「POWDER SNOW」 投稿者: 田中喜久

「粉雪のようなあなたは汚れなく綺麗で、私もなりたいとユキに願う―――」



 由綺さんが音楽祭で大賞を受賞し、泣きながら藤井さんに飛びつかれたあの日から、
九ヶ月が経とうとしています。
 また、私の大好きな冬がやってきました。
父の知人が経営するこの病院に入院したのが3日前。誰にも(それこそあの緒方さん
にも)気づかれないようにしていた私の病気――確か、血液中の赤血球が減少すると
いう病気でしたが、よくは覚えておりません。よほど混乱していたのでしょう――も、
もはや限界が来ているようです。近頃はあまり眠っておりません。頭痛もひどく、体調
も思わしくないようです。
 二年前に病気が発露した時、院長先生は「体を大事にし、節制すれば治る可能性が
ある」とおっしゃっていましたが、時は既に遅かったのです。
 私は由綺さんに出会っていたのですから。
 私の残り少ない命を懸けてでも、この人と共に生きたかったのですから。


 「森川由綺―――さんですか?」
 緒方プロダクションの社長室。この春からここでマネージャーの仕事をする事にな
った私は、担当の人との顔合わせのためにここに来ていました。
 聞きなれない人物の名を聞いて、少し首をひねった私に、緒方英二さん―――緒方
プロダクションの若きトッププロデューサーにして私の上司―――は、相変わらずの
薄笑いを浮かべながら答えました。
 「そ。由綺ちゃん」
 「新人の方ですか?」
 「うん。高校卒業したばかりだそうだよ。彼女が養成所に通ってる時にたまたま見
てね、かなりいけるんじゃないかって思って、ウチのプロダクションに来てもらった
んだ」
 「……ですが、私には経験がありません。有望な新人の方にはもっと経験豊富なマネ
ージャーがついた方がよろしいのではないですか?」
 「弥生さんなら大丈夫さ。根拠は聞かないでくれよ。僕はフィーリングで物事を考え
るタイプの人間だから」
 「………………」
 就職の最終面接の時に会ってから、幾度となく緒方さんとは会話を交わしていますが
、あいも変わらず掴みづらい人です。私は小さく溜め息をつくと、
 「……わかりました。ところでその森川さんは?」
 「もうすぐ来るはずだけど、ちょっと遅い―――」
 と、同時にドアがノックされます。そして、少し慌てた声。良く通っていて、聞く者
に心地よさを与える声。
 「す、すいません。森川ですけど、遅れてしまいました!」
 「―――ってタイミングいいねぇ。ほーい、入ってちょうだい、森川君」
 ドアが開き、入ってくる人。まだ少し幼さを残した、「可憐」という言葉が似合い
そうな娘。
 「あ、あのっ、すいません!遅れてしまって。あの、電車に乗ったまではよかったん
ですけど、降りたホームで迷子の子を見つけて、ちょっとだけならお母さんを探しても
いいかなって思って………」
 「ああ、別にいいよ。そんなに恐縮しないで。あ、弥生さん、この子が森川由綺君」
 緒方さんは苦笑しながら紹介してくれました。由綺さんは私に気づいて、慌てて頭を
下げながら言います。
 「あ、マネージャーをやってくださる篠塚さんですね。いたらないところばかりだと
思いますけど、どうかよろしくお願いします」
 顔を上げて、にっこりと微笑む由綺さん。屈託のない笑顔。
 思わず私は、その笑顔に見とれていました。
 「あの………どうかしましたか?」
 心配そうに言う由綺さん。私は我に返り、軽く咳をすると答えました。
 「いいえ、失礼しました。私が今日から森川さんのマネージャーをやらせてもらう事
になりました篠塚弥生といいます。私こそ新人ですのでよろしくお願いします」
 頭を下げながら言う私を見て、由綺さんは、慌ててまた頭を下げました。


 運命の出会いというものが本当にあるのならば、確かにそうだったのでしょう。
 それは確かに運命だったのでしょう―――。


 由綺さんとの二人三脚の生活にも慣れた頃。由綺さんは私に尋ねられました。
 「弥生さんって、どうしてマネージャーのお仕事をしようと思ったの?」
 由綺さんは私のことを「弥生さん」と呼ばれます。由綺さんは一人っ子ですから、私
のことを姉のように思えるのだそうです。私も、由綺さんのことは妹のように思ってま
すよ、やけに手のかかる妹ですけどと冗談めかして言ったところ、由綺さんは頬を膨ら
ましてすねられました。
 そんな、たわいもない会話が大切に思えます。
 大事にしたいと、心から思えます。
 「そうですわね。輝く力を持った女性の手助けがしたいのでしょうね、やっぱり」
 「ふ〜ん。でも、それじゃあ私なんかより理奈ちゃんのマネージャーになった方が良
かったかもね。理奈ちゃんの方がずっとずっと輝いてるし」
 「そうは思えませんわ。確かに理奈さんは完璧に近いアイドルですし、ひときわ強い
輝きを持ってらっしゃいます。ですが、それにも負けない力を由綺さんは持ってらっし
ゃる。誰よりも輝く可能性を」
 「そう言ってくれるのは嬉しいけど………」
 「私が保証しますわ。由綺さんはきっと緒方理奈以上の輝きを放つと」
 「………うん、私には私の良さがよく分からないけど、弥生さんや緒方さんや、応援
してくれる人のためにも、頑張らなくちゃだめだよね。ありがとう、弥生さん」
 そう言って由綺さんはにっこりと笑いました。
 それが由綺さんの持つ「ひたむきな心」という暖かみ。
 私がどこかで見失い、憧れている心。


 由綺さんと世間話をすると、必ず出てくる言葉。
 「藤井冬弥」。
 由綺さんの彼氏。高校時代からの付き合いで、現在由綺さんと同じ大学に通っている
同級生。たまにADのアルバイトでTV局にいらっしゃるそうです。
 楽しそうに彼の事を話す由綺さん。私の心に少しづつ浮かんでくるもの。
 嫉妬。
 恋心。
 身が切られるように苦しい。痛い。
 私が、こんなにも人を恋しく思えるなんて信じられません。


 そして、二年目の冬。
 藤井さんの中に由綺さんと同じものを感じ、それを忘れることにした冬の終わり。
 忘れようとして、できなくて、思い出に閉じ込めた4ヶ月。
 由綺さんに対する愛情を確かめられた契約。
 藤井さんには本当に感謝しています。


 楽しかった日々。
 苦しかった日々。


 ――――――そして、今。


 夕日で赤さを帯びた窓の外は、冬の様相を呈しています。ぼんやりと葉が落ちかけた
木を見ていますと、ドアがノックされました。
 「………はい」
 ドアが開いて、誰かが病室に来られました。
 その人は、私がこの世で一番愛している人。
 「や、弥生さん!その、3日も休むなんて珍しいから、緒方さんに聞いたら、に、
入院したって、だから私、急いで仕事………」
 「そんなにあせらないで。ゆっくりと話してください、由綺さん」
 「あ………ご、ごめんなさい。でも、私びっくりして………」
 そんな由綺さんの優しさが嬉しい。そして、悲しい。
 「気にしなくても大丈夫です。ただの過労だそうですから、すぐに元気になりますわ
。ご心配をおかけしてすいません」
 「ホント?よかった〜。弥生さん働き過ぎだから、気をつけなくちゃだめだよ」
 「………ええ、気をつけますわ」
 近頃ひどくなっていた頭痛も、不思議に収まっているようで、小一時間ほどたわいも
ない世間話が続きました。それは私にとって最後の至福の時―――。
 時計を見ると、午後五時を示しています。幾度となく口に出した言葉ですが、もう
永遠に言いたくない言葉を、私は口にする事にしました。
 身を引き裂かれるような苦しみを表に出す事なく。
 「そろそろ次の仕事の時間ではないですか?」
 「もう、弥生さんったらこんな時にも仕事の事忘れないんだから」
 「私はあなたのマネージャーですからね」
 二人で顔を見合わせて笑いあいます。楽しい。悲しい。
 私は、サイドテーブルの引き出しから取り出した一枚のレポート用紙を、由綺さんに
渡しました。
 「由綺さん………これを」
 「何?この紙………『POWDER SNOW』って、歌の詞?」
 「緒方さんに頼まれていたものですわ。マネージャーに詞を書かせるなんてあの人
らしい」
 「じゃあ、新曲って弥生さんの作詞だったの!?嬉しい!」
 「緒方さんに渡してください。………あの人との約束ですから」
 マネージャーとしてでなく、「篠塚弥生」個人のワガママをあの人は許してくれた。
 それはきっと、憐憫ではなく憧れだったのでしょう。あの人にはここまで愛する事が
出来ないのだから。
 「うん!歌が出来たら真っ先に弥生さんに聞かせるね。だから早く良くなって」
 「わかりました。あと二三日もしたら退院できると思いますので、聞くのを楽しみに
してますわ」
 「それじゃあね。お大事に、弥生さん」
 「お仕事頑張ってくださいね、由綺さん」
 ドアが閉まりました。
 同時に、こらえていた涙が溢れます。それでも必死に笑顔を崩さず。
 「……嘘……ですけどね………」

 忘れません。きっと死の瞬間まで忘れません。
 あなたがくれた温もり、あなたがくれた優しさ、あなたがふざけながらしてくれた
頬へのキス、私のポケットの中で繋いだ手、あなたと過ごした時間、あなたと作った
思い出、あなたに抱いた感情、そしてそれらをすべて包んでくれた、あの降り積もる
白い雪………………。
 あなたのすべてを、私はきっと忘れません。


 「ずっと、あなたを愛しています………」

 FIN


 どうも、田中喜久といいます。普段は談話室で弥生さんへの愛を語っています(爆)。
今回、談話室の方であったマイベストエンディング投票の妄想編で書いたものに、
ちょっと手直しをしてアップしてみました。「POWDER SNOW」を弥生さんが作詞した
という設定でのお話です。
 自分の文章に酔ってる節があるのはご勘弁を。弥生さんへの愛ゆえです(爆)。
(「殺してしまっては愛も何もないだろ」という非常に厳しい突っ込みはなしね。)

 このSSで、弥生さんが好きになってくれたら嬉しいですね。
 田中喜久でした。