『うつろうは時、流れて』 それは一体何がきっかけで始まったのだろう? 始まりはたった一人、 経過こそが万人に変化を与え、 終末は当事者を変える・・・ 流れ・・・ 感じ取れる人間には感じ取れる、 目には見えない力の向き・・・ 誰かがそれを始めたとき、 たとえ偶然だったにせよ、 時はうつろい始めた・・・ 塊であり、 勢いであり、 力であり、 まずは崩壊から始まる・・・ それは小さなものかもしれない、 とてつもなく大きいかもしれない。 この時点で始まりには然して意味はない。 それがどういうのもであれ、 始まることが重要、 始まりの形ではなく、 始まり、そのもの、 始まる、 始まる、 始まっている・・・ 流れる、 流れる、 流れ出している・・・ 大きな奔流か? それとも小さなせせらぎか? ともかくも、 小さな溝が流れを変える。 変わる? 変わらないかもしれないね。 それこそが経過、 もしくは過程、 たとえ、一滴の水が小さな穴を穿ったにせよ、 ここにおいては、 最初の一滴は意味を持たない。 流れ込もうとする圧力、 それは流れ。 動き出す、 流れ出す、 けれどいつ終わるか分からない。 水は尽きる。 穴は閉ざされる。 水は削る、 流れを創る。 ゆっくりと、 それとも激しく? 多分ゆっくりと、 多分長い時と伴に、 多分一瞬で、 多分僅かな時を受け入れて、 人はそれを知る。 人はそれを見る。 深い感動を知るか、 恐れおののく、 しかしやはり、 水は流れる。 時がうつろう限りは、 水が尽きるまでは、 水は流れ着く、 何処かに流れ着く、 そして掬い上げられ、 また流れるだろう。 そして、 流れ着いたから、 掬い上げられたことを知る。 しかし、 人はそれを見ない。http://www.geocities.co.jp/Playtown-Denei/3148