終わらない時、制止した時(1・もう一つの世界) 投稿者: 智波

===終わらない時、制止した時===

・もう一つの世界・

何だかまた散らかってきたな。
家を見渡し、俺はとりあえず居間に落ちていたカップラーメンの蓋を手に取った。
講義とバイトを繰り返す生活。
時間が無いわけではないが、何時の間にか家の事はほったらかしになっていた。
こんな時にあいつがいれば良いんだが………
何時の間にかそう考えて、電話に向かい、そして手を止める事も無くなった。
時は確実に過ぎている。
あいつの事を忘れる事はないだろうが、記憶は薄れていく。思い出だけが残っていく。
ガーーーーッ………
煩わしい音を立てる掃除機をかけ、一階の掃除を終えた俺はふと、壁にかかった一枚の絵に気がついた。
ガーーーーッ………
掃除機は煩わしい音を立てつづけている。
俺はそんな事も忘れて、それを見つめていた。
そう時は過ぎている。
俺もあいつも大学生になり、同じ校内で講義を受け、そして顔を合わす事はもう無い。
俺が呼べばあいつはここに来るだろう。
ほんの1年前までと変わらぬ顔で、時に悲しげな表情を浮かべて……

「ねっ、不思議でしょう?」
壁にかかった一枚の絵を眺めながら、あかりは俺に聞いた。
「そうだな」

高校三年の春。
放課後、あかりはいつものように俺を待っていた。
いや、いつものように、とは少し違う。
最近、あかりは放課後になると、そそくさとどこかに消えてしまうのだ。
別に俺も気にしてなかったが、突然俺の前にやってくると、やはり「いつも通り」という気がしてしまう。
「あれ?」
ふと、あかりが持っている大きな包みに気がついた。
大きいとは言っても並みじゃない。そこらのデパートでついてくる紙袋なんかよりずっとでかい。
行きにはそんなもの持っていなかったのに……
「おい、それなんだ?」
「ふふふ、秘密だよ。浩之ちゃん」
そう言って、いたずらっ子のような瞳で笑った。
「ねぇ、今日帰りに浩之ちゃんのところに寄ってもいい?」
「なんだ? また飯でも作ってくれるのか?」
まったく世話好きな奴だな。
そう思う俺も、1年前までとは少しニュアンスが違う。
「うん、それもあるけど、ちょっと」
「その包みか?」
そう聞くと、あかりは嬉しそうに、
「うん!」
と、言った。

「ねぇ、浩之ちゃん。ここ」
玄関先で、唐突に訳の分からない事をあかりが言う。
「なんだ?」
聞き返した俺も、あかりの視線を追えば、何の事かすぐに分かった。
それは壁に生えた釘、おふくろが昔そこに絵を飾っていたのだが、転勤後、すぐに帰ってこれないと分かると、向こうに持っていってしまった。
俺的には絵なんかどうでも良いのだが、これまであったものが無くなると妙に寂しくなるもんだ。
「ここの絵、おばさんが持っていちゃったんだよね。私好きだったんだけどな」
そういやあかりの奴、俺が支度して出てくるまで、よくその絵を見てたんだっけ。
「何なら、おふくろに聞いてやろうか? どうせ、安もんだぜ」
「浩之ちゃん、買ってくれるの?」
あかりがびっくりして、俺に聞いた。
なんだよ、それは。
とたんにほんのちょっとだけあった、買ってやろうかな、という気が失せる。
「ばーか、自分で買え、そんなもん」
「えへへ」
あかりが笑って、ずっと大事そうに持っていた、大きな包みを掲げた。
「なんだ? ようやくお出ましか?」
「うん」
そう言いながら、あかりは袋からそれを取り出した。
「おい、それ」
それは大きな絵だった。
いわゆる風景画に属するのだろうか?
そこには俺ん家の居間が描かれていた。
「なんだよ、それ?」
「何って、絵だよ」
「そんなこたぁ、分かってる。何でそんな絵を持ってるんだ?」
「へへっ」
あかりが舌を出して笑った。
「自分で描いたの。美術部の友達がね。あかりは絵が上手いから何か描いてみないかって」
「それで最近、帰りにそそくさとどっか行ってたのか」
「うん、ごめんね、浩之ちゃん、秘密にしてて」
あかりが叱られた犬のような表情をする。
「しょーがねーなぁ。気にすんな、俺もしてない」
「うん、これここに飾ってもいい?」
「好きにしろ」

「ふふふ、絵の中に違う世界があるみたい」
あかりの言う事はわかる。家の中にもう一つ家がある。
それは大きな鏡を置いた時に似ていて、それともやはり違う不思議な感覚。
「おいおい、行ってみたいとか言うんじゃないだろうな」
「浩之ちゃんと一緒だったら行っても良いかな」
そんな事を言うあかりの横顔を見ていたら、俺は無性にたまらなくなって、両手でぎゅっと抱きしめた。
「……浩之ちゃん」
「ずっとここで暮らせたら良いのにな」
「うん……」
俺達はいつまでも、そこで、そうしていた。

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