・結末の果てに―優しさの結末_第二章―第十八話・星渡ル獣呼ブ声・ 投稿者: 智波
 貴方は戦場で砲弾の飛んでくる音を聞いた事があるだろうか?

 音速を超えるライフルの弾丸とは違い、戦車の砲弾や、迫撃砲などは大きな
弧を描いて目標へと到達する。その速度は発射直後ならともかく、多少の距離
を隔てれば音速を超える事はない。よって、特に戦車の主砲による『最初の衝
撃』は、二種に分ける事ができる。
 一つは至近距離からの、衝撃波をも伴う運動エネルギーの衝突による衝撃。
 そしてもう一つは低速で着弾した砲弾が爆発するその衝撃である。

 では話を戻そう。

 主に砲弾の音が聞けると言う事は、つまりそれが遠距離からの砲撃である事
を意味する。
 最初の衝撃。
 この場合は綾香たちの乗ったクルーザーの後部に着弾した砲弾が爆発した事
を示す。

 そして最初の衝撃が訪れた。


・結末の果てに―優しさの結末_第二章―第十八話・
・星渡ル獣呼ブ声・

 背中から押し寄せたその怒涛の波は、まるで突如波に飲まれたような、そん
な錯覚を巻き起こすものだった。
 上下左右から力の奔流にもみくちゃにされながら、和弥が咄嗟に考えた事は
腕の中の綾香を守らなければならないと言う事だった。
 鼓膜にぶつかってくる空気の固まりに耐えながら、ただ綾香を強く抱く。
 もう、どちらが上でどちらが下かも分からない。
 自分が床に立っているのか、倒れているのかも分からなかった。
 ただ一つ認識できたもの…。

 痛み。

 おそらく衝撃に吹き飛ばされたのであろう扉が、確か背中をかすめるのを和
弥はどこかで知覚していた。扉はかすっただけだと思っていたが、どうやら深
く背中をえぐっていたらしい。
 本能がそれを致命傷ではないと伝えていたが、だからと言って放っておいて
良いものでもないだろう。
 それだけではない。細かいガラス片なども刺さっている。痛みを通り越した
不快感の他に、無数の痛みを感じるのはそれに違いない。
 鼓膜の奥に細いガラスの管を突っ込まれ、掻き回されるような不快感。
 それが三半規管の悲鳴である事に気付いた瞬間、和弥と綾香は海面に叩き付
けられていた。
 想像した波に飲まれるイメージが突如として現実化する。
 おそらく爆発に飲み込まれ、宙を舞っていたのだろう。その間に酷使された
三半規管は海面の方向を伝える事が出来ずにいた。

 混乱(パニック)。

 もがけばもがくほど、深く沈み、体力を消耗する。
 理屈は陸で言えば良い。現実は違う。恐怖と混乱で思考は加熱と言うよりは、
爆発している。しかも運が悪い事に鬼の力を解放していた和弥の体重は数百キ
ロ。爆発の中で二人を助けたそれが、今は命取りになろうとしていた。
 和弥の腕の中で、綾香は海面を求め必死にもがくが、和弥がそれを離さない。
離せば綾香が死にかねない。
 和弥はそれだけを思っていた。
 沈む、沈んでいく。

 死ぬのかな?

 そんなことを思いながら和弥の記憶は途切れる…。


   ☆★☆★☆

 最初の衝撃のその瞬間、運良く耕一、千鶴、柳川、夕月の四人はクルーザー
舳先の甲板にいた。
 衝撃の瞬間に起こった事を、耕一は良く思い出せない。いや、完全に覚えて
いる。何が起こったかは詳細に覚えていたが、だがしかし覚えてはいなかった。
 耕一が砲弾に気付いたのは、四人の中では一番早かった。
 しかし命中するとは思わなかった。
 陸からはそこそこ離れていたし、いきなり狙ってくるとは思わなかった。
 威嚇射撃だと思っていたのだ。
 そう、威嚇射撃だと思っていた。

   な    それは咄嗟の判断だった。
   ら    直撃する、そう理解した瞬間、体が感じ取ったその情報を脳
   ど   が処理している最中に、爆発が起こった。
   う    耕一の行動は実に機敏だったと言える。
   し    次の瞬間には千鶴をその腕に抱え、舳先の手すりに掴まって
   て   いることができたのだから…。
   お    爆発の衝撃は、船の後部を根こそぎ奪い去り、残りの半分を
   前   も大きく揺さ振った。
   は    それはまさしく船が跳ねた、と表現するに相応しい…。
   リ    最初、舳先が天に向けて大きく跳ね上がったかと思うと、次
   ズ   思いっきり海面に叩き付けられる。どうやら跳ね上がったのは
   エ   舳先だけではなく、クルーザーの前部、その全てだったらしい。
   ル    舳先が大きく、それも海の中にまで沈み、耕一と千鶴は息が
   を   できなくなる。だがしかしそれも一瞬の事で、次はまた上に跳
   抱   ね上げられる。
   え    二人にできた事は、必死に手すりに掴まる事だけだった。
   、    いかにエルクゥと言えど、砲弾の前には成す術が無い。
   身    数度、跳ねたり沈んだりした。
   を    それはわずか数回だったような気もするし、何百回もそうだっ
   守   た気もする。
   る
   事    実際は二回だった。
   が
   で    堅く閉じていた瞳をようやく開けた時、クルーザーは失われ
   き   後部から徐々に沈もうとしていた。
   た   「まるでタイタニックだ」
   の    最初の恐怖を乗り切ったからだろうか? 余裕が最近観た映
   だ   画を思い出させる。
   ?    海に対し、角度を増す甲板の上で、耕一は柳川と夕月の姿が
       無い事に気付く。
 最初の衝撃で振り落とされたのだろうか? 耕一自身自分と千鶴を守るので
精一杯だった。それすら奇跡としか思えなかった。
 柳川はともかく夕月のほうは絶望的かもしれない…。
 真冬ではないが、秋の海は冷たく重い…。
「千鶴さん、大丈夫?」
 手すりに掴まったまま、びしょぬれの千鶴が、少し震えながら肯いた。
「やがて沈む。そうしたら、とにかく掴まるものを探そう」
 傾斜を増した甲板から、物が転がって、海に転落していく。
 もしこの船がタイタニックほどの豪華客船なら、映画のように手すりの外側
に移動するのが良いかもしれない。しかしこれは小さなクルーザーだ。全ては
タイタニックと比べるとあまりにも早く進行する。
 緩やかだった角度はあっという間に垂直になり、わずかの間にクルーザーは
海に飲み込まれる。
 体が海に落ちた瞬間、耕一は水の重さを実感した。
 腕の中の千鶴を離す。とりあえず二人一緒では泳ぎづらいだけだ。
 幸いな事に砲弾に吹っ飛ばされたクルーザーの破片が辺りを漂っていて、二
人は比較的大きい破片を選んで、それに掴まった。
「…みんなは?」
 息を切らしながら、千鶴が尋ねる。
「分からない…」
 海を漂いながら周囲を見回しても誰の姿も見えない。
「でもきっと大丈夫。とにかくどうするか考えよう」
 耕一がそう言った時、海に波紋を作りつつ、爆音を振りまいた一機のヘリが
二人に近づいてきていた…。


   ☆★☆★☆

 隆山は観光地であり、湯治場であり、避暑地でもある。
 春に桜、夏には高原と海、秋には紅葉、冬には雪…。日本でも有数の四季を
感じ取れる土地だと、観光のパンフレットには書いてある。
 そして季節を問わず観光客で賑わう、とも。
「だとすれば、これは異常、と言っても良いのかな?」
 そう、まさしく媛碌の言葉通り、それは異常であった。
「単に鬼の事件でみんな外を出歩かないんじゃないのかな?」
 しかし媛碌は祐介の言葉には答えず、ふと、周囲の住宅地を見回した。
「静かすぎる…」
「それは、昼のこんな時間だったらあんまり人もいないだろうし」
「子供と母親は?」
「それは…」
 口篭もる祐介、媛碌は何も言わない。
「…誰もいない…」
 数秒の沈黙の後、水禍が不意にそんな事を口にした。
「…誰の声も聞こえないもの。聞こえるのはただ、星渡る獣呼ぶ声」
「星渡る、獣、呼ぶ声?」
「…とても悲しい声…」
 水禍がゆらりと足を一歩踏み出した。
 そして媛碌と祐介がぎょっとする。
 二人は始めて、水禍がまるで幽鬼にでも引っ張られているかのように歩を進
めている事に気付いたのだ。それは明らかに不自然な歩調だった。
「まさか、水禍さん…」
お    媛碌ははっとして、水禍の手を掴もうとした。         
い    そうしなければ、水禍が聞いていると言う声に、彼女自身が捕らわ
で   れ戻れなくなる可能性まである。                
   こ     しかし、媛碌は思わずその手を引いてしまう。     
   こ     そう、今、声の所在を特定できるのは水禍だけなのだ。 
   に     ここで水禍を引き止めて、声が聞けなくなったら?   
   お     現在ある唯一の手がかりらしきものを失う事になる。  
   い    「媛碌君…」                     
   で     救いを求めるような祐介の声に、媛碌は自分も相当情けな
   よ    い顔をしているのだろう、と思った。          
      寂     「こ、このまま水禍さんに付いて行こう」    
      し      媛碌は喉に沸き上がってきた唾液を飲み込んだ。
      い     「もしかしたらなにか分かるかもしれない…」  
         一      「でももしかしたら鬼の集会にでも出くわ
         人      すかも」               
         な       エルクゥのテレパス能力、電波に非常に
         の      良く似た波長によって行われる、鬼の精神
            だ       的な伝達能力は、それが強い能力
            か       であれば読み取れる事が分かって
            ら       いる。例えば祐介でも内容までは
            早       分からないが、その感情や、おお
            く       まかなディティールを感じ取れる。
            来       「…行こう」         
            て       「うん、分かった…」     
                    二人はゆっくりと歩き出した…。
 ゆらゆらと歩く水禍の背を追いかけて…、もしくは違う何かに呼ばれて…。


   ☆★☆★☆

 UNのマークが空から降りてきた。
 綾香が思った事はそれだった。
 国連軍。国連軍なら味方だろう。いや、敵ではないはずだ。
 ということはあそこまで行けば助かる。
 それは言葉にするのは簡単だった…。
「…くぅ」
 重く冷たい水が、服を肌に張り付かせて更に泳ぎづらくなる。
「…諦める…、もんですか!」
 足を動かして、必死に左手で水をかく。
「…諦めて…、たまるか!」
 右手には意識を失った和弥を抱いている。幸いな事に、彼の背中の傷はほぼ
完治していた。
「はっ! …はっ! …はっ!」
 かかっているのは自分の命だけではない。
 それが唯一綾香の意識を繋ぎ止めるもの。
「はっ! …はっ! ……はっ! ………は、……は、は、は」
 必死に動かしているはずの腕や足が、重い…。
 寒さも痛みも遠のいて、だんだん現実が遠のいていく…。
「はは…………」
 訳の分からない笑いも、海の飲み込まれて消えた。
 吐き出した息が、白い泡になって、波間の泡と一緒に消える…。
 そしてごく自然に息を吸おうとして、綾香の意識は強烈な不快感と共に急激
に現実を取り戻す。
「ぶはぁっ! げほっ! げほっ!」
 鼻から入った水を口から吐き出す。
「うえっ!」
 わずかな吐き気と共に、綾香の目尻に涙が浮かぶ。それはすぐに波に飲まれ
たが、不快感と挫折感は消えなかった。
 ふと顔を上げると、UNの文字が消えていた…。
 おそらく誰かを救助して、飛び立ったのだろう…。
 それでも誰かが助かったと言う事だ…。
 それだけかな? 良かったと思える事って…。
「コンチクショウ!」
 綾香の左手が思い切り海面を叩く。
「コンチクショウ!」
 叫びながら、それでも泳ぐ。
 和弥を片手に抱きながら、綾香は訳も分からず、思いっきり水をかいた。足
で水を蹴った。
「コンチクショウ! コンチクショウ! コンチクショウ! コンチクショウ!
コンチクショウ! コンチクショウ! コンチクショウ!」
 どんなに強がっても、やがて来る終焉だけは避けられない。
 それが訪れたのは十回も水を掻き分けた後だったろうか?
 それでも…、後、一回だけ…。
 ゆるゆると手を伸ばし、水をかく。
 その時、綾香の背中から大きな波が押し寄せ、綾香はそれに持ち上げられた。
 ゆっくりと上がる視界の中で、綾香が見たものは彼女に向かって降下してく
る白いヘリだった。

 しかしそれから助け上げられるまでの十五秒が一番長かった。と、綾香は震
えながら、ぎゅうぎゅう詰めのヘリのシートに収まって、思っていた。

「寒い…」
 最初にその言葉を呟いたのは千鶴だった。
 言ってからしまったと思ったのだろう。息を飲んで、恐る恐るパイロットに
尋ねる。
「誰も見つかりませんか?」
 パイロットは職務に忠実にヘリを低空で飛ばしつづけながら、首を横に振っ
た。
 まだ、まだこの場所にヘリが到着して十分。その間に耕一、千鶴、和弥、綾
香を救助し、十回以上の砲撃を受けた。
 その全てが外れていたから良かったものの、一撃でも食らえば今度こそ全滅
する。
「誰も…、しかし立川様、これ以上の長居は危険です」
 パイロットの言葉に立川は顔を歪めた。
「陸自も攻撃ヘリは所有してるからな。それにもう定員オーバーだ」
 しかし続く立川の言葉を綾香が遮る。
「待って、お願い、真奈美さんを探して…」
 それは今だ気を失っている和弥の願いそのものだった。
「私の所為なの…」
 濡れたままの姿で、それを乾かす事もできずに、震えながら綾香は呟いた。
「私がいなかったら、助かってたのは真奈美さんの方だわ。だから…」
「…無理だな。脱出する」
 立川はそうパイロットに、綾香に告げる。
 ヘリのローターの音が、一段と強くなった…。
 ヘリの角度が変わる…。
「姉さん、どうしよう。私の所為だ。私の所為だよ」
 すぐ隣に座った姉の胸に綾香は縋り付いた。
 彼女の姉は自分が濡れる事も気にせずに、綾香の肩にそっと手を回した。
 誰もなにも言わなかった。

 しかし、陸上では砲弾の届かない相手に対し、最新鋭パトリオットミサイル
の準備が整おうとしていた…。

 ビーーーーーーーーーーーーーッ!!
 真っ赤な警告灯はいつ見ても嫌なものだ。しかし、自分が当事者であるうち
はそんなことを考える余裕も無い。
「どうした!?」
「十二時方向から飛来物です!」
 パイロットが悲鳴を上げる。
「回避しろっ!」
「はいっ!」
 言ってできるものならば、戦争で人は死なないだろう。
 急激に角度を変え、移動しようとした矢先に、それは見えた…。ヘリの真正
面から飛来する無数の光だ。それは非現実的な速さでヘリに迫り、そしてヘリ
の十メートル手前でいくつかが爆発した。
「うっ!」
 芹香が顔を苦悶によじらせる。
 外れたロケット弾が、ヘリの後方の海面に着弾して、水柱を上げる。
「陸自の攻撃ヘリです! 二機!」
「一難去ってまた一難、か」
 唯一の利点は陸自のヘリが、対ヘリコプター用の武装を重視していない点だ。
基本的に攻撃ヘリは対戦車の武器である。
「後は前門の虎、後門の狼という言い方もあったかな? 芹香、まだいけるか?」
 苦しそうに、しかし芹香は肯く。
 彼女がNOを言うわけが無い事を知っていたから、立川は少し心が痛かった。
それでも彼女に縋らなければ脱出は不可能だろう。
 かといって、それだけでも脱出は不可能だ…。
「武装を全部破棄する」
 立川が唐突に呟いた。
「え? 立川様?」
「全部の武装を捨てろ! 身軽になるんだ!」
 武装とは言っても積んでいるのは煙幕弾ぐらいのものではある。しかしそれ
でも発射筒と弾頭を含めると数百キロの重さにはなる。
 バシュッ!
 小気味良い音がして、ヘリのパイロンから発射筒が投げ出され、すぐ下の海
に落下した。
「これで多少はスピードが出る」
 気休めだ。立川は自分でもそれを理解していた。
「第二弾、来ます!」
「できるだけ交わせっ! 芹香!」
「…………」
 芹香がコクッと肯いた。
 ぐいっ! まるで巨人に手を引かれたかのような感覚。傾いたヘリが急激に
高度を落としながら、左に滑空する。その脇をかすめて、数発のロケット弾が
飛び去っていく。
 ビーーーーーーーッ!
「ミサイルロック!?」
 ロケット弾を交わしながら、パイロットが悲鳴を上げた。
「ATMだ。上昇すれば交わせる!」
 パイロットがほとんど叫びながら、スロットルを引いた。ヘリが弾かれたよ
うに上昇して、遠くから白い軌跡を描いたATMがそれを追った。
「掴まって!」
 咄嗟にパイロットが操縦レバーを押し出した。ヘリがほとんど垂直にまで立
ち上がる。その尾翼をかすめるように、ATMが上空へと舞い上がり爆発する。
「あぅ!」
 芹香が悲鳴を上げる。
 ミサイルの外殻の破片が、芹香の防御シールドに命中したのだ。
「このままじゃ嬲り殺しだ」
 立川が絶望的に呟いた瞬間、世界が白い色に包まれた。


   ☆★☆★☆

 連中、ヘリを落とす気だな。
 湾岸では一台のパトリオットミサイルが設置されようとしている。その周り
には三台の90式戦車に、装甲車、無数の工作兵などがいる。
 そこまでの距離はおおよそ一キロ半、90式戦車の最高速度は80キロだか
ら一分と少し、加速に必要な時間を考えると二分。積んでいる爆薬の威力を考
えるとここで爆発させても十分だが、それでも万全を期したい。
 それに最後は派手に一暴れしたいしな。
 大佐は戦車の中に潜り込むと、エンジンに火を入れる。
「さて、行きますか」
 それが自分の発する最後の言葉になるだろうと理解しながら、それでも気楽
に口にする。
 真奈美は無事に逃げ切れただろうか?
 …結局、娘には会えなかったな…。
 エンジンが咆哮を上げて、キャタピラにそれを伝える。
 地面を捲り上げながら、大佐の乗る90式戦車は疾走した。
 後一キロ!
 現場では着々とパトリオットの準備が整っている。
 八百メートル!
 ふと緊張が変わった。
 七百!
 90式戦車の砲塔の向きが変わった。
 遅いっ!
 大佐の乗った90式戦車の砲塔が先に火を噴いた。
 砲弾は一番最初にこちらに砲塔を向けた戦車の足元に着弾し、土を巻き上げ
ながら、その戦車を横倒しにした。
 轟音と土煙の中から、悲鳴が上がるのが分かる。
 実際に聞こえたわけではない。しかしその悲鳴を大佐は良く知っていた。
 五百!
 当たれっ!
 パトリオットに狙いを定めて、砲弾を放つ。
 しかしそれはパトリオットから五メートルほど離れた位置にある工作車を直
撃した。爆発と炎。人が空に投げ飛ばされる。すでに死んでいるだろう。
 四百!
 その瞬間、大佐は強いプレッシャーを感じた。
 大佐はそれを良く知っていた。そして今回ばかりはそれが避け得ない事も。
 だがこれだけ近づけは十分すぎるほどだ。
 大佐は唇の端に笑みさえ浮かべてみせた。
 砲弾が大佐の乗った90式戦車の装甲を突き破り、大佐と、そこにあったプ
ラスティック爆弾に十分な圧力を与えた。


   ☆★☆★☆

 爆発…。


   ☆★☆★☆

 白い光が消え去った後に彼らが見たものは、湾岸の方角から上がるキノコ曇
だった。
「核!?」
 思わず耕一は叫んだ。
「違う。核をこの距離で食らえば、助かりようなんて無いはずだ」
「立川様、陸自のヘリが消えました」
 呆然とパイロットが告げる。
「多分、爆風でバランスを崩したんだ。……! 芹香! 無事かっ!?」
 咄嗟に立川が後部の座席を覗き込んだ。
 そこでは芹香を抱いた綾香と、芹香の様子を伺う聖羅がいた。
 聖羅が立川に向けてしっかりと肯いた。
「気ヲ失ッテオラレマスガ、無事デス」
 まず立川が息を吐いた。
 合わせるようにヘリ内の緊張がゆっくりと解れていく…。
「一安心、そう言っていいのかな?」
 無理に笑顔さえ見せて、立川は呟いた。
「立川様、これからどうなさいますか?」
「そう、それだ。君たちこそこれからどうするつもりだったんだ?」
 立川は綾香に問うた。
 綾香はしばらく考えた。
 しかしやがてしっかりとパイロットのほうを向いて、言った。
「隆山に向かって頂戴。とりあえず最初のかたをつけるわ」


   ☆★☆★☆

 そこは隆山の市内に負けず劣らず異様な空間だったと言える。
 軟質のように見えるのに、完全に硬質の壁や床。そしてその全てがほのかに
発光していて、光に困る事はない。
「でも生きてる」
「生きてる?」
「ここが、さ」
 媛碌はこんこんと壁を叩いてみせた。
 人間の感覚とはまったく異なるその空間にあって、水禍は迷わずに歩を進め
ていた。
「何処に向かっているんだろう?」
「まさか、とは思うけど…」
 水禍が不意に立ち止まり、二人は息を飲んで彼女の次の行動を待った。
 場所は洞窟の果ての行き止まり、そんな感じの場所だった。
 しかし水禍がすっと手をかざすと、行き止まりだったはずの場所が通路に変
わった。
 水禍はそのままその奥に進む。
「呼ばれてるんだよ。鍵に…」
「鍵?」
「そう…」
 その通路の先に出た。
 そこは一種のホールだと言っていいだろう。
 広大な空間。空洞だ。
 高さは数百メートルに達するのではあるまいか?
 広さはゆうに学校の運動場を越えるだろう…。
 そしてその中心に彼女がいた…。
「やはり、君だったか」
「そんな、死んだんじゃ」
「死体は誰も見ちゃいないさ。あの二人を除いては」
 それは一種の祭壇のようだった。
 そこだけ床が高く盛りあがり、その中心で、初音が、柏木初音が体を半分床
に飲み込まれるようにして眠っていた。
「やっぱり、あいつら、最初からヨークを呼び寄せる気だったんだ。でも彼女
さえ救い出せばすべて終わる。……え?」
 媛碌は自分の身に何が起きたのか、理解できなかった。
 自分の腹から、手が生えていた…。
 見覚えのある、手が…。
「水禍、さん?」
「…ごめんなさい。媛碌さん。こうするしかないんです…」
 水禍が媛碌の体からその手を引き抜いた。
 媛碌の体にぽっかりと開いた傷口から勢い良く血が溢れ出す。
「水禍さん…」
 媛碌の体が、床にうつ伏せに倒れた…。
「どうして…、すい、か、さん?」
「…お腹が空いてたんです。ヨークが、お腹が空いて力が出ないって…」
 媛碌の体が、硬質だったはずの床にずぶずぶと埋もれていく。
「…だからご飯あげなくっちゃ」
 水禍が寂しげな笑みを見せた。
 それが媛碌にとって最初で最後の水禍の笑みになった…。

「す、水禍さん。ど、どうして!?」
 媛碌の姿が完全に消えてしまってから、祐介はようやく声を出す事ができた。
それは非現実がその進行を中断したからだったかもしれない。
「…お腹が空いていたから…、でも、もう平気です…」
 水禍はさっきも見せたその寂しげな笑みをまた見せた。
「そうじゃなくて、どうしてヨークを助けるの?」
「…だって、寂しかったから…。だからヨークにお友達を呼んでもらうんです」
「まさか…、まさか! 水禍さんだったの? 最初から、全部、水禍さんがやっ
てたことなの!?」
 水禍は驚くほど素直に肯いた。
「…だって私と分かり合える人なんていないから…、貴方もそう…、貴方は電
波を使えないから…」
「……!」
「…でも、いいの…。それは仕方ない事…。だから私はお友達を呼ぶの…」
 祐介は自分が震えていることに気付いていた。
「……どうして、じゃあ、どうして媛碌さんを殺したんだ!」
「…ヨークがね、お腹が空いたから声が出なくなったんだって。だから…」
「だから殺したのか!」
「…お腹が空いたら食べるものよ…」
「ぐ……」
 祐介は何かが体の奥から込み上げてくるのを感じた。それは怒りではない。
悲しみでもない。どちらでもない、初めての感情だった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 祐介は有らん限りの絶叫を上げて、水禍に殴り掛かる。
「…駄目よ…」
 水禍がそう呟いた瞬間、祐介の意識は真っ白になった…。

「…貴方が死んだらお友達が悲しむわ…」
 気を失って床に倒れた祐介を優しく見下ろして、水禍は呟いた…。


 −−−続く。

http://www6.big.or.jp/~tearoom/entrance/