坂下好恵 三年目の春(8) 投稿者:助造 投稿日:4月9日(月)11時27分
「アイツ?」
 興味深そうな顔で、藤田が私の顔を覗きこむ。

「アイツよ…綾香よ。」
「…綾香?」
「私が通ってた道場に、アイツが来たのよ。」
「…………」


 空手を始めて暫くすると、元々才能があったのかは知らないけど、私は強くなっていった。
努力もしていたし、練習量は多ければ多いほどいいと思ったから…かなり練習してたしね。
道場に通う人の二倍くらいは練習してた。家に帰っても練習に明け暮れる日々…
見る見るうちに強くなっていったわ。あっという間にその道場で私に敵う子はいなくなった。

「ふ〜ん…そんなに強かったのか、坂下…」
「でもね…私って一番上に立つと駄目になるみたいなのよ…」
「?」
「道場で誰にも負けなくなると、どうもやる気がなくなってきちゃってね…」
「なんだよそれ…」
「えと、実は私、何か目標がないと全然向上しないのタイプなの。」
「へぇ…」
「今は格闘技の深さを知っているから自分の強さに満足なんてしないけど…、その頃は
 ちょっとやっただけでそこでは一番強くなっちゃったわけだから…。空手を舐めてたのかもね。」
「舐めてた…ねぇ…」
「でもね、そこに綾香が出てきたのよ。」

 確か…小学四年生くらいの頃だった。
私はいろんな大会とかでも勝ってたりしてたんで、その頃は自信があった。
…いや、自信というより自惚れてただけなのかもしれないけど。

 いつものように学校から帰って、そのまま道場に行ったんだけど、その日は見慣れない子が一人いたの。
ちょっとツリ目気味の目をしてて、可愛い娘だった。綺麗な髪も印象的だったかな…
 道場の師範から私のことを聞いていたのか、私の顔をみたらすぐに、勝負しよう、って言ってきた。
今までアメリカにいたらしくて、そこで空手をやっていたらしいけど…
でも、私に勝負を挑んできたのは…はっきり言って無謀だと思った。
いきなり、道場で一番強い私に挑んでくるんだからね。身の程知らずだと思ったわ。


 その試合は、周りの子も、そして私自身も綾香に負けることなんて無いと思ってた。

「でもね…やってみると、私が簡単に負けてたの。」
「…………」
「開始から僅か1分ちょっと…綾香の中段蹴りをモロに喰らってそのまま立てなかったわ。」

 最初はそれが信じられなかった。
私は突っ込んでいって綾香を攻め立てたんだけれども、綾香はそれを全部、いとも簡単に避けた。
今までいろんな娘を、男子ですら倒してきた私の拳を、どんな相手も一撃で倒してきた私の蹴りを
…綾香は全て避けてみせた。そして綾香のたった一撃で私は倒された。
 身の程知らずは自分のほうだった。

「で、ほとんど放心状態の私にこう言い放ったの。」
「あなたが一番なの? って、皮肉った言い方でね…」
「…………」
「それがすっごく頭に来たわねぇ…。それで私はその日からさらに練習をした。」

 それから二ヶ月くらいしてからかな?
また綾香に勝負を挑んだの。前にやった時と同じように。
二ヶ月の間、今までより更に練習してた。今度は前みたいに綾香を舐めてたりしてない。

「…今度こそ勝てると思ってたんだけど。」
「……負けたんだろ?」
「うん。今度は開始から数十秒くらいでね…」
「…数十秒?」
「そうよ。前にやった時より早く負けちゃった…」
「…………」
「ホント、頭に来るやつよ。強くなったと思ってると、あいつはそれより強くなってるんだから…」
「ははは…」
「まあ…それから何度もアイツに挑戦はしたんだけど…勝てたことは一度もなかったわね…」

 自分は強いんだと思ってた。
 でも、綾香に負けたことでその自信は崩れ去った。
綾香に与えられた敗北で、私は空手の深さ…ううん、強さの深さを知った。
ちょっとの事で、自分は強いんだって自惚れてた自分がいた事に気付かされた。

「あのまま綾香がいなかったら…私は空手をやめてたと思う。空手のこと、強さのことを
 何も知らないまま、やめてたと思う…」
「今思うと、綾香がいたから…強くなれたのかもしれない。」
「ふ〜ん…」
「あの強さは私の目標だった…。」
「…………」
「でも…アイツは空手をやめて、エクストリームに行った。」
「…そうだったな…」
「勝ち逃げなんて…卑怯なやつよね…」
「……勝ち逃げ、か…」
 
 藤田はそう言って立ち上がる。
もう夕暮れ前だった。風が少し冷たい…。
夕焼けで赤く染まった藤田の横顔を見ながら、私も立ち上がる。

「じゃ、俺はこれで帰るよ。」
「そう…。私はまだ練習があるから。」
「そっか…それじゃあ今日は、一緒にってワケにはいかねえな。」
「練習が無くても、あんたと一緒に帰るとは限らないわよ…」
「ははは。そうか…」
「………今日は、ありがとう…」
 そんな言葉が自分の口から出た。
「あ、いや、話につき合ってくれて、ってことよ…」
 口に出てから、今度は取り繕うようにそう言う。
「いや、いいぜ。聞きたいって言ったのは俺だし。坂下の昔のことが知れて面白かったしな。」
「そ、そう…?」
「ああ、そうだよ。…それじゃあな。」
「あ…うん、じゃあね…」

 

 藤田の背中が見えなくなるまで、私は何故か息を潜めていた。
それが見えなくなると同時に、私は深く溜め息をつく。


 ――――今日は、ありがとう。

 あの言葉に「つき合わせて悪かったね」は混じっていない。
 その次の言葉は本心じゃなかったんだ。
 だけど、そのありがとう、が妙に照れくさく感じた…。
 次に言葉を繋げなければいけない気がした。

 本当は…純粋にありがとうと思ったんだ。
 …横にいて、話を聞いてくれたこと。
 …ううん、横にいてくれたことだ。

「…何でだろ?」
 この春が始まった時にあった、あの退屈さ…
 アイツの横にいると、それがない。

 藤田の横にいると―――楽しい。


 どくん


「まただ…」
 また胸が大きく鼓動を打った。
昨日から続いているこの感覚。いつのまにか頬が少し上気しているのがわかる。

「…私は―――」





 
 昨日、坂下と話をしていて改めて気付いた。
 俺は綾香のことが好きなんだ、と。
だけど、それは一年前に自ら棄てたはずだった。
綾香に嘘をついていたのが嫌で…俺は泣いて…
綾香を傷つけて…それでも今までどおりに振舞う綾香を見るのが辛かった。
自然と綾香とは疎遠になって…そのまま時間だけが過ぎていた。
「…………」
 棄てたと思っていた。
 だけどまだ、俺は綾香に惹かれていた。

 ―――あの終わり方じゃ納得がいかなかった。

 そういう気持ちがまだ俺の中にあったからだ。

「あの終わり方、か……」
「…そういう終わり方にしたのは俺じゃねーか。」

 何を今更…
 自分でもそう思う。
 だけど…

 俺は駅前へと向かう。
 何度も綾香と話したあの場所へ…


「…………」
 駅前の公衆電話はあの頃と何も変わってなかった。
変わっているはずがない。最後にここで話したのは、たった一年前なのだから。
「一年前……」
 ふと、今日の日付を思い出す。
 4月23日…
 あの日から…ちょうど一年が経っていた。


 10円硬貨をゆっくりと入れる。
 硬貨が落ちて立てる音が妙に大きく聞こえた。

「…………」
 ゆっくりとダイヤルを押していく。
 二度と掛けることは無いと思っていた番号を。
 …指が微かに震えていた。
 それを無視するように、指の動きを速める。

「…………」
 最後の一つ。
これを押せば綾香の携帯に掛かる。

 いきなり俺が電話を掛けてきたら…綾香はどう思うだろうか?

不意に、そんなことが頭をかすめる。
もうあの時のような…電話を掛けられる理由は何もないんだ。
…そう考えると躊躇われた。

 もう家に帰り着いているだろう。
 こんな時間に綾香に電話して…俺は何をするつもりだ?
 今から呼び出すのか?
 呼び出せるわけがねえじゃないか。相手は来栖川のお嬢様だぞ?
 
 ……無理だ、そんなの。



 ―――ガンッ!!!

 思い切り壁を殴った。
 電話ボックスの壁に少しだけヒビが入った。
「何が無理なんだよ…!!」
 拳から血が出ていた。
「逃げるのかよ!!?」
 そう叫んで、もう一度壁を殴った。

 来ないなら止めちまおう。
 そんなことを考えた。
 本当は綾香が来ないだろうことをいいことに、逃げていただけ。
 そう考えていた自分に気付いた時、どうしようもなく自分のことが嫌になった。
 弱い自分を痛めつけたかった。
 …いや、痛みで弱い自分がいたことに目を逸らしたかった。
 それに気付いて、また殴った。
 …永遠に続く自己嫌悪のループ。
 俺はそれから抜け出したかった。
 
「逃げない!」
 言い聞かせるようにして最後のダイヤルを強く押す。
 息を呑みこむ音が何故か大きかった。

「…………」
『………もしもし?』
 ―――綾香の携帯に掛かった。





 お風呂からあがって、部屋に戻ると携帯の着信音が鳴っていた。
「こんな時間に…誰かな?」
 こんな時間という時間でもないが、私が夜には屋敷にいるのを知っているので、
友達は普通こんな時間に電話を掛けてはこない。友達に呼び出されても、外出することは
お爺さまの監視たちが簡単に許してくれるはずもないことを友達は知っているからだ。
それに、携帯の番号を知っている友達とは昼間に学校で会うので、わざわざ夜に話す必要もない。
 誰だろう……
不思議に思いつつ、携帯を手に取る。

「もしもし? 私だけど…」
『…………』
「……えと…誰?」
『…………』
 相手は無言だ。
「もしも〜し?」
『………綾香、か?』

「え……」
 聞こえる声は男の人のものだった。
 私は少し驚く。
女子校に通っている私は、男友達などほとんどいない。
その中で私の携帯の番号を知っている人――――

「……浩之…なの?」
『……ああ…」

 それは一年ぶりに掛かってきた、浩之からのものだった。


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 どうも、助造です…

 浩之と綾香の話、(多分)次回まで続きます…(汗)


 えと…時間とか設定とかがどうなってるのか、自分でも
ちょっとこんがらがってきたので(爆)ここいらで整理しなおしてみます。

 この話は…PS版綾香シナリオで綾香に負けた後の話で、
その後、浩之君がいじけてしまった(爆)ということになっています。
 で、それから大体一年ぐらい経った後、三年生に進級した浩之が
好恵に会ったのが、新入生の入学式の日なので…本編の設定から行くと
大体、4月7日くらい…ということになります。
 今回の話で、綾香との勝負の最終日から一年経ったみたいなことに
なっていますが、4月23日というのは、本編での綾香との勝負最終日
になっていますので、その設定をくんでいる…つもりです。(汗)

 浩之がえらく情けない気がしないでもないですが(笑)、
それはそれでこの話のテーマ(ちょー大袈裟(爆))ということになっている…ハズです。