キン肉マン・マルチ 第二章(13) 投稿者:助造 投稿日:6月10日(日)12時35分
 前回までのあらすじ

 氷上チェーンデスマッチという特異な形式で始まった
 東鳩超人選手権三位決定戦。
 序盤から琴音が圧倒的な強さで幾度も智子を追い詰めるが、
 依然として智子をKOさせるまでには至っていなかった。
 それでも琴音は超能力を使い、容赦なく智子を攻め続ける。
 話は、琴音の過去へと遡っていく…

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     キン肉マン・マルチ 第二章 東鳩超人選手権編 第十三話




 亜矢子さんの考えた案はこうだった。

「暴走はね、能力を自分の中に溜めすぎるのが原因なの。だからさ、能力を溜めす
 ぎて暴発するなら、その前に使ってしまえばいいんだよ」

「…………」
 暴走する前に使ってしまえばいい。
 …そういうものなのだろうか?
 あまりにもあっさりと言い切る亜矢子に、琴音は不安を覚えたのは言うまでもな
い。自分が悩み続けてきた問題に、彼女はたった数秒で解決策を考え出したのだ。
信用してよと言われて、ハイ信用します…とは言えなかった。

 だが、琴音の不安は思い過ごしにおわった。
 彼女はこの方法で能力を操れるようになったのらしい。

「何回も使ってる内にいつの間にか自由に操れるようになっててね…」
 能力を自ら使うことで、暴発を防ぎつつ、その扱い方の訓練にもなるらしい。
一石二鳥だね、と亜矢子は言っていた。琴音にはどうなのかわからない。
「でも…一体何に向けて能力を使えば…?」

「人だよ」

 亜矢子は何の屈託もなく言った。
 あまりにもさらりと言い放ったので、一瞬何のことだかわからなかった。
 が、見る見るうちに琴音の顔が歪んだ。
 怒り、困惑…その二つが混じったような表情をしていた。
「な、何を言っているんですか!? そんなこと―――」
 そもそも琴音は人を傷つけるのが怖くて暴走を防ごうとしているのだ。
 そのために人を傷つけてしまっては何の意味もない。
「…大丈夫、場所は用意するから…」
 亜矢子が親指を立てて後ろにある古い型のテレビを指す。
 テレビの中では二人の男が対峙していた。


 歓声を受けながら、ロープに囲まれた一つのマットの上に二人がいる。
 格好はどちらも上半身は裸で、下にはトランクスを穿いている。
 がっちりとした肉が自らの汗で光っている男たちだった。
 身体中の全ての筋肉がぎゅうと締まり、張っているような体つきだ。
 誰が見ても鍛え上げられた身体だとわかる。
 そんな二人がリズミカルに、円を描くように動いている。

 急に、片方の男が前に出た。
 片方の男が拳を振るう。
 もう片方の男の顔に思い切り当たる。
 よく見てみると殴られた方の顔には痣があり、幾箇所も切れていた。
 殴った方の顔も五十歩百歩である。
 左の瞼は大きく腫れ上がり、片方の目は隠れてしまっている。
 そんな顔をした二人が、交互に拳をぶつけ合っているのである。
 両者ともフラフラとした足取りで動いている。
 ちょっとした拍子に倒れてしまいそうな状態だった。
 今にも倒れてしまいそうなのだ。
 それなのに…
 何故か両者とも拳を振るうのを止めない。
 殴る。
 殴る。
 殴られる。
 殴る。
 殴られる。
 殴られる
 殴られて、殴り返す…
 延々と続く拳の応酬。
 照明に輝く飛沫は汗なのか、それとも血なのかわからない。
 だが、二人の顔にある表情は同じだ。
 必死。
 殴ることに全てを賭けているような顔をしている。
 倒すことに全てを賭けているような顔をしている。
 相手より長く立つことに全てを賭けているような顔をしている。
 二人には何の迷いも躊躇もない。
 相手より速い拳を当てようとする。
 相手より多く拳を当てようとする。
 もっと速く、もっと多く、もっと強く…
 それだけを求めているような顔をしている。

 歓声のボルテージは更に高まっていく。
 だが、その声は二人に届いていない。
 ロープの…リングの内と外では世界が違う。
 その世界では目の前にいる男しか、人は存在していないのだ。
 後ろに見える観客はただの背景でしかない。
 いや、目に入ってさえいないのかもしれない。
 そんな二人が殴りあう。
 互いの拳をぶつけ合う。

 ふと、一人の男のパンチが吸い込まれるように顔に入った。
 ぐらり、と身体が揺れた。
 糸の切れた操り人形のように、殴られた男がそのままキャンバスに倒れこむ。
 歓声が一層大きく爆発した。
 ゴングを叩く、けたたましい金属音が鳴り響く。
 それすらも聞こえにくくなるほど、歓声は大きかった。
 レフェリーが、天に向かって高々と男の右腕を突き上げた。
 周りにいたセコンドたちが、男に向かってリングになだれ込んでいった。
 
 立っていた方の男が大きく何かを叫んだ。
 いや、叫んだと言うより吼えた。
 血に染まった顔で男は泣いていた――――


「…………」
 琴音はいつの間にか食い入るように試合を見ていた。
 亜矢子がその様子を目を細めて見つめていたことに、気付くはずもない。
「―――琴音ちゃん」
「あ…は、はい!」
 はっとして、琴音は亜矢子の方を向いた。
 亜矢子はそんな琴音を見て微笑んでいる。

「面白いでしょう?」

 亜矢子が微笑みながら訊く。
 琴音は返答に詰まった。
 面白い…?
 これは面白いというのだろうか?
 琴音にはよくわからなかった。
 今までの、自分の価値観の中には無かったものだからだ。
 “いいもの”とも思わないし、“悪いもの”とも思わない。
 …というより、格闘技…今のはボクシングなのだが…を観たのは琴音にとって
これが初めてなのである。そういうものがあるというのは知っていた。
 少なくとも今まで生きてきた中で感じた面白いという感覚とは違う気がする。
 だが、琴音はわかっている。
 自分はその映像にくぎ付けになっていた。
 子どもがショーケースの中の玩具を覗き込むように。
 琴音はテレビに夢中になっていたと言っていい。
 目が離せなかった。
 でも、それが何故なのかはわからない。
 その気持ちを何というべきなのかがわからない。

「よく…わかりません…」
 そうとしか言い様が無かった。
「そう…」
 亜矢子はそれを聞くと一人で頷いた。
「…………」
「じゃあ、感想はいいや。質問を変えよう…」
「この試合を見て、ちょっと疑問に思ったことか無いかな?」
「疑問…ですか?」
「そう」
「……私、格闘技とかよく知らないんですけど…」
「そうだろうねぇ。女の子でやってる人ってそんなに多くないし…」
「…どうしてどちらの人も、防御…ですか? それをしないんでしょうか?」
「防御しない?」
「はい。あのクッションみたいな物をはめていても、殴られるのってやっぱり痛
 いんですよね? だったら、手か何かでこう…殴られないようにするとか…。
 そうした方が痛くないでしょう?」
「…………」
「でも…今見てた限り、どっちの人も防御をしてなかったように見えました」
「…ふ〜ん……」
 琴音の反応を楽しんでいるかのような表情を、亜矢子はしている。
 それを見て、琴音は何故か恥ずかしそうに俯いた。
「面白いところを見てるね」
「え?」
「いや、防御が云々なんて、初めて見る人にしては見てる場所が面白いなぁって」
「…そうなんですか?」
「だと思うよ」
「そうですか…」
「で、琴音ちゃんの疑問に答えると…。あの二人は決して防御をしてないんじゃ
 ないんだ。ちゃんと…と言えるのかはわからないけど、防御はしてる」
 
 二人はただパンチを受けていたのではない。
 当たる瞬間に身体の位置をずらすなどして、急所にパンチが当たるのを避けて
いたのだ。でなければ、急所に当たれば一発で相手を沈めることができる威力を
持っているパンチをどちらも放っていたので、試合はあっという間に終わってい
ただろう。

「まあ、しっかりした防御、とは言い難いかもしれないけどね。それもしょうが
 ないと言えばしょうがないんだけど」
「?」
「今のは確か…7ラウンドだったかな? だとすればああなってもしょうがない」
「はあ……」
「んー、試合が長引いてくるとね、どうしても防御なんかは雑になっちゃうの。
 体力の低下、精神状態の異様な昂揚もあって、判断力も落ちる…。さっきまで
 あれだけ慎重に出来てたものが、急に出来なくなってくるんだよ…」
「…………」
 まるで体験したことのあるような口ぶりである。
 琴音は少しづつ疑問に思い始めている。
 この人は一体何を考えているのだろうか?
 ―――というより、この人って一体…?

 考えてみれば琴音は亜矢子の名前しか知らない。

「ん…? どうしたの、琴音ちゃん?」
「あの…さっきから話がよく見えないんですけど…」
 おずおずと訊きたいことを口に出す。
 亜矢子は一瞬、ぽかんとした表情になったが、すぐにまた微笑んだ。
「ああそうか…。私だけがわかってても駄目だった。あはは…」
「…………」
「話を戻すと…あ、琴音ちゃんの能力の発散場所だったね」
「はい…さっきから話が逸れてる気がしたんですけど…」
「いや、実はそうでもないんだよ。話はちゃんと琴音ちゃんのことに関係してる」
「は?」
「発散場所は―――あそこだよ」

 亜矢子が指差した先…
 TVの中にリングが映っていた。
 まさか――――
 何かの冗談かと思って琴音が亜矢子の方に振り向く。
 亜矢子はいつものように微笑っていた―――
 




「わからんな…」
「え? 何がですか、主任?」
 試合をじっと観戦していた長瀬が、急に呟いたのをマルチは聞き逃さなかった。
長瀬はマルチに言ったつもりはなかったのか、少し狼狽して答える。
「あ…いや、保科君のことだよ」
「保科さん…ですか?」
「ああ、どうして彼女がこの試合に出てきたのかがよくわからない」
「………?」
「今までの展開を見る限り…保科君と姫川君の力の差は大きいように見える。こう
 言っちゃなんだが…私には彼女が姫川君と互角に闘えるようには…」
「そ、そんな…」
「話は最後まで聞け、マルチ」
「あ…は、はい…」
「…確かに保科君は弱くはない。むしろ強い方だろう。彼女は確か…去年の選手権
 では三位という結果を残している」
「…………」
「だがな、今年の選手権は去年とはレベルが違う。現に保科君は一回戦でセリオに
 負けている。それも…比較的“あっけなく”終わった試合だった」
「あっけなく……」
「あの試合…善戦とは言えないと私は思っている」
「………!」
「その彼女を大会委員会側は特例とも言える待遇で三位決定戦へ出場させている。
 私にはそこがわからない…。大会委員会側はタダでこんなイベントを行っている
 訳じゃないんだ、採算の合わない試合は組まない。しかも氷上での試合だ。リン
 グだけでも通常よりコストが掛かる。この闘技場を試合一回分借りるだけでも、
 相当な費用が掛かる。それも、この後にはおまえ達の試合も控えているんだ」
「…………」
「準決勝で負けたセリオと姫川君の試合、というのならわかる。それは今まで通り
 の三位決定戦だからな。だが、一回戦で負けた保科君を、わざわざ特例を認めて
 この三位決定戦のリングに上げる理由…それは一体なんだ? わざわざ金を掛け
 てまでそんなことをするより、姫川君の三位をそのまま決定させた方がよっぽど
 いい…。少なくとも私が主催者側の指揮をとるならそうする」
「…………」
「…マルチはどう思ってる?」
「…保科さんが出てきた理由、それはわかりません…けど…」
「ん?」
「保科さんは決して、そんな試合展開にはさせないと思うんです…」
「…………」
「この試合、このままじゃ終わらない気がします…」
「そうか…」


 長瀬がリングに目を戻すと、智子がダウンをするところだった。
 琴音がドルフィンキックと名づけた蹴りが智子を吹き飛ばしていた。
 見た目はただのドロップキックである。違うのはその飛距離、威力だ。
 超能力で自らの身体を浮かせ、また超能力を使って推力をつけている。
 琴音の全体重の乗った蹴りが、スピードを増しつつ目標に突っ込んでくる様は、
イルカと言うより魚雷という方が相応しいのかもしれない。
 
 智子は倒れている。
 流石にダメージが溜まってきているのか、立ち上がるのも遅くなっている。
 仰向けになったまま、智子は大天井を見上げていた。
 冷たい氷のキャンバスを肌で感じていた。
 普通の状態なら凍傷にでもなるかもしれない。
 だが、智子の身体は異様な熱を持っていた。
 身体中が熱い。痛みよりは熱さがあった。
 立ちあがらな…
 智子はそう思って身体を起こし始める。

 ふと、視界が暗くなった。
 影だ。
 何かが智子の上にあるので、それが陽光を遮り、智子に影を落としている。
 何や…?
 智子は目を凝らしてそれを見る。
 琴音の姿が空中にあった――――
 琴音が…落ちてくる。

 琴音の足が智子の鳩尾を思い切り踏みつけていた。
 踏みつけた、というより、琴音が鳩尾に足から落ちてきた。
 
 智子は全ての空気を吐き出した。
 肺が極限まで縮むほど吐き出した。
 起きかけていた智子の身体は再びキャンバスに沈んだ――――


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 次回予告

 遂に明らかになる琴音の過去。
 背負った過去が、琴音を強くしているのか…。
 そして、いつまでも倒れない智子。
 驚異的なその精神力が徐々に波を引き寄せ始める!?