キン肉マン・マルチ 第二章(16) 投稿者:助造 投稿日:7月29日(日)23時52分
 前回までのあらすじ

 東鳩超人選手権三位決定戦終盤。
 話は度々琴音の過去へと遡り、進行する。
 今回で琴音の昔話も終わります。
 ええ、ようやく。

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        キン肉マン・マルチ 第二章 東鳩超人選手権編 第十六話



 
 東鳩市総合病院。

 来栖川グループの援助によって建てられた、大規模な医療設備を備えた大病院
である。その設備は大学病院に匹敵するものがあり、市民以外にも遠方から訪れ
る人も多い。

 この東鳩市総合病院に、約一年前、重傷を負った二人の女性が入院した。



 当時、研修生として来ていた男は、その時のことをこう語る。

「いや…もう何というか驚きましたよ。確か、21時くらいだったかな? そろ
 そろ病院自体は消灯時間だったですね。当時からここはかなりの規模の病院で
 したから…確か入院患者も500人はゆうに超えてるくらいの…あ、話が逸れ
 ましたか」
 
 その日、男は珍しく院内をひと回りしながら、窓等の戸締りを確認していたの
だそうだ。普通は、そんなことは警備員や他の用務員等がするのだが、その日は
何となく、帰り支度をした後に病院内の全ての施設を回っていたのだという。

「で、僕が最後に正面玄関の戸締りを確認しに行ったときでしたね。向こう側に
 誰かが走っているのが見える。目測ですけど…病院から500mくらいの場所
 だったかな? その時は降り続いていた雨も止んでいたんで、誰かがマラソン
 か何かの夜間練習でもやっているのかと思いました。医者からしてみれば、多
 少の運動くらいは健康には好ましいものですから、少し感心しながらそれを見
 てましたね…」

 しかし、男はあることに気付く。走っている人影が、どうも妙な形をしていた
のである。というのも、上半身は前屈みになっているように見えたのだが、それ
でいて背中の部分が、普通の人間より大きく盛り上がっているように見えたので
ある。

「背中に誰かを“背負ってる”、と気付いた時には、その“二人”がこっちに向
 かって走ってきているのもわかりました。どうしてかよくわからないんですが、
 驚きと同時に好奇心がありましたねぇ…何しに来るんだろう、って」

 男は正面玄関越しに、二人の姿を見ていたのだそうだ。そして、その姿が近く
に来てはっきりと見て取れるようになる内に、男の好奇心は何処かへ消えてなく
なり、恐怖にも似た焦りのような物が浮かんできたという。
 
「あはは…そりゃそれを見たときは驚きましたよ。声が出ませんでした。正直、
 パニくっていたのかもしれませんねぇ…冷静な対応とか、判断とかは全て頭
 の中から弾き飛ばされてました」

「その二人が…そう、血塗れとしか言えない格好だったんですよ。血液はこん
 なに多いのか? とか思いましたもん。ホラー映画等でもあれだけ血塗りを
 使うことはないんじゃないでしょうか…。頭から血をかぶったような、って
 いう表現そのものでしたね…」

 目の前に来た人影は、まだ若い少女だった。しきりに『助けて、助けて!』
という言葉を発していたという。何度かその言葉を聞いているうちに、男は我
を取り戻して、玄関を開け放ったのだそうだ。同時に、すぐに院内のコールで
看護婦達に報せた。

「ひどい…うん、ひどいとしか言いようのない状態でした。まだまだ素人だっ
 た僕にも、それがわかりましたからね。背中に背負われている人もまた女性
 だったんですが…こっちは二十歳は超えてたかな? とにかく、そっちの女
 性はひどい状態でしたよ。何と言っても片足が…その、“潰れて”いました
 から…」

 男は思わずそれを見て呻いた。。男はその女性が地雷か何かでも踏んだのか
と思ったという。異様な形に曲がっており、折れた骨が数箇所肉を突き破って
出ていて、まるで足が“破裂”したかのように見えた。しかし、爆発物などに
よる被害と違って、火傷等の負傷は全く見られなかったらしい。
 勿論、すぐさまその女性は緊急治療室へと運ばれた。

「もう一人の女の子の方はまだ泣いてましたね…。顔中、血や涙や汗で悲惨で
 した。後から考えてみれば、その娘、すごく美人だったんですけど…それが
 凄惨さを物語っているというか…あはは、こういうこと言うとまずいのかな? 
 そう…そういうのが似合いそうな顔だったんです。決して幸せそう、だとか
 いう言葉が当てはまらないような顔でした。綺麗なんだけど…ひどく脆いよ
 うなイメージを受ける少女でしたねぇ…」

 女性が運び込まれるのを見つめていた時、少女の足取りがふらついているの
に気付いたのだという。よく見てみれば、血を頭から被ったような顔は痣だら
けであった。そして、少女が脇腹に深い裂傷を負っていことに、その時初めて
気がついたのである。傷口から流れ出ている血液は止まりそうになかった。男
はぞっとしたという。数十秒間、立っているだけで、その少女の下には滴り落
ちた血で血溜まりが出来るほどの出血量だった。

「普通なら彼女自身、救急車で運ばれるはずの怪我だったんですね。人も超人
 も血液の半分を無くすと、出血多量でショック死を起こしますが…彼女は死
 んでいてもおかしくない程の出血をしていた…」

 他の医師に輸血の準備をしている最中、男が外を見ていると、少女が走って
きたと思われる道には、道標のように血痕が続いていたという。
 それだけの傷を負いながら、少女は走って病院まで来たのである。

「無謀…ですよね、普通は。後から聞いた話によれば、その娘、自分より大き
 い身体の人間を背中に背負って10km近い距離を走ってきたそうなんです。
 10kmですよ? それだけの距離を全速力で走れば血液の循環も当然速く
 なるから、それだけ出血量も増えてしまう。何より、地面に足がつく際の衝
 撃が絶え間なく続いているわけですから…唯でさえ塞がらない傷口は、余計
 塞がりませんよ…」

「でも…それでも彼女はまだ立っていたんですよ。ショック死寸前の状態にも
 関わらずにね…。体は血の気が失せつつあった。意識だって朦朧としていた
 はずでしょう。だけど…立っているんですねぇ。人の精神力、というか……
 そういう“気持ち”の力の大きさみたいなのを…感じましたねぇ」

 その夜、二人は緊急手術を受けたという。
 数時間に渡って手術は続けられたらしい。

「実は、そっちの少女の方も危険な状態だったんですねぇ。しかし、彼女は手
 術室に送られるまでずっとその場に立っていたんですよ! 立って、しきり
 に亜矢子さんを助けて、とだけ言う。自分が怪我をしているのをまるで知ら
 ないのかと思いましたよ」

 男は苦笑して話を続けた。

「まあ…奇跡、とでも言うんでしょうかね? 世の中には奇跡は起こらないか
 ら奇跡って言うんですよ、と言う人もいるそうですが…あれは奇跡と言って
 過言ではなかったと思いますよ。二人とも命を取り留めた…」

「流石に…無事もなく、というわけにはいきませんでしたが」

 少女の方の主な怪我は鼻骨の骨折、脇腹の裂傷、肋骨の数本が骨折、頭蓋骨
にヒビが入っていたというものだった。しかしながら、脳挫傷や内臓への被害
等の怪我はなかったらしい。回復さえすれば今まで通りの生活を送ることがで
きるということだった。しかし、もう一人の女性の方は、怪我を負っているの
は脚部だけだったのだが、その怪我は既に手がつけられないような状態だった。

 …結局、その女性は片足を失うこととなった。


「残念でしたけど…仕方がなかった…」

 男は一度俯き、溜め息をついてまた語り始めた。

「調べてみると、彼女達は二人とも超人だったんですね。それで回復も早かっ
 た。少女の方は一ヶ月も経てばほとんど全快と言っていいほどに回復した。
 ホント…超人の力には驚かされてばかりです…」

 少女は動けるようになると、少女が背負っていた女性に面会を希望した。少
女も女性も大怪我ということに変わりはなかったが、女性の方は動けはしない
ものの、言葉のやり取り等のコミュニケーションにまで支障をきたす怪我では
なかった。

「で、その少女は彼女と面会を許された訳ですが…彼女の姿を見たとき、その
 娘泣きましてね。二人の間に何があったのかとか、私は全然知らなかったん
 ですけど、何となく二人の怪我にこの娘が関わっている、とわかりました。
 ……ええ、事実、彼女がこの件には深く関わっていた訳ですが…」

 男はそう言うと、深い溜め息をついた。

「え? 二人の名前ですか? …え〜と……そうだなぁ、カルテか何かに記録
 が残っているはずだから……あ、ありました、ありました!」
 
 二つのカルテには二人の名前が記されていた。

 姫川琴音、榎田亜矢子、という二つの名が。





 琴音はベッドの上で天井を見つめながら、あの日のことを何度も、繰り返し
思い出していた。結局、あの瞬間に何が起きていたのかはわからなかったが、
それでも、自分が亜矢子に大怪我を負わせてしまった、ということは漠然とわ
かっていた。自分がやった、というのを覚えてはいないが、確信があった。
 超能力。
 琴音が忌み嫌ってきた能力(ちから)が、亜矢子を襲ったのだ。
 それだけはわかった。





 亜矢子が倒れこんだ後、琴音は暫く呆然としていた。
 それは短い時間だったのか、長い時間だったのかわからない。
 ただ、倒れこんだ亜矢子の身体を見ていた。
 亜矢子の身体からじわじわと血が広がっていくのを見て、琴音は我に帰った。
 亜矢子の足が…赤黒く染まっていた。
 それがどうなっているか、など琴音は考えもしなかった。
 亜矢子が“危険な”状態にある、という確信があった。
 嫌な…信じたくない確信だった。
 
「あ…亜矢子さん!?」

 琴音が呼びかけても、亜矢子は何も答えなかった。
 

 ―――琴音ちゃんにとって…悲しいことになったりするかもしれないってことだよ。


 違う。
 違う。
 違う!
 こんなのだったら嘘だ!
 だって…だってこれじゃ一番苦しいのは亜矢子さんじゃない!
 私は自分だけが傷付くのならかまわない。
 今でもそう思う。
 私が傷付くだけで能力が抑えられるのなら、そんな傷はすぐに忘れられる。
 たとえ、どんなに痛くても。
 能力が抑えられれば、どんなに傷付いても“幸せ”になれるはずだから。
 そう信じたから、あの言葉にも頷けた。
 なのに…。
 これはあの言葉とは違う!
 傷付いたのは…亜矢子さんだ…。
 嫌だ。
 こんなのは嫌だ!

「嫌! こんなの私、認めない!! こんなの絶対に…!!」

 ある時は逃げ、ある時は諦めることで、在るがまま、成すがままを受け止め
てきた琴音。

 それは初めての、琴音のわがままだったのかもしれない。

 琴音は倒れたまま動かない亜矢子を背負い、道場を飛び出した。
 辺りはまだ、充分人通りの多い時間帯だったのだが、騒ぎは起きなかった。
 琴音はひたすら走った。
 全速力で走った。
 走るのには慣れていたが、人を一人背負って走ったことなど、勿論ない。
 走っている間中、脇腹から力が抜けていくような感覚がしていた。
 自分の怪我などどうだってよかった。
 …というより、実の所、怪我をしていることを忘れていた。
 唯ひたすらに病院を目指して走った。

 どうして病院なんか目指しているんだろう?
 亜矢子さんが怪我を負っているから?
 怪我をした亜矢子さんを病院へ連れて行くことで、傷つけたことを償おうと
考えているの?
 償えると思っているの?
 ……違う。
 違う、と思う。
 償うだとか、償えるだとかそんなことは考えてない。
 ただ、このままじゃ亜矢子さんは死んでしまう。
 それは嫌だ。
 それだけは嫌だ。
 この人は私の好きな人だから。
 この人が死ぬのは嫌だ。
 まして、私がこの人を死なせるようなことになるのは嫌だ。
 助けてみせる。

 人との関わりあいを拒絶してきた琴音にとって、人のために何かをする、と
いうこともまた初めてのことだった。





 その後の事はよく覚えていない。
 ただ、病院のベッドの上にいるということは、私は亜矢子さんを連れて病院
まで辿り着くことが出来たらしい。何度か看護婦の人に亜矢子さんのことを聞
いてみたけど、まだ生きているらしい。
 よかった…。
 とりあえず、琴音は安堵の息をついた。


 それから2週間後、超人の回復力を持つ琴音は歩けるまで回復した。
 亜矢子との面会はできる、ということだったので、すぐさま亜矢子のいる病
室へと向かった。

 部屋に入り、亜矢子の姿を見た途端、琴音は言葉をなくしたという。
 亜矢子の右足は…膝から下が無くなっていた。
 膝から上も、包帯でぐるぐる巻きにされている。
 おそらくあの時の音は、亜矢子の足の―――潰れた音だったのだろう。
 

「私が…やったんですか…?」
 琴音は自分がやったという確信がありながらも、そう尋ねた。
「うん、そうだよ…」
 亜矢子は相変わらず微笑みながら、躊躇なくそう言った。

 どうしてこの人は微笑っていられるのだろう?
 目の前に…忌まわしい女がいるというのに…。

 他人事のように、琴音はそう思った。
 勿論、琴音のいう『忌まわしい女』は琴音である。

「だけどね…これはわかってたことなんだよ…」
「え…?」
 琴音は耳を疑った。
「どういうことですか…!?」
「うん……私には、こうなることがわかってた」
「!?」
「私がさ…前に言ったよね。私もある方法で能力を抑えたんだ、って。あれは
 格闘技の習得、そしてその闘いの中で超能力を使うことによって能力を抑制
 した、っていう意味じゃないんだ…」
「…………」
「格闘技の習得、っていうのは能力の抑制とは本当は全く無関係なの。本当の
 方法は……」
「この前の―――」
「そう…そうなんだ」
 亜矢子は、今まで黙っててごめんね、と言って続けた。

「超能力の反射、っていうのは知ってる?」
「反射?」
「そう…能力の暴走と少し似ているかな? 前触れなく起こる、能力の暴走と
 思えばいいよ」

 暴走…能力の暴走とは、どんな場合でも能力者には“来る”のがわかる。
 耳鳴りが聞こえたり、ひどいときには頭痛などがして、能力者は暴走を知る。
 それによって、琴音は暴走時の被害を最小限に抑えようと、何らかの行動を
とるのである。時にはその前触れがひどく短い場合があり、比較的長いことも
あるのだが、いずれにせよ前触れはあるのだ。

「反射っていうのは無意識に起こるものなんだね。そう…例えば能力者の身に
 何らかの危険が迫った時とかに、能力者を守護するための役割を果たしたり
 するの」
「………あ…」
「そう、私はあの時“反射を人為的に起こそうとしていた”んだよ」
「…でも…それが何の意味になるんですか?」
 反射は暴走並みの能力と危険を持っている。
 それは亜矢子がこうなったことで実証されているのだ。
 琴音には、それを引き起こす意図が掴めない。

「反射っていうのは、危険のレベルが高ければ高いほどその威力も増していく。
 “死”というのは、最上級の危険だから、最大の能力の反射を起こす…」
「…………」
「だから、あの時は…私は琴音ちゃんを殺すつもりで攻撃した」
 亜矢子はまた、ごめんね、と言った。
「そして…最大級の能力の暴走っていうのは、私たちの知っている暴走とはレ
 ベルが違う…。硝子窓を砕く、なんていうものじゃない」
「じゃあ…」
「うん。だから、最大の能力と、それによって引き起こされる被害を体験する
 ことで、能力の本当の恐ろしさを知る。その被害が、自分にとって衝撃的な
 ら衝撃的なほど…心に受ける傷は大きいね…」
「心の傷……」
「その心の傷が…暴走を完全に押さえ込む。これは違うかもしれないけど……
 ○○恐怖症ってやつがあるでしょう? 言わば、暴走恐怖症にするんだ」
「…………」
「心の傷が…悲しい、本当に悲しくて、悔やんでも悔やみきれないような過去
 が…能力の暴走を抑えてくれる。心の傷が…暴走を拒絶するようになる…」
 
 心の傷。
 自分にもそれが刻まれている、というのはわかった。
 おそらく…亜矢子はもう格闘技ができない。
 できなくしたのは自分である。
 自責の念が、絶え間なく琴音を責めている。
 好きな人の、大切なものを奪ってしまった。
 これは琴音にとって、大きな心の傷となるのだろう。

「…あはは、私って自意識過剰かな? 琴音ちゃんに私を傷つけさせて、心の
 傷を作ろうと思ってたんだけど…よく考えてみると、それは琴音ちゃんが私
 のことを大切に思ってくれないと駄目なんだよね…」
「…………」
「琴音ちゃんが私のこと好きになってくれる、って確証は何処にもないのにね。
 なのに、琴音ちゃんは好きになると思うなんて…自意識過剰だよ」
 亜矢子は自嘲気味に笑って、そう言った。

「でも…私、亜矢子さんのこと好きです…」
「ふふ……ありがとう…。私も琴音ちゃん、好きだよ」

 亜矢子はひどく寂しげな顔をした。
 それを見て琴音はようやく気付く。
 ああ、亜矢子さんも心の傷を負ったんだ、と。


「……琴音ちゃんは…運命って信じる?」
「え?」

 亜矢子は唐突に、そんなことを言った。

「私はね、信じているんだ…。全ての人に運命があるのかはわからないけど、
 少なくとも“私たち”にはそういうものがあると思う…」
「…………」
「いや、使命と呼ぶべきかな? …っていうと偉そうに聞こえるけど。だけど、
 私たち能力者にはそういうものがあるんだと思うんだ。それはとても…そう、
 とても悲しくて…つらい使命…。救済するためにその人を傷つけて、自分も
 傷つく。下手をすると、どちらも壊れてしまうかもしれない…そんな使命…」

「もしも神様がいて、そして神様が私たちに異能と運命を与えているなら……
 どうして私たちにそんなヒドイことをするんだろうね…」

 亜矢子は泣いていた。
 琴音に顔を背けて。
 琴音は何を言っていいのかわからない。

「あはは…ごめん…ね…」
「いえ…」

 琴音はただ短くそう言った。
 亜矢子は涙も拭かずに泣いていた―――




「私ね…琴音ちゃんに格闘技を教えたのには理由があるんだよ…」
「理由…。何のですか?」
 泣き止んだ亜矢子は、琴音の方を向いてそう言った。

「東鳩超人選手権―――」
「…?」
「私が去年挑戦して、三位で敗退しちゃった大会だよ」
「ああ…」
 琴音はその話を聞いたことを思い出した。
 そして…その時の胸の昂ぶりも。
「その大会がどうしたんですか?」
「うん、半年後にその大会があるんだけど…」
「はい…それが何か?」

「それに出場して欲しいんだよ」

「……え?」
「だから、私の代わりに大会に出場してくれないかな? 私は、もう流石に…」
「あ―――」
 そう、亜矢子はもう格闘技者としては死んでいると言っていい。
 

「でも…私がですか?」
「そうだよ?」
「どうして…私はまだ素人ですよ……」
「大丈夫だよ。琴音ちゃんは“亜矢子流”を体得したんだから」
「あ…あやこりゅう?」
 思わず訊き返す。
「そう。亜矢子流だよ」
「…………」
「出てくれるかな?」

「わかりません…もう少し考えさせてください」

 責任。
 償い。
 そんなことで決断してはならないと思った。
 
「うん…」

 亜矢子は、その返事を予想していたかのようだった。
 そしていつものように微笑んだ。






「え? それからですか? んー…女性―――亜矢子さんの方は義足の使用も
 考えられたんですが…本人が嫌だと言って。結局、車椅子での生活を選んだ
 んですよ。あ、はい。退院する時は元気でしたよ。まだ若いですから、この
 先、苦労も多いでしょうけどね…」

 男はそう言うと、カルテを仕舞った。


「はい? ああ、琴音さんの方ですか。そう言えば何だか、病院に来た時に感
 じた薄幸の少女みたいなイメージは退院時には無くなっていましたねぇ…」

「最近ですか? いや、もう全く音沙汰ないですよ」

 男はそう言って苦笑すると、席を立った。


「あ、でも…彼女最近、格闘技か何かの大会に出ているらしいですね―――」



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 あー、ようやく琴音の過去編終了。
 最初は軽い気持ちで始めたんですが…“締め”をあまり考えてなくて(爆)
 まあ、これから話は元に戻ります。