【痕SS】 プロジェクトL 投稿者:初心者A 投稿日:6月4日(月)01時40分
                   【お知らせ】
 元ネタが解らない人はN○K総合チャンネル毎週火曜日21時15分〜21時58
分の番組をご覧になってからお読み下さい。

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○この二次創作小説は『痕』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用してい
ます。
○この二次創作小説は某放送協会の某番組をネタにしていますが、受信料は衛星放送
カラーを含めて口座引き落としでちゃんと払っているので勝手に使用するくらい大目
に見ろ、との筆者の一方的見解から無許可で作成するものです。
○この作品はフィクションです。劇中に登場する団体及び個人は実在する団体、個人
とはなんら関係ありません。また、演出上の要請により、一部登場人物が危険な行為、
または道義的に反する行為等を行っておりますが、二次創作小説ですので寛大な心で
接して下さい。
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 決して見劣りしないプロポーション、慈悲深く忍耐強い性格……それを持ち合わせ
ていながら誤解により認められなかった女性がいた。
 甲斐甲斐しく尽くしても、指の間から零れる砂のように幸福が逃げていく不幸な女
性がいた。
 このままではいけない。世間に流れている根も葉もない噂は身内にも迷惑を掛ける
であろう。

 これは、被せられた濡れ衣と偏見受けながらも懸命に生きる一人の女性の壮絶な物
語である。


 どどんがどどんがどどんがでけでけで〜ん
 ♪“くぁずぇのっなっくぁっのっ、すぅ〜ばるぅ〜”♪
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         【痕SS】『プロジェクトL 挑戦者たち』
      〜偽善者の誤解を払拭せよ! 一流旅館会長の死闘!〜

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「プロジェクトL挑戦者たち、今夜は誤解と偏見を一身に受けながらも強く生きてい
る一人の女性の物語です。こんばんは、司会の柏木初音です」
「……こんばんは」
「……」
「……」
「あ、ええと、同じく司会の柏木楓お姉ちゃんです」
「……どうも」
 懸命に愛嬌を振りまく幼……いや発育の遅い少女の横で、セーラー服姿の女の子が
無表情のままこくりと頭を下げる。それほど広くはないセットの中で、二人は中央左
に備え付けられたモニターの前に立っていた。
 打ち合わせに反して全く口火を切ろうとしない相方に、もう一方は焦って番組進行
を続ける。これは本来自分の台詞ではないのだが、見かけと同じく日本人形のように
動かない姉の代わりを努めざるを得ない。
「え、ええと、この番組は『隆山に行くなら鶴来屋。4・1・2・6・4・1・2・
6、酒も美味いし会長は綺麗だ。鶴来屋に決めた』でお馴染みの鶴来屋グループの提
供でお送りします」
 それだけ言って妹らしき司会が心配そうに覗き込むと、一つ上の姉はボブカットの
陰に顔を隠して横を向いている。白磁器のような面持ちは赤く染まり、恥ずかしさに
逃げ出したいのを懸命に堪えているのが伝わってくる。
「(楓お姉ちゃん、だめだよ、何か言わなきゃ)」
「(……だって……だって初音……)」
 音を拾われないようマイクを遠避け、二人は小声で密談をした。消極というより拒
否に近い態度を示す姉の心情はさもありなん、と快活で人見知りのしない妹も理解し
ていた。このプログラムは彼女らの一族が経営するグループがスポンサーとして10
0%出資したものであり、結局は露骨な宣伝番組だ。ローカル放送なのが唯一の救い
であるが、制作費節約のためアナウンサーまで自前で用意することにしたのがこの二
人の不幸であった。
「(……私……私、明日学校休む)」
「(ダメだよお姉ちゃん! それって引きこもりの始まりだよぅ)」
 妹はアンテナのような頭髪をぴょこぴょこ動かして、現実逃避にかかる姉の精神を
留めようと必至になる。そんな二人の瞳に目立つ色をした看板が映った。進行の悪さ
に業を煮やした監督が「早く続けろ」という意味の指示を出したのだ。それを見て初
音は弾かれるように正面を向き直りにこっと笑う。
「は、はい。では今夜のプロジェクトを紹介します」
 そう言って姉の背を軽く押し、自らも階段を下りて前に設置されているセットへと
歩を進めた。かなり抵抗のあった楓だったが、一番下の妹である初音があれほど頑張
っているのなら仕方ない、と諦めて司会に専念することに決めた。
 カメラは画面を下に移し、セットを中央に捉えた。そのセットには人物の写真がい
くつも貼り付けられており、何かのモニュメントのようだ。初音がその一番上を指さ
してマイクに声を吹き込む。
「これが今回の主役、柏木千鶴さんです」
「……わ……わぁ、美人ですねぇ……」
 ものすごい抵抗を含んだ解説が楓の喉から絞り出された。勿論こんな台詞本意では
ない。だが台本にしっかと記入されているのだから仕方がない。
「しかも若いんですよぅ。この歳で隆山随一の高級ホテルを切り盛りしているんだか
らすごいですよねぇ」
「……」
「(楓お姉ちゃん、セリフセリフっ)」
「(……これ……いつの写真なの?)」
 一際大きく張り出されている女性のスナップ、確かに綺麗に撮れてはいるし表情も
申し分ないが……着ている服装が楓と同じだ。
「(だって、絶対これにするように、って)」
「(……だからって高校生時代のを使うなんて……)」
 また制作スタッフから指示の看板が出る。司会の二人は慌てて台本を思い出し次の
台詞を言う。
「じゃ、じゃあ次は千鶴さんのこれまでの経歴をVTRでご覧頂きましょう」
「……時は今から50年ほど前、1950年代に遡ります」
 ここでスタジオから再現映像に切り替わった。ナレーションはこれまた予算の都合
で楓と初音が続投である。フィルムに沿って二人が交代で台本を読み上げていく。
『温泉地として古くから栄えた隆山、そこに一軒の旅館がありました。数百年も前か
ら続く由緒ある……』
 そこから始まって近代までの鶴来屋の歴史が簡潔に説明される。現会長の祖父に当
たる人物が中堅どころの旅館を買い取って看板を上げたこと、10年前に2代目の会
長に代わったこと、そして8年前、事故死した会長に代わって親戚の叔父が社長とし
て経営を引き継いだところまで。
『そしてつい先日、この社長も自動車による転落事故で亡くなりました』
『……こうして頼っていた叔父の死を悲しむ間もなく、重責を担う会長職へと付いた
のです』
『とはいえ国立大学出たてで経営のことは何も解らないままの就任がすんなり行くわ
けがありませんでした』
『……柏木千鶴、まだうら若き、じゅ……』
 そこで楓のナレーションはぴたりと止まった。ほんの数瞬間が空く。再度監督が進
行の催促を出そうとしたとき、諦めきった声でVTR解説最後の行が読まれた。
『……19の夏であった』
 向こうで脚本家が手を合わせて頭を下げている。鶴来屋グループは実質的にこの地
方一帯を支配している大資本家だ。ローカル放送局がこのスポンサー会長の意向に逆
らうことなど出来るはずもなかった。そう、喩え大学卒業してハイティーンなどとの
無理なサバ読みであっても。
 シーンが切り替わり、照明が落とされていたステージがフェードインしていく。そ
こには司会である二人、ちょっと顔をひくつかせている初音と台本の先程の箇所をあ
らためてじぃっと見つめている楓だ。
「……」
「(お姉ちゃん。楓お姉ちゃん!)」
「……あ……失礼しました。以上が鶴来屋グループ創業から発展までの歴史です」
 まだわだかまりがあるようで楓はすんなりと予定通りの進行が受け入れられていな
い。生放送の本番中だというのに台本を見ては所々で発言を躊躇う場面があった。予
行練習である本読みの段階では無かった記述が赤ペンで訂正され書き込まれている。
おそらくは直前で変更した者がいるのだろう。……推理などで特定しなくても、こん
なことをするのもこの見覚えのある字もあの人しかいない。
「さてそれでは現在の柏木家及び鶴来屋グループの主な人物構成をご紹介しましょ
う」
 プログラムが次の段階へと移った。会場にはボードが運び込まれ写真セットの横に
並ぶ。ボードには文字と矢印だけの人物関係図が貼られており、写真と一緒に解説す
るようになっている。
「……中核である柏木四姉妹、まずは今回の主役でもある長女千鶴からです」
 カメラが切り替わり先程のセーラー服写真をクローズアップする。よく見ると胸の
辺りがなんだか微妙に歪んでいる。デジタル処理で上げ底しているわね……と詳しい
わけでもない楓が気付くのだ。見る人が見ればすぐにばれるであろう。でも女性の写
真なんて大抵、お見合い写真などは特に修正されているものだから、とこれ以上詮索
するのは止めにした。ただ下に掲示されている自分たち他の姉妹の写真には一切化粧
がされていないのは気になったが。
 写真が画面のフレームにしっかり収まったところで初音が台本を読んでいく。
「えと、千鶴おね……じゃなくて千鶴さんは先程もご紹介したとおり鶴来屋グループ
の現会長であり、前社長のご子息である耕一さんとは将来を約束した仲で……ってえ
えっ!?」
 読んでいた司会は慌てて台本を再確認し、控えていたもう一人の司会は前を向いた
ままピクリと体を震わせる。
「ち、千鶴さんと耕一さんは、あのぅ、前世の因縁などという蒙昧地味た空想に惑わ
されることなく遠い過去のしがらみを断ち切り、健やかなるときも病めるときも命の
続く限り互いを助け合い、えと、ええとぅ〜」
 初音はおたおたしながらすがりつくように隣の姉の方を向いた。そこには無表情、
本当に全く感情を表に出していない楓の横顔があった。しかし初音には分かる。姉の
いる方角の空気がどんどんと温度を下げているのが。血は争えないもので、三女のこ
こらは長女とそれと同様なのであった。
 急速に緊張の度合いを高めていく雰囲気を緩和すべく、初音は別方向に話を逸らそ
うと必至になる。
「こ、耕一お兄ちゃんが本当のお兄ちゃんになるんだね。わたしうれいしなぁ〜。わ
ぁ〜い、わぁ〜……」
 ビクリ! 物理的な音も光も衝撃も無かったはずなのに、初音の心身は戦慄によっ
て凝固した。やぶへび、油に火、はたまた泣き面に蜂など表現はいくつもあれど、そ
れらに共通したものを彼女はしてしまったようだ。
「……訂正します」
「え?」
 重囲たる沈黙にてスタジオ全体を染めつつあった楓の気がその一言でふつと途切れ
る。だがそれは初音の期待した好転への遷移ではなかった。
「……千鶴さんの年齢は現在23歳お肌の曲がり角、胸囲は写真よりマイナス5cmで
プロポーション維持に四苦八苦、結婚適齢期ですが彼氏無しボーイフレンド無しで
す」
 ゴバキシッ!
 スタジオのどこか暗闇で堅い木の柱が弾ける音がした。最大に締めた万力の圧力を
瞬時に発揮した場合に起こりえるような破壊音である。爆弾発言と今の音で、初音の
全身からは冷たい汗がどっと噴き出してくる。
「か、かえで……おね……」
「……どうしたの初音。……続けるわよ」
 退く気はない。退く気はないのだこの姉は。今この瞬間にも殺戮者と化した鬼が闇
に潜み赤く光る眼でこちらを睨視しているに違いない。平然としている楓と違い、巻
き込まれた末妹は震えが足先にまで来ている。それでもこの場で固まり続けているわ
けにもいかない。何とか正気を保って進行を再開する。
「あ、あのぅ、で、では千鶴さんの妹たちの紹介を……え、訂正? あ、はい」
 画面の外からADが新しい台本を手渡してきた。初音はそれを受け取ると付箋の挟
まれたページを開いて赤いマークで指示された場所から読み上げていく。
「えーと、順番を変えまして末妹の柏木初音からです。あ、私から? そうなんだ
ぁ」
 冒頭から三女に対する羅刹のごとき悪態がぎっちり書き込まれているのではないか
と心配していた司会者はほっと胸をなで下ろした。どうやら自分の一番上の姉はこの
くらいは大目に見てくれるらしい。平時でも次女とよく口喧嘩をしているのだから、
今回もその程度だと寛恕してくれたのだろう。
 交代して楓が妹の解説を読み上げようとする。
「……柏木初音、彼女はとても……」
 そこでまたもや台詞がぴたと止まった。視力が劣っているわけでもないのに台本に
目を近づけて食い入るように見つめた。固まってしまった姉に代わり、初音が慌てて
続きの箇所を読み上げる。
「あの、ええとぅ、彼女はとても幼い外見で小学生のようですが実は高校生なのです。
……ってええっ〜!」
 つらつらと書き連ねられた訂正箇所を見て初音も楓と同じく硬直する。こんなのは
本番直前まで無かったはずだ。抜群の記憶力を有し、最終決定であったはずの原稿を
丸暗記していた彼女にはそれがよく解っていた。第一、姉妹の紹介は長女から歳の順
だったはずである。『お仕置き』、初音の脳裏にその単語が浮かんだ。関係ない、私
は関係ないのぅ……そう身体表現で示してみても悪鬼と化した首謀者には通じそうも
ない。
「が、外見と同じく精神的にも未熟なところがありぃ、そのくせ天真爛漫を装い保護
欲をかき立てさせる狡賢いところも……」
 自分で自分の解説を読みながら初音はふるふると顔を横に振って目に涙を溜めた。
視線で撮影スタッフに助けを求めたが、皆一様に目を反らして気付かぬ振りをしてい
る。まるで何かに怯え強制されているような……いや“まるで”ではない。来ている。
この撮影ルームのどこかにこれを仕組んだ張本人が潜んでいる。逆らえば闇より出で
し一条の爪先にて三途の彼岸に渡るのみ。
「ううっ、よい子ぶっているがその仮面の裏では何を考えているのか解らず、一度性
格が裏返ったら手の付けられない不良になる可能性が……ち、ちが……わたし……ち
が……」
 ポンと、進退の袋小路に入ってしまっていた初音の肩に軽く手が置かれた。
「か、楓お姉ちゃん……」
「……初音、負けてはダメ」
「え?」
「……連帯責任を取らせて互いに監視させ疑心暗鬼に陥らせる、悪い独裁者がよく使
う手なの」
 ガビーン! そんな擬音が初音の脳内で起こった。いつの間にやら自分はこの戦い
に巻き込まれ、どちらの陣営に付くかの究極的決定を迫られている。男には死ぬと分
かっていて行かねばならぬ時がある、負けると分かっていて戦わねばならぬ時がある
……というが、若干15歳の少女にその試練は難すぎた。道義と生命維持の選択に挟
まれて初音は再び立ち往生する。
「……それでは次に進みましょう」
「え、次?」
 察して助け船を出してくれたのか、消極的であった楓が自ら進行を示している。こ
の場を繕えるのなら、と初音は慌てて台本の続きに目をやる。変更後の順からすると
楓の紹介の番だ。一通り記述を確認し、記憶を試みる。その素早さは初音の特技でも
あった……が。
 何度目かの戦慄が初音の芯から迸った。真っ赤に訂正された楓に対する記述、それ
を一行一読する度に血の気が引いていく。
「か、楓おね……こ、これ……」
 がくがくと、顎さえかみ合わず初音の思考は停止する。当然記憶することなど出来
ず、精神の白く成り行く山際を押しとどめているだけで精一杯であった。これを言っ
ても社会的死言わなくても生命活動死、のダブルバインドが初音を締め付ける。
 対して楓の方は相変わらずじいっと台本を見つめている。このまま番組が終わって
しまうのではないかと思われたとき、やっと動きがあった。
「……ではここでゲストに登場願いましょう」
 そう言って涼しい顔でパタンと台本を閉じる。にっちもさっちも行かないでいた初
音はやっと拘束から解き放たれた。
「え、そんな事台本には……あっ、そ、そうだよねっ! ゲスト! ゲストさん誰か
な。楽しみだよぅ」
 極限の縁にあってこのくらいの機転はまだ利けているようだ。どちらにしろこの台
本通りの読みでは、ほとんど自主規制でピーと消さねばならないだろう。スタジオの
どこかでぎりりと歯ぎしりした音があったような気がしたが、初音はあえて聞こえて
いなかったことにした。
 スタジオの前から向かって右奥には二階から続く螺旋階段が設置されている。音楽
と共にそこから一人の女性が降りてきた。
「……ゲストの柏木梓さんです」
「あれっ、梓お姉ちゃん、どうしたの?」
「いや、楓に携帯のメールで急に呼び出されてさ」
 驚く初音の頭に一つぽんと手を乗せると、柏木家次女は溌剌に、それでも平常に比
して随分と淑やかに席に着いた。
「……部活の途中に呼び出したりして申し訳ございません。こちらは柏木梓さんで
す」
「あ、どうも」
 公共放送出演とあって、いつも男勝りであるこの少女も行儀良くしている。親戚に
あたる男子大学生などがその場に居合わせたら「お前でも脚を揃えて座ることがある
んだな」と笑ったに違いない。無論直後にその発言者は鳩尾に入った蹴りによって腹
を押さえて蹲ることになるだろうが。
「……ところで梓さんは柏木家家事全般を取り仕切ってらっしゃるとか」
「まあな……じゃなくて、そうです。おほほほ」
「(梓お姉ちゃん、無理しなくてもいいよぅ)」
「(うるさいな。こんなの耕一のヤツに見られたら馬鹿にされかねないだろ!?)」
 初音自身は気付いていないが恐怖による金縛りは大方解け汗も引いてきている。先
程までこの場を包囲していてた怨念が薄らいだためだ。いや厳密にはおどろおどろ流
れる毒気は未だ存在してはいるが、低気圧が高気圧に押される具合で梓を中心に晴れ
ている。
「……梓さんは現役高校生でありながら家事をこなし、しかも倶楽部活動でも活躍し
てらっしゃるのですよね……」
「そうそう。梓おね……梓さんはすごいんですよねぇ。すぐにお嫁さんになれるくら
いなんだよっ」
「そ、そんなことないけど、まぁ料理にはちょっと自信があるかな。えへへ」
 恥ずかしそうにゲストは鼻の頭を掻いて頬を赤らめる。実際料理だけでなく炊事洗
濯家計のやりくり修理修繕庭の手入れ押し売りの追い出しまでこの次女はこなしてい
る。先程の美辞で麗な紹介でもまだ遜っているほどだ。
 どんどん和やかになっていく空気に、初音は当初の目的を忘れて井戸端会議に突入
しかねない気分になっていた。そこで楓が一応の歯止めを掛ける。
「……ところで本日お越し頂いたのは鶴来屋グループ会長のお人柄をお伺いするため
ですが……」
「そうそう。梓さんだったら千鶴さんとのつきあいも長いんだし、私たちより良いと
ころも沢山知ってるよね」
「ん〜そうですねぇ。あの亀……じゃなくて千鶴姉さんの役に立つところは……」
 珍しくも“姉さん”などとつけて梓は考え込んだ。かなり機嫌がよいのであるから
殊更悪口が浮かんで来はしていない。しかし
「……………………………………ええと……………………………………………………
……………………………………………………………………………………………………
………………何もしなけりゃ、人畜無害なところかなぁ。あはは」
 始末書ギリギリの無音放送時間のあとで出た答えは、それでもかなり世辞の入った
ものであったりする。またギシリとスタジオのどこぞで異音がしたが、状況の掴めて
いないゲスト以外は皆意識的に無視した。
 初音はほっと胸をなで下ろす。この雰囲気くらいがいつも我が家でされているのと
等しい程度だ。番組が終わって帰ってみると一番上の姉が拗ねていて、「なによあれ
は〜」と非難するのを次女が「あれで本当だろ。文句があるなら自分でやってみ」と
見下したように言うのだ。すると長女は渋い顔でもごもごして誤魔化しに湯飲みに手
を伸ばす。空であるのに気付いてさらに沈み込むところを、三女がいつの間にか用意
してきたお茶を無言で注いでやる。「ありがと」と言う長女におかっぱ頭がこくりと
頷いて、昼間に起こった確執は終わる。あとは追い打ちを掛けようとする次女を四女
である自分がやんわりと止めて、それでまた明日、だ。
「……そうですよね。千鶴さんは会長職でお忙しいでしょうからご家庭での活躍は控
えめなのでしょうね……」
「まぁそんなところかな」
 ナイスフォローお姉ちゃんたち! 初音は心の中で小ガッツポーズを取っていた。
楓も遺恨を廃して元の安穏の輪に戻る努力をしてくれているようだ。もう安心だ。こ
のまま当初の台本通りにVTRを見て主役を褒めちぎって、上がりである。
「……ところで梓さん、ここにこんなものがあるのですが……」
 ピシリと初音の平たくなだらかな胸にひびが入った。もう一人の司会が何気なくゲ
ストに渡しているアレは……。きょとんとして受け取るゲストに無言でページを開い
て指し示す。
 忘れていた。すぐ顔や態度に出る自分や次女と違い、三女は表に感情を出さないが
何百年前の前世を未だ引きずるほど情熱的で深い性格であることを。
 黄色い表紙をした訂正済み台本最終稿が不自然に破れていく。縦や横にビリリでな
く、掴んでいる指と指との間毎に細かく裁断されているのだ。それを持っている次女、
その体重を支えている椅子の根本がずしりと床にめり込む。
「へぇ〜この字は……あっ、そう。こんな風にあたしを紹介するつもりだったんだぁ
〜……あの亀姉はぁっ!」
 開かれた目の瞳孔が縦長に収縮している。彼女ら一族に遺伝される力の発動だ。晴
れていた空気が熱風に代わり、一陣の竜巻となって瞬時だけスタジオ内に吹き荒れた。
未だ大人しく座ってはいるが、怒りに紅潮しているゲストは臨戦態勢完了済みだ。
「あの、梓お姉ちゃん、ダメだよぅ」
「初音、あんたは黙ってな」
 ギロリ睨み付けてくる眼に初音は“はうぅ”と竦み上がった。横の三女にすがろう
にも、澄ました顔にしてやったりと微笑を浮かべている。鬼……この女性も鬼だ……。
初音は自らにも流れる呪われた血に恐怖した。
「……で、梓さん、千鶴さんは世間から色々と誤解されているようですが、あなたか
ら見てどうなのでしょうか……?」
 楓がしらりとそんな質問を激高した梓にかける。本来この番組の目論見通りなら、
ここで弁明じみたお涙話をしてもらうところだ。
「誤解? へっ、他人様の目は誤魔化せないって証明だよ。間違っちゃいないね」
 ギュギシッ!
 むき出しの鉄骨がスポンジケーキのように軽く千切られた感じの音がした。あちら
も完全に変体を終えている。見かけは変わらずとも五感と攻撃力・防御力が数十倍に
高まっているはずだ。
 それにも拘わらず梓は平然としたままだ。巨圧と巨圧に挟まれてあわびゅっている
初音とはまるで対照的に嬉々とさえしている。
「……では千鶴さんは噂通りの人だと……?」
「あのスローリーの役立たずぶりにはこっちも参ってるんだよ。皿洗いすらろくに出
来ないし、この前だって毒の入ったリゾット作って迷惑掛けまくりなんだから。それ
と勘違いしている人も多いからはっきりさせておくけど、あたしがあの偽善……」
 そこで梓は眼前に左手を構え、曲げた中指を親指の中に入れ輪を作った。甲高い音
が突然起こり、彼女の眉間辺りで火花が散る。直後、スタジオのどこか全く違う場所
の暗がりで「みぎゃん!」という悲鳴が聞こえた。
「偽善者より弱いなんてことないからね」
 デコピンの要領で梓は中指を弾き終えていた。常人の動体視力では到底追い付かな
い、高速度撮影カメラでしか捉えられないほどの鉄片がどこからともなくステージに
いる梓めがけて射出されていたのだ。彼女はそれを寸分の差もなく狙撃者のターゲッ
ト通りのポイントにそのままお返ししたのである。
「あの、あ、梓お姉ちゃん。今聞いたことあるような悲鳴が……」
「ああ亀だろ亀。どこかの鈍亀がスタジオに迷い込んだんじゃないの?」
 からから笑う柏木家次女に情けはなかった。普通の人間であれば即死間違い無しの
弾丸であっても、鬼の力を解放した彼女らにとってはピンポン玉をぶつけられた程度
でしかない。それでもかなり痛かったらしく、反撃された方は未だ嗚咽を漏らして蹲
っているようだ。
「梓お姉ちゃん、こ、こんなことしたら後で……」
「ああ? 何心配してんだよ初音。あんたまであたしが負けるとでも思ってるの? 
もう老化が始まっている上にデスクワークで贅肉付いて足腰鈍っている亀に、毎日陸
上で鍛えているピチピチの女子高生が後れを取るわけないっつーの」
「で、でも梓お姉ちゃん、結構怖がっていたんじゃ……」
「そりゃまぁ昔あれだけ酷い折檻されてりゃ誰だって……。いや、もう吹っ切れた!
 あのときはまだ小学生で背も小さかったし鬼の力もなかったから中学生の亀に負け
てたんだけど、今は勝つ! 絶対! それに以前からも言っているだろ。単純な力だ
けならあたしが姉妹の中で最強だって。少なくとも明るいところで正々堂々と戦えば
後れを取る要素はない!」
 そう強気に叫びつつも梓の足先は微妙に震えていた。かなりトラウマになっている
に違いない。というか幼少の頃よほど酷い目に遭っていたのだろう。
「ったくあの頃はよー、鬼の力もなく弱かったあたしを散々……。笑うんだぜ? あ
たしに仕置きしながら笑ってたんだよ。『あなたのためよ』とか『躾はちゃんとしな
いとお父様に申し訳ないから』とか!」
「でもわたしそんなことあったなんて知らなかったよ?」
「なんだよ初音、あんた、あたしの言っていることが信じられないのか?」
「だ、だってぇ……」
 長女を信じれば次女を、次女を信じれば長女を、それぞれ疑わねばならない。初音
は、今まで和やかにやってきた家庭の裏でそんな修羅界が展開されていたなんて思い
たくもなかった。
「……ではここでそのときの状況をご覧頂きましょう」
「楓お姉ちゃん? そんなの台本には無かったけどぉ」
「……こんな事も有ろうかと密かに開発しておいたの」
「こ、“こんな事も有ろうかと”?」
 何故にこのような状況を推測できたのか、訝しげると同時に怖い考えが浮かんでき
てしまう。この一つ上の姉はいずれ長女との決戦を予期していたのであろうか、そし
て仲良く涼しい顔をして着々と……。
「……それではフィルムスタート。歴史が動いたその時です……」
「楓お姉ちゃん、それ番組が違うよぅ」
 楓が合図をすると画面が切り替わりポリゴンで描かれた3DCGが浮かび上がる。
下にはお馴染み“一部再現映像を交えています”のロゴ入りだ。
 時刻は既に三女以下お子さまグループが寝静まった丑三つ時、柏木家母屋から少し
離れた倉の中に情景は移っていく。蝋燭が灯っている部屋の中には、回転水車やらギ
ザギザの石の座布団やら油を染み込ませた蓑やらが並べられている。このくらいなら
まだ“昔からこの屋敷にあった”と弁明のしようもあろう。しかし鋼鉄の処女やら電
気椅子やらガス室やらはどうしたものか。
「うくっ……あまり思い出したくないけど、確かにあのときのままだぜ。それであた
しはここであの偽善者に……」
 自らの内からわき出る恐怖心と戦うかのように梓は過去のことを細々と暴露してい
った。連動してポリゴンキャラクターが動き、リアルタイムの再現がなされていく。
その陰惨な内容に、聞いている初音の方が泣き出しそうになる。
「うぇ……梓お姉ちゃんって昔そんな……うぇ……酷い目に……」
「そうだろ、そうだろ? 今アレが世間様から言われている事って、誤解でも不当で
もなく因果応報ってやつだよな。胸はまぁ妹のあたしより9cmも少ないけど、あたし
らの家系って着痩せして見えるから100歩譲って人並みということにしよう。でも
性格はホラ、あんたも言いたいことあるだろ?」
 梓としては悪気はない。だがこの質問は、まだ鬼の力に覚醒していない者にとって
は自ら死刑執行指示書にサインするかどうかの選択に等しかった。
「わ、私? 私はその、あの……別にいいよぅ」
「大丈夫だって。何かあったらあたしが守ってやるから」
「でも、でも、いつも昼間とは限らないよぅ」
 うっ……そう梓も詰まった。言われてみれば一つ屋根の下で暮らしているというこ
とは常にエリミネートされる危険性がある。思い当たる節も沢山あった。例えば先日
かなりきつく説教してやったときのことだ。やらなくていいと言ったのに無理に手伝
いをして新品の食器セットを全部ひっくり返して割ってしまったことがあり、嫌みも
含めて散々こき下ろしてやった。その晩、寝苦しくて目を覚ますと上で何やらカリカ
リ物音がしている。ベッドで仰向けになったまま目だけ開けていると、天井の板がす
っと動きギロリとこちらを睨む目が現れた。そして起きているのに気付くと「チッ」
と舌打ちして去っていった。次の日の朝、顔を洗いに洗面所に行くとこんにゃくやら
豆腐やらネズミ花火やら殺虫剤やらが口惜しそうに捨ててある。早速被疑者をたたき
起こしに行くと、蜘蛛の巣と埃だらけでたどたどしく弁解するのだ。キツネの耳と尻
尾でも附けてものみの丘にでも捨ててきてやろうと思ったが、もう馬鹿らしくなって
その日は朝食抜きにするだけで許してやっていた。
「だけどっ、それはあたしと正面切って喧嘩しても勝てないって証拠でもある!」
 退こうとする過去に縛られた自分とそれを打ち消そうとする未来に向かう自分とが
ぶつかり合い、辛うじて後者が勝り前に出る。一つの葛藤が決したのを見計らって、
陰のプロデューサーがタイミング良く進行を再開した。
「……それで結論として梓さんから見た千鶴さんとは?」
「へっ、そのままそのまま。巷で言われているのと同じく偽善……」
『先ぱぁ〜〜い!』
 危険なキーワードを再度口にしようとした瞬間、室内いや館内、いやいや電波に乗
って隆山地方全体に倒錯的な声色が撥ねた。きょとんとする初音の横で、膨張しきっ
ていた鬼の気が急速に萎んでいく。
「あれ? 今の声、楓お姉ちゃん?」
 ふるふる
「千鶴お姉ちゃんの声じゃないし……誰なの?」
 二つ上の姉に尋ねようとゲスト席を見ると、先程までの長女に対する情動とは違う
種の恐怖で緊張している。あえて聞かなくとも誰の関係者なのか一目で分かる態度だ。
「梓お姉ちゃんの知り合い?」
「え!? さ、さぁ、あたしは知らないな」
『あ〜酷いですぅ梓先輩。わたしですよ、わ・た・し。あなたの最愛の後輩、でも名
前は番組の都合上ひ・み・つなんですって。きゃっ』
 文末にいちいちハートマークが付きそうな語調で、その自称謎の後輩は悶え気味に
自己紹介をした。無論分からない人には分からないが、おそらく梓の通っている高校
では全員が推定できているだろう。
 これまた台本にない展開に二人の司会はアドリブを迫られる。
「あの、ええと、次のゲストさんかなぁ?」
「……違うわ。多分……」
『わたし嬉しいんですぅ。愛する梓先輩の身内の方からのご依頼があるなんて。これ
ってもう家族の一員として認めてくれたってこと? もうこれからは“先輩”じゃな
くて“姉様”なんですよね。くふふふ』
 歴史の陰に女有り。謀略の陰に偽善者有り。楓がメールで対千鶴用の盾を召喚した
のと同じ方法で、対梓専用矛を誰かが呼んだのだ。
 流れに乗れない3人をよそに、スタジオ内の照明がゆっくり落とされていく。
『ではここで、わたしと梓姉様との愛の学校生活をご紹介しましょう』
「ちょっ……ま、待てかおり! 誰が“姉様”だっ!? あんたとあたしは単なる先
輩と後輩で、それ以上の関係はないだろ!」
『ああん、そんな事言う先輩なんて嫌いです。えいっ』
 ポチッとボタンが押されると、スタジオ後方にセットされた大型プロジェクターに
写真が映し出された。まず事実を記述すれば、それは倶楽部活動合宿の風景であった。
旅館の大部屋に布団が敷き詰められたところに女生徒が寝ている。おそらく枕投げで
もした後疲れてそのまま寝てしまったのだろう。それだけなら単なるスナップショッ
トだが、少し乱れた浴衣の裾に他人の細白い手がそろっと差し込まれている。
「か、か、か、か、かおりっ! あんた一体いつこんなっ!?」
『だぁって先輩ったら、あんなみだらな格好で私を誘惑するんだもん』
「誰がするかぁっ!」
『これって据え膳食わぬはなんとやら、って言うんですよねっ?』
「あんたなぁっ、いい加減にしないと……」
『じゃあ次ですぅ』
 カシャッとスライドが入れ替えられた。まるで結婚式の新郎新婦履歴紹介のノリで
ある。それを見てまずはじめに初音が腰を抜かして座り込んだ。自分が写っているそ
れにより、梓は蒼白して顎を外す。楓の口がぽけっと開いているのはきっと彼女なり
に驚愕しているのだろう。
『題して<二人静・露天風呂の契り>ですぅ』
 文字通り、一糸纏わぬ姿で梓ともう一人の少女が抱き合っている。湯気で微妙なと
ころはぼかされているが、顔ははっきり捉えられていて判別可能だ。どちらもとろん
と上気した表情で互いに腰に手を回している。
「あ、梓お姉ちゃん……まさか……」
「勘違いするな初音! あれはかおりのやつが風呂場でのぼせちまったからあたしが
介抱してやっただけなんだよ!」
『そのあと梓先輩ったら体の自由が利かないわたしを寝室に引きずり込んで……』
「一緒の大部屋なんだから当たり前だろっ! っていうかいつ撮ったんだよこんな写
真?」
『それは乙女の秘密ですぅ。では次の愛の思い出はぁ……』
「ぐわわわぁっ! 初音、操作室はどこだ!?」
「ええと、あそこの緑のランプが付いているとこだよ」
「わかった! じゃあな!」
「……あ……ちょっと梓姉さん待って……」
「悪い楓! 止めないでくれ!」
 制止しようと伸ばした楓の手より早く、梓の体は音波の伝達に近い速度で奥にある
ガラス張りの部屋に飛び込んでいった。窓越しに見える二人の口の動きからこんな会
話であろう事が推測される。
『こらぁっ! すぐ中止しろっ!』
『ああん先輩、そんな息を荒げてわたしのところに!』
『って、どうしてドアに鍵を掛ける?』
『ここは完全防音だから外に音が漏れることはないんですよぉ』
『何!? ちょっと待……うわっ! うわわわぁぁ〜!』
 すぅっとスタジオのライトが灯り全体が明るくなっていき、逆に操作室の方は秘め
事に丁度良いような暗闇になった感じがする。後は盾が矛に貫かれたりしないよう祈
るだけの初音であった。
「あの、えと、楓お姉ちゃん、次どうしよ?」
「……初音、避けなさい」
「え?」
 ピュン
 初音の頬に何かが掠めた。羽虫でも当たった程度の感触だ。それととろりと何かが
伝ってくる。汗かな、と思い白いハンカチで吸ってみると、即興で日の丸が完成して
いた。
「ひっ! こ、これ、血……」
 遅れてじわりと鋭い痛みが起こった。削ぎ落とすように、切るように、銃器の弾丸
と等しい速度の真空渦が通り抜けていったのだ。梓めがけて撃ち出された鉄片に比す
ると破壊力は和らいでいるものの、不可視である故の回避の難さにおいて暗殺に適し
た攻撃である。もちろん証拠も残らないし、何より手痛い反射反撃を受けない。
 楓が何やらひらりひらりと舞っている。いや注意して見るとシャドウボクシングで
仮想相手のパンチをディフェンスしているかのようだ。その楓の後方にあるセットに
次々と細かい穴が不意に穿たれていく。
「……あなたも鬼の力を解放しなさい」
「ええっ!? わたしそんなことまだ出来ないよぅ」
「……動体視力だけでもいいわ。やらねば……死あるのみよ……」
 チュインと初音の頭上を小さいものが通過し、はらりと髪が数本落ちる。彼女ら血
族でも鬼の力を纏う前は人間と何ら変わらない。巨象すら易々屠る腕も懸垂すらまま
ならず、至近距離からの銃弾も雨粒ほどにしか感じない肉体も洗濯ばさみで挟まれる
と悲鳴を上げる。未熟とはいえ鬼の力を使える楓には見える攻撃も、初音には何が起
こっているのかすら分からない。
「だ、誰か……たす、助け……耕一お兄ちゃ……」
 常人並みを超えられない初音にも周囲に凶弾がいくつも飛び交っているのが感じら
れている。相手は雑然としたスタジオの暗がりから3・4発ずつ撃っては位置を変え
ている。移動速度も尋常でなく、狙撃手は一人のはずなのに一個小隊に包囲されてい
る錯覚すら感じられた。だからこそ下手に動くことが出来ず、初音はがたがた震えて
立ちつくすだけであった。不幸中で最も幸いだったのは狙撃ターゲットは全て黒髪の
おかっぱの頭部であり自分に直接殺意は向いていないことだ。幸い中最も不幸なのは
自分が弾道の軸線上にあっても攻撃者は躊躇無く制裁を実行していることである。
 髪の毛一本分の太さで命の綱渡りがなされている静かなる戦場に、また監督から指
示が入った。どうやらあちらで進行を補助していくことにするらしい。決死の攻防が
続いているこの場ではあるが、それは番組発信側の都合であり、常人である視聴者に
は司会者が意味不明な動きをしているだけにしか見えなかったであろう。よほど苦情
の電話があったらしくディレクターが電話口で放送局社長に必死に謝っているのが聞
こえた。
 カメラ機材の後ろでADが大きな看板を上げている。そこには次の進行手順が書き
込まれていた。
「えと、【再現フィルムに切り替え】……。あ、そうだね。この場はVTRにするの
がいいよねっ」
 とりあえずでも急場を凌げればよいとの浅慮で初音はその提案に飛びついた。しか
し冷徹な三女はこの展開に含まれた目論見を看破していたようだ。
「……罠よ」
「え?」
「……スタジオが直接映らなくなったら……どうなると思う……?」
 初音は頸動脈側を通過する凶弾に怯えつつもなんとか明晰な思考を巡らせた。いく
つかのパターンを推測した後、新たに出てきた結論に愕然とした。考えられる内最も
有力で、最悪の展開だった。
「ま、ま、まさか、この場で激殺され……る……」
「……ピンポ〜ン……」
 抑揚のなく楓が口ずさんだ。されたくはなかった肯定に、初音の下着は僅かに漏れ
ていたりする。恐らくは画面がフェイドアウトした瞬間、ニヤリと笑った誰かさんが
嬉々として飛び込んでくることだろう。そして再び画面がスタジオに戻されると、天
井に壁にと飛び散った血糊をバックに、床の血だまりにちょこんとクマさんの人形が
二個置いてあったりする。
「か、か、かえ、かえ、かえでおねえちゃ……」
 もはや舌すら廻らず、初音は迫り来る終末への恐怖に備えるのみであった。こんな
ことならもっと耕一お兄ちゃんに〜……と悔恨とも付かない悲鳴を上げる。
 パコ
「はぇ?」
 チョップ。それが初音の頭部に垂直に軽く落とされていた。
「楓お姉ちゃん?」
「……落ち着きなさい」
「で、でもでもぉ〜」
「……ではここで次のゲストにお越し頂きましょう」
 ピタッと狙撃が止んだ。撮影スタッフにもざわめきが走る。またもや台本にないア
ドリブの展開だ。放送局としてはスポンサーに逆らいたくはないが、生放送中に出し
てしまった発言はそうそう取り消せない。あとは司会者の進行に合わせてやるだけだ。
「でも誰なの? 耕一お兄ちゃん!? ……は大学に戻っちゃってるし」
「……では入ってきてください」
 先程梓が登場したのと同じ階段から一人の男性が姿を現した。ピチッとスーツを着
込み、しわ一つ無いワイシャツに青いネクタイが爽やかだ。ただし何故か顔は特殊効
果でぼやけていた。
「……紹介します。隆山で地方公務員をなさっているYさんです……」
「あ、どうも。こんばんは」
 その男性はカメラと司会の二人に向かって深々と頭を下げた。背も高く理知的で礼
儀正しい好青年だ。就職浪人の大卒女性が見たらその場で結婚を迫りたくなりそうな
相手である。
 初めて見る人に、初音は物怖じしながらも挨拶をする。
「えと、あの、こんばんは」
「はい。こんばんは」
 清潔な返事だ。異常な環境に晒されていた初音には新鮮にすら感じられる。一気に
緊張が解け、微笑む余裕すら生まれてきた。
「今夜はわざわざお越し頂きましてありがとうございます」
「いえいえ」
「ところで、あの、本日の主役である柏木千鶴さんとはどのようなご関係で?」
「鶴来屋前社長の事故の際に少し事情をお尋ねに伺いまして」
「そうなんだぁ。あ、だったら叔父ちゃんの事を話しに来てくださったんですね?」
 初音としては、事情をよく知っている第三者が客観的に見た柏木家の苦労話をしに
来たのだと推察した。もう放映時間も後少し、数分会話を続ければ終わりだ。さすが
の殺戮者も、無関係の男性(しかもちょっとOL好み)が居る上に生放送となれば手
出しはしまい。
「……甘いわね、初音」
「え?」
「……あなたの考えていることくらい分かる。この場だけ済めば大丈夫だとでも思っ
ているの……?」
 初音の体がまた震えはじめる。そう、この放送中は安全だが逆に言えばその後の余
りある時間の中でどんな凄惨な手段を使うのも可である。きっと今夜は最後の頼みの
綱である梓は帰りが遅いであろう。下手をしたら朝帰りになってしまうかも知れない。
その間広い家には自分たち二人と血に飢えた野獣一匹だけになってしまうのだ。
「ど、どうしよ、楓お姉ちゃん〜」
「……そのためにゲストを呼んだの」
「え、だってこの人は普通の……」
 きょとんとする初音の横を過ぎ、楓はゲストの座る椅子の横に立った。
「……どうも」
「あ、どうも。本日はお呼びいただき、まことに……」
「……そんな遠慮しなくてもいいです」
「いやだなぁ。なんかそれじゃあ私が猫被っているような感じじゃないですか」
「……特殊効果で顔が見えませんし、音声も変えてありますから……」
 楓は無愛想に敬意のない言葉を掛けていく。ゲストを迎える司会者にしてはあまり
に礼儀に失した態度だ。フォローしようと初音があわあわとマイクを握り直す。
「楓お姉ちゃん、その言い方はないよぅ」
「……いいのよ。ねぇ……?」
 楓が流し目でY青年を見た。常時の彼女には考えられない不遜さだ。慌てた初音が
姉に代わって謝辞を述べようとしたとき、聞いた事もない低い笑い声がスタジオに響
いた。
「くっくっくっくっくっ」
「え、あのぉ……」
「そうか。ならば隠さなくてもよかろう」
 青年は数秒前までの健全さを破り捨てていた。上げた顔に二つの赤い目が光ってい
る。自分たち柏木家姉妹が力を解放したときと同じ輝きだ。ただし鬼一族女性の場合
はこの段階で留まるのに対し、オスは肉体外見も変化する。つまり今ゲストがなって
いるのは覚醒の第一段階だ。
「ええっ、まさかこの人も鬼のぉ?」
「くくっ、そうだ。善良そうな地方公務員とは仮の姿、その実体は誇り高き狩人の…
…!」
 ペシッ
 楓チョップ第二号が、今まさに完全変体に入ろうとしていたYの額に炸裂した。言
うまでもなく鬼はオスとメスでは戦闘能力が違いすぎる。全力を出したとしても、メ
ス4匹でオス一匹を制するのも難しい。況や未熟なメスが完全体のオスに挑むなど無
謀の極みであろう。
「ひいっ、楓お姉ちゃんっ!」
 初音の下着がまたビビリに染まった。次にあるは確実にて絶対な死、それのみであ
る。それを肯定するように、血管の浮かび上がった青年の手が楓の細い腕をがしりと
掴む。
「きさま……」
「……約束」
 楓の一言に狩人の動きが止まる。そして膨張しつつあった肉体は沈静化し、元の体
形に戻った。ただし瞳だけは臨戦態勢の紅のままだ。
「ちっ」
 観念したらしく青年はぶっきらぼうに腰を下ろした。細面の外見に似つかわしくな
い重量に椅子がぎしりと軋む。やはりまだ収まりはしていないようだ。
 一応のピリオドを垣間見て初音がこそっと会話に参加する。
「あのぅ、楓お姉ちゃん、一体……?」
「……だからゲストさん……」
「何のぉ?」
「ふっ、聞け小娘。この楓がメールで“活きの良い獲物がいますよ”と連絡してきた
のだ。狩人として当然することは分かろう」
 本日何度目かも数えられなくなった衝撃が初音の精神を揺るがした。売った? 家
族を売ったの? 楓お姉ちゃん? まだ世間ずれしていない末妹は、軽く否定される
ことに期待して三女の顔を覗き込んだ。だがそこにあったのは、無表情ながらも“し
てやったり”と勝ち誇った意気の滲み出る悪女が居るばかりであった。
 竜虎鳳凰玄武相打つ中に投げ込まれた兎のごとく、初音はただただ怯えるしかなか
った。それでも一つくらいは無血の解決を、とばかりに智慧と健気を奮う。
「で、でも鬼になった千鶴お姉ちゃんってとっても強いですよぉ。純血の鬼だしぃ」
「だから何だ。この世でオレに勝てる可能性があるのは純血のオスくらいなもので、
メスなど人間と同じ贄に等しいわ!」
 殺戮のゲストってあのぉ……そう初音は突っ込みたくはあった。しかし次なる盾を
準備する用意周到さはいかがであろうか。これも“こんな事も有ろうかと”?
「ところで楓お姉ちゃん、この人とどういう関係なの?」
「……」
 もじもじ
 ポッ
「え?」
「……彼……逞しいの」
 グワシャガターン!
 暗がりの一部で派手に転倒したような音がした。また名誉毀損攻撃が来るだろうと
身構えていたところに、全く別の精神攻撃が来て足下をすくわれた感じだ。“そんな
……いつの間に……私より先に……何故……”との呆然とした呟きがどこからともな
く流れていた。
 暫くはきょとんとしていた初音が遅れてやっと意を悟り赤面して声を上げる。
「ええ〜っ!? そういう関係!?」
 コクリ
「耕一お兄ちゃんはどうするのぉ!?」
 初音の至極真っ当で倫理的な質問に、楓は半眼でポンと妹の肩に手を乗せて言った。
「……初音……女は恋。結婚は一人としかできないけど、恋はいくつしても良いのよ
……」
「そんな不倫モノのレディコミみたいなことを〜!」
 初音の思い出の中にあった暖かい柏木家の映像が崩壊しはじめた。偽善者の長女、
同性愛者の毒牙に掛かった次女、既にキープ君までゲットしている三女……ドラマで
もなかなかお目にかかれないシチュエーションである。
 加えてまだ疑問もある。鬼の衝動が激しいらしいこの青年が、いつまで楓の言うこ
とを聞いてくれるのだろうか。今だって狩人の本能を満たすために来ているはずだ。
「……それに彼も、未成年の私に手を出したって知られたら職場にも居られなくなる
だろうし……ロリのエルクゥなんて陰口をたたかれるのもいやだろうし……」
「ちいっ!」
 モザイクが掛けられていても充分認識出来るほどの赤面をして、地方公務員Yは顔
を背けた。さすがは誇り高き一族の末裔、その手の不名誉には敏感らしい。そうでな
くとも教え子に手を出した教師が新聞の社会面で公表され社会的制裁を加えられた後
懲戒免職となるご時世だ。少し昔は許されていたロマンスなど、今は未成年保護の名
の下に法律違反となる。
「……と言うわけで後処理もバッチグー……」
「か、楓お姉ちゃん……」

 ちゃららら〜
 ♪ヘッドラ〜イ テールラァ〜イ たぁびはまだ……♪
「……エンディングの歌も始まって丁度お時間となりました。……今夜はここまで…
…」
「ええっ!? これで終わっちゃうのぉ!? ここは溢れてくる涙をぐっと堪え、苦
み走った渋い笑顔を見せるところだよぅ」
「……誰が?」
「それに解決は? 最初の目的はぁ?」
「……さぁ」
「う、うわーん。うわぁーーん」
 何が悲しいのかも自分では分からず初音は泣き出した。どうやら苦み走った笑顔は
無理のようである。同じくスタジオの暗闇ではあまりの口惜しさに……特に妹に先を
越されたことに血の涙を流している鬼女が居た。
 静かなバラードと物悲しい嗚咽をバックに画面がフェイドアウトしていく。スタッ
フロールが流れる中、最後のナレーションが始まった。

『……家族の良心的な協力があったにも拘わらず、様々なものを犠牲にしてまで払拭
しようとしていた汚名は未だ拭えないままです。
 ……胸の大きさと家事全般能力さらに戦闘力まで次女に負け、性格では四女に負け
……その上男運まで三女に負けて……長女はこの先一体どうするつもりなのでしょう
……。
 挑戦はまだ続きます……』

          『プロジェクトL 挑戦者たち』
      〜偽善者の誤解を払拭せよ! 一流旅館会長の死闘!〜

                                終わり

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   次回『プロジェクトL 挑戦者たち』
 〜浮気者の汚名を返上せよ! 新人ADの奮闘!〜

 ……をお送りする予定でしたが、スポンサーの都合により今回で終了とさせていた
だきます。


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 こんにちは

 前回までの作品への感想ありがとうございました。先週から昨日、明日から来週ま
で音信不通状態ですので、またお返事できませんで申し訳ございません。
 ところで私のブラウザでは端で自動的に折り返し、ウインドゥのサイズが変わって
もちゃんと一画面に文章が収まるようになっているのですが……。登録方法が間違っ
ているのでしょうか?
 とりあえず今回は38文字毎に改行(niftyモード(笑))を入れました。
 えー、それと私はここの分類では“崖作家”になるようですが、そーゆーの以外は
書いてないので“うわらば作家”ではないかと。

 では
                       また暫く休止モード 初心者A