坂下好恵 三年目の春(7) 投稿者:助造 投稿日:3月7日(水)17時59分

 次の日、私はいつものように練習をしていた。
 武道場にも部員達の気合の入った声が木霊する。
大会前、どこの部活も必死だ。特に三年生はもうすぐ引退が近いので練習にも自然と熱が入る。

「あと……3分…」

 最近の私は次の休憩までの時間を計っていた。
前は休憩を無視して練習をすることも多かったが、最近は違う。
きっとあの木陰に行くことを楽しみにしているんだろう…。

「……………」
 楽しみ、か……

 私は練習を切り上げると、そのままあの木陰に向かった。




「よう、坂下。」
「ああ……」
 そこにはいつものように藤田が立っていた。
いつものように、手には二つのポカリスエットを持って…

「飲むだろ?」
「ああ、もらっとくよ…」
 またいつものように…私は藤田からポカリスエットを受け取る。

 いつものように…
 変わらない、最近のいつも通りの光景。
 だけどそれが、私は気に入っていた。

「……おいしい…」
「一応、スポーツ飲料だしな。やっぱ運動した後に飲めばそりゃうまいだろ。」
「うん…でも、もっと違う…」
「何だ? もしかして、俺と一緒に飲んでいるから美味い、とでも言いたいのか?」

「……どうしたらそんな解釈ができるのよ?」
「ははは、まあ冗談だけどな。でも、そう聞こえなかったワケでもないぜ?」
「……………」
 
 そんなやり取りを暫くしていると、ふと会話がなくなるときがある。
話の種が切れたこともあるのかもしれないが、ただ話したくないだけ、というのが私の場合は大きい。
 私はそんな時、涼しい風が頬を撫でていくのを感じていた。
普段は吹いているのかわからないようなそよ風でも、この木陰で休んでいる時は違う。
独特の雰囲気があって…すごく落ち着ける…
本当に落ち着けるこの木陰だから、忙しく動くいつもとは違う、この場所だからか…

「木陰でボーっとするっていうのも…結構悪くないな…。」
「なんだよ、いきなり…」

 そしてこの落ち着ける雰囲気を作っているのは…多分、藤田なんだ…
 藤田が…隣にいるから……

「……………」
「…? どした?」
「な、なんでもない…」
「ふ〜ん…」

 どうもダメだ…

 最近の私は自分でもわかるくらい…何かがヘンだ…。
一言で言えば…私のガラじゃないことばかり考えている気がする。
今までの自分とは考えてることが全然違う…昨日だってそうだった。
 それも……考えてるのはいつも…

 どくん。

 胸がまた高く鳴った。昨日、河原で感じていたあの音だ。

「おい」
「…え?」

「どうしたんだ…顔、赤いぞ?」
「!!??」

 不思議そうに私を見る藤田。
そんな藤田に私は思わず目を逸らしてしまう。

「どした? 練習してたんで、まだ体が火照ってんのか?」
「あ…う、うん…そうそう…」
「?」

 目を合わさないように、俯く私。
だけど藤田は、そんな私の顔を覗き込んでくる。
私も顔を隠すように下を向いたり、上を向いたりする…

 どうしてこんなに私はうろたえているんだろ…

 自分自身でもわからない。今までこんなにうろたえることなんてなかった…
顔が赤くなるのも…私は練習中の顔はいつも紅潮しているはずだ。見られても恥ずかしくなんて無い。
 …だけど、今は違う。
藤田には、この赤くなった顔を見られたくなかった。
見られていると、何故か恥ずかしい気がした。

「おい、本当にどうした? 何か変だぜ、今日の坂下…」
「な、なんでもないわ」
「なんでもない…? ウソつけ。」
 そう言って見る角度を変えたりして私の顔を覗く藤田。
「わ、わ…なんでもないわよ、本当に」

「なんでもない…のか?」
「なんでもないわ!」
「ふ〜ん……」
 そう言いつつも、私の顔をまだ覗きこもうとしてくる。

「あ、そうそう、私ね…」
 話を変えようと、今度は自分から話し始める。

「私、今までこんなに時間を無駄にしてることってなかった。」
「……………」
 う…いきなりこう切り出すのはまずかったか?
 
「……………」
「何か無理やり話を変えたみたいだけど…それにしても時間無駄にしてる、ってのはひどいぜ…」

 そう言って苦笑を浮かべる藤田。
 しばらくは私の顔をまだ覗こうとしていたが、私の話を聞くと話に乗ってきたようだ。
 
「こうやって…木陰でボーっとしていることなんてあんまりなかったから…」
「何でだよ?」
「う〜ん…時間さえあればいつも空手やってたからね…」
「そういや…ここに来るのも休憩のためなんだよな?」
「え…あ、そうだけど…」
「?」
 最近は休憩のためだけじゃないな気もしたが、私はそこには触れなかった。

「…だからかな? こんな風にボーっとするのも良いな、って思ったの。」
「何だ? 休むヒマもなく空手してたのかよ?」
「そういうワケじゃないわよ…。強くなるには休息も必要なんだから。」
「あ、そうだな。」
「まあ…でも、ずっと空手ばっかりやってたのは本当よ。それこそ休日も。」
「ふ〜ん…」
「ちょっとダレると鍛えた以上に体はすぐ弱くなっちゃうから…」
「じゃあ、最初から鍛えてもいない奴らはどうなるんだよ?」
「ああ、弱くなる、って言っても私たちにとってよ。」
「あ、そうか…ちょっと安心したぜ。」
 それを聞いて、私と藤田は苦笑する。

「小さい頃から空手やってたわね…それこそ空手ばかりを、ね…」
「おい、坂下。」
「ん?」
「何でそこまで空手にハマったんだ?」
「ん? どうしてそんなこと知りたいの?」
「いや、何となく気になった。」
「また…何となく?」
「ああ、そうだ。何となく、だ…」
「やっぱ…あんたってちょっと変わってるね。」

 そう言われて藤田は苦笑する。
 どうやら、いつもの私のペースに戻れたみたいだ。

「まあ、いいわ。話してあげるよ」
「おう、聞きたいね…」


「私は…さ、昔から負けるのが嫌いだったんだよね。」
「ふ〜ん…」


 私は小さい頃とかは、近所の男の子達と混じってよく遊んでたんだけど、
その時にはよく男の子と喧嘩して泣かせたりしてたな。
特に、女だから、ってなめられるのが一番嫌いだった。
だからそういうヤツとはすぐ喧嘩になってたりしてたよ。
う〜ん…親の影響もあったかもね。うち、母さんがそういうの大嫌いだから。
女は強く生きろ、って感じの人なの…

 で、その頃から子ども達の中にもグループみたいなものがあるのよね。
そこには必ずボスみたいなヤツがいて…ほら、ガキ大将ってヤツ?
私がよく混じって遊んでた男の子達のグループのボスもそういうガキ大将だった。

 初めて会ったとき、遊ぼう、って言ったら、お前は女だから俺達は遊ばないぞ、って言われたんだ。
勿論、今まで男の子とも遊んでたし、私はそれじゃ納得できなかった。
理由を聞いても、お前が女だから、ってしか言わないの。……別に差別とまではいかないんだろうけど、
私にはそれがどうしても納得できなかった。だから怒った。

 私がいつまでもしつこく食い下がってくるもんだから、きっとそいつも
イライラしてきたんでしょうね。最後にはそいつも怒ってきたの。いいかげんにしろ、って。
 …で、最後は殴り合いの喧嘩。
う〜ん…その当時にしてみればそれは死闘だったのかもね。
私もそいつも、意地張ってずっとぶつかり合った。他の子達が帰っても続けてた。


「ま、ずっとって言っても、子どもにとってのずっとだから日が暮れる前には
 終わったけどね。」
「そりゃそうだろうな…」
「…で、結局、そのときは負けちゃったの。」
「負けたのか?」
「うん…。そいつだってガキ大将の意地がかかってたんだしね。」
「やっぱ強かったか…」
「うん、負けたことと、女がどうとか言うヤツに勝てなかったことが重なって
 思いっきり泣いたわ。それこそサイレンみたいに。」
「ははは…」

「…でも、そいつは私にこう言ったのよ」

「お前強いな、こんなに強いんだったら女でも俺の子分にしてやってもいいぞ、って…」

「私はカチンときたんだけど…それは私を仲間として認めてくれたっていうことだった。」
「ははは、やっぱガキ大将は素直じゃねーな。」
「まあね…。でも、仲間になれたのは嬉しかったんだけど、私はそいつに負けたことが
 すごく悔しくてね…。負けず嫌いだったのもあって、いつかリベンジしてやろう、と思ったわ。」
「なんつーか…坂下らしいな、それ。」

「でね…その日、家に帰って負けたことを母さんに話したの。」
「私が女の子だから負けたの? って訊いたら、母さんはそれは違う、って言われた。
 そして母さんはこう言ったの」

「好恵が負けたのは女の子だからじゃない。好恵が弱いからよ! ってね。」

「私は今まで人から弱いなんて言われたことなかったし、どっちかと言うと強いと思ってたから
 お前は弱い、って言われたのがすごくショックだった…」
「……………」

「だから、私は強くなりたかった。」
「それで…空手を始めたのか…」
「そう。強くなるために、私は空手を始めたの…」

「そして…アイツに出会った―――」