・結末の果てに―優しさの結末_第二章―第三話・追手・ 投稿者: 智波
「あれ?」
退屈な授業を引き裂いたのは滝の音に似た騒音だった。
「ヘリコプターだ」
誰かが呟く。
言われなくったって、みんな分かっていた。
「窓を閉めろ」
教師が冷ややかに、とは言っても額に汗を滲ませながら、そう言った。
「ええ〜っ! そりゃ横暴だよ!」
「こんな暑いのに、窓閉めて授業すんのぉ?」

ピシャン。
と、窓が閉まった。


・結末の果てに―優しさの結末_第二章―第三話・
・追手・

そして長瀬祐介は一人の女性と屋上にいる。
「君は?」
その女性は瑠璃子に似ている。感情の無い瞳、短い髪が風に弄ばれている。
「………私は水禍と申します」
祐介は臨戦体制を取っていた。
「で、水禍さん、なにが違うの?」
何気なく立っていても、いつでも電波を放てるように、この場所で、この電波の集まる場所で、わずかな電波を集めている。
「月島瑠璃子さんの居場所について……」
「何か知っているのか!」
暴れ出しそうな電波を押さえつつ、祐介は尋ねた。
「その前に一つ」
水禍が神妙に祐介に近づく。
「貴方は長瀬祐介さんですね」
「あ、ああ、そうだけど」
深い翠の相貌が、祐介を見つめているようで、見つめていない。
「月島瑠璃子さんは―――」
ばばばばばばばばば―――
水禍が口を閉ざして空を見上げる。
一台のヘリコプターが二人を見下ろすように高空でホバリングしている。
青い空に浮いた迷彩色のヘリコプター。
「……場所を変えましょう」
視線を祐介に戻した水禍は呟くように言った。
「どうして?」
「……時間がありません」
そう言って、水禍は祐介を置いて、屋上から出る扉に向かう。
祐介も慌ててその後を追った。
「水禍さん、瑠璃子さんの居場所、教えてよ」
屋上から降りる階段の途中、……返事はない。
祐介が振り返ると水禍は一人で、鉄の扉を閉めようと格闘していた。
「あ、僕も手伝います」
なぜ水禍が扉を閉めようとしているのか……、そんなことを聞くのも忘れて、祐介は咄嗟に水禍を手伝ってしまう。
……ギギギ、バタン。
「ふぅ……」
水禍が一息つく、彼女の細腕にはこれだけのことがたいした重労働だったらしい。
「水禍さん、何処へ行くの?」
「何処か、人に見つからない場所はありますか?」
水禍は扉の取っ手に触れて、押してみる。とりあえずはちゃんと閉まっている。鍵はさすがに掛けられなかったにせよ。
「だったら、視聴覚室を使おう。鍵は開いてるんだ」
水禍の翠の瞳が細められる。
「……はい」

………………………ジ………ジジ……………ジジジジジ………
浅水和弥は額を両の手で押さえた。
……これはなんだ?
頭に響く騒音、電波とは違う。電波じゃない。
「浅水君。君の力は危険なものだ。……どうする?」
祐介さんが真奈美の額から手を離して、僕を見た。
祐介さんの言葉の意味は疑いようが無い。
彼は今真奈美の記憶を消したのだから。
「ぼ、僕は……」
声が震えていた。
記憶を失う? あの始まりから、今まで、全ての記憶を失って……
「無くした記憶の空白はどうするんですか?」
「僕がきっかけを与えれば、浅水君の脳が自分で適当な記憶を作ってくれる。人間はそういう風にできてるんだよ」
「だったら、僕は自分の力で忘れます。電波のこと、この悲劇のこと」
祐介さんが答えるまで、かなりの時間があった。多くの事を考えられるだけの時間が。
少なくとも祐介さんの考えた手段の一つは僕にも分かる。
力ずくで、僕の記憶を奪う。
だけど、時間は過ぎ、祐介さんは微笑んだ。
「………分かった。浅水君は全部忘れた。それでいいんだね。僕のことも、瑠璃子さんのことも知らない」
「……はい」
僕はそう答えた時、瑠璃子さんが複雑な笑みを浮かべたことに気がついた。
でもそれだけだった。
ジ、ジジジ、……
これは電波には違いない。受信できないだけ?
頭痛を伴うそれとのコンタクトを浅水は自ら絶った。いつのまに意識が開放されていたのだろう……。
あの日以来、電波を使ったことはないというのに。
「浅水君、大丈夫?」
真奈美が駆け寄ってくる。
学校では昼休みが始まろうとしていた。

「目標を発見しました」
「学校か……」
背の高い迷彩服の男が遥か下の学校を一瞥する。
「例の二人の母校です」
「五五番と五六番か……。二二番の目的はそれかな?」
「五五番の報告にあった新たなサンプルに接触を取るのではないかと……」
「五五番と接触を取って、二二番の目的は何だ?」
ヘリコプターというものの中は基本的に狭い。いくら兵員輸送ヘリでも、ちょっと器材を積み込めばたちまち満載状態になる。
レーダーソナーのような物の前でヘッドフォンを耳に当てていた一人が当惑じみた声を上げた。
「反応多数、です」
「ですからP反応が多数。学校内から探知できます」
「五六番か」
どうやら一番格が上らしい背の高い男がレーダーのような物を覗き込む。
「……降りるぞ。二二番を回収して撤退する」
がちゃ、がちゃと音を立てて数人の男達は自らの武装を確かめる。まるで戦争だ。
「これはどうするんですか!? 鉱山を掘り当てたようなものなのに!」
「……君は良い表現を使う。そうだ、鉱山は逃げない、そうだろ。…………三五番」
「いますよ。ここに」
器材の陰で一人の男が陰鬱そうな声を出した。
「君にも降りてもらう。理由は分かるな」
「二二番を捕獲するつもりですか? 無理ですよ」
「何故だ?」
「彼女の力は俺達に押さえられるものじゃないんだ」
男はがたがたと震えている。
「力の強さはおまえの方がずっと強い。違うのか?」
「力の強さなんて、それがなんだというんだ」
背の高い男が脅える男を見下ろしている。
「ともかく一緒に来てもらうぞ」

「それで瑠璃子さんは何処に?」
「……………施設に」
「施設?」
祐介は視聴覚室の机に腰を落ち着ける。
水禍は迷った挙げ句におずおずと一つの長椅子の端を選ぶ。
「長瀬さんや、月島瑠璃子さんのような超能力者を集め、訓練し、解析する…………、そんな施設です」
「じゃあ、瑠璃子さんは!」
祐介はせっかく座った机から飛び降りる
「…………新しいタイプのサンプルの一人として、連れてこられました」
「サンプルだって」
「…………新種の精神感応だと思います」
「精神感応……」
祐介はなにかで呼んだ知識を呼び起こす。
精神感応、テレパシーというやつだ。
言われてみれば電波の力は話に聞くそれに良く似ている。
「それじゃあ、水禍さんは……」

「鍵が閉まってるな……」
ホバリングするヘリからロープで、目標地点の屋上に降りた背の高い男は鉄の扉に手をかけて呟いた。
「破壊しますか?」
「いや、……35番、鍵開けぐらいできるだろう」
「やればいいんでしょ。やりますよ」
35番と呼ばれる男が鉄の扉の取っ手に軽く触れると、カチリ、という音を立てて扉が軋みをあげた。
ざわっ……
彼の力を言葉で聴かされていても、半信半疑だったメンバーにざわめきが走る。
「35番、目標の探知は任せる。速やかに処理するぞ」
「民間人はどうしますか? 一佐」
「無視して構わん。ちゃんと手は打ってある」

行ってみるか……
脳を焼く不思議な感覚はそれを遮断しても直接肌を焼くほどに大きく、強くなってきていた。
「浅水君。何処、行くの?」
席を立ちあがった浅水に真奈美が尋ねた。
浅水は答える。
「屋上」
力の源はそちらにある。
屋上ではないかもしれないが、屋上の方。
瑠璃子さんがいた屋上だ。
「一緒に行っても良い?」
「うん」
断る理由は、少なくとも真奈美に説明できる範囲では無さそうだった。
いや、幾らでもあったのかもしれない。
しかし、浅水はそれを選ばなかった。
危険はとっくに去った。
彼はそう思っていたし、心からそう信じていた。

すっと、頭に何かが侵入してきて、咄嗟に電波で追い出そうとする。が、電波はそれをすり抜けたに過ぎなかった。
『これが私の力です』
祐介の頭に直接響く声は水禍のものだったが、言葉は彼女の口から発せられたわけではなかった。
「電波と違う……」
人の体は電気で動いている。脳は電気パルスを神経に通すことで筋肉に刺激を与え、体を動かしている。また同じ事は脳にも言える。人が思考する時脳内を電気パルスが駆け巡っている。言わばその流れの形が思考であり、人間の考えなのだ。そこに介入するのが、電波の力ならば、彼女に力はむしろ魂の領域のように感じられた。
次の瞬間、祐介の頭から、水禍が消えた。
「水禍さん?」
「……時間です」
そう言う水禍の顔に一瞬だけ緊張が走ったように見えたのは祐介の勘違いだったのだろうか?
ジ、ジジジ、……
祐介の脳裏にノイズが走った。
電波じゃない。水禍の力でもない。
「……これは?」
「…………施設の追手のようです」

―――続く。