坂下好恵 三年目の春(2) 投稿者:助造 投稿日:1月13日(土)22時36分
「はあっ!! やあっ!! せいやぁっ!!」

無心に帰り、昔から続けてきた型をやりつづける。
私は近々行われる大きな大会の選抜メンバーとして出場する事になっていた。
私も含め、三年生の部員は引退も近い。
秋の国体を抜けば、もしかするとこれが最後の大きな大会になるかもしれない。
練習にもさらに気合が入る。
三年は主にその大会に向けて、新入部員の指導は二年の仕事になっている。
本来なら、部長である私の仕事なのかもしれないが、私は人に物を教える才能は無い。

空手
それが私にとって唯一の取り柄なのだ。
いや、取り柄なんて言葉では言い表せない。
空手は既に私の人生ともいえるのだから。

小さい頃から空手だけをやってきた。
強くなる事だけが私の望んだ物だった。
それ以外のことは私は求めていなかった。


「ふう……」

三十分ほど型をつづけていた私は、軽い休憩をとる事にした。
部室を出て、中庭の木陰に腰をおろす。
既に校舎は朱に染まっていた。
熱くほてった身体に、涼しい夕暮れの風が心地良かった。

「あと……二分…」

木にもたれかけ、気持ちと身体を落ち着かせる。
休憩は時間を守ってとらないと意味が無い。
そしてそんなに長々と休んでいていいものでもない。

ふと目を瞑り、耳を澄ませば、辺りからは他の部活動の練習の声が聞こえた。
球を打ち据える、バットの金属音。
ランニングをしているサッカー部のかけ声。
どの部活も、いつもと変わらず精一杯練習しているようだった。
そして頑張っているのは運動部だけではない。
校舎の中からは、賑やかな演奏と、様々な指導の声。
あちこちから聞こえる、談笑や応援の声。

休憩の度にここに来る私にとっては、これもいつもの光景だった。

だけど、今日はそのいつもの光景に見慣れないヤツが一人混じっていた。


「よう、坂下。お前は休憩かなんかか?」
「藤田………?」

声が聞こえ、目を開けると藤田が私を覗き込むようにして立っていた。

「そうだが……藤田は何でこんなトコに?」
「ん? 俺? いや、別に…。帰ろうとしたら坂下の姿が見えたから、何となくここまで来てみた。」
「何となく?」
「ああ、何となくだ。」
「ふ〜ん……」

あの日以来、藤田はいつもこんな感じで話し掛けてくる。
私には藤田の考えている事がよくわからない。
私に話し掛けてくる男子など、部活の仲間以外にはコイツぐらいしかいない。

私は女子でも友人はあまり多い方じゃない。
どちらかというと疎遠されるほうではないだろうか?
自分でもあまり気さくな方だとは思っていないし、誰とでも付き合えるほど、私は人付き合いがうまくはない。
趣味が違うということもあるのだろう、私は「今時の女の子」らしくなんてない。
私はそれはそれでいいと思っていた。
友達がいないわけじゃなかったし、「今時の女の子」らしくなんてない方がよかった。

そんな感じで、あまり親しい友人の数は多くなかった。
一番親しい友達は、後輩の葵だろうか。
あとは空手の仲間くらいか。

でも、コイツはそんな私に妙に馴れ馴れしく話し掛けてくる。
理由はいつも「何となく」だ。

「そういえばさ。」
「ん?」
「坂下ってさ、すっげぇ強いんだろ?」
藤田が私の隣りに座って言う。

「すっげぇ強くなんてないわよ、私は…」
「そうなのか?」
「いや、第一あんたの言うすっげぇがどれほどの物かわからないけど……少なくとも
 空手をやってるヤツじゃ、私より強い奴はたくさんいるわ。」
「へぇ…でも、聞いた話じゃお前ってかなり強いって…。去年は国体にも出場しただろ?」
「あれは……運がよかったんだ。」

「運がよかった」なんて、本当は言いたくはなかった。
あれは必死で練習して、そして勝ち取った出場だったのだから。
でも、なぜか私はそう言ってしまった。
藤田に褒められるのが恥ずかしかったのかもしれない。

「でもよ……運も実力のうち、って言うじゃねーか。」

それをこいつは一言で私の努力をぶち壊してしまった。
せっかく私が褒められる事を避けようと、嫌々ながらあの言葉を選んだのに。
それなのに、藤田はまた褒めた。

「はぁ………」
「?」

何だかそんな事をいちいち恥ずかしく思っていた事がバカらしくなってきた。


「さて、休憩も終わり……練習に戻らないとね…」

私がそう言って立ち上がると、藤田も一緒に立ち上がった。

「…………………」
「どうかしたのか?」
「あんた、ここにいないの?」
「へ?」

わからない、といった表情で私を見る。

「こんな放課後まで中庭で座ってるヤツなんて、見たことねぇぞ?」
苦笑いしながら言う。
「じゃあ、どうしてここに来たのよ…?」
「だからそれは……坂下がここにいて、俺もここを通りかかったから…」
「それで?」
「あ、休憩してんのかな〜、とか思ってさ。そこの木陰、何となく気持ちよさそうだったし…」
「じゃあ、ここにいないの?」
「いや、もうそろそろ暗くなるしよ、俺も帰ろうかなって思ってだな…」
「そうなの、じゃあ、さようなら。」
「お、おう…じゃあな坂下!」

そう言って藤田は走り去っていった。

「………ヘンなヤツ…」

何となく……か…


それから私は暗くなるまで練習をした。

あの後の練習はなぜか調子がよくなかった。