・結末の果てに―優しさの結末_第二章―第二十話・雨月山の鬼達(中編)・ 投稿者:雪乃智波 投稿日:3月11日(土)18時37分
 夕陽はあっという間に山の稜線に顔を隠そうとしていた。移ろい行く雲の速
さは変わらないが、この季節になると少しずつ陽の沈む速さが短くなってきて
いるような気さえする。しかし、その赤はどの季節とも違う色合いを見せる。
どの季節より美しいといえるだろう。どの季節の夕焼けもどの季節よりも美し
いものなのだとは言え…。
 夕陽の沈む音が聞こえる。それは無音の楽曲だ。
 喧燥という名の伴奏と共に流れる即興曲。
 いつもなら全てをぶち壊しにしかねないヘリの音でさえも、今日は迫力に満
ちた伴奏であるかのようであった。
 やがて陽が山に隠れ、空の色がゆっくりと蒼色に染まり始める。
 白と青のヘリコプターはゆっくりと雨月山の山腹にその羽を降ろし始めた。
「お気を付けてっ!」
 出口の縁に足をかけた柳川に、若いパイロットは声をかけた。
「…君もな」
 ぶっきらぼうにそう叫ぶと柳川はヘリから足を下ろす。
 夕月もそのすぐ後に続いた。
 二人を地面に残し、ヘリはゆっくりと舞い上がり始める。
 やがて、ヘリが見えなくなる頃には二人もその場所から消えていた。

 そして隆山に夜が訪れる。


・結末の果てに―優しさの結末_第二章―第二十話・
・雨月山の鬼達(中編)・

 不意、つまり思いがけない事。
 それに遭遇した時に人間の反応は意外に限定されている。
 考えるか、行動するか、それとも惚けるか、である。
「えーっと、あのぉ」
 今回、惚ける派のリーダー格であった日吉かおりは、リーダーらしく惚ける
事しかできなかった。それもそうだ。憧れの先輩の家に来てみれば、見知らぬ
二人が痴話げんか−−少なくともかおりにはそう思えた−−をしていて、男の
方が家を飛び出そうとしていた。彼女の憧れの先輩の家から。
 かおりは何度もこの家に来ていたから、知らない家族がいるわけが無い。と、
するとこれはどういうことだろう? 従兄弟とかが遊びに来ているというシチュ
エイションなのだろうか? それにしては柏木さん家の人とは毛色が違うよう
な気がする。それに家族が旅行に出かけている時に家にいるというのも不自然
だ。
「えっと、どちら様?」
 客人の台詞ではなかっただろう。しかしかおりはそう尋ねずにはいられなかっ
た。
 すると男のほうがかおりの肩を掴んで、ぐいと脇にどけると、自分はさっさ
と家を出ていってしまった。
 一言も喋らずに…。
「和弥、待って!」
 とは言ったものの、綾香も始めて会った人を放って和弥を追いかけて良いも
のか判断が付かない。かくして二人は玄関先で見詰め合う事となってしまった。
「−−綾香お嬢様、和弥様は?」
 慌てて追いかけてきたのだろう。しかしまだ顔の赤いセリオは、玄関先に見
知らぬ客人がいる事に気付くと、メイドロボとしての義務を思い出す。
「いらっしゃいませ」
 ぺこり、と、頭を下げる。
 するとつられたようにかおりも、
「あ、はい、お邪魔します」
 と、頭を下げた。
 その間も、どうすれば良いのか迷っていた綾香は、はっとした表情を見せる
と、ささっと自分の靴を履いた。
「セリオ、後よろしく!」
 そしてそう言い残すと、自分もさっさとかおりの横を摺り抜けて、走り出し
た。ばたばたと綾香の足音が小さくなっていくと、二人はやっぱり困ってしま
う。
「−−えっと」
「あ、かおりです。日吉かおり。始めまして」
「日吉様ですね。私、来栖川綾香様付きのメイドロボでHMX−13セリオと
申します。面倒でしたらセリオとお呼び下さいませ。柏木千鶴様にお通ししま
すので、申し訳ありませんが少々お待ち下さいませ」
 ぺこり。
 と、色々言われて頭を下げられれば、かおりもただただ、はいと肯く事しか
できなかった。

     ☆★☆

「和弥!?」
 住宅街を疾走する綾香に、和弥の背はすぐに見つかった。
「和弥! 待ってよ!」
 やっとの思いで追いついて、そのすぐ後ろで息をつく。
 いくら彼女でも体力配分を忘れて全力疾走すればすぐに息は切れる。
「ねえ、納得できないよ。ちゃんと話をして、ね?」
 息が整うのも待てずに綾香は問うた。
「…………」
 しかし和弥は応えない。
 立ち止まりはしたものの、大通りの交差点から、街を眺めたまま、じっと立
ち尽くしている。
 夕焼けは終わろうとしていた。
「……綾香」
 綾香は最初、自分の耳を疑った。和弥に呼び捨てにされたのだと気付くのに、
少しの時間がかかった。
「僕はもう無関係だよ。君とも、この事件ともなんの関わりも無いんだ」
「そんな事無い!」
「……君らしくないよ」
 綾香は怯んだ。そして自分の服の胸の辺りをぎゅっと掴んだ。
「分かってるわよ! 私らしくないなんて事は分かってる!」
 とても悔しい事に、涙が出てきた。
「でも、仕方ないじゃない! 和弥が好きなんだから!」
 なんで泣きながらこんな告白してるんだろう。
 そんな笑いたくなるような疑問が、綾香の脳裏を横切った。
「行かないで、お願い。私を置いて行かないでよ…」
 しゃくりあげながら、綾香は言葉を紡いだ。まるで喋らなければ和弥を繋げ
ないかのように。
 しゃくりあげながら、しかし、決して自分にしがみ付いてはこない綾香に、
和弥はどうすればいいか分からずに、額に手を当てた。
「……ごめん」
 振り返る。
 ここで綾香を抱きしめて慰めれば、どれだけ楽なんだろう? そしてどれだ
けそうしたいだろう?
 そんな想いを振り払いながら、和弥は続ける。
「違うんだ。綾香。僕の言いたい事はそんな事じゃなくて」
 そして一度大通りに目を通す。
「こんな時間なのに、誰もいない。車一台走ってないんだよ」
「……!」
 綾香の涙が、ぴたりと止まった。
 混乱して、熱くなっていた頭も体も、まるで冷水を浴びせられたかのように
冷え切ってしまう。
「良く分からない。けれど話は大きくなりすぎてしまった。僕の出る幕は終わっ
たんだ。そういう事なんだよ」
「……私が求めてるのに?」
「それについては、ごめん、そうとしか言い様が無い」
「謝らないで」
 両目を服の袖でごしごしとこすると、綾香は真剣な顔を作った。
「でも、本当に私たちには和弥が必要なの。それでも一緒には来てくれないの?」
「……行けない」
「分かった。無理には言えないもの。ごめんね。縛り付けちゃったんだよね」
 いいや、というように和弥が首を横に振った。
「ばいばい、和弥」
 綾香は和弥に背を向けると、柏木邸に向けて歩き出した。
「ああ、綾香、ありがとう」
 振り返ってやるもんか。
 戻ってこない限り、金輪際私の顔を見せてやるもんか。
 ホントに、もう、二度と……?
 綾香の歩調が緩まった。
 二度と会えないのかな?
 歩みが止まる。
 ゆっくりと綾香は振り返る。
 夕焼けの消えていく街、誰もいない大通り、ゆっくりと蒼に染まっていく街
に、和弥の姿は、もう、無かった…。
 あっという間に綾香の両目に涙が浮かび、それは止まる事を知らないかのよ
うに流れ出す。
 綾香の頬を伝い、彼女の服に染みを作る。
「う、うう、……う、ひっく、ひっく…」
 まるで子供のようにしゃくりあげながらも綾香は歩き出す。
 ゆっくりと、ゆっくりと、帰らなくてはいけない場所へと。

     ☆★☆

 夜の闇は徐々にその濃さを増していく…。

     ☆★☆

「ホントに酷い有り様なんだけど、そこに座って」
 千鶴はそう言って、居間にかおりを案内した。唯一そこだけが片づけが終わっ
ていたのだ。
「今、お茶を煎れてくるわね」
「−−それなら私が致します」
 と、立ち上がりかけた千鶴をセリオが制した。
「そう、セリオさん、よろしくね」
 千鶴はかおりの向かいに座り直す。
「で、来てもらって本当に悪いんですけど、梓はまだ帰ってきてないのよ」
「はい。分かってます。先ほどお電話した時もそう聞きましたし」
「じゃあ、どうなさったの?」
「梓先輩、帰って来てないんじゃなくて、帰って来れないんじゃないんですか?」
「え?」
「梓先輩、死んじゃったんですよね?」
「かおりさん?」
「なんでか私分かったんです。梓先輩が死んだ時、ぎゅっと胸が痛くなって。
えへへ、これって愛の力かな?」
 かおりは笑っていたが、それが十分に涙を流した後だからだという事が、千
鶴には嫌というほど良く分かった。
「だから私、ちゃんと聞きたかったんです。電話越しじゃなくて、ちゃんと」
「そう……」
 そう、か。この娘からは鬼の力を感じる。おそらくどこかで鬼の血を引いて
いるのだろう。それで梓の最後を感じ取ったのだ。千鶴自身感じられなかった
ような、それを…。
「……そうよ。梓は死んだわ」

     ☆★☆

「そう、か。そうだったのか」
 耕一は思わず苦笑せずにはいられなかった。
 場所は生ゴミ処理施設の最深部、変な言い方にはなるが、最深部である。
 耕一のすぐ横の壁には生ごみ処理施設のプレートがかけられていて、その生
ゴミ処理の部分がナイフか何かで傷だらけにされていた。
「隆山『施設』」
 それは施設というよりは秘密のアジトという雰囲気だった。電気が消えてい
たというのも原因かもしれない。ただ、どこまでも白い壁と、窓の一つも無い
作りはやはりここが『施設』であることを示していた。
 つまり、不快だと言う事でもある。もっとも場所が地下であるので、致し方
ないのかもしれない。
 とにかく、夕月の情報が正しければ、ここの何処かにヨークを呼んでいる何
かがあるはずである。
 それを見つけ出して破壊さえすれば時間が稼げるのだ。
 時間を稼げるだけ…。
 だからと言ってやらないわけにはいかない。
 耕一は一気に鬼の力を解放する。
 溢れ出した力が空間に吹き出して、耕一の周囲の壁が歪む。
「片っ端からぶっ壊してやる」
 そう宣言すると、耕一はすぐ横の壁に腕を叩きつける。腕がまとった衝撃波
が、その壁を打ち抜いて、そのまま室内をぐちゃぐちゃにする。
「まず一つ」

     ☆★☆

「あれ?」
 立川はふと前を歩く見覚えのある背中に気が付いた。
「綾香さん?」
「その声、立川さんね」
 何処となく鼻を啜りながら、綾香は振り返らずに答えた。
「……泣いて?」
「悪かったわね。泣いてて」
「何があったか聞いて良いですか?」
 遠慮がちに立川は尋ねた。泣いている女性を前に他にどのような尋ね方があ
るというだろう?
「……和弥が行っちゃったのよ」
「行った?」
「そう、出ていっちゃった。真奈美さんが死んで、戦う理由が無くなったって」
「……そうですか、彼にも一理ありますね」
「分かってるわよ。分かってるけどっ!」
「もしこれ以上戦うのが辛かったら、止めても良いんです。誰も責めませんよ」
 立川は本当に思う通りに言ったつもりだった。本当に綾香は十分にやってき
た。高校生の少女には重過ぎる荷だったのだ。それを今から投げ出したところ
で誰に責められるだろう。
 そしてそれは綾香自身分かっている事でもあった。いかに綾香が来栖川綾香
であろうと、綾香は綾香なのだ。普通の高校生で、恋もすれば、泣きたい時だっ
てあるだろう。ただ、状況がそれを赦さなかったというだけで…。
 それでも綾香は振り返った。
「絶対にやーよっ!」
 立川は自分がどんな表情を取ればいいのか、一瞬分からなかった。綾香の瞳
は揺れていた。絶対に揺るがない決心を心に秘めながら、それでも瞳は揺れて
いた。
「なら、そうするしかありませんね。綾香さん自身が言われたように、まず最
初の決着をつけに行きましょう」
 立川は自分の目じりが熱くなっていることに、気づかれぬよう、顔を背けな
がらそう言った。

     ☆★☆

「梓先輩がいなくなったって分かったとき、私、すごい不安になって、それで
もやっぱり私の気の所為で梓先輩は帰ってくるに違いないなんて思っちゃった
りもして、それで、私、町を探し回ったんです」
 かおりはまるで普通に人を探し回るような言い方をしたが、時期はおりしも
鬼の事件が続発していた時期のはずである。千鶴は梓のことをこれほどまでに
案じてくれている後輩がいることを知って、胸が熱くなった。そして、その梓
を守りきれなかったことを悔やんだ。
「でも、やっぱり梓先輩はいなかった。どこにも、いるわけは無かったんです。
お姉さん、梓先輩になにがあったのか教えてください。私、知りたいんです!」
 まっすぐに見つめてくるかおりの真剣な目に、千鶴はどう応えたらいいのか
迷い、やがて嘘を言うことを無意味さに気が付いた。
「そう…、本当のことを言うわ。梓は……」

     ☆★☆

 その部屋は最初、他のどの部屋とも違いが無いように思えた。だから、耕一
はこれまでと同じように、その部屋を破壊しようとした。
――ちょっと待て、何か変だ。
 その声はいつも唐突に聞こえてくる。耕一の中にいる、もう一人の人格とで
も言えばいいのか? 耕一自身でありながら、決して相容れざるもの、耕一の
力の源であるエルクゥを司るもの。
「なんだよ?」
 ――雨月山はもともと山ではなかった。あの辺は丘陵地帯で、山と言っても
せいぜい小山が精一杯だったんだ。
「それがなにか関係あるのか?」
 ――それがある日、山が生まれていた。後に雨月山と呼ばれるようになる山
だが、結局はその山、それ自身が鬼どもの住処だったのかもしれないな…。
「それで?」
 ――何故この部屋にある装置はすべて雨月山の監視のみに当てられている?
「それはヨークが…」
 ――星渡ル獣ノ船は死んだのではなかったのか? それならば何故これらの
装置は動きつづけている?
「ま、まさか? ヨークは…」
 ――表に出ろ、耕一。我が聞き取ってくれる。どれほど息を潜めても、その
場所からは動けまい。我がその呼吸、聞き取ってくれる。

     ☆★☆

「……と、言うわけだったのよ…」
 話し終わってから、千鶴は自らが事の複雑さを整理しきれていなかったこと
を知った。
 梓は施設に殺された。敵は施設だった。しかし今、施設は自らの研究対象で
あった鬼、エルクゥによって壊滅され、今や迫り来るヨークとそれに乗ったエ
ルクゥ達が目下の敵となっている。日本国内、もしかすれば地球上で現在暴れ
ている鬼達はやがてそれぞれの国の軍隊などによって駆逐される運命だろう。
単体で動いている限り鬼は大した脅威ではない。せいぜい町に放たれた猛獣に
過ぎないのだ。
 ヨークの襲来を知るものたちは、それに対抗しなくてはならない。しかし、
それを知っていた組織は壊滅し、残りの者たち―つまり千鶴たち―は日本国内
においては鬼を先導したものとして追われる運命にある。
 正直なところ、本当のことを言っても信じてもらえないに違いない。目の前
にある鬼の脅威は見えても、宇宙から来襲するエイリアンなど信じられないの
が人の常だ。
 そうやって考えていくと、今、自分達のしていることは無意味に思えた。

 ――でも、準備する時間ができるじゃない。

 そう言った、言い切れた真奈美の勇気が羨ましく思えた。しかし、その真奈
美はもういない。
「その、悪い人たちはどうなったんですか?」
「さあ…、多くの人が亡くなったのは間違いないでしょうけど、生き残ってる
人もいるに違いないでしょうね。もっとも、もう施設は組織としての統率力を
失ってるわ」
「でも、お姉さん達はまだ戦ってるんですよね?」
「そう、なるわね…」
「梓先輩がいたら戦ってますよね?」
「そうね…」
 そう呟いて、千鶴はこの場所に梓がいればどれだけ心強いかと思った。
 梓ならさっさと施設を叩いて、ヨークどもを止めちまえばいいなどと言うに
違いないのだ。そして初音がいればその暗い雰囲気もどこか明るくなるに違い
ない。
 そして楓には本当に可哀相なことをしたと千鶴は思った。そして楓がいれば
何もかもを相談していただろう。もしかすれば只一人、心の底から相談できた
かもしれないのだ。
「じゃあ、私も戦いますっ!」
「……え?」
 拳を固めて高らかに宣言するかおりに千鶴は一瞬呆けさせられてしまった。
「私にだってできることがあるはずです。なんだって言いつけてください。絶
対にお手伝いしますからっ!」
「でも……」
 千鶴は一瞬言いよどみ…
「じゃあ、お願いするわ。じゃあ、まず何か食べるものを作りましょう。もう
すぐ耕一さんたちが食べるものを買ってきてくれるはずだから」
 この期に及んで、天然振りを発揮していた。

     ☆★☆

 ――耕一、どうやら我もずいぶんと鈍感になっていたようだ。
 隆山は闇に包まれつつあった。
 ――鬼どもの気配に紛れていたとは言え、これほどまでにはっきりとしてい
る信号を感じ取り損ねていたとは…気が滅入る。
「ヨークか」
 ――どうする? おそらくヨークの元には多くの鬼どもも終結しているに違
いない。リズエルや他の仲間を連れて戦えるのか?
「一人で行って勝てるのか?」
 次郎衛門は応えなかった。
「柳川が居れば…」
 ――しかし、彼奴は一瞬足りとも貴様に好意的な感情を抱いてはいなかった
ぞ。
「そりゃそうさ。一度は致命傷を負わせたんだから」
 ――それは彼奴の鬼の血の成せる業であったのだろう? それならば感謝こ
そすれ…。
「戻ろう。とにかくヨークが生きていることを知らせなきゃいけない」
 ――ちょっと待て耕一。
「なんだよ?」
 ――気が付かないのか?

 次郎衛門の意識に引っ張られるように耕一は空を見た…。

「これはっ!」
 耕一と千鶴が違う場所に居ながらにして同時に声を上げた。
「ヨークだっ!」

 その光を最初に捉えたのは、星を見るのが好きな、ただの素人だった。
 望遠鏡に現れた大きな光は、最初、彼に超新星の発見を予感させ、続いて、
それが尾を引いている事に気付き、自分が大型の新彗星を発見したのだと思わ
せた。
 正確に五秒後、彼は自分の勘違いを知る…。
 現れた光が月にかぶり、そしてそれが月よりも手前にあったからだ。
 光は徐々に弱くなり、彼は自分の発見が消えてしまう事を恐れたが、その心
配はなかった。光が止み、その後からは無数のクラゲが現れた。
 クラゲ。
 そう呼ぶのが一番相応しいように思えた。
 大きさは月の肉眼で確認できるうち、小さなクレーターに匹敵する。
 クラゲのような傘を持ち、その下には無数の触手が存在する。色は水に濡れ
た土色。軟体であるようで、金属であるようにも見えた…。
 それはクラゲと同じように、傘を伸縮させ、前に進んだ。
 その度に、クラゲの体が揺れ、それが軟体である事を示していた。
 触手の端がきらきらと光っているのは、海の生物がときおり、餌を得るため
に光を放つのと同じなのかもしれない。
 ともかく、それは生物であった。
 大気圏外。
 つまり宇宙に存在する生き物。
 そんなものが存在するわけはなかった。
 しかし、それはそこにいる。
 驚きの余り、望遠鏡をずらしてしまった彼は、ずれたはずの望遠鏡にすら、
そのクラゲを見た。
 飛び上がった彼の肘に当たり、望遠鏡が倒れ、割れた。
 彼は言葉を失ったまま、星空を見上げる。
 満点の星空。
 都会でそれが観れなくなってどれほど経っただろうか?

 その日、世界中の都市で、満点の星空が観測された…。

 −−−続く。

http://www.geocities.co.jp/Milkyway/5440/