疵口 投稿者:東海林ハリセン 投稿日:5月11日(木)14時36分
疵口
                            東海林ハリセン




《西日が眩しいな》

 隆山行きの電車の中で俺はそう思った。

 親父の葬式が終わってすぐ俺は今住んでいるワンルームマンションにいった

ん帰り、すぐに隆山に戻ってきた。

 喪服を着ていない分身が軽い。

 親父の告別式にはたくさんの人が来ていた。隆山温泉を仕切る鶴来屋の社長を

していた親父なのだから当然のことだろう。

 そんな親父の葬式で、俺は涙の一滴も流さなかった。

 親父の遺影を見ても……。

 親父の骨を骨壷に入れるときも……。

 遺影はただの写真だった。

 親父の骨はただの物質だった。

 千鶴さんは黒い喪服を着ていた。

 梓と楓ちゃんは学校の制服を、初音ちゃんは黒い服を着ていた。

 あの明るい制服は確かに葬式には不似合いだ。初音ちゃんはそれに気遣って

黒い服を着たのだろう。見かけによらず大人な彼女を少し見直した、少し頼も

しいと思った。

 俺は一見すると悲愴な顔をしていた。でも、心中はこんな退屈な儀式は早く

終わらないかと思っていた。

 ふと目をやると、俺の従兄弟達は本当に悲愴そうな顔をしていた。でも涙は

流してはいなかった。心では泣いていたのだろう。悲しい涙で潤っていたのだ

ろう。

 彼女たちは卵のように脆かった。でも中身は空虚だった。彼女たちに未来は

あるのだろうか。

 楓ちゃんは……、俺は何の気無しに楓ちゃんを見た。

「楓は、叔父様と仲がよかったから……」

 千鶴さんが葬儀の前にそう言っていたので、意識していたのかもしれない。

「楓、叔父様はもう帰ってこないの。それはもう分かってるわよね。今日と、

明日の葬儀では泣いてもいいわ……、泣きたいものね……、私もそう……。で

も、明後日からは泣いちゃだめ、帰ってこない人を思っても……」

 千鶴さんも泣いていた。それは楓ちゃんにではなく自分に言い聞かせていた

のだろう。やっぱり、楓ちゃんを意識している。

 そっと、再び楓ちゃんを見る。下を向いて、光る雫を落として。泣いている……。

 やはり胸が痛んだ。泣いている楓ちゃんや、心を涙で濡らす気丈な従兄弟達

を見ていると、彼女たちに同情するのではなく、親父に対する憎しみを増幅さ

せた。

《何も、彼女たちを悲しませなくてもいいのに……。彼女たちは一回両親を失っ

ているのに、今度はお前が死んで彼女たちを悲しませるなんて……、酷いよ》

 初音ちゃんが俺の前に来る。そっと。それは気付かなかった。

「お兄ちゃん、泣いているの?」

「えっ?」

 俺は、はっと顔を上げる。泣いている? そんな馬鹿な、泣いているなんて……。

 そこには、瞳をわずかに潤わせた初音ちゃんがいる。遠巻きに千鶴さん、梓、

楓ちゃんも俺を見守っている。

 むしろ初音ちゃんが泣いているように見えた。自分も悲しいのに、それより

も俺に気を使ってくれる初音ちゃんを見て、彼女がいとおしくなった。優しい

彼女を、慰めたいと思った。

 初音ちゃんを見て、俺はさらに親父に対する憎しみを増幅させた。憎しみは、

怒りになった。

「泣いてなんかいないよ」

 そう、怒っていたんだ。怨んでいたんだ。

「でも、悲しそう……」

 初音ちゃんは、そう言って俺の目を見る。彼女の目は潤っている。俺の目は

乾いている、はずだ。

「ううん、悲しいのだったら、初音ちゃん達の方が辛いはずなんだ。ずっと一

緒にいた親父が死んで……。泣きたいのは初音ちゃん達なんだろう?」

「…………」

 暖かい視線で彼女を見つめる。目に溜まっているものを見ると、俺まで泣き

たくなってくる、『どうしてそんなに悲しいの? 何が初音ちゃんを悲しませ

るの?』。そんな疑問がフと浮かぶ。俺は頭を振ってその疑問を振り払う。そ

んな事はもう分かっているじゃないか。

 初音ちゃんは黙ったまま、下を向いてしまった。

 俺は、出来るだけ気楽に、明るく、顔を歪める。

「俺がずっと見ててあげるから、そんなに我慢いなくてもいいよ」

 そっと初音ちゃんの頭をなでる。

 初音ちゃんは、俺の腰を抱きしめて、肩を震わせて泣いていた。声を殺して

泣いていた。

「ずっと、こうしていていいよ。ずっと、見守っているよ。こうしているよ。

今は、何もかも忘れて……」




「四十九日までの間、少しでも長くお父様の側にいてください」

 千鶴さんは告別式が終わり、柏木のお屋敷に戻るとそう言った。

 見た目はいつもの優しい千鶴さんだった。

《虚構だ……》

 俺はすぐに見破った。梓も、楓ちゃんも、初音ちゃんも……。

《虚構だ……》

 何が彼女たちを支えていたのだろう。彼女たちは、親父と一緒にいた時間が

長いはずなのに、彼女たちの両親が謎の自殺を遂げてから、親父は彼女たちと

一緒に暮らした。親父に依存していた部分もあっただろうに……。

 何が彼女を支えているのだろう。

「うん……」

 千鶴さんの言ったことに、俺は曖昧にうなずいた。

 俺は親父に捨てられた。今更どうしたらいいのだろう。死んでしまった親父

の側にいて、俺に何を思えというのだろうか。

 でも、千鶴さんたちが俺を必要としている。確かにそう感じた。

 千鶴さんは、すぐに柏木のお屋敷のかぎを出し俺に渡した。

「家の合鍵です。みんな昼は家にいないと思うので、こっちに着いたらこれを

使って入ってください」

 千鶴さんは、わざわざ合鍵まで作っていたのだ。そんなに、心細いのか、たっ

た一人減っただけで、そんなに、俺が必要なのか。親父の変わりに。

 そんな虚構の皮を被り、必死に強がっている千鶴さんを見ていると、俺を捨

ててここに来た親父に対する憎しみが浄化されていく。しかし、親父の突然の

死が、彼女にこの虚勢を張ることを強制していると思うと、親父に対する憎し

みが沸沸と再びわいてくる。

《そんな彼女が俺を必要としている、例え彼女が親父と俺を重ねているのだと

しても、俺は彼女の力になる資格を有しているのではないだろうか。憧れの千

鶴さんの力になりたい……》

 俺は、そんなことを意識すると、少し自分の千鶴さんたちへのアプローチの

仕方が分かったような気がした。

 千鶴さんの前に手を出す。

 そっと千鶴さんは俺の手にかぎを落とした。

「それでは一週間よろしくお願いします」

 俺は少し落ち着いた口調でそんな社交事例的なことを言った。しかし、俺の

顔は穏やかで、わずかに微笑んでいた。

 千鶴さんもほっとしたように肩の力を抜くと、少し微笑んだ。




『一緒にこっちで暮らさないか……』

 親父はいいにくそうにそう言った。

《何を今更……》

 俺は本心でそう思った。

 あれは母さんの葬式、俺の目の前には親父がいた。

 嗚呼、親父の顔ってこんな感じだったのか。俺は親父の顔を忘れていた。

 確かに、親父に何かをしてほしかった。気にかけてほしっかた。

 でも、そんな風に思ったとき、親父はもう他人なんだと思った。血縁関係と

戸籍の示す親子。赤の他人。

「大学があるから……」

 嘘だった。他人と一緒に暮らすのは誰でも厭なんだ。それでも親だ。いや他

人だ。

 俺は母さんの遺影を見た。親父も母さんの遺影を見た。

「そうか……」

 親父の顔に落胆が浮かんだ。キラリ……、何かが光った。




「だめだ耕一、ここには来るな……」

 親父が俺にそう叫んだ。

「何言ってんだ、お前はそんな事を言う資格はない。何も気に留めてくれなか

ったのに、なんで俺の行動の制限をするんだ!!」

 俺は親父のいうことを聞かず、躊躇せず前に進む。

「だめだ、ここの土地は、柏木の土地はお前を不幸にする」




 もうすぐ隆山だ。

 何時の間にか眠っていたらしい。海が見えるな。

 俺は西日に目を細めながら、ここ数日に起きたことと、ついさっきまで見て

いた夢のことを思い返していた。

 後もう一駅、誰か迎えに来ているのだろうか。そのために、夕方に隆山につ

くように、あっちを出たんだもんな。

 でも、千鶴さんは会社だし、梓は部活があるだろう。楓ちゃんはあの調子だ

し。

 初音ちゃんなら。

「隆山―、隆山―」

 駅員の聞きにくい声が聞こえる。

 人が一斉に電車から降りる。

 人の流れに流されて、改札から出る。

 初音ちゃんは、いない。




 いつ見ても大きなお屋敷。

 思わずため息が出る。こんなお屋敷に入っていいのだろうか。もちろんいい

のだ。ここは俺の従兄弟達の家だ。

 千鶴さんにあらかじめもらっていた合鍵で、お屋敷の玄関のかぎを開ける。

 戸に手をかける。




 これから、柏木の血に弄ばれる………。





後書き

 どうも、駄文屋愚筆です。これはデビュー作で、なんと30分で書き上げまし

た。

 分量的に物足りないものがありますが、好評なようでしたら、追加をしてい

きたいと思います。

 次回策の予告をさせてもらえば、次回作は『Two Hearts』。これはどう見て

も『To Heart』の、サイドストーリーですね。

 ちなみに、語呂がいいのでこの題名にしたので、内容はまだ、白紙です。

                                 駄文雑文失礼

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