・結末の果てに―優しさの結末_第二章―第四話・恐怖、その象徴・ 投稿者: 智波
「…………?」
ひょろりとした、長身の、青ざめて、自信が無いのかいつもきょろきょろした男。通称三五番は階段の途中で足を止めた。
「どうした?」
標準からすればかなり背の高い部類に類する三五番を、頭一つ追い抜く背の高さの一佐が尋ねる。彼は三五番とは違い、横幅も十分にある。筋肉質の体は引き締まっていて、背の高さと見比べればいくらか痩せているようにすら見えるかもしれないが、彼を見た目で判断すれば、一巻の終わりだろう。
それを十分に知っているのか、三五番は脅えた表情を止めない。
年齢がまったく違うせいもあるのだろう。一佐は二十台中盤であろう三五番の父親ほどの年齢だった。
「変わった波長の人間がいる」
「Pパターンではない?」
一佐が聞き返す。
Pパターンとはつまり外に向けて人間が放つある種の波動のことで、五五番、五六番の使う力(彼らは電波と言っていた)もPパターンの範疇に入ることが確認されている。
三五番はこれらの波長を感じ取れるよう訓練されていて、それが三五番が連れてこられた最大の原因だった。
「分からない……」
横に首を振って答える三五番に一佐は失望じみた視線を投げかける。もし自分の部下がこんな返答をしたらぶん殴っているところだ。具体性に欠けること甚だしい。そして戦場では確実な判断を損なえば待っているのは『死』あるのみである。
しかし、ここは戦場ではない。
日本の、ごく普通の高校だ。
そう思った一佐は一年ほど前にこの高校を襲った悲劇を知らない。
「レーダーに反応は?」
三五番から回答を得ることを諦めた一佐は背中に大きな機械を背負った通信兵と思しき部下に問い掛けた。
「反応が多すぎて特定できません。二二番と思しき反応はいくつかあります」
Shit! 一佐は心の中で吐き捨てる。
「三五番。二二番は何処だ?」
「……これは……、P波の痕跡?」
三五番は一人でぶつぶつと呟いている。
「切り取った痕…………」
「どうした、三五番!」
苛立った一佐が声を荒げた時、通信兵が慌てた声を上げる。
「一佐、こちらに近づいてくるPパターンがあります!」
「二二番か!?」
推測は当然のものではあったが、外れていた。
屋上に上がろうとしない限りは階下からは見えない位置である。
対象が二二番でなく、違う人間で、屋上に上がろうとしてきた時は、昏倒させるしかない。その後の処置は施設に任せてある。
……施設か。
気に食わないと、一佐は正直に思った。
「これは記憶を切り取った痕だ。ここに来る」
三五番の呟きに一佐がぴくりと白髪の混じり出している眉を跳ね上げた。
「記憶の削除……、ふむ、興味深いな。ここに向かっているんだな?」
一佐がそう思ったのはほんの気まぐれのようなものだった。彼は他のメンバーよりは施設について知っていたので、記憶の削除が、施設の常套手段であることも知っていた。
「屋上まで戻る。そこで待ち伏せだ」
声を殺して、一佐が命じると、三五番を除く五人の彼の部下は音も無く屋上まで戻っていった。


・結末の果てに―優しさの結末_第二章―第四話・
・恐怖、その象徴・

「追手って?」
頭を襲う雑音を振り払いながら、祐介は尋ねた。
一方で水禍はこの不協和音の中、動じた様子も無い。それとも彼女にはこの雑音こそが明瞭な世界なのかもしれない。
「……私は月島瑠璃子さんと接触して、貴方に助けを求めて欲しいと頼まれたのです」
感情を見せること無く淡々と言う水禍の言葉だったが、それでも祐介は心のざわめきを止められなかった。
「瑠璃子さんが、僕に」
そう、また僕を頼ってくれたのだ。
彼女の支えであること。それが彼の望んだものだったから(瑠璃子が答えてくれたのは彼にとってイレギュラーであった)、それは彼にとって望ましく、誇らしいことであったのだ。
「……施設の監視は月島さんたちに集中していて、私に対する監視は少なくなっていましたから」
「でも見つからないほどって訳でもなかった……」
「……いえ、私と月島さんが話をした時にもう気づかれていたのかも知れません」
「どうして?」
水禍の答えは簡単だった。
施設にはPパターン(この言葉の説明になかなかの時間がかかった)を捕捉する装置があること。それを使えば会話の内容はともかく、会話があったことは分かるのだということだった。
「じゃあどうするの?」
「……私はまだ捕まるわけにはいきませんし、祐介さんもそうです」
ぼそぼそっと水禍の言ったことを祐介はすぐに理解した。
「逃げるんだね」
「……多分彼らはこちらの探知に困惑しているはずです。今のうちに……」

「屋上に何の用なの?」
「…………」
浅水は答えなかった。否、答えられなかった。
自分でもなぜ屋上に向かっているのか分かっていない。
ただ屋上に近づくにつれ、強くなる頭の痛みが、そこに何かがあることを明確に告げていた。
ジ、ジジジ、ジジジジジ…………
不安は増す。
階段を上がり、何時の間にか二人は言葉を交わすことを止めていた。
鉄の扉に手をかける。

「………………!!」
祐介は階段の途中で足を止める。
見ると水禍も立ち止まっている。
「今の…………」
「……月島瑠璃子さんの力……?」
「違うよ、水禍さん。瑠璃子さんの電波はこんなんじゃない。これは浅水君だ!」

がつん!
扉を開けた瞬間、そんな衝撃が浅水の後頭部に走った。
目の前が真っ白になり、浅水は前のめりに屋上に倒れる。
「浅水君!」
浅水の耳に真奈美の叫びが届く。
痺れる頭の奥が勝手に電波を集める。
一瞬だ、一瞬だけ!
何が起こったのか分からないまま、浅水は自分の取れる最大の防衛手段を発揮した。
コンクリートに顔をつけたまま、四方に向けて電波を放つ。そして浅水は一気に立ち上がる。
くらっ、と目眩を堪え、同時に周囲を確認する。
一、二、三、四、六人。
六人ともが軍隊のような迷彩服を身につけている。こんな市街地で迷彩服が役に立つはずはないが、男達の気を引き締めるくらいには役に立つのかもしれない。
ともかく男達のいでたちは異様としか言いようが無かった。
簡単に言えば、映画に出てくる兵士のような格好だったのだ。
そのうち、一番背の低い男が、真奈美の手を取って、そして、そのまま惚けていた。いや、その男だけではない。全員浅水の電波を食らって、精神を混乱させられている。
「真奈美!」
浅水は急いで、尤もその動きは本人の努力とは裏腹に鈍いものであったが、真奈美の手を取った。否、取ろうとした。
がつん!
と、鈍い衝撃が浅水のこめかみに走る。
殴られた!?
しかし、接近された気配はない。目の前の大男もいまだショックから抜け出しきれていないではないか。
続いて、体全体になにか、水に潜ったような抵抗が包み……
そして浅水はそのまま弾き飛ばされたように屋上のフェンスに叩き付けられる。
「なっ……」
浅水がずるずるとフェンスの元に崩れ落ちるうちに、惚けていた連中も正気に戻り出したらしい。
「今、のは?」
真奈美の手を掴んだままの男が呟く。
「五十五番とかの精神感応ですよ。電波とか言うやつ」
壁の影から、一人のひょろりとした男が顔を出す。
そんなところにも一人いたのか……
「こいつも能力者ということか」
「素質的にはまだまだというところですけどね」
そう言いつつ、そのひょろりとした男が浅水をその視線で焼いた。
その瞬間、浅水をまた先ほどの抵抗が包み、
がしゃん!
再びフェンスに叩き付けた。
電波を放とうとしていたのを見破られたのか?
「浅水君!」
真奈美が男の腕から脱出しようともがく。しかし、真奈美と男の体格差ははっきりとしており、真奈美にはわずかほどの脱出の可能性も無いように見える。
「………………!」
しかし、次の瞬間、男は声にならない声をあげさせられていた。真奈美が男の腕に噛み付いたのだ。
まただ。
浅水はその瞬間、前の事件の時に見たあの気丈な真奈美の陰を見た。
そうなのだ。真奈美はこんな非常事態に恐ろしく聡明で、行動力を発揮する。普段の大らかな性格がまるで、嘘のように。
「浅水君!」
男の力が抜けた一瞬の隙を突いて、真奈美が男の腕を抜け出す。
「真奈美!」
浅水の声は決して真奈美を迎えるためのものではなく……
「危ない!」
駆け出そうとした真奈美の肩を男が掴み、振り上げられた手が、真奈美の頬を打った。
「真奈美!」
衝撃に真奈美の体から力が抜ける。その体を男が肘を掴んで支えている。
「お前ら! よくも真奈美を!」
電波のことも忘れ、浅水は一番近くにいた男に殴り掛かった。しかし、その寸前に再びあの抵抗に包まれ、浅水の体は三度フェンスに叩きつけられる。
「てめえ、これはてめえの力か!!」
浅水がひょろりとした男に向かって電波を放つ、しかし、電波は男の前で霧散して、消えた。
「てめえ!」
力のまったく通用しない悔しさ。どうしようもない悔しさ。
力があれば、力さえあれば!
……ドクン!
その心の声に呼応するように浅水の鼓動が強く打つ。
これは!? この感覚は!
しかし、鬼からの声はない。彼を誘惑する悪魔の声は。
だがそんなことは関係なかった。浅水はたとえ鬼からの呼びかけがあったところで、その力を解放したことだろう。
そして、浅水は鬼に変じた。

「浅水君!」
屋上に飛び出した祐介はそこに一匹の鬼を見た。
鬼はすでに4人の男を打ち倒し、(しかし殺してはいなかった)今まさに5人目に襲い掛かろうとしているところだった。
「……エルクゥ」
水禍の呟きを祐介は聞き逃さなかった、が、それに対して詰問している時間もまた無い。
「やめるんだ! 浅水君!」
その声に反応して、鬼が祐介を見た。そして、それが致命的だった。
パシュ……
それはとても味気ない。まるで風船から空気の抜けるような、そんな音だった。
鬼の体がぐらりと揺れて、そして倒れる。
「エルクゥか。意外なものだな。こんなところにもいるとは」
真奈美の体を支えた一佐が呟く。その右手には煙を吐いている拳銃が握られていた。
そしてその手が祐介と水禍に向けられる。
「あなたたちはいったい……」
「………………」
しかし、男は答えない。
そして水禍の視線は地に伏せた鬼に集まっていて、一佐の持った拳銃には目もくれていなかった。
「二二番、探したぞ。手間を掛けさせてくれたな」
「………………」
水禍は鬼を見たまま動かない。
「……………貴方は」
その瞬間、ひょろりとした唯一迷彩服を着てない男の顔が何かに歪む。
祐介はその男の周囲に何かが展開されるのを感じた。
そして次の瞬間、
水禍の心が周囲一帯を侵食した。

祐介は空から落ちてくる新型の爆弾を見た。
自分が想像した、絶対的な力が自分の身に降りかかる幻影を見た。
逃げ惑う人々、今自分はその一人であり、被害者? 否、殺戮者の憎む、愚かな大衆の一人に過ぎなかった。
爆弾はゆっくりと降ってくる。
いつそこから光が溢れてくるのだろう?
それが炸裂した瞬間、すべては終わる。
彼の想像した爆弾はそれを見ることの出来る位置から逃れられるようなものではない。
祐介は逃げられない。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
思わず祐介は叫んでいた。
そしてそれを待っていたように、爆弾から、光が溢れ、光が彼を焼いた。
全身が焼かれ、そして彼に死は訪れなかった。
新型の爆弾は彼を焼き、しかし、彼を肉の固まりに変えただけで殺しはしなかった。
燃えている、体が燃えている。
皮膚を失った彼の体は痛みを直接彼の脳に焼き付け、その痛みは終わることを知らない。
焼ける肉の固まり、これが祐介の望んだことであり、彼の絶対的な力であり、また恐怖であった。

ぱっと祐介の視界が開けた。
痛みはない。
今のは?
周囲には地面にのたうつ男達がいた。
彼らそれぞれの恐怖が、彼らの脳を焼いたのだ。
恐怖が舞い下りる一瞬前、何かを展開させていたはずの男でさえ例外ではなかった。
ただ、真奈美の腕を持った男だけが、その格好のまま耐えていた。
恐怖が彼を襲ったことは間違い無いことに彼の額には脂汗が浮かんでいる。
祐介は自分の体に力が入らないことに気がついた。
それは男達も同様であったのだろう。
「引くぞ!」
真奈美の腕を持ったまま、男が叫ぶ。
男達がのろのろと立ちあがる。
もしかしたら、彼らは彼らの上司を幻覚に見たのかもしれないな。
回らない頭で、祐介はそう考える。
ババババババババ―――
そんな祐介の思考を切り裂くように一台のヘリが舞い下りてくる。
いけない。増援でもされたら勝ち目はない。
しかし、男達はそのままヘリに乗り込んでいく。
「桐山さんを離すんだ……」
弱々しい声で叫ぶものの、ヘリの爆音にかき消されその声が男達に届くことはなかった。

―――続く