EBC(4) 投稿者:助蔵間栖久 投稿日:12月10日(月)19時58分
 夕焼けに染まる商店街。 
 買い物帰りの主婦や、ぶらぶらと寄り道をしている学生達で賑わっているその場所に、一人の
老人の姿があった。
 老いによる衰えよりは、威厳を感じさせる真っ白に染まった頭髪。
 びしり、と真っ直ぐな、少しも曲がっていない背。
 黒いスーツに包まれた、厚みを持った肉体。
 普通の老人とは異なった風格を、その老いた男は持ち合わせていた。
 彼の名は長瀬源四郎。
 ちなみにニックネーム(本人は本名より気に入っている)はセバスチャンである。
 齢六十を越えた身で来栖川家の執事長を務め上げ、格闘技ファンの中では勿論、一般人層にも
知名度の高い格闘技選手である来栖川綾香の、事実上の師に当たる人物だ。
 彼には“老い”という言葉が似合わない。
 確実に年齢をとってはいるのだが、それを感じさせない。
 その年齢をして、今だ綾香の様々なトレーニングのパートナーの役割を果たしている。
「…………」
 セバスが商店街に―――それも一人でいることは珍しい事だった。
 この商店街には、綾香の姉である来栖川芹香が高校生だった頃に、芹香の行きつけの本屋への
付き添いで幾度か訪れたことがあるくらいだった。
 芹香がこの街を離れてからは、セバスは一度も立ち寄った事のない場所だった。
 ただ、この日はある用事でここを通っていた。
 商店街に用がある訳ではなく、目的地に向かう際に近道だから通っていたのだ。
 普段運転しているリムジンがあれば、わざわざ近道などをする必要もないのだが、彼は自分の
ためにリムジン決して使用しない。

 商店街を抜け、静かな住宅地の通りを歩く。
 暫くすると、この辺りでは大きな公園が見えてきた。
 そこが、セバスの目指している場所であった。
 



「来たね…」
 公園のベンチには、一人の女が座っていた。
 一見少女のようにも見える、小柄な赤髪の女―――神岸あかりだった。
「少し待ったよ」
「それは失礼を…」 
 セバスはゆっくりと頭を下げた。
「長瀬さん、だったっけ?」
「セバスチャンでございます」
「セバスチャン…?」
「ニックネームです」
「ふーん…じゃあ、セバスさんね」
「はい」
 セバスはそう答えると、「横、よろしいですかな?」と言ってあかりの隣りに座った。
 若い女とやけに体格のいい老人…。
 奇妙な取り合わせではあった。
「じゃあ、早速本題に入ろうかな?」
 あかりはそう切り出した。
「どうして、今日私を呼んだのかな?」
「今回の…EBCのことです」
 セバスはそう静かに言った。
 途端、あかりの目が妙に鋭さを増した。
「それで?」
「神岸様は…対戦相手をご存知ですかな?」
「知ってるよ。この前あの大きいビルに行って、主催者だっていう人に聞いたから」
「そうですか…」
「…来栖川綾香。16歳の時にエクストリーム女子学生部門初優勝。定期興行として行われる試合
 でも、年に一度の本戦でも未だ無敗の選手……こんなところかな?」
「…………」
「ちょっと調べてみたよ。うん、面白そうな相手…」
 あかりはそう言って微笑んだ。
 セバスは硬い表情でその顔を見ていた。
「…で、それがどうかしたの?」
「いえ、一つお尋ねしたいことがありましてな…」
「訊きたいこと?」
「…と、その前に。あなたがEBCに参加する事を会長に薦めたのは実は私です」
「ふ〜ん…ありがと」
「一度、あなたがあの道場でやっているのを拝見させていただきまして…いやはや、見事でした」
「…………」
 あかりは少しつまらなそうな顔をした。
 話が見えてこないという、ちょっとした苛立ちも含まれているようだった。
 セバスは構わず続ける。
「あそこにいる中で、あなただけが違っている所があった。それはそう…荒々しさとでも言いま
 しょうか。表情にも雰囲気にも出していないようでしたが、あなたの中にあるそれは、あなた
 も知らない内に滲み出ていました」
「…………」
「私にはそれがわかった。そして、その荒々しさとは何なのかも想像がつく。だからこそ、私は
 あなたがEBCに参加するのを薦めたのです」
「へぇ…」
「これは聞いた話なのですが…あなたは先日あの道場にいた者の腕を折ったそうですな? それ
 も、その時既に勝負は決していたという相手の…」
「うん」
「…その、普通に見れば無用としか言いようがない“詰め”。それがあなたの荒々しさであり、
 あなたの強さでもある。その気になれば相手を壊すことを躊躇しない…いや、できない闘いを
 念頭においている故に、身に付いてしまった“癖”です」
「…さっきから何が言いたいの?」
 あかりの口調が変わっていた。
 苛立ちの色が濃く混じったものに変わっていた。
「あなたのそれは今では非難の対象にしかならない。それでもあなたはそんな闘いを望んでいる」

「あなたは一体…誰と闘いたい、いえ、誰と闘うおつもりなのですか?」

 セバスはあかりを正面から見据えてそう言った。
 一瞬、あかりの雰囲気が冷たさを増した。
「…………」
「…………」
「……答える必要はないね」
 ただ、それも僅かな時間のことだった。
「そうですな…確かに」
 セバスは小さく溜め息をついた。
 そしてゆっくりとベンチから立ち上がる。
「いやはや…お時間を取らせてしまい、申し訳ございません」
「結局、訊きたい事はそれだけなのかな?」
「はい」
「なぁんだ…それじゃ、私のお願いも聞いてくれるかな?」
「お願い…ですか?」
 あかりもベンチから立ち上がり、セバスの正面に立った。
 夕焼けに、何時にもましてその髪が紅く、美しく見えた。
「私に出来ることなど、そうあるものではございませんぞ?」
「ううん、あるんだよ。あなたにしか出来ないって言ってもいい」
「………?」
 あかりはにっこりと…それでいて冷ややかさを感じさせる笑みを浮かべた。
「あなたさっき言ったよ…私のそれは“今”では批判の対象にしかならない、って。そこで思い
 出したんだよ。あなたはそれが当たり前の“昔”を知っていて、そして今でもそれをやれる…
 現役の人なんだってね」
「…………」
「相手してくれないかなぁ…長瀬源四郎さん」
 
 そう言うと同時に、あかりの足が跳ね上がっていた。
 セバスの股間を蹴り上げることを狙いとした金的蹴り。
 真っ直ぐに、微塵の遠慮も無く放たれた蹴りだった。
 だが、それがセバスの股間に届く事は無かった。
 セバスが足を窄めるようにして、その蹴りを左膝で防いだのである。
 防いだ次の瞬間には、もう前へ踏み込んでいた。
「フッ!」
「!!」
 短い呼気とともに、セバスは真っ直ぐにあかりを突いた。
 右の正拳突き。
 セバスの拳が風を切る音を、あかりは聞いていた。
 あかりは両腕をクロスさせてその拳を受けようとする。
 どんっ。
 直後に重い衝撃。
 あかりはしっかりと両足で踏ん張っていたが、それでも上体が後に崩れた。
 それほどに重く、力のある一撃であった。
 あかりは体勢を立て直さず、そのままバックステップしてセバスから離れた。
 セバスは険しい顔であかりを睨んでいる。
 あかりは…笑っていた。
 まるで喜んでいる様だった。
「ふふ…やっぱり思った通りだよ…」
 あかりはそう言って構えを取った。
 拳は顎辺りにまで上げて脇をしめている、ボクシングの構えに似たものだった。
 ただ、ボクシングのそれに比べて腰を深く落としている。
 組み付きにも行ける構えだった。
 さあ、闘ろうと言っているようだった。
「…………」
 だが、セバスはそんなあかりの様子を見て、ふっと自然体に戻った。
 構えを解き、あかりを見据えた。
「……どういうつもり…?」
 言葉に怒りが篭っていた。
 今にも飛び掛ろうとしていた。
「ここまでですな…」
 あかりを手で制し、そう言った。
「どうして!?」
「あなたはEBCに出る身です。…こんな所で怪我でもしたらいけない」
「構わないね。来栖川綾香よりあなたと闘る方が面白そうだから…」
「綾香お嬢様ではダメだと?」
「そうだよ」
「…………」
「…………」
 二人の間に張り詰めていた空気が、完全に消えてなくなった。

 ふとセバスはあかりに背を向け、歩き始めた。
 あかりは動かない。
 二人の距離はどんどん離れていく…。
「―――そうだ」
 セバスは途中であかりの方に振り向いた。
「あなたは先程、綾香お嬢様ではダメだ、と仰いました。それがあなたの勘違いかどうか…今度の
 試合で知ることになる」
「…………」
「……綾香お嬢様は、必ずやあなたを楽しませてくれる事でしょう」
 そう言って、セバスは公園から去っていった。



 公園に残されたあかりは、小刻みに震えていた。
 寒いわけではない。
 怯えでもなかった。
 怒りだった。
 怒りに震えていた。
「……ぅぅぅぅぅぅ…!」
 歯の隙間から、呻き声のようなものが漏れていた。
 ひどく低い音だった。
「どうして…どうして……!!」
 ぎちっ、と歯軋りした。
「どうしてぇぇッ!!!!」
 叫んだ。
 叫んで、目の前にあるベンチに踵を振り下ろした。
 音を立てて、ベンチは破壊された。
「どうしてっ! どうしてっ! どうしてっ! どうしてっ!!」
 何度も何度も踵を振り下ろした。
 ベンチはもう、骨組みだけになっていた。
 辺りには粉々になったプラスチックの破片が散らばっていた。

「どうして行かなかった!? どうして飛び掛らなかったの!!?」

 自分に罵声を浴びせていた。
 自分に怒り狂っていた。

 夕焼けに染まる公園に、悲鳴のような叫びが響き渡っていた。



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 うわ〜…あかり姐さんメチャクチャやんかー、もうかなわんわー。(似非関西弁)

 実際に公園のベンチ壊したら公共物破損とか、そんなので捕まんのかなー、とか思ったり。
 いや、壊さないし、壊せませんが。

 何だカンだ言って週一くらいのペースは保ててるぞ俺。
 頑張れ俺。
 負けるな俺。


 
 最後に、無口の人さん、感想ありがとうございます。
 とっても禿げ身になりますっ!(お

 いえ、マジでやる気出てくるんですよ。
 しかし、貰ってばっかだな俺。(汗)