また変わり映えのしない春が始まるはずだった。 充実していないわけではないけれど…何の変哲もない春が。 今までと同じように、空手をやって、強くなることだけを目指して… でも今年は最後の年だから一応勉強にも精をいれて… ……自分が大きく変わることはないはずだった。 でも、そんな変わらない生活に私は少しの退屈を覚えていた。 そんな私に…私の中に新しい風を送り込んでくれた奴がいた。 強さだけが欲しかった私に…強さの他に初めて『欲しい物』をくれた。 それは―――――― 「あれ? 早かったじゃねーか。」 更衣室から出てきた私を見て、藤田がそう言う。 「ただ着替えるだけだからね…そんなに時間は掛からないわよ。」 「ふ〜ん…俺は女ってものは着替えたりするのが遅い奴ばかりだと…」 「それは偏見。大体、胴着を脱いで制服を着るだけなのにそんなに時間が掛かる?」 「女子の制服なんて着たことねぇからわかんねーけど…。ま、俺は服着るのには時間掛けないがな。」 藤田は納得したように頷く。 「…で、私と帰るんだっけ?」 「ん? ああ、そのために待ってたんだからな。」 にんまりと笑う。 「別にいいんだけど…あんたと私じゃ家の場所がまるっきり逆じゃなかった?」 「さっき言っただろ…遠回りになったっていいぜ、別に。」 そう言ってニヤニヤする藤田。どうもこいつの考えていることが読めない。 何故か私に絡んでくる。…いや、別に喧嘩を吹っかけてくるわけではない。 むしろ……好意的と見ていいのかもしれない。 「………………」 好意的、という言葉が浮かんだ私は、思わず頭を振る。 そんな私を見て、何が可笑しいのか藤田はまた笑った。 結局、藤田とは校門のところで別れた。 藤田は、送っていく、と言ってきかなかったが、私が断り続けたのであきらめたようだ。 藤田と別れたあと、私はそのまま真っ直ぐ家に帰った…。 …いや、帰るつもりだったが、途中で少し私は寄り道をした。 家の方向とは全く逆の、駅の方向へ向かう。 駅は会社帰りのサラリーマンなどでごったがえしていた。 あの人たちも…新しい春の訪れに特別な思いを抱いてはいないのだろう… いつもと同じく電車で出社して、そしてまた電車で帰ってくる… 変わらない機械的な生活…そんな日々の1シーンにすぎないのだから。今日も、そして明日も… 変わらないことが一概に悪いとは私は言えない。 「だけど……」 「変わらないのは……面白くないか…」 私はそんな駅の様子を見ながら、歩を進めた。 「あれ? 好恵?」 駅を通り過ぎようとした時、いきなり声を掛けられた。 今日、二回目のこのパターン。 「綾香、か…?」 「一日に二回も会うなんて…奇遇といえば奇遇ね。」 「まあな……。ところで、珍しいね、あんたがこんな遅くまで外にいるなんて。」 「ちょっと用があってね…逃げてきたのよ。」 そう言って悪戯っぽく微笑む。 「ちょうど良かったわ、少し歩かない? 用は済んだんだけど暇なのよ私。家に帰っても あんまりすることないし…好恵とも話したいの。」 「う〜ん……私も暇だな……」 「じゃあ、行きましょ! ねっ!?」 「あ、こら! ちょっと……」 私は綾香に手を引かれて、商店街へと向かった。 「――――ところで、好恵の方はどうなのよ?」 「私か? 別に変わらないわ…」 綾香に連れられて商店街を歩き回った後、私と綾香は少し歩くことにした。 綾香は時間が潰したかったらしく、私も別にすることはないのでそれに付き合った。 くだらない話をしながら、散歩を続けていた時、ふと、綾香の足が止まった。 「…? どうしたの?」 「…………………」 気が付くと私たちは河原にいた。 今日藤田から話を聞いた、あの河原に… 「……私、ここにはあんまり来ないようにしてたんだけどな…」 綾香が呟く。 「…………………」 「……でも、どうしてだろ? 行くとこがないと、ついここに来ちゃうのよね…」 「…………………」 「……ちょっと疲れちゃった…ここで休んで行こっか?」 「別にかまわないわ…」 私がそう言うと、綾香がそのまま河川敷に下りていくので、私もその後をついていく…。 私たちは川の流れる音が聞ける場所に腰を下ろした。 藤田は…どんな思いでここに足を運んでいたのだろうか… ふと、そんなことが浮かんだ。 綾香への想いを胸に、綾香と会えることに喜びを感じながらここに来たのだろうか。 勝利することだけではなく、綾香への気持ちを伝えることに…今日こそは、という想いを秘めて… 「ここは…少なくとも『思い出したくない場所』にはならなかったはずなのに…」 綾香が誰に言う訳でもなく呟く。いつもとは違う、見た事の無い顔付きで… 綾香の言葉を聞いて、私はあの話のことを思い出していた。 藤田の想い。 悪く言えば下心が綾香への想い自体に迷いを生み、そういう結果を生んだのか… 想いが想いを迷わせた… それも…変化だったのかな… 変化、という言葉が浮かんだ。 藤田はその日、変化させようとしたんだ。 綾香との関係、友達から恋人へ…… 藤田はその変化を望んだんだ。 でも、結局…… 変えることは出来なかった。伝えられなかった、いや、伝えなかったから…。 変わらなかった? …ううん、変わらなかったわけじゃなかった。 綾香と藤田の関係は変わった。だけどそれは…当人にも、そして綾香にも納得のいかない変化じゃなかったの? 藤田…あんたはこんな変化は望んでいなかったはずだよね? 綾香…あんたはどうだったの? 藤田があの時勝っていたら…ううん、伝えていたら… あなたはそれをどう受け止めるつもりだった? ……考えても私にわかる事じゃない。 だけど、私はあの話を聞いてそう思った。 伝えていたら…… 「変わらなければ…いい事もあるんだな。」 「……?」 私が呟いたのを見て、綾香が不思議そうな顔で私を見ていた。 「好恵、私は…もう帰るね。」 「ああ、私はもう少しここにいるつもりだから…」 「そう、じゃあね。」 綾香が帰った後、私は河原で空を見ていた。 変わらなければ面白くない。 確かにそうかもしれない。変化が無い生活は退屈を覚える…今の自分はそう思っている。 だけど、変わったことで終わってしまった大切な想いがあった。 変えようとしていたのは自分、そして変えられなかった自分。 変えられなかったことが悔しくて…そして、悔しくてこぼれた涙が変えてしまった…… もっとも嫌な…最悪の変化をしてしまった…。 「わかんないものだな…」 変化も、そして想いも…… ちょっとしたことで、わからなくなってしまう。 「………………何でだ…」 私はさっきから藤田のことばかりだ。 よほど、あの話が心に引っかかっているのか… それとも――――― 「それとも? ………バカバカしい…」 確かにバカバカしい…。早計すぎる考えだと思う。 私は頭を振ってそんな考えを振り切ろうとした。 「だけど……」 だけど…そのバカバカしい考えを…… 心のどこかで肯定する自分がいた気がした―――― 「………………」 聞こえるのは川の流れる音と風に撫でられた草の乾いた音… 見えるものは月の明かりで輝く水面、そして少し遠くに見える街の街灯… その中で私は…自分の心音が妙に大きくなっているのを感じていた。