LF98(14) 投稿者: 貸借天
第14話
 緒方兄妹の持つ短剣──全部で四本で同一の物だが、それらにはわずかながら魔
力が宿っており、決して武器としての質が落ちないようになっている。
 普通、どんな名人が鍛えた武器でもたび重なる戦闘によって人を斬ったり打ち合
わせたりすれば、血のりが付着したり刃こぼれが生じたりして切れ味が鈍るし、ど
れだけ丁寧に磨いてもいずれは刀身が曇ってくるものなのだが、ある程度の魔力を
備えた武器にはそういったことが起こらない。もっとも、その武器の強度を超える
ものと激しくぶつけ合わせたりすれば折れることもあるだろうし、そうなったらさ
すがにどうにもならないが。
 レベルの高い魔力を宿す武器ともなればこの機能は標準装備されているのが普通
であるため、二人が愛用しているこの四本の短剣はそれほど上等な代物ではない。
 しかし、彼らにはこれで十分だった。
 緒方兄妹は無論のこと、冒険者ではない。まれに人間と闘うことはあるが、自ら
進んで人外のものと戦闘をするわけもないので、強力な魔力剣など必要ないのであ
る。
 だがいままで経験してきたなかでも、これほどの人数相手に立ち回るのははじめ
てだった。おまけに、護ってやらねばならない者もいるのだ。
 二人はそれぞれ自分の身を護るための十二分な腕を持っているので、どれだけの
人数で囲まれてもそれほど戦闘に苦労したことはないのだが、今回はいつもとはか
なり勝手が違う。

 理奈は苦戦していた。
 彼女だけで由綺と初音の二人を護りつつ、闘わなければならないのである。右へ
左へ動き回っては、際限なく群がってくる敵を斬り倒し続けて、相当の体力をほこ
る彼女にもさすがに疲れの色が見えはじめていた。だが、それでも彼女はよくやっ
ている。この場合、少しずつ移動しながら闘っているため、他のメンツとの距離が
徐々に開いてきていることに気付かなかったとしてもやむを得ないだろう。

 英二は動けなかった。
 正面に立つ好恵の向こう側で立ち回る理奈の姿をちらりと見たところ、状況はあ
まりかんばしくないようだ。そして不本意ながら、彼はまたしても妹のピンチに駆
けつけることが出来なさそうだった。
 右腕のしびれはもう治っている。だが仕掛けることが出来ない。互いに相手の出
方とスキをうかがっていて、しばらくはこのままの状態が続きそうだった。

 あかりは戦闘能力を持っていない。ゆえにじっとしているしかなかった。そばに
は雅史、理緒がいて敵の侵攻を食い止めている。
 志保は油断なく動き回り、剣を拾い集めては戻ってきて理緒に手渡していた。
「まったく、あたしが集めるものといえば基本的に情報だけなんだけどね……。
 ま、この際仕方がないか……」
 たまに跳び蹴りをかましたりしながら、彼女は動き続けた。

 浩之は一路、理奈たち三人を目指してひたすら前進していた。
 しょっちゅう邪魔が入るが、向かってくる者はことごとく薙ぎ倒す。先の好恵の
一撃のせいで体力の消耗が早くなっているが、それでもしばらくは保ちそうだ。
 理奈たちがだんだん離れていってることに彼は気付いていた。あのまま放ってお
いたら、彼女たちは間違いなく孤立してしまう。早く手助けに行かねばならない。
 そして合流すれば相手をする人数が半減するので、自分も楽になる。理奈の強さ
は半端ではない。少なくとも、現在の浩之の実力では、闘いながら二人を護るなん
て芸当はできない。
 とにかく、できるだけ早く彼女のもとへ。
 だが、そのことに気を取られすぎていたのか、やはり焦っていたのか、それとも
コンディションの悪化が原因か、浩之は周りを見渡す余裕を失っていた。敵はそん
な彼の周りに少しずつ集まってゆく。
「!? うおっ!!」
 なにやら頭の片隅で警報が鳴り響き、深くは考えずに横っ飛びにその場を離れる。
大上段からの一撃が彼の衣服を一部斬り裂いた。その直後、少しだけ高く、そして
鈍い金属音。打ち下ろした剣と地面が激突した音だ。
「なろっ……!!」
 背後からの斬撃をかろうじてかわした浩之は振り向きざま、両手をしびれさせて
いる男の顔面に拳をめり込ませ、勢いよく振り抜いた。
「ぶがあぁっ……!」
 折れた歯と、唾液混じりの血を口から吐き出しながら男は吹き飛び、地面を転が
って意識を失った。
「……はあっ……はあっ……!」
 危機一髪とは何たるかを、身をもって体験した気がした。額から流れ落ちる汗は
これまでの激闘の名残か、あるいはいまの一瞬の出来事によるものか。
 ふと顔を上げると、大勢の敵に取り囲まれて、いまや完全に孤立してしまってい
る自分に、浩之はこのときになってはじめて気付いた。
「オ、オレが孤立してしまってどうすんだよ……」
 己の散漫な注意力が呪わしい。だが、理奈のほうに向かっていたうちの何割かを
こちらへ集めることができたようだ。しかしこの場合、はたして喜んでいいものか
どうか……。
 理奈との距離は……もう少しある。そしていま現在も彼女はこちらから徐々に遠
ざかっている。彼女は自分と、そして由綺と初音の二人を護るので手一杯だ。考え
なくても判る。こちらまで手が回らない。
 英二は……好恵といまだに睨み合っている。そんな二人の周囲には誰もいない。
迂闊に手を出すのは控えて好恵一人に任せているのだろう。その分がこちらに回っ
てきているというわけだ。
 雅史たちのほうは……こちらも大きな動きは見せず、同じように睨み合っていた。
ただし、かなりの距離をおいてはいるが。下手に近寄っても理緒の的にされ、さら
に雅史の衝撃波で吹っ飛ばされるだけで、それに対抗する手段が無いのだろう。そ
して、雅史たちのほうから攻めていくこともない。やはり壁を背にしておきたいし、
あかりもいるからだ。
 ざっと見渡して、援軍は来ないことを浩之は理解した。まあ、この場合、期待す
るほうがおかしいのかもしれないが。
(助っ人に行っておいて、逆に助けを求めてるなんてシャレにならねえよな。志保
に知られたら、なんて言われることやら……)
 ある胸を大きく反らして、勝ち誇ったように笑うボブカットの少女を苦笑ととも
に思い浮かべる。
 どのみち助けは来ないのだ、強引に突破するしかない。別に、全員をぶちのめす
必要はないのだから、やってやれないことはないだろう。
(全力疾走で、一直線に突っ込むのがいいか……。残り体力を気にしていられる状
況じゃねえしな……)
 だが、浩之が腹をくくって地面をしっかりと踏みしめたとき、じりじりと包囲の
輪を狭めていた敵のうち左から二人、後ろから二人が襲いかかってきた。
「うおおおっ……!」
(ちっ……!)
 やむなく振り返り、後方から向かってきた二人のほうへ突進する。向かって右側
のほうを無視し、左にいた男の初撃をかわして懐に飛び込み腹に拳を突き入れる。
そして服をつかんで引き寄せ、その男の背中に回り込んで突き飛ばした。左方から
来た二人の足止めである。その間に無視した右側の男へ向き直り、何か行動を起こ
されるよりも早くあごを蹴り上げた。
(行くぜっ……!)
 もはや、のんびりしていられない。囲みを無理矢理突破して、理奈たちとの合流
をはかる。だが、浩之が駆け出すよりも一瞬早く、敵の全員が彼のもとに殺到して
きた。
(げっ!)
 いちいち相手にしていたら間違いなくこちらがやられる。浩之はかまわずダッシ
ュをかけた。前方だけに意識を集中して、その他は全部無視する。左右、後方の敵
の攻撃射程距離内に入る前に前方の敵の間を抜けるつもりだった。
「どけぇっ!」
「このガキィッ!」
 突きをかわし、横を抜ける。
「ジャマだ、ジャマ!」
「死ねえっ!」
 袈裟斬りをかわし、横を抜ける。
「くっそ、まだいんのか!」
「うおりゃあっ!!」
 その男の斬撃はやたら気合いの入った声の割りには、どこか力強さが感じられな
かった。ピンときた浩之は難なくそれをかわし、いままでと同じように男の横を駆
け抜けようとする……寸前、ひょいとジャンプした。宙に浮いた浩之の下を男の足
払いが通過する。
「なっ!?」
「あまいって」
 ゴン!
 宙にいる間に肘で後頭部を一撃。男がうずくまるのと浩之が着地したのは同時だ
った。すかさず駆け出そうとする浩之。その瞬間、それは起こった──。


 左後方に壁を背にして由綺と初音。いまは二人とも軽めの中剣を握って構えてい
る。が、無論のこと、まるでサマになっていない。しかし敵のほうも素人ばかりな
ので、悲鳴を上げながらデタラメに剣を突き出している由綺と初音のほうにうまく
近付けないでいた。
『人質としてなんとか捕らえるか、それともさっさと殺してしまうべきか』
 そうしてボヤボヤしている敵を、理奈は次々と斬り払ってゆく。
(──さすがに、これは結構キツイわね……)
 あっちへ行ったりこっちへ行ったりして、もう何人を斬り倒したのか、覚えてい
ない。体力も限界に近付いてきている。しかし、浩之がこちらへと向かってきてい
ることに彼女は気付いていた。理奈としては、彼が到着するまでなんとか持ちこた
えるしかない。
(……それにしても、土人形はともかく、この男たちいったいなんなのかしら。例
のなんとか男爵の私兵? それにしては素人ばかりだし……。そもそも、人身売買
にこれだけの人数が必要なの……?)
 ふと、敵の人数が少し減ったことに気付く。なんとなく浩之のほうへ視線を送っ
てみると、彼が取り囲まれているのが目に入った。どうやら、何割かが向こうへ流
れていったらしい。浩之がこちらへたどり着くのに、さらに時間がかかりそうだ。
 しかし、理奈たちに群がる敵の数が多少減ったとはいえ、それでも窮地に立たさ
れていることになんら変わりはない。少しずつ少しずつジリジリと後退しながら、
向かってくる者をなんとか撃退してゆく。
(彼の実力なら、多分大丈夫だと思うんだけど……)
 胸騒ぎがした。
 もし、浩之がやられると自分たちは完全に孤立してしまう。そうなると、さすが
に耐えきる自信がない。最悪の場合、自分たちだけでもいったん表通りに退いたほ
うがいいかもしれない。由綺と初音を安全な場所へ逃がして、適度に体力を回復さ
せてから再びここへと戻ってくる。
 そこまで考えて、理奈はその案を切り捨てた。
 確かに自分一人だけになれば、断然闘いやすくなる。しかし、逃がした二人が万
が一捕まってしまったら……? あるいは再びここへと戻ってきたとき、すでに味
方が全滅していたら……?
 理奈は心の中でかぶりを振った。考えすぎだ。
「このアマぁっ!!」
 男の袈裟斬りを身体を振ってかわす。逆手に持った剣で首を刺し、すぐに引き抜
いて離れる。
 ダメだ。
 いつもの、地面を滑るかのようななめらかな足さばきができない。そして、攻撃
も半テンポ遅れている。
 疲労は様々な面に障害をもたらす。動きが鈍るのはもちろん、物事を悪いほうに
考えさせたりしてその結果、さらに動きを鈍くさせる。
(……これって、疲労じゃなくて恐怖だったかしら。……一応、疲労にも当てはま
るわよね……)
 思考力が低下してきているのが自分でも判る。だが、初音の持っていた剣が弾き
飛ばされ、絹を裂くような彼女の悲鳴が耳に飛び込んだとたん、そんなことを考え
ていられる状況ではなくなった。
「初音ッ!」
 叫んですぐに駆け出す。
 壁を背にしたまま座り込んで縮こまっている初音と、その傍らに男が一人。彼は
人質を取る考えを捨てたようだ。振りかぶっていた剣を、迷いなく初音の脳天めが
けて打ち下ろした。
(間に合うッ……!?)
  身体がやたら重く感じる。
 やはり相当に疲れてきていることを実感しながら……それでも、理奈が突き出し
た左の短剣は男の剣の腹を打ち、強引に太刀筋を変えさせることに成功した。すか
さず、右の短剣を疾らせる。
 初音のすぐ隣の空間を男の剣は斬り裂いていったが、結局彼女の身体にはかすり
もせず、石畳にややこもった鈍い音を響かせただけだった。
 男の首に刃が潜り込む音はその金属音に紛れて聞こえなかったが、その男が確か
に絶命したことを理奈の右手は伝えていた。
 初音に返り血を浴びせないよう男の身体の向きを変えて、埋め込んでいた右の短
剣を引き抜く。そして、こちらへ倒れ込まないように男の身体を押しのけようとす
る。
 そのわずかな隙をついて、別の男が一人斬りかかってきた。
「──くっ!」
 右手方向から躍りかかってきた敵に相対するため、そちらに注意と身体を向ける。
そこで、ふと思い出す。ほんの一瞬前、自分が何をしようとしていたのかを。
 だが、遅かった。
 首から噴水のように血を吹き出している男の身体が、理奈にもたれかかってきた。
「あっ──!」
  バランスが崩れる。重い。疲れも手伝ってか、すぐには押しのけられない。そこ
へ、男の初撃。
(──かわせ──ないッ──!)
 だからといって、手をこまねいて見ているわけにはいかない。斜めから飛んでく
る刃を、しかし理奈はギリギリで死体となった男を押しのけることに成功し、なん
とか身をひねって逃れようとする。そして──。
「あぐぅっ!!」
 斬り裂かれた右脚に──正確に言えば右の太腿に灼けるような痛みが走り、それ
はすぐに激痛へと変化すると理奈はたまらず片膝を突いた。


 浩之が視線を転じると、理奈が倒れかかってきた男を押しのけるところが目に入
った。そのすぐそばで、別の男が剣を振り下ろす。
 彼女はそれからなんとか逃れようと、大きく体勢の崩れた身体をひるがえし──
そして脚を斬られた。
「────!」
 理奈との距離はもうそれほど離れていない。いまから全力疾走すれば、あるいは、
彼女にとどめを刺されるのを阻むことができるかもしれない。
 だが、ほんのさっきまで、いままさに駆け出そうとしていた浩之の身体は、凍り
ついてしまったかのようにまるで動こうとしなかった。理奈が斬られた部分を押さ
えてうずくまるまでの一連の光景に、なぜかぼんやりと見入ってしまう。
「──リナさん!」
 ややあって我に返った浩之は、彼女の元へ駆け寄るべく地面を蹴った。背中の方
から大勢向かってくる気配を強く感じる。そして前方にも、まだ結構な数が残って
いた。
(これだけの人数から、オレ一人で護りきることができるのか……?)
 敵は素人ばかりとはいえ、ケガ人ひとり、無力な女性がふたり、底の尽きかけた
体力でどのように立ち回ればいいのだろう。はっきりいって状況は絶望的である。
とはいえ、三人をほったらかして逃げるなんてできるわけがない。
(ったく、まいったぜ……。ただの祭り見物だったのに、まさかこんなことになる
とは……)
 ともかく、こうなった以上、やれるだけやるしかない。
「────?」
 走りながら、浩之はどこかから呪文を唱える低い声が風に乗って流れてくること
に気づいた。
 男の声だ。出所はわからない……し、探しているヒマはない。
 彼は前方に意識を集中した。そこで、もうひとつ気づいたことがある。それは、
理奈たち三人を取り囲んでいた敵が、男たちも土人形たちも一人残らずこちらへ向
かっていることだ。
「──なっ!?」
  座り込んでいる理奈もまた呆然としているのが目に入った。ということは当然、
とどめを刺されたわけではない。彼女のそばには、由綺と初音がいる。もちろん無
事だ。人質を取られたわけでもなければ、特に何かをされた様子もない。
 そして、彼女たちの周りには誰もいなくなった。
(こ、こいつらいったい、なに考えてんだ!?)
 わけがわからない。三人のなかで一番やっかいな理奈を負傷させたいまが、攻撃
を加える絶好のチャンスだというのに。
 だが、とりあえず危機は去ったということなのだろうか。そのかわり、先にも倍
する敵を今度は浩之一人で相手にしなければならなくなった。
「「「うおおおおおお……!!!」」」
 大量の雄叫びと足音が、浩之一人に向かって殺到する。今回は取り囲んで様子を
見るということもしなかった。全員が一斉に襲いかかってきた。
「──くっ!」
 浩之は反撃をあきらめて、かわりによけるほうに専念した。
 一人一人は素人、それが数多く集まってもやはり素人である。とはいえ、普通な
ら圧倒的に不利な状況なのだが、彼は多人数を相手に立ち回る術を心得ていた。
 一番いいのは一対一の状況を作り出すことなのだが、いまからではもう無理だ。
それでも、時間差、連携、波状攻撃など集団戦法を知らない彼らが相手なら、そこ
そこなんとかなる。
 もっとも、てんでんばらばらに攻撃を仕掛けてくるとはいえ、常に全方位に意識
を向けておく必要があるし、襲いかかる敵の攻撃の対処法を瞬時に判断して行動し
なければならないので、精神的にも肉体的にも消耗が激しい。いまの浩之では限界
が訪れるのは時間の問題だった。
(くそっ! 雅史みたいに衝撃波が使えたらっ……!!)
 長年の親友のほうに目を向ける余裕もない。なんとか囲みを突破しようと気ばか
りが焦るが、どこへ向かえばいいのか。そもそも、なぜ理奈たちへの攻撃をやめた
のか。
 ……わからない。必要が無くなったから? 
 ということは、彼らが手を下さなくても、理奈たちは仕留められる?
(そういうことなのか? ……いったいどうやって?)
 じゃっ──!!
「つうっ……!」
 ただでさえ疲れで鈍ってきている思考に捕らわれすぎたか、かわしきれなかった
剣先が浩之の頬を滑った。紅いものが筋を引いて降りてゆくのがわかる。
 好恵の一撃を受けて腫れたところを中心に、どんどんと痛みが広がっていく気が
した。頭のなかがじんじんする。動きもあきらかに鈍くなってきた。
(やっぱ、坂下の一撃がメチャメチャ効いてやがる……ど、どうすりゃいいんだよ、
いったい!?)
 理奈たちのほうには行けない。せっかく敵が離れたのに、自分が行けば彼女たち
もろとも取り囲まれてしまうだろう。しかし、それを言うなら英二のほうにも雅史
たちのほうにも行けない。大勢の敵を連れていくことになり、仲間を窮地に立たせ
てしまうことになる。
(〜〜〜〜っそれでも、いまのオレ一人じゃどうにもならねえっ……リナさんたち
も気になるが、とりあえず雅史たちのところに戻ろう……)
 荒い息のなか、方向転換した浩之は躍りかかってくる敵を次々とかわしながら、
いま来た道を逆にたどっていった。
 しかし、当たり前ではあるが人数はまったく減らないので際限なく敵は襲いかか
ってくる。右に左に後ろにかわしていくことが多くなり、いっこうに前へ進めなく
なった。
(……くっそ、しゃあねえ……!)
 どかあっ!
 渾身の一撃が土人形を吹き飛ばす。
(──後ろっ……!)
 浩之は大きく右へ動いた。すぐに、今度は左から剣が振り下ろされる。それを避
けてから、拳をうならせた。しかし、またすぐに正面から剣が突き出される。
(……っちっくしょう……かわしてるだけじゃ、いっこうに進めねえ。かといって、
かわしたあとに攻撃してりゃ、どうしたって一動作遅れる……!)
 その結果、次の攻撃に対処しにくくなり、よけいに体力を使わされる。
 だが、大勢のなかのたった一人ずつでも減らしていかないことにはいつまで経っ
ても状況は変わらないし、いずれこちらも力尽きてしまうのは目に見えている。
 じゃっ──!
 脚を斬られた。だが、浅い。しかし、浩之の危機感を煽るには十分だった。
(──っこうなったら、もう四の五の言ってられねえ……! どいつもこいつもぶ
ちのめして突破する!!)
 背後からの突きを肩越しに見てかわし、顔面に肘をめり込ませる。今度はすぐに
前へ出て、蹴りを放った。そのあとすかさず、右手にいた男の鳩尾に拳を突き入れ
る。
 さらに浩之は暴れまくった。
「おおおおおっ!!!!」
 味方を次々とのしてゆく浩之の気迫と勢いに男たちはやや気圧された様子も見せ
たが、彼の憔悴した顔を見て気を取り直し、土人形たちに命令を飛ばして一気に襲
いかかってゆく。
「死ねや、ガキィッ!」
「なめんなあ!!」
「──うるっ……せえぇ!!」
 かわす。殴る。かわす。打つ。よける。カスる。蹴る。かわす。殴る。蹴る。避
ける。カスる。カスる。かわす。避ける。殴る。かわす。避ける。カスる。殴る。
蹴る。打つ。打つ。カスる。カスる。カスる。かわす。避ける。殴る。蹴る。……。
・
・
・
・
・
 全身が大量の汗と、異常なまでの熱気で包まれている。
 心臓が狂ったように暴れている。
 意識が朦朧としはじめている。
 腕を持ち上げようにも力が入らない。
 膝が、笑うのをやめない……。
「ハアッッ……!!! ハアッッ……!!! ハアッッ……!!!」
 いったいどれぐらいの時間が流れたのか、浩之は時間感覚が失われたような錯覚
を覚えていた。
 意識をつなぎ止めているのは、周りにまだまだ大勢いる人間と人形たちの存在。
そして、全身を絶え間なく刺激する痛覚の嵐。
 カスったりかわしきれなかった剣撃によって服と肉が斬り裂かれ、浩之の身体は
どこもかしこも大小様々の赤いシミが大量に浮かんでいた。
 いまのところまだ致命傷は受けていないが、少しずつ流れ出る血とともに、命を
形成する重要な何かが漏れ出ていくような気がした。
(こ、こりゃやべえかな……なんだって、こんなにいやがるんだよ、畜生……!)
 何をどう言ったところで状況が良くなるわけもないのだが、すでに限界間近の浩
之としては毒突きたくもなる。あれから雅史たちのほうに少しでも近付けたのか、
それすらもよくわかっていない。
 ぶんっ!!
 重い音を伴って、剣が頭上から振り下ろされる。
「う……くっ……!」
 ビシュッ!!
 避けきれず、斬られる。灼けつくような痛みが左の腕を走る。
 傷は浅い。
 靄(もや)がかかりはじめた頭の片隅でそれを認識しながら、半ば条件反射的に
拳を固める。
  雑巾を絞りに絞ったときに滲み出てくる水とそう変わらない己の力をかき集めて、
浩之は必死の一撃を返した。
「……ぬ……あっ……!!」
 バキィッ!
 ドコオッ!
 ドウッ!!
「ぐぼっ!!」
「がはっ!!」
 反撃した相手は一人だけなのに、複数の打撃音とうめき声。
「ハアッッ……!! ハアッッ……!! ……あ……ん……?」
 どうやら幻聴まで聞こえはじめたらしい。あるいはあまりの疲労のために、耳が
イカレてエコーでもかかったのだろうか。
「がっ!!」
「ぐっ!!」
「ごっ!!」
(…………?)
 苦しげな叫びがいまだに聞こえる。幻聴ではないようだ。遠くからだんだんこち
らへと近づいてきているような……。
(なん……だぁ……?)
 ふと、彼は気づいた。取り囲む敵のことごとくが攻撃を忘れて、自分の背後を見
ていることに。
 そして、次の瞬間──

 ッドオウゥッ!!!!!

 腹の底にまで響いてきそうなほどの、ひときわ強烈な打撃音。
 直後、浩之の右側を後方から凄まじい速度で土人形がすっ飛んでゆき、途中で巻
き込んだ五、六人ごと一直線に敵の群れのなかに飛び込むと、まるでその地点で爆
発でも起こったかのように、ぶつかった者たちを連鎖的に次々と薙ぎ倒した。
「うおわぁっ!!」
「がはっ!!」
「ぐごぅっ!!」
 苦痛の叫びとうめき声が、もうもうと舞い上がる土埃を突き抜けて次から次へと
飛び出てくる。
 さらにもう一度凄まじい衝撃音が聞こえ、今度は浩之の左側を後方から、やはり
何人かを巻き込みながら猛烈なスピードで男が吹っ飛んでいき、取り囲んでいる敵
の群れのなかに勢いよく突っ込むと、見る間にその一角が粉塵を巻き上げながら崩
れてゆく。
「……な……!?」
 激しく息を乱していることも忘れて、浩之は呆然とそのとんでもない光景に見入
っていた。
 いったい何が起こったのか、首を巡らせて後方を確認しようとする……。
「楽しそうね、浩之。私も混ざっていいかしら?」
「…………!」
 この場の雰囲気にはまるでそぐわない、明日の天気を訊ねるかのような気楽な声
は驚くほど近い距離──真後ろから聞こえた。それを耳にした瞬間、浩之は振り返
らせようとしていた頭部を正面に戻した。
 自分と背中合わせに立つ人影。発したのは緊張感の欠片もない言葉と声だったが、
その気配は油断なく張り詰められていることがわかる。
 顔を戻す際、視界の端の端で、つややかな長い濡れ羽色を確かに捕らえていた。
 なによりもその声。
 耳に馴染んだメゾ・ソプラノが、いまこのときほど頼もしく聞こえたことはない。
 誰に背中を預けているのか、誰の背中を預かっているのか顔を見なくてもわかる。
「ハアッッ……!! ハアッッ……!! ハアッッ……!! へっ……たのしそう
……だって……? ぶっそうな……おんなだな……おまえは……」
 渇ききったのどをかすらせて、浩之は途切れ途切れに言葉を絞り出した。あまり
にも激しすぎる呼吸のせいで、自分自身の声ですら聞き取りにくい。
 それにもかかわらず、もはや軽く小突かれただけで倒れてしまいそうなほどなの
に、我知らずじわじわと不敵な笑みが広がってしまう。
 完全に予想外だった応援──それもすこぶる頼りになる強力な助っ人の参上に、
自分の身体が静かに、だが、力強く高ぶっていくのを実感する。
「なによ。大ピンチに駆けつけたってのに、もう少し喜んでくれてもいいじゃない」
 こちらは最初から不敵な笑みを浮かべたまま、綾香は肩越しに浩之をちらりと見
た。言葉と表情とは裏腹に、その眼差しには彼を気遣う色が見て取れる。
「どうせなら……もっとはやく……きてくれよな……」
「そう言われてもね……裏通りで何か起こってることに気付いたのだって、ホント
に偶然だったんだから」
 油断なく身構えながら言葉を交わす。
 そのとき、ここからやや離れたところでざわめきが沸き起こった。そして、息を
詰まらせたような男の叫び声が次々と耳に飛び込んでくる。
「あっちで……だいかつ……やくしてん……のは、あおい……ちゃんか……?」
「そうよ。神岸さんたちのほうに助っ人に行ってもらったわ。佐藤君が来るまで、
なんとか持ちこたえなさいよ」
「はっは……。オレは……まだまだ……げんきだぜ……!」
「……そうね……」
 猫を連想させる切れ長の大きな瞳をかすかに細め、強い心配の色を覗かせてポツ
リとこぼす。
「……信じてるわよ」
 その言葉が聞こえていたのかどうか、浩之は相変わらずの途切れ途切れで訊ねる。
「……ところで……よ……さっきの……すげえのは……ひょっとして……」
「ええ。『発勁』よ」
「そう……か……ついに……かんせい……させたか……」
「まあね。いまの私は、あの頃とはひと味違うわよ」
「……へへっ……そりゃ……たのもしいこって……」
「ふふっ、まかせなさい」
(浩之……できるだけフォローするから……絶対死ぬんじゃないわよ……!)
  綾香が、心の中でよりいっそう強く気を引き締めたとき、正面から敵が躍りかか
ってきた。それにつられるように、右からも左からも襲いかかってくる。
 はじめは突然の乱入者に戸惑っていたようだが、相手が女だと認識するとそのと
たんに勢いを取り戻したようだ。
「殺せえぇっ!!」
「所詮、女だ!!」
 背中合わせのまま、浩之と綾香は静かに戦闘態勢に入った。




*************************************

「まさかとは思ったけど、あんた、ひょっとしなくても藤田?」
「……お、お前、早坂か?」
「そのとおりよ。『絶対! 絶対! 何はなくても〜♪』の早坂好恵たぁ、あたし
のこと……ってなんでやねん!!
  あたしは坂下だぁ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」

ちっくしょおおおおおおおおお!!!!!!
名前、間違えてたああああああ!!!!!!
うぅ、早坂なんてどこから出てきたんだと思ってたら、そうか、芸能人にいたのか
……テレビで何となく覚えてたのかも……くううっ!!
めちゃ、くやしいッス。
投稿までに何回か読み直したのに、まったく違和感を感じなかった……トホホ。
あぁ、NTTT様の坂下ちゃんシリーズを読んだのって、そんな遠い昔のことじゃ
なかったのに、なんで思い出さなかったんだろ……。
なんか、以前にもこんなことが……あ、そうか。
「ふきふき2」を読んでからそれほど時が経ってなかったのに、久々野様のアレを
読んで、「遊星仮面アヤカ」のことが全然わからなかったんだよな……。
……オレの記憶力はニワトリ並みか!?


……それにしても、やれやれ。やっとここまでたどり着いた。
え? 何の話をしてるのかって?(誰も聞いてない)
いや、実はですね。(誰も聞いてないっちゅうに)
LF98をはじめたきっかけは、今回出てきたあのシーン──大勢の敵に取り囲ま
れ、大ピンチの浩之。そこへ、彼の背中側から打撃音とうめき声がだんだんと近づ
いてきて、そして彼と背中合わせに立つ人影……綾香と軽口を交わしながら、こん
な状況だというのに浩之の顔に不敵な笑みが広がってゆく──が、確か7月頃に思
い浮かんだんですよ。
で、「よしゃ、これをSSとして書いてやろ」となって、なんかいろいろシチュエ
ーションや設定を考えてるうちにどういうわけかファンタジーの世界になって、雫
以降の大多数のキャラが登場するようになって……とまあ、こういう風になってし
まったんです。
で、すべてのはじまりのあのシーンを思いついてから、約五ヶ月経ってようやく投
稿することが出来たというわけです。
うーーん、アホだな……オレ……。(苦笑)
おまけに、あのシーン、何度も書き直したんだけど、なんかこう、いまひとつなん
だよな……うーーん。


ああ……。
綾香が発勁を使えるようになってしまった……しかも、かなり嘘っぽい。(笑)
葵の一撃必殺技ともいうべき、崩拳に対抗させたんですが……。
もう好き勝手遊んでますが、どうか見逃してやってください。(笑)
さて、そいじゃ好恵はどうしよかな……うーーん。
あ。綾香(岩男潤子さん?)の声の音域がメゾ・ソプラノかどうかは知りません。
この話では、メゾ・ソプラノということにしておいてください。(いーのか?)