・結末の果てに―優しさの結末_第二章―第二話・鉄の味がする・ 投稿者: 智波
だんっ!
鉄の扉に拳を叩き付ける。
何があったのか? 扉は硬く閉ざされている。
「はあ、はあ、はあ………」
息が上がっている。
無理も無い、ここまで走ってきたのだ。
だんっ! だんっ!
拳を固め、扉を叩く。
開くなんて思っていない。
こうせずにはいられない。
それだけが理由だった。
「はあ……、はあ……」
息を落ち着ける。
落ち着け、落ち着くんだ。
がんっ!
そう思った自分が、訳も分からず悔しくて、祐介は力を込めて扉を打った。
「痛っ! …………」
……痛い。
当然といえば当然、人には痛みがある。
それが人を制御している。
痛みが無ければ、人の力でこの扉を破る事だってできるかもしれない。
電波の力で、自らのリミッターを解除すれば!
かつん。
祐介は扉に軽く手を当てた。
拳が痛い。
冷たい鉄がひんやりとしている。
「………………………」
額を鉄につけると頭がどれだけ熱を持っているか分かる。
冷えていく。
この蒸し暑い中にいて、頭だけが冷えていく。
現状を理解する。
そして自分の無力を知る。
がん! がん! がんがんがんがん!
祐介は力任せに扉を打った。
リミッターは解除しない。
この期に及んで冷静な自分が嫌だった。
しかし、リミッターは解除しないものの、それでも
だぁぁぁん!!
力加減を忘れて打った一打が彼の動きを止めた。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
こつん。
拳を鉄に当てる。
その向こうに想いを投げる。
「………………………、瑠璃子さん」
長瀬祐介は立ちはだかる壁にもたれ、ずるずるとその場に座り込んだ。

月島瑠璃子が消えた次の日である。


・ 結末の果てに―優しさの結末_第二章―第二話・
・ 鉄の味がする・

今年に入って一番暑い日。
長瀬祐介は静かに授業を聞いていた。
世界に色が戻ってから、彼にとって学校に来る事はそれほど苦痛では無くなっていた。
特に彼は放課後の学校が好きだった。
深夜の冷え切った学校ではない。
夕刻、日の沈む辺りの学校を彼は愛し始めていた。
たとえば月の出ている夕刻、残響のように喧騒の残る学校で、アンテナを高く上げる。
それは町中や、授業中、つまり人の多いところでは絶対にできない。
電波が溢れすぎているからだ。

そういう意味で、彼は月島瑠璃子とは少し違っていた。
彼女は雑踏のような電波の渦を愛していた。
彼には耐える事のできないような電波の渦に流され、乱される事を楽しんでいた。

しかし、彼は微かな電波を愛した。
放課後の学校で、生徒達の残すそれを愛した。
それを知ると、彼女もそれを愛するようになった。

放課後までの時間は、彼にとって、別段意味の無いものであったが、放課後はそうではなかった。
だから、彼はそれまでの時間を苦痛とともに授業を聞く事に決めた。
苦痛の過ぎ去った後の快楽は何倍にもなるではないか。

風が吹いて、彼の髪を揺らした。

「長瀬ちゃん、また助けてくれるよね」

え?
その言葉を最後に瑠璃子からの電波は途切れた。
途切れた?
祐介には何もできなかった。
混乱の果てにどうすればいいかも分からなかったのだ。
「………………」
どっ! と、教室が沸いた。
どうやら教師がなにか面白い事を言ったらしい。
聞き逃した。
不意にそう思った事がおかしくなって、彼は冷静を取り戻す。
とりあえず、アンテナを上げる。
瑠璃子さんを探す。
………………見つからない。
祐介は迷った。
迷った挙げ句、仕方なく、席を立った。
「どうした、長瀬?」
和やかな雰囲気のまま教師が尋ねる。
「すみません、体調が悪いので早退させてください」
できるだけ相手の神経に障らないように注意して言う。
「とりあえず保健室に行ってみたらどうだ?」
幸運にも教師は自分の冗談が受けて、機嫌を良くしていたようだ。
「そうさせてもらいます」
それだけを言って、祐介は席を立った。

「瑠璃子さん!」
祐介は鉄の扉を叩いた。
「瑠璃子さん!」
押してもびくともしない。
鍵が閉まっている。
「瑠璃子さん!」
祐介の叫びはただ空しく、閉ざされた扉に跳ね返り、そして砕けた。

その日、瑠璃子が鞄を残したまま、何処かへ行ってしまった事だけを隣のクラスで確認して、祐介は家に帰った。
何もする気が起きなかった。
瑠璃子さんはなんて言った?
「また助けてくれるよね」
祐介は何度だって助けるつもりだった。
そこに瑠璃子さんがいて、助けを求めている限りは。
しかし、瑠璃子さんはいない。
ふと思い付いて、電話を取った。
瑠璃子さんの家をダイアルする。
トルルルルルル……
月島さんが出てきたらどうしよう。
しかし、少なくとも友人として、瑠璃子の居場所を聞く事は……
トルルルルルル……
トルルルルルル……
「できないよな。やっぱり」
本気でそれをするとすれば、単なる命知らずか、匿名で電話するしかないが、それでも恐い事は恐い。
しかし、とりあえず、それくらいしかできないのではないか?
トルルルルルル……
トルルルルルル……
トルルルルルル……
トルルルルルル……
叔父さんが出るかもしれないんだ。
でもそっちの方が良いかも。
トルルルルルル……
トルルルルルル……
トルルルルルル……
トルルルルルル……
そういや、叔父さんって、女の人を誑し込んでるんだっけ。
その人が出たらどうしよう。
トルルルルルル……
トルルルルルル……
トルルルルルル……
トルルルルルル……
しかし、如何に祐介が馬鹿だったとしてもコール数が20を超えるころには、何かがおかしいと気がついた。
ピッ。
切る。
誰もいない?
おかしい。
シャッ!
カーテンを開ける。
日は沈んでいた。
こんな時間なのに……。
祐介はそっと、気配を伺いながら、階下を確かめる。
父はまだ帰らない。
母は何かテレビを見ているようだ。
「……………………」
祐介は素早く考えをまとめた。
階段を忍び足で降りる。
階段のわずかな軋みが気になって仕方が無い。
階段を降りるころには息をつかねばならないほど緊張していた。
CMの音が聞こえるリビングの脇を抜け、そっと靴を履いた。
音が鳴らないように祈りながら、ドアを開ける。
なんでこんなに苦労してるんだろ?
わずかに苦笑しながら、祐介はドアを閉じた。
音は鳴らなかった。

夏の夜は心地よい。
昼間とはうってかわってひんやりとした空気が、淀むのではなく溜まっている。
祐介は空気の中を進む。
彼自身それを感じられるほど、神経が高まっていた。
それは空気に混じる不穏な電波。
それも巧妙に隠されている。もし祐介が学校の微弱な電波を楽しむ事を覚えていなければ気づく事はなかっただろう。
これは殺意だ。
しかし、それも月島家の前につくころにははっきりと感じられるようになっていた。
それは過ぎ去った殺意の電波。
月島さんなのか?
「ふう…………」
月島家には電気がついている。夜の10時15分。割と普通の事だ。もし、その中から人の気配が感じられるのであれば……
行くしかないよな。
祐介は最初の一歩を踏み出した。
この時点で言わば不法家宅進入の現行犯だ。
未成年だからどれくらいの刑になるのだろう?
そんなことを考えてみる。
ドアに手をかける。
……かちゃ……
鍵はかかっていない…………。
誰か居るんじゃないか?
TVの音が聞こえる。
でも気配はない。
右足から玄関に入ると扉を閉じる。TVがドラマでもやっているようだ。
靴を脱いで家の中に侵入する。
やはり誰も居ないようだ。そういう匂いがしない。
その時、再び祐介は電波を感じた。
それは微弱な、しかし、はっきりと形のあるもの。
初めにも感じた。
昔にも感じた。
それは殺意。
祐介はそれを追って、居間に入る。
誰も居ない居間で、テレビだけが、悲しい恋を語っている。
それは言いようも無いほど、非現実的な世界だった。
祐介は居間のある一点で止まった。
そこはソファのある斜め後ろ。
そこに残っているのは人の意識の出す、微弱な電波だった。
人は体を動かす時に脳からわずかな電気を使い、神経を通して、命令を伝えている。その電気の痕跡を追えば……
……………………
祐介は深く電気の痕跡に集中していく。
もう消えかかったそれを追うのは非常に難しい。
わずかな注意力の乱れが、すべてを駄目にする。

……………………前に歩いている。真っ直ぐに……
……………………そして止まり、左へ……
……………………立ち止る……
……………………右手、右手に何か触れる……
……………………それを掴む……
……………………左手を上げ……
……………………何かにぶつける……
……………………こつこつと……
……………………これはノックだ……
……………………右手を後ろに……
……………………じっとしている……
……………………と、すっと前にでる……
……………………左手に何か当たった……
……………………何かを押している?……
……………………左手から何かが消える……
……………………右手、動かして……
……………………これはナイフだ……
……………………これを、どこかに……

「うっ…………」
それは間違えようの無い…………

そして祐介はどうやってその場から逃げ出したのかを覚えていない。
気がつくと家のベッドに伏せていた。
…………僕は……僕は……

そして何も出来ないまま、時間だけが流れる。

恐怖は薄れる。

そして長瀬祐介は一人の女性と屋上にいる。
「君は?」
その女性は瑠璃子に似ている。感情の無い瞳、短い髪が風に弄ばれている。
「………私は水禍と申します」
祐介は臨戦体制を取っていた。
「で、水禍さん、なにが違うの?」
何気なく立っていても、いつでも電波を放てるように、この場所で、この電波の集まる場所で、わずかな電波を集めている。
「月島瑠璃子さんの居場所について……」
「何か知っているのか!」
暴れ出しそうな電波を押さえつつ、祐介は尋ねた。
「その前に一つ」
水禍が神妙に祐介に近づく。
「貴方は長瀬祐介さんですね」


―――続く。

<<<後書き>>>

とりあえず、前回バラバラになっていた分を繋ぎあわせてみました。
こういう状況になった時に祐介がどうするか? それが分からず苦労していたのですが、彼に行く先にイベントを配置するのを忘れてました(^^) そりゃ祐介も動かんわな。
では、初挑戦、次回予告(笑)

>>>次回予告<<<

「じゃあ、瑠璃子さんは!」
「貴方達は? いえ、何も言わないで下さい」
「こいつらはなんなんだよ!?」
「…………長瀬ちゃん」
何時の間にか僕のそばでそれは始まっていた。
ただ僕が知らなかっただけで。
「真奈美っ!」
けれど、もう知らない振りは出来ない!
人には知ってしまったら引けない事があるんだ!

次回・結末の果てに―優しさの結末_第二章―第三話・とどまらない時間(仮題)・