LF98(15) 投稿者: 貸借天
第15話
 英二のひたいから頬にかけて、一筋の汗が流れた。彼の目はたった一つだけを見
ていた。
 それは、ややつり上がった漆黒の瞳。強い意志を感じさせるそれもまた、英二の
目をじっと見据えている。その瞳の持ち主のさっぱりとした短い黒髪を、一陣の風
が撫でて通り過ぎていった。
 だが、二人ともすでに正面に立つ者以外の存在は眼中になく、そしてどちらも動
かない。
 あふれ出す闘気とみなぎる殺気。
 張り詰めた空気と膨れ上がる緊張感。
 英二と好恵の二人だけで共有し感じている世界のなかで、互いに見つめ合うその
姿は無論、恋人同士のそれとは百倍増しでかけ離れている。
 時間だけがただ、虚ろに過ぎてゆく……。
 とその時、二人の中間ほどの地面を、土人形たちが持つ中剣が転がりながら勢い
よく通り過ぎた。
「!」
「!」
 次の瞬間、世界は音もなく砕け散り、膠着状態の解けた英二と好恵は同時に前へ
出た。そして同時に互いを攻撃圏内にとらえる。
 先攻は好恵。
「ちいぃっ……!」
 十分に踏み込んでの右ローキック。今度は牽制ではない、間合いが深い。
 先と同じなら、やはり構わず前へ出るつもりだったが、いかにも重そうなこの一
撃をまともにもらえば、まず間違いなく膝が落ちる。
 刹那の判断で英二の強靱な足腰とバネは、トップスピードに乗っていた身体の勢
いを一瞬でゼロにし、左足を上げて右ローをかわした。
 すかさず、浮かせた左足を踏み込みながら右の突き。狙いはのど。
 好恵は身体を反らしてそれを避けながら軸足のかかとの位置を変え、振り抜いた
ローキックを跳ね上げて上段内回し蹴りへと変化させる。
(――なに!?)
 かわしたばかりの好恵の蹴りが、弧を描いて再び襲いかかってくる。今度の狙い
は顔面だ。威力は先のローにもひけを取るまい。何故なら、先制攻撃をかわされ、
英二の反撃をかわしての攻撃であるにもかかわらず、好恵の体勢はまったく崩れて
いないからだ。
(――あそこから一挙動で体勢を立て直しての反撃か!)
 彼女もまた、自分に負けず劣らず強靱な足腰とバネを有しているらしい。
 英二は頭の片隅でそれを認識しながら、伸ばしたままの右の短剣の刃を好恵のの
どに押し当てた。好恵はごく小さな動きで英二の突きをかわしていたので、彼女の
喉元に短剣が残っていたのだ。
(――この蹴りはかわしきれない。ならば……!)
 冷たいものが背中を流れたのは、今回は好恵の方だった。
(――やられるっ!!)
 とっさに、ムリヤリ首をのけ反らせる。英二が、押し当てた刃で好恵の首を薙ぎ
にきたのはその半瞬後のことだった。
 英二はその動作と、好恵の蹴りをかわすという動作を同時に行っていた。
 好恵の内回し蹴りのタイミングは完璧だった。もし普通にかわそうとしていたの
なら、間違いなく英二の顔面にクリーンヒットしていたはずだ。だが、置き土産と
ばかりの英二の今の攻撃が好恵の動きをわずかながら鈍らせ、さらに強引に身体を
のけ反らせたために体勢が崩れて、蹴りの軌道が変わってしまった。
 それでも好恵の蹴りは鋭く、英二は完全にはかわしきることが出来ずに眼鏡を弾
き飛ばされた。
「ぬっ……!」
 さすがに今回は反撃が出来ず、同時に飛び退いて距離をとる二人。
 世界が砕けてからここまでに三秒と経っていない。
「…………」
 好恵は自分の首をそっと押さえた。濡れた感触。案の定、そこを触れた手のひら
には血が付いていた。
 知らず、身体がおののく。修羅場をくぐり抜けた経験は幾度もあったが、死を実
感したのはこれが初めてだった。
 今のは本当に危なかった。タイムラグは一瞬の半分だったのだ。
「――死ぬかと思ったわよ、今のは……」
「――殺(と)ったと思ったぞ、今のは」
 同じ言い回しで英二は返してくる。
「――――?」
 相手の顔を見て、好恵は何か違和感を覚えた。そして、すぐにその原因を突き止
める。
「――眼鏡……割れちゃったわね」
「ん?」
 確かに、少し離れたところに英二愛用の、そしてたった今好恵が弾き飛ばした眼
鏡が転がっていた。右のレンズが真っ二つに、左のレンズは四つに砕けており、も
はや用をなさないことは明白だ。
「そうだな。ん? もしかして、責任取って弁償してくれるのか? だったら隆山
製のやつにしてもらえると有り難いんだけどな」
「――あんた、眼鏡なしで闘えるの?」
 英二の軽口を無視して好恵は問う。英二は苦笑しながら答えた。
「あれは伊達眼鏡で素通しになってるからな。だから心配はいらないぜ」
「――そう」
「なんだなんだ。じゃ、もし駄目だったらどうするつもりだったのかな? 見逃し
てくれるとか?」
「まさか。あたしはこれでもプロの傭兵よ。依頼された仕事はちゃんとこなすわ。
たとえ相手がどういう状況だろうとね」
 心外だとばかりに言い返す。
「ふむ。でも、いいのかな? 俺一人に掛かりきりになってても。まあ、どういう
仕事を引き受けたのかは知らないがね」
「ご心配なく。プロの傭兵はあたし一人じゃないから」
「――なに?」
 思わず英二が問い返した時、突然脳裏に甦る言葉があった。
『魔道士』
 そういえば、ここへ来るまでに魔道士らしき人物を一度も見ていない。敵に土人
形がいる以上、それを創り出した魔道士が最低一人はいるはずなのだが。
 そんなことを考えていると、呪文を詠唱する低い声が風に乗って流れてくること
に気が付いた。いや、ずっと以前から聞こえてはいたのだが、それに意識を向ける
余裕がなかったのだ。
(なんだ? 土人形を操る呪文か?)
 英二は戦士を生業としているわけではないが、魔道士と闘ったことはある。
 今流れている呪に込められた魔力──この感じは黒魔法だろうか。以前闘った魔
道士は黒魔法の使い手で、あの時感じたものに何となく通ずるものがある。
 意識の半分を好恵に向け、残りの半分で呪文の出所を探っていると、ここから少
し離れた場所で妹が足を抱えてうずくまっていることに、彼は今初めて気がついた。
「――理奈!?」
 思わずそちらへ行こうとすると、
「悪いけど、邪魔させてもらうわよ」
 好恵が間にスッと入ってくる。
「────っ」
 表情こそ変わらないものの、英二は目に険しい光をたたえた。その眼光はまるで
磨き上げられたばかりの刃のように鋭利で冷たい。
 だが好恵は臆することなく、英二の視線と正面からぶつけ合わせる。
 好恵の向こう側で、うずくまる理奈と、そのそばに立つ由綺と初音の姿が見えた。
 そしてなぜか、彼女たち三人の周りには誰もいなかった。とどめを刺すなり、人
質に取るなりする絶好のチャンスだというのに。
(……いったいどういうことだ? なぜ、理奈たちを狙わない?)
 相手が何を考えているのか分からないことほど怖いものはない。なにか手を打と
うにも、どうすればいいか見当がつかないからだ。
  異変は他にもあった。
 浩之が大人数の敵に取り囲まれていること、その浩之と共に闘う見知らぬ少女が
いること。見知らぬ少女といえばもう一人──ショートヘアで小柄なその人物は、
雅史の方で大活躍していた。しかも、おおよそ片付き始めている。
 まあ、こちらの方は気にすることでもあるまい。いつの間に参戦したのか知らな
いが、二人とも浩之たちの知り合いなのだろう。
  それよりもやはり、理奈たちだ。
 彼女たちを攻撃するのをやめたことに、果たしてどんな裏がある……?
 それに、この事と今も聞こえている呪文との間に、なにか関係があるのだろうか
……?
 好恵に向けていた意識が、半分から一割にまで減ってしまった頃──
「──いいの? ボンヤリしてても。あっちへ行きたいんじゃなかったの?」
 好恵が自分の背中側に向かって、クイッと親指を立てた。
「──そうだな。では、行かせてもらうとするか……!」
 無論、親切心からではないであろう彼女の言葉に、しかし我に返った英二は短剣
を構えなおし、両足にグッと体重をかけた。
 タイミングを見計らい、今まさに地面を蹴ろうとした時──
「きゃあああああっっ!!!」
 悲鳴は──英二が向かおうとしていたところから聞こえた。
「な、何これ!? 何これ!?」
 こちらは、やや幼い感じ──初音だ。
 見ると、理奈と由綺と初音がそれぞれ別々に、黒く輝く光の壁に挟み込まれてい
た。
(な、何だ、アレは!?) 
 黒光の壁は横一メートル、縦が二メートルほどの長さで、厚さは三十センチほど
――だろうか。黒く輝いているといっても透き通っていて向こう側が見えるので、
全体像がいまいちわかりにくい。
 おそらくは黒魔法によって創り出されたと思われるそれが、理奈の、由綺の、初
音の身体を前後から挟み込んでいた。
(黒魔法――!?)
 ふと耳を澄ませてみると、さっきまで風に流れていた呪文がいつの間にか聞こえ
なくなっている。呪文が完成したということだろうか。では、あれはやはり黒魔法
で、土人形を操るためではなく理奈たちに攻撃――なのかどうかはわからないが、
とにかくターゲットは理奈たちだったというわけだ。
(この魔法をかけるから、理奈たちを放っておいたのか? だとしたら――)
 形にならない不吉な予感が、頭の隅をかすめて過ぎる。
 あの黒光の壁は何なのか。かけた黒魔法にどういう効果があるのか。そして自分
はどう動くべきなのか。いや、少なくとも妹たちの元に駆けつけるべきだろう。何
が出来るか分からないが。
「行くぞっ!!」
 すべては、目の前に立つこの少女を倒してからだ。英二は気合いとともに、大地
を蹴った。


「な、なんなの、これぇッ!?」
 突如、前後に現れ、黒く透き通って見える光の壁に挟み込まれて、初音は身動き
がとれずにもがいていた。
 膝と肘をつっかい棒にして踏ん張り、壁を押しのけようとする。壁は徐々に動い
てゆくのだが、それでもほんのわずかしか開かない。
 挟み込まれた状態から抜け出せるほどの間隔ではないし、そこまで開こうにもそ
れだけの筋力がない。
 黒光の壁は重く、おまけに挟み込んでいる人間――つまり自分を押しつぶそうと
前後から圧迫してくるのですぐに力尽きてしまう。
「う、うくっ、うくっ……!」
 必死なその声の方に視線を向けると、由綺もまた壁のすき間から抜け出そうとも
がいているのが見えた。彼女はときどき理奈の方を気遣わしげに見ている。いや、
見ているだけでなく、「理奈ちゃん、しっかりして」と声をかけていた。
 初音も理奈の様子をうかがうべく、そちらに目を向ける。
「あっ――!」
 理奈は目を閉じてグッタリとしており、もがくどころかピクリとも動かない。
 彼女は、ほんのさっきまで初音と由綺を護るために縦横無尽に剣を振るい続け、
ときにはかなり無茶な動きもしていたのだ。体力、気力ともに、とうの昔に限界を
超えていたのだろう。
 さらに、壁が出現した瞬間、身体から力が抜けていくような感覚があった。その
時からやけに全身がけだるく、疲労感が増しており、体力が大幅に失われたのが分
かる。それはおそらく他の二人の身にも起こっただろうから、もともとグロッキー
状態だった理奈は、指一本動かす力も残されていないのだろう。
 おまけに彼女は負傷している。傷はそこそこ深かったらしく、由綺と二人で簡単
な応急処置を施したものの、血はすぐには止まらなかった。あるいは今も、ハンカ
チで二重に覆った傷口から血が染み出し続けているかもしれない。
 はっきりいって危険だ。
(だ……だけど……っく、危険なのは私たちも同じ……だよっ……!)
 あらん限りの力を振り絞って壁を押そうとする――が、今度はほんの数ミリしか
動かなかった。もがいている間に、壁の透明感が薄れたような――というよりは黒
の濃度が増したらしく、向こう側が少し見にくくなっていた。それに、心なしか圧
迫感も強くなっているようだ。
(こ……このまま放っておいたら、私たちペッチャンコになっちゃうんじゃ……)
 初音は押しつぶされた自分たちの姿を想像して背筋が寒くなった。動けない状態
のままブルッと身体を震わせると、今まで以上に激しくもがき始める。
(は、早く理奈さんを救い出して止血しないと……。今まで、ずっと護ってくれた
んだもん、今度は私が……)
 もう一度、由綺の方に視線を送った。彼女も相変わらず頑張っているが脱出でき
そうな気配はない。黒光壁の濃度がますます高くなってきたようで、由綺は今どん
な表情をしているのか、この角度からでは分からない。ただ、ぼんやりとその姿を
捕らえることが出来るのみだ。自分と同じく、顔を右向きか左向きにしているだろ
うから、壁と壁のすき間からでないと見ることは出来ないだろう。
 理奈の方も同じだ。足に巻かれた布に広がる赤い染みは、今ではどのくらいだろ
うか。急がないと、本当に手遅れになってしまう。
「…………っ!」
 壁同士、引き付け合う力がさらに強くなった。まるで、とんでもなく強力な磁石
の間に挟まれている感じだ。胸が圧迫されて息苦しく、頭もまたきつく締め付けら
れて気分が悪くなってきた。
(わ、私たち、本当に……)
 さっき心に浮かんだ映像が、リアリティを増したような気がした。
 初音の顔がサーッと青ざめてゆく。逆に身体の方は血液が沸騰したかのようにに
わかに熱くなり、その力を借りて初音は歯を食いしばり必死の形相ですき間をこじ
開けようとする。
「うっ、うっ、ううう〜〜〜〜ッ!!」
 しかし、今度は黒光の壁は全然動く様子を見せず、初音は苦しそうな顔に涙を浮
かべた。けほっけほっと、苦痛の染み込んだ呼気の固まりを吐き出す。
「ひょっひょっひょっ。ええのう、ええのう、その顔。苦しいか? ん? 苦しい
か?」
 突然聞こえたしわがれ声に初音は顔を上げた。いつ現れたのか、壁のすき間から
のぞき込むようにして老人が立っていた。
「えっ? だ、だれ?」
「まあ、味方でないことは確かじゃなあ」
 老人はにんまりと目を細める。
「ついでに言うと、わしがこの魔法の壁を創ったんじゃがな」
「えっ!?」
 驚いた拍子に一瞬力が抜け、そのスキをついたように壁が少女の薄い胸をきりき
りと締め付けてくる。
「あ……っかはっ……! げほっげほっ……!」
「もっひょっひょっひょ。その顔じゃ、その顔をもっとよく見せぃ」
「うっ……うううっ!」
 こんなに苦しんでいる自分を見て、愉悦の表情を浮かべている老人を初音はキッ
とにらみつけた。
「ん〜? なんじゃその眼は。気に入らんなあ。もっと苦しそうにしてみせろ〜」
 一転、イラついた口調になった老人は、やせ細った腕を壁のすき間に差し込んだ。
 人差し指を立てて、初音の顔へと近付けていく。
「んっ……!」
 顔を背けようとしたが当然できるわけもなく、老人の指はとっさに閉じた初音の
まぶたと、まぶた越しの眼球にとんっと突き当たった。
「このまま押し込んだら、どうなるじゃろうなぁ……」
「――――ッ!」
 左の眼球が押される感覚に、初音はひっと息を呑む。
「もっひょっひょっひょっ」
 老人はまたにんまりと眼を細め、ついで唇の端をつり上げた。




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わーいわーい。
英二の眼鏡は伊達眼鏡で、素通しということになってしまいました。(汗)



さて、オリキャラが出てきました。
実は全部で10人近くいるんですが……。
本当は、オリキャラは使いたくなかったんですが、リーフの主要キャラ40人をも
ってしても、彼らだけじゃなんかこう、やりにくいし……。
って、それは自分の実力不足のせいだな。(苦笑)
…………見逃してやってください。(汗)
しかし、変なキャラクターだな。
もう少しなんとかならんのかね。(自虐笑)