と地から精気を吸収して、
疑似生命の源である魔力に変換して蓄積する。天地の一方、あるいは両方から遠く
離れた場所――例えば地下の奥深く――では不可、という制限もあるが、それでも
地上に建つ建物の屋内では問題なしなので、およそ手間というものをかけさせない。
また、立ったままでも眠りに入れるので場所も取らないのである。
 とにかく万能の一言につきる来栖川製魔道人形次世代機HM−12、HM−13
だったが、しかしたったひとつだけできないことがあった。
 それが、戦闘に関する一切の行為である。
 彼女たちには攻撃の意志が存在しないので、料理のための包丁技術の実行はでき
ても、戦闘のために包丁を使うことはできない。料理用の刃物として切るという使
い方はできても、武器として斬るという使い方はできないのである。
 仮に、主人から命令されたとしても首を傾げるだけ。
 ただ、自己防衛機能に関してはそれなりに備わってはいるものの、それでも他者
からの攻撃に対する防衛行動、抵抗はほとんど行わない。
 人間ですら舌を巻くほどの応用力を見せる彼女たちも、こと戦闘的な行為が絡ん
だ時にはその機能の一切が働かなくなるのだ。
 だがもちろんのこと、それは特に重要な問題ではなかった。いやむしろ、人間に
対する絶対服従という意味であっさりと受け入れられたのだった。
 この圧倒的なまでのクオリティに、来栖川の天才少女の名前が大陸全土にあまね
く知れ渡ったのは、HM−12、13が世に出てからわずかに一週間後のことであ
った。
 その時から現在に至るまでに他の研究機関も新たな戦力を投入し続けたが、HM
を越えることなど到底できず、足元にたどり着くのが精一杯というところであった。
 HMに使われている人工頭脳がいかなるものか、あらゆる機関が解剖してその内
部構造を調査し尽くしたのだが、構成圧縮された七つの至天魔法陣はまさに個にし
て全、全にして個を体現したまさしく神の御技を思わせる構造になっており、芹香
に匹敵する天才でなければ扱えないような代物であった。そして、扱える者は今に
至るまで、ただの一人も現れなかったのである。
「当然だ。“月影の魔女”だろ? ルミラ大陸でその名を知らない者はいないんじ
ゃないか?」
 英二が軽くうなずきながら言った。
 ――ルミラ大陸全土に普及している創世神話の中に、《天の三聖》と呼ばれる者
たちがいる。
 太陽神ティリア・フレイ。
 星神サラ・フリート。
 月神エリア・ノース。
 おおいなる偉業を成し遂げ、天に昇って神になったとされる彼女らを讃えるその
呼び名にちなんで、ルミラ大陸においてはいつからか、《地の三聖》と呼ばれる者
たちが現れるようになった。
 弱冠十七歳にして、太陽神殿総本山の次期大神官最有力候補、月島瑠璃子は“太
陽の巫女”と呼ばれている。
 大胆にして慎重。そのあまりに鮮やかな手並みは、被害者をして感嘆せしめる。
追い詰められたことは一度としてなく、姿を見られたこともなし。神出鬼没の怪盗。
“星光の盗士”九品仏大志。
 そして、HMの生みの片親。若き天才魔道士。“月影の魔女”来栖川芹香。
 現在の《地の三聖》がこの三人であった。
「ええ。実は、彼女はあたしの友人の姉さんでね、何度か話したこともあるんだけ
ど。で、あの二人は彼女のガーディアン。髪の朱い方がHMX−13セリオで、翠
の方がHM−12Xフラン。二人とも、普通のHMが持ってる能力は当然、戦闘の
ための知識と実行力も備えていて、敵と闘う際には芹香さんが呪文の詠唱をしてい
る間の剣と盾になるのよ」
「なるほど……しかし、ということは“月影の魔女”が敵側についているのか?」
「いえ、それはないと思う……わからないか。もしかしたら、だまされてるって可
能性もあるわね。彼女、人がいいから。でも、望んで人身売買に荷担してるなんて
思えないわ。そんな人じゃないもの」
「そうか……。だが、どちらにしろ闘うしかないな。俺たちの説得に耳を貸してく
れるとは思えんし。二人を退かせることができるのは、“魔女”の言葉だけだろう。
いや、そもそも説得なんてやっている時間がない。悪いが、破壊してでも突破させ
てもらおう」
「ひとつ言っとくけど……さっきの手合わせで、向こうの実力を判断しては駄目よ。
思いっきり手を抜いてるわ、二人とも」
「……なに?」
 思わず好恵の顔を見る。
「以前、サシで闘ったことがあるんだけど……あ、本気じゃなくて練習でね。いや、
少なくともあたしは本気だったわ……本気になっていった。何度も地面に転がされ
るうちにね。でも、ぜんぜん歯が立たなかった。あとになって教えてもらったんだ
けど、あの二人は“武神”長瀬源四郎直伝なのよ」
「本当か、それは?」
 英二の声に強い驚きが含まれる。
「ええ。とにかくそういうことだから、セリオもフランも半端ではなく強いわよ。
はっきり言って、全力でかかっても勝つのが難しいぐらいにね」
 好恵の言葉に、英二は思い出す。先ほど一瞬だけ見せた、あの鋭い動き。セリオ
はあの瞬間だけ本気を出して、勝利を確信した英二の一撃から逃れたということだ
ろうか。
「……そうだとしても、彼女らをどうにかしない限りは、ドグルスのところへは行
けないんだろ? じゃあ、やるしかないな……!」
「そういうことね」
「ところであの二人、どっちが剣でどっちが盾になるんだ?」
「どっちもが。別に役割分担されてるわけじゃないからね、セリオもフランも得手
不得手はないわ。あいにくだけど、そこからスキを見出すことは不可能よ」
「……そうか」
「じゃあ、そろそろいきましょうか。あと、しつこいようだけど本気で手強いから
重々気をつけて」
「わかった」
 うなずき、英二がセリオと対峙し、好恵はフランと向き合った。




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綾 香:「ちょっとちょっと、聞いたわよ! 姉さん、この世界じゃすごい有名人
    なんですって?」
芹 香:「…………(赤)」
綾 香:「もー、さすがは私の姉さんね! ひゅーひゅー」
芹 香:「…………(ぽっ)」
綾 香:「うんうん、姉さんならいつかきっと……え? なに?」
芹 香:「…………(くいくい)」
綾 香:「あら? あのコは確か……」
瑠璃子:「……月島なのに太陽の巫女……月島なのに太陽の巫女……」
綾 香:「あ、呼び止めるヒマもなく行っちゃった……」
芹 香:「…………(くいくい)」
綾 香:「え、なに? また誰か来たの?」
大 志:「うひゃっほーい。まさかこの作品に俺が登場するたぁ思わなかったぜ。
    どうでもいいが、どこから俺イコール盗賊なんて考えが出てきたんだ? 
    あん? 俺はこういうキャラクターで合ってるのかって? さあな、真相
    はゲームを買って確かめてくれ! じゃあ、あばよ!(ちゅっ)」
綾 香:「…………」
芹 香:「…………」
綾 香:「それでは、また来週!」
芹 香:「…………(ぺこり)」


今回は、今までに輪をかけてバカな内容になってます。
こんなもん、読んでくださった方、どうもありがとうございます。
あと、前回ウソ書いてしまいました。
テレホタイムを避ければ、家からでもアップできました。
それでは。