LF98(9) 投稿者: 貸借天
第9話


(よし、今だ。急げ)
 英二の手招きに応じて、由綺たちが足早に駆け寄ってくる。
 最後に、理奈が部屋にすべり込んで静かにドアを閉めた。
「ふう……。ここまでは上手くいったわね」
「ああ」
 英二と理奈の小声のやりとりに、皆一斉に安堵の吐息をつく。
 ふたりの手引きによって地下牢を脱出した由綺たちは、今度はこの建物の外へと出るために駆けずり回ってい
た。
 目指すは裏通りとつながる、あの仕掛け扉である。途中3度ほど見つかりそうになったがやり過ごしたり、道
を変えたりして何とか切り抜け、方向を修正しながらなおも進み続けて、今、英二が誰もいないことを確認した
部屋で一息ついたところである。
「見回りの者がウロついてたり、騒ぎも起きたりしてないところをみると、どうやら俺たちの侵入にはまだ気付
かれてないようだな」
「みたいね。まあ、あのふたりは厳重に隠したし、当分目も覚まさないでしょうから、このまま上手くいくと思
うわよ」
「だといいがな……」
 兄妹の会話を聞いて、初音のあの特徴的な寝癖がピクンと揺らいだ。何となく閃くところがあったので、それ
を口にしてみる。
「ひょっとして、あのふたりっていうのは、頭を丸めた人と、ちょっと太ったおじさんのこと……?」
「あら、知ってるの? 初音」
 理奈が軽く目を見開いて初音を見た。
「う、うん。何度か話したから……」
「そう。この鍵束はそのふたりから手に入れたのよ。それと捕らえた女の子たちをどこにいるのかも聞き出して
ね。で、気絶させて縛り上げて隠してあるんだけど……まさか、あのふたりと知り合いってこと、ないわよね?」
「ううん……今日会ったばかりだよ……」
 首をふる初音は、なにか含みがあるような無いような、あるいはなにか奥歯に物が挟まったような複雑な表情
を垣間見せた。
 純粋すぎるその性格ゆえ、初音はウソをつくのが苦手である。というか、ウソがつけない。方便としてのウソ
も得意ではない。まあ、今までにそれが必要だったことなど、本当に数えるほどしかないが。
 今、理奈に言ったことはもちろんウソではない。あの男たちとは確かに今日会ったばかりである。そして、今
日会ったばかりのあのふたりに、自分が気絶している間に身体をまさぐられたのだ。
 目の前で理緒が、さらに、男の口振りから由綺にも同じことをされたと察していたが、彼女たちにはそのこと
を話してはいない。知って得することでは断じてないし、知る必要もないことだろう。

 ──ううん。それ以上に、言えないよ、あんなこと……。

 今、理奈に言ったことはもちろんウソではない。が、あの時のことを思い出し、初音は一瞬泣き出しそうな、
しかしグッとこらえるかのような、何ともいえない顔をした。
 それを見せたのは本当に瞬間的なものだったのだが、やけに印象深いその一生懸命さが、かえって理奈の注意
をひく。
「──初音、あなた……」
 だが、理奈が何か言う前に由綺が彼女に尋ねてきた。
「ねえ、理奈ちゃん。今でどのくらいなのかな? まだまだ遠いの?」
 そのタイミングの良さに、理奈はふと思うことがあった。

 ──ああ、これはきっと聞いちゃいけないことなのね。初音がなにかつらい思いをして、そのことを由綺も知
ってるのね……。

 だが、もちろん由綺は何も知らないし、今回のことはたまたまである。
 実は、単なる理奈の深読みだったのだが、彼女は初音の心中を慮り、また、由綺の初音に対する心遣いに応え
てそれ以上突っ込むことは控えることにした。
 ──初音の心中はともかく、由綺の心遣いに関しては、あくまでも理奈の勘違いである。
 だが、そのことを知る由もない当人は素早く思考を切り替えて、ドジなだけではない姫君(しつこいようだが
勘違い)の問いに答えるべく、地下牢と現在地と目的地の位置関係を脳裏に描き出した。
「──そうね。遠くはないけど近くもないわね。だいたい半分くらいかしら……」
 あごの先を親指と人さし指で挟み、少し考えてから答える。そして、確認をとるかのように兄を見上げた。
「ああ、そんなもんだろう。あそこまでたどり着くにはもう少しかかるな」
 彼もまた初音の様子に思うところがあったのだが、それらしい素振りはかけらも見せず妹の問いにうなずく。
「どうした? 理緒ちゃん。大丈夫か?」
 変わらぬ表情で英二は、先ほどから胸を両手で押さえて触覚のような前髪を前後に揺らしながら大きく深呼吸
している理緒に声をかけた。ほかの3人もそちらに目を向ける。
「あ、はい、大丈夫です。なんか、こういうことって初めてで、心臓がバクバクしてて……」
「あ、私もそう。ずっとドキドキしっぱなし。見つかるんじゃないかって、もう心配で心配で……」
「私も……。心臓が破裂しちゃうんじゃないかって……」
 由綺と初音も同じように、重ねた両手で胸を押さえて呼吸を整えようとした。3人それぞれの言葉通り、心臓
が早鐘を打つのは単に走ってきたからだけではない。
「う〜ん、まだあと半分あるからなあ。頑張ってくれよ3人とも」
 この男にしては珍しい、表情と一致した励ましの言葉に、3人は緊張をほぐそうとする動作はそのままに「は
い」とうなずいた。
「ねえ、あまり悠長に構えてられないわよ。そろそろ動いた方がいいんじゃない?」
 確かにその通りである。少々のんびりしすぎたようだ。
 彼は妹にひとつうなずくとドアへと向かい、しゃがみ込んで耳を押し当てた。理奈がその隣で、こちらは立っ
たまま瞳を閉じ、ドア向こうの人の気配を探り始める。
「…………」
 無言で視線を交わし、
「3人ともそろそろいいかしら? 行くわよ」
 その言葉を聞いた途端、ようやく落ち着いてきた心臓が再び強く脈打ち始めた。さっきまでの努力は一体何だ
ったんだろうと思うが、どうにもならない。だが、いつまでもここにいるわけにもいかないのだ。
 決意の表情を新たに、由綺も理緒も初音もコクリとうなずいた。
「部屋を出たら右へ。まっすぐ行って最初の角をまた右へ曲がるとその先に階段がある。まずはそこへ来るんだ。
慎重に素早くな。では、行くぞ……!」
 英二は静かにドアを開いて廊下へと飛び出した。
 足音をたてずに走り、曲がり角の一歩手前で壁に背をつけて瞳を閉ざす。音も気配も感じないことを確認する
と、今度は顔を出して実際に目で確かめ、それから後方に合図を送って彼は角を曲がった。それを見た理奈を除
く3人が部屋を飛び出し、出来るだけ足音を殺して駆けてゆく。しんがりの理奈が角を曲がると、階段前に4人
が集まっていた。
 彼女の到着を待って、英二はここで待機するよう指示し、ゆっくりと階段を昇ってゆく。神経を張りつめなが
ら。
「…………」
 同じように左右の廊下の先を確認してから理奈たちの方に振り返り、手招きする。

 ──誰もいないの……?
 ──のようだな。

 女性陣が慎重に階段を上がってくる中、妹と視線だけのやりとりをする。それから彼は、側まで寄ってきた4
人に立てた親指で右へ行くことを告げ、もう1度廊下の先を確認してから角を曲がり、一気に加速した。
 前屈みの低い姿勢で無音の疾走をしばらく続けたあと、適当なドアの横の壁に張りついて部屋の中の気配を探
る。そしてノブをひねり、ゆっくりと押して少しだけドアを開ける。
(誰もいない……な)
 今度は大きく開けて部屋の中をざっと見渡し、待機中の4人に『来い』と合図を送って彼は部屋の中に入った。
 そこは長い間使われていなかったらしく、やけにホコリっぽかった。木製のテーブルを挟み込むように2人掛
けのソファ、部屋の隅には観葉植物用とおぼしき植木鉢、そして壁にはタペストリーがかかっており応接室かと
も思えるが、その割りにはタンスがあるのが奇妙だった。
 適当に見回しながら待っていると、遠くから小さな足音がだんだん近づいてきて、そして由綺が、続いて理緒
が初音が部屋に飛び込んできた。一拍おいて理奈も部屋にすべり込んでくる。出入り口の脇に待機していた英二
はそれを見届けると素早く静かにドアを閉めた。
 そのままドア越しに外の様子をうかがい、それからおもむろに女性陣に振り向いて軽くうなずく。
 由綺が、ほう……とため息をもらした。
 初音は、はああ……と胸をなで下ろす。
 そして理緒は、
「あの……」
 不安そうに理奈に尋ねた。
「どうしたの? 疲れちゃった?」
「いえ……。その、ずいぶん静かだなって思いまして……。なんか人気も全然無いみたいだし……」
 気のせいでしょうか、とためらいがちに口を開く。
「あら。さっきは落ち着かないような感じだったのに結構冷静じゃない」
 理奈は感心したように微笑む。
「私もそう思ってたところよ。兄さんも気付いてたでしょ?」
「ああ、まあな」
 すぐ側まで来ていた英二も首肯する。
「これだけの建物なら、もっと人がいてもよさそうなものだがな」
「もとからそうだったけど、さっきの部屋を出て以来ますます人気が無くなった感じなのよね」
 いぶかしげに眉をひそめる。
「な、なにか……嫌な予感がする……?」
 おびえたような表情で初音。
「するな。思いっきり」
「急ぎましょう」
「あの、ちょっと待って……」
 ドアへと向かった理奈を由綺が呼び止める。
「? 何? 由綺」
「えっとね、今、ふと思ったんだけど……」
 不思議そうに問い返す理奈に、彼女は遠慮がちに切り出した。
「『私は第2王女の由綺だ』って名乗りをあげた方がいいんじゃないかなって……それなら堂々と……」
「ああ、それはやめた方がいいな」
 言葉半ばで英二が割り込んだ。
 由綺が驚いたように見返すと、
「ここの奴隷商人どもは悠凪の……確か男爵と言ってたと思うが、ま、とにかく爵位を持つ誰かとつながってい
るようだ。遠い異国ならいざ知らず、奴隷制が廃止されたこの国やその近隣諸国での人身売買は重罪だ。しかも、
こともあろうに王女を奴隷として売買しようとしたとなると、一体どのような刑に処されることか……。
 さて、そこで問題だ。仮に由綺ちゃんが名乗りをあげたとして、奴隷商人たちと男爵は一体どんな行動に出る
と思う? 素直にお縄をちょうだいすると思うか? 待ってるのは死か、それ以上に重い刑罰だというのに……
?」
「あ……」
 由綺は呆然となった。
「考えられるのはふたつ……。王女拉致の事実を知る私たちを由綺もろとも皆殺しにするか、あるいは由綺の名
乗りを聞かなかったことにして──つまり、由綺をただの町娘とみなして、一晩でクスリ漬けにして何も考えら
れなくさせて、すぐにどこか……例えば奴隷制の認められている国に売り飛ばす……ってところかしら。
 由綺を捕らえたときの目撃者はいないでしょうし、いないことを信じてきっとそういう手段に出るわね。『王
女行方不明』で悠凪は大騒ぎになるでしょうけど、本当に目撃者がいないのなら彼らに嫌疑はかからない……」
 由綺の夜色の瞳をじっと見つめながら、理奈は噛んで含めるように言葉を紡ぐ。
 由綺は瞳を大きく見開かせたままゴクリとのどを鳴らした。
 待っているのは死……。それならばそんな暴挙に出てもおかしくはない。見つかれば極刑に処される昨今、こ
ういう仕事(?)をやっているのだから彼らの手際はかなりいいだろう。そして、さらにリーフ祭である。目撃
者は『いる』よりも『いない』確率のほうが圧倒的に高い。
 暴挙といったが、そうすることが彼らにとって最も有効な手段なのだ。
「要は事実を知る者が誰もいなくなりゃいいのさ。例えいなくなるのが王女様でも、特に問題はないんだろう、
なんか矛盾してるみたいだけどな。
 まずいのは『王女拉致』『人身売買』という事実だ。これさえバレなけりゃ、どうとでもなるんだろうぜ」
「そ、そうですか……」
 自分はまだまだ世間知らずであることを痛感する。
 うなだれた由綺の肩に英二は優しく手を乗せ、
「もし、目撃者がいたとしても奴らに手の打ちようはないからな。だったらいない方に賭けて、今出来る最善の
策をとるというわけだ。奴らにとって今出来る最善の策とは何か? それは『人身売買』という絶対に知られた
くないことを知っている俺たちの抹殺。だが、今ならもし見つかっても相手は油断してくれるだろう。こっちは
5人、うち4人は女だからな。だが、王女がいるとなるとそうもいかなくなる。きっと、がむしゃらに襲いかか
ってくるだろうぜ。もしかしたら王家が動いてるんじゃないか、とか勘違いしてな」
「は、はい」
「あるいは、ハッタリで攻めてみるという手も使えないことはないが……由綺ちゃん、演技は得意かい?」
「い、いえ、駄目です」
 由綺はあわててかぶりを振った。
「まあ、仮に得意だったとしてもかなり危険な賭けだしな。もし、気づかれたら一巻の終わりだ」
「そ、そうですね……」
「それじゃ、行きましょう。だいぶ時間をロスしたわよ。相手が今どういう状況なのかさっぱり分からないけど
急ぐに越したことはないわ」
 理奈がドアを少しだけ開いて外の様子を確かめる。
「…………」
 あたりはしんと静まりかえっていて、何の気配も感じられない。
 なにか、心のどこかにひっかかる気に入らない静寂だったが、誰もいないのならば動かないわけにもいくまい。
 理奈はドアを大きく開けてそっと廊下へと出る。その横に英二が並んだ。

「「────!」」

 ふたりは同時に顔をこわばらせた。そして理奈が3人のほうに顔を向けると、
「気付かれたわ! 急いで脱出するわよ!」
 早口にまくし立てる。
「走って! 早く!」
 静かながら迫力ある声とともに、彼女は地面を蹴った。
「う、うん……!」
 3人はあわてて部屋を出ると、先行する理奈を追いかける。その後を追うように英二が続いた。
「あの、一体何が……」
 走りながら初音が振り返る。
「聞こえたんだよ。奴隷が逃げたっていう声がな」
「え? でも私にはなんにも……」
「君らには聞こえなかったろうな。だが俺と理奈の耳は特別なんでね。今でも聞こえてるぜ、それとすごい数の
足音もな」
 英二の言葉に3人はより遠くの音を拾おうと耳に意識を集中した。その途端……。
「あっ……!」
 大きな音をたてて由綺が転んだ。ほぼ同時に、
「あううっ……!」
 こちらもハデな音をたてて理緒が転ぶ。
 まるで作者が、このふたりがドジであることを今の今まですっかり忘れていたかのような唐突な転び方だった。
「ちょっとふたりとも! 遊んでる場合じゃないわよ!」
「遊んでるわけじゃないよ〜」
「ですぅ〜」
 理奈のあきれ半分焦り半分の言葉に、顔面を強打した由綺と理緒は涙目で抗議の声をあげる。
「いいから、急げ。どんどん近付いてきている」
 英二が由綺を助け起こす。
「うん、今だったら聞こえる……! いっぱい来てるよ……!」
 理緒を助け起こしながら、初音がうなずいた。
 立ち上がったばかりのふたりは思わず耳をすまそうとしたが、
「ほら、走るぞ。今はそのことだけに集中しろ……!」
「は、はいっ……!」
 少し先にいる理奈のほうへ向かって、4人は一気に駆け出した。



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このお話にはふたつの設定があります。
ひとつは「え〜〜〜〜?」という設定。
もうひとつは「うそぉ〜〜〜〜?」という設定です。
なんのこっちゃという感じですが、つまり
「それはちょっと無理があるやろ」という設定なんです。 

で、「え〜〜〜〜?」な設定第一段が緒方兄妹の超視覚、超聴覚なのですが、はっはっは。
歌と舞踊の権威とはいえ、それで目や耳の感覚が鋭くなるというのは「え〜〜〜〜?」な感じがするっしょ?
ちなみに、「うそぉ〜〜〜〜?」な設定第一段は次回登場です。


由綺と理緒がドジであることを忘れていたわけではありません、決して。
でも、いくらこのふたりでも神経を張りつめて注意深く、用心深くなっているときにいきなりコケるということ
はないだろうと思いまして。
たとえば、由綺なんかよくステージ上でつまづくということですが、あれは笑顔を作るとか、観客に手を振ると
かほかのことに気を取られてるからだと思うんです。
と、まあそういうわけで作中のような形になりました。
ほかの皆さんはこのふたりのドジっぷりをどんな風にとらえてるのかなあ。あと、マルチとか。


久々野 彰様
  裏初音:「髪まで染めて……」
    理 奈:「アンタが言うかっ!!」
  
  うはははははははははははっ!!!
  ま、まいりましたぁっ!!!
  うぬぅっ、くやしいっ、これは自分で思いつきたかった!!!
  こんな返し技をさらっとやってくるあたり、さすがッス!!!


はあ……。
こういうシーンだというのに、なんかぜんぜん緊迫感が伝わってこないなあ……。
じゃ、このへんで。