EBC(2) 投稿者:助蔵間栖久 投稿日:11月18日(日)19時25分
 閑散とした神社に、規則正しい一定の間隔で乾いた衝撃音が響く。
 人の拳が、足がサンドバックにぶつかる音だ。

 松原葵は、今日も一人で練習をしていた。
 高校時代……六年前から馴染みの場所となった、裏山の神社で。
「はぁっ…はぁっ…!」
 上がった息を整えながら、葵は手の甲で汗を拭った。
 グローブのごわごわした感触がした。

 ここ数ヶ月の間、一週間に一度はこの場所へ来て、一人で練習をしていた。
 そして昔から続けている練習をただ繰り返している。
 一人なので、あまり発展的な練習は出来ない。
 一通りの筋力トレーニングの後に、こうしてサンドバックを叩き続ける位のものである。
 しかし、今は高校時代とは違って、否応なしにここで一人でトレーニングをしているのではない。
 一週間に三度ほどは、多くの人間が集まる総合系のジムでトレーニングをしている。
 ここで一人でやっているのは、今までのスケジュールより更に練習量を増やしたからだった。
 だからここでの練習は、葵にとってとても充実したものだった。

 実を言うと葵には、これ以上ジムなどに通うことは資金面で困難だった。
 練習日以外は毎日アルバイトをしてはいるのだが、それでも辛かった。
 そこで、葵はあることを考えついた。
 葵の通っていた高校に、高校時代に使っていた用具の貸し出しと場所の提供を依頼したのである。
 図々し過ぎるかと、葵は内心不安だったが、学校側は快く認めてくれた。
 そしてここで練習を始めたのである。
 
「はぁ…はぁ……ふぅ…」
 息を整えると、葵はまたサンドバックに向かった。
 実年齢から言えば、少し幼く見える顔に、凛としたものが浮かび上がる。
 そして右のジャブを放った。
 ばすっ、と心地良い音。
 続けて左ジャブを二発。
 右フック。
 ショートアッパー。
 バックステップしてローキック。
 そこからまた詰めて激しく拳を打ち込む。
 サンドバックがぎしぎしと揺れる。
 それを聞きながら更に打ち込みを続ける。
 ―――やっぱりいい。
 葵はそう思った。
 この場所で一人で練習していると、とても身体が澄んだような気がするのだ。
 技の一つ一つが、綺麗に放てる。
 そしてそれを実感する事ができる。
 一人で基礎的な練習を積むことで、葵にとっての本当の初心に帰ることができるのだ。
 一つ一つをじっくりと見つめることができる。
 相手がいる練習とはまた違った良さがある。
 

 数ヶ月前、一通の手紙が葵の元に届いた。
 葵が出場しているエクストリームの、特別な大会が開催されるのだという。
 EXTREME“BATTELE”CLUB…略してEBCと呼ばれる大会が、今度開催される
らしいのだ。
 葵が今出場しているエクストリームとは別に。
 この手紙を受け取った時、エクストリーム本戦自体は一ヵ月後に迫っていた。
 その大会は、その二ヵ月後くらいに開催される予定となっていた。
 手紙の内容を全て読んだ時、葵は衝撃を受けた。
 ひどく心が揺れ動いた。
 何故だかは自分でもよく理解らない。
 ただ、ゾクゾクする興奮が背筋を這い上がって来ているのを感じていた。

 葵は元々は空手をしている人間だった。
 しかし、ある人に追いつきたくてエクストリームに来た。
 ある人とは、エクストリーム女性部門の代名詞とも言えるスター選手、来栖川綾香である。
 綾香も空手からエクストリームに移った人間だった。
 葵は供に過ごした空手時代から、綾香に憧れてはいたのだが、エクストリームで活躍する綾香の
姿を見て、その想いは更に強くなった。 
 いつかこの人に追いつきたいと思った。
 いつかこの人を越えたいと思った。
 そのためには、綾香のいる場所へと上がらなければならなかった。
 初めは綾香の前に立つ事さえ出来なかった。
 だがそれは、更に綾香に対する想いを深めた。
 綾香さんはあんな所の頂点にいる、と。
 ますます追いつきたくなった。
 そのために更に努力し、鍛錬を積み重ねた。

 それから何度か挑戦し、葵は遂に綾香の前に立った。
 結局、綾香には勝てなかった。
 悔しかった。
 綾香を越えることは、そう簡単なことではないとわかっている。
 だからこそ、憧れてきたのだ。
 だから、負けたこと自体が(幾分かはそれもあるが)悔しいワケではなかった。
 本当に悔しいのは、自分の弱さだった。
 綾香と相見えていた間、葵はあることを感じ続けていた。
 綾香が必死になっていないのだ。
 全力ではある。
 綾香が手を抜いたりしないということはわかっている。
 だが、必死ではないのだ。
 死に物狂いで自分に勝ちに来ていないのだ。
 自分には、綾香を必死にさせる力が無かった。
 それを痛感した。
 葵は綾香を必死にさせたい…追いつきたい一心で更に練習をした。
 練習のし過ぎで身体を壊す、オーバーワークになるほどに練習をしたこともあった。
 そして幾度か綾香の前に立つことができた。
 しかし…葵は未だに綾香を必死にさせることが出来ないままでいた。
 自分が鍛錬を積めば積むほど、綾香の大きさ…必死にさせる事までの長さを感じさせられた。

 葵は自分の事を、努力だけは出来ると思っている。
 綾香のような才能は無い。
 努力で綾香に追いつくことしか出来ないのだ。
 しかし、努力をすればするほど、綾香の大きさを見せつけられる…。
 らしくなく、落ち込む事もあった。
 綾香の強さに、ではない。
 全ては自分の弱さに、だった。

 そんな葵の元に、この大会の話が舞い込んできたのだ。
 直感的に、葵はこれだ、と思った。
 何故かはわからない。
 エクストリームとの明確な違いも明らかにはされていないはずだった。
 しかし、葵にはこの大会はエクストリームとは違う、と感じられた。
 そしてその違いこそが、綾香に追いつくための何かに繋がる…と。
 ひどく都合のいい考え方かもしれなかった。
 しかし、葵はそれが不思議ととても信憑性のあることのように思えた。
 葵はいてもたってもいられなくなった。
 この今までとは違うエクストリームの為に、何かしなければと思った。
 綾香に追いつける何かを掴む為に、何かしなければならないと思った。
 何か出来ること……。
 ……葵には、練習しか思いつかなかった。

 それで、この神社でのトレーニングを始めたのだった。
 あれから二ヶ月くらい経った。
 基礎的なことをここでは徹底して、ジムでの練習では加えて発展練習をする。
 試合は更に高い技術が必要となるだろう。
 そう思った葵は、今までより更に密度の高い練習をしていた。
 葵は本戦のエクストリームから、標準をこちらに変えていた。
 今はまだ綾香さんと闘うときじゃない。
 そう考えたから、次に闘う時に綾香を必死にさせたかったから葵はエクストリーム本戦の
出場を止め、練習を続けている。
 
 大会は一ヵ月後に近づいていた…。






 その頃、綾香は一人、セブンズビルへと向かっていた。
 今日はセバスにリムジンを運転してもらってはいない。
 目的は一つだった。
 EBC…EXTREME“BATTELE”CLUBの詳細を聞くためだった。
 無論、父である浩介にである。
 エクストリーム興行は父が全てを取り仕切っているといっていい。
 …そもそも、スポンサーになったのも半分は浩介の趣味だった。
 だから、浩介に訊けばいろいろな事がわかるはず…綾香はそう考えたのである。

 バスを利用して、セブンズビル前のバス停で降りる。
 綾香はバスが去っていくのを見送ると、いつものようにビルを見上げた。
 太陽はここからではビルの後ろに隠れてしまって見えない。
 完全にこの辺は日陰である。
「相変わらずでかいわねぇ…」
 このビルの前に立つ度、綾香はこうして上を見上げてはそう思うのである。
 セブンズビルは、今では日本で最高の建築物である。
 死んだ祖父が高い物が好きだったらしく、こんな無意味に高いビルを造らせたのだ。
 日照権やらなんやらで色々と難儀したらしいが、それを解決して(本当かどうかは知らない)
までこれを建てたのだと言う。

 視線を戻すと、ふと目に入ったものがあった。
 赤髪の女性が、ビル内から出てくるところだった。
 綾香は、その女の体付きに目がいったのだ。
 傍から見れば普通の女性の身体をしていた。
 しかし、綾香の目にはその体型が、良く絞り込まれた、鍛え上げられた肉体だという事が
即座にわかった。
「…………」
 女は無言で歩いてくる。
 綾香は何となく目を逸らし、ビルの中へ向かう。
「っ!?」
 すれ違った時、綾香にぞくりとした悪寒が走った。
 咄嗟に振り返ると、女は何事も無かったかのようにバス停の方へと向かっていた。
 綾香は知らない内に拳を握っていた。
 綾香が女から感じた物は―――殺気。
 ひどく澄み切った殺気だった。
「……誰かしら、一体…」
 そんなことを思いながら、綾香は浩介の元へと向かった。


「相変わらずね…父さん」
 綾香は浩助の部屋を見回しながら、そう言った。
 相変わらずだだっ広い部屋である。
 その中心に浩介と綾香は立っていた。
「それで、何の用だい綾香?」
「わかってるでしょ?」
 綾香はそう言うと、ポケットから例の手紙を取り出した。
「どういうことなのよ、これ?」
「うーん…やはりこれのことかぁ……」
 浩介は少し困った表情をした。
 綾香は無視して続ける。
「どういうこと…と言われてもな。そのままの内容だよ」
「だから、それが良くわからないんじゃない」
「エクストリームに新しい部門を造ったんだけど?」
「いや、だから……どうしてそういうことになったのよ?」
「僕の趣味さ」
 …一言で片付けられてしまった。
 もっと面白い試合が見たくてね、と浩介は言う。
「趣味、って…そんなんで興行として成り立つの?」
「諸経費とかギャラなんかはうちの会社…いや、僕が払うさ」
 …事実上、来栖川グループが払うのと同じである。
「……ギャラ?」
「うん。賞金が出ればもっと強い人が出るだろうと思うし、呼びやすくなるしね」
「つまりは…エクストリームをプロ化するわけね?」
「まぁ…簡単に言えばそうかな?」
 TVとかには流さないけどねー、と続けた。
「TV放送はナシ?」
「うん。ルールがルールだしね」
「ルールがルール?」
「うん。今頃はその手紙を送った人には全てもう一通手紙が行ってると思う」
「それで、どんなルールなのよ」
「一応興行なんで、そこまで酷過ぎるルールじゃないけどね」
「どこまで出来るのよ?」
「そうだなぁ…制限は極力少なくするつもりだよ」
「へぇ……」
 聞きながら、綾香の顔にはいつの間にか笑みが浮かんでいた。
「それで、綾香はやりたくないのかい?」
「…………」
「君が、つまらないと駄々をこねているとセバスに聞いたんだけど?」
「だ、駄々なんかこねてないわよ!」
 そう言うと浩介は笑った。
「きっと…綾香も楽しめると思うんだけどね」
「そうね……出てみてもいいかな?」
 
 こうして、綾香はEBC出場を決めたのだった。

 
「ルールや会場なんかは今頃家に手紙が行ってると思うから、それで確認してね」
「わかってるわ」
 帰り際、浩介が確認するようにそう言ってきた。
 綾香には、その態度がどこか不自然に感じた。
「……どうかしたの?」
「ううん、別に何も」
「…………」
「…………」
「だったらどうしてそんな名残惜しそうな目してるのよ…」
「…何か訊く事はないのかな〜と思って」
「訊くこと?」
 綾香にはわからない。
「別にないけど?」
「そう…か。うん、だったらそれでいいんだけどね」
 いかにも、聞いて欲しい! という表情だった。
「…何も無いわ。じゃね」
 だが、綾香は敢えてそれを無視した。
 浩介はがっくりと項垂れていた。


 部屋に戻ると、浩介は椅子に深く腰掛けた。
 そして机の引出しから、ある一枚の写真を取り出した。
「対戦相手のこと…何も訊かなかったなぁ…」
 写真を見つめながら浩介は溜め息をついた。
 写真には、赤髪の女性が写っている。
 ぱっと見ただけでは、ただの無表情な女に見える。
 だが、写真に写る女の目だけが普通でなかった。
 鋭い…そして冷たい瞳だった。
「神岸あかり君、かぁ……」
 



 

 敷き詰められた畳の上に、二人の女が対峙していた。
 二人とも柔道着を着ている。
 片方は黒帯、片方は白帯だった。
 黒帯の方の女は身長が170cm以上はある、大きな女だった。
 体格も大きい。
 対する白帯の女。
 160cmにも満たないような身長の、小柄な赤髪の女だった。
 身体も相手に比べると細い。
 ただ、目だけは異様に鋭い女だった。
 そんな二人が対峙しているのを、横では同じ柔道着を来た女達が正座して見ている。
 ここは、とある柔道の道場だった。

「両者とも…熱くなるのは構わないが、方向を間違わないように」
 両者の間にいる、主審をしている男が、対峙する二人にそう言った。
 二人とも無言であった。
「それでは…」
 主審が身を引き、二人の間には誰もいなくなった。
 黒帯の女は、前にいる相手を恐ろしい顔で睨みつけている。
 対して、もう一人の女は無表情で、つまらなそうに目を逸らしていた。

「はじめぃっ!!」
 
 黒帯の女が出る。
 赤髪の少女―――神岸あかりの顔に、初めて表情が浮かんだ。
 笑みだった。
 とても冷ややかな、笑みだった。



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(タイガーマスクのテーマをBGMに)

 謎のマスクマン助蔵間栖久(スケゾーマスク、と読む)は悪のSS結社「助の穴」の
 送り込んでくる敵を(八百長で)薙ぎ倒し、孤児院を経営する、何だかよくわからないが、
 カッチョイイ気がする設定の男である!
 
 ……んなこたーない、です。
 
 実の所は、若手時代にぱっとしなかったレスラーが、後にマスクマンとして活躍したりする
ことから思いついた、まー、願掛けみたいな寂しく阿呆なネタだったんですが。<助蔵間栖久
 でも、どうせですのでしばらくは助蔵間栖久として書いて行きます…。
 中身はあんまし変わってませんが。(笑)