【こみパSS(?)】 ゲームセンターをあらします…… 投稿者:初心者A 投稿日:5月9日(水)23時57分
○この二次創作小説は『こみっくパーティー』『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しています。
○この二次創作小説は『痕』(Leaf製品)の脚本の一部を使用しています。
○この作品はフィクションです。劇中に登場する団体及び個人は実在する団体、個人とはなんら関係ありません。また、演出上の要請により、一部登場人物が危険な行為、または道義的に反する行為等を行っておりますが、二次創作小説ですので寛大な心で接して下さい。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
☆ このSSを読まれる前に拙作『大庭家の食卓』(http://www.asahi-net.or.jp/~iz7m-ymd/leaf/library/c/c35002.htm)
をご覧になることをおすすめします。

    【こみパSS(?)】『ゲームセンターをあらします……』

 私のすぐ側でルルルル……との回転音がしています。大きな黒い車のエンジンの呻りで、隣でしゃべっている下級生の女の子の声の方がずっと大きいほど静かな駆動と排気です。このリムジンには私も今気付いたところで、それまでは次のこみパ新刊のことで頭がいっぱいになっていて周囲のことは上の空だったのです。30cmにも満たない至近距離をいつの間にか私の数十倍も重い鉄の塊が並んで進んでいるのにびっくりし、急いで歩道の内側に身を寄せました。きっとこの車の運転手さんは速く通り過ぎたいのに進路上に邪魔な女子高校生がいて微速前進を強いられて苛立っているに違いありません。私はペコリと運転席に向かって頭を下げて縁石の中を歩きました。
 これで運転手さんも気分良くアクセルを踏むことができるでしょう。私は横を黒塗りの車体が追い抜いていくのを予測して前を見続けています。しばらくそのまま家路を辿っていましたが、いっこうに黒光りするボディは私の斜め前に現れません。不思議に思って横を見ると、先程の車が私と並行に進んでいました。前は……渋滞などしていないので速度制限までスピードを出すのに問題なさそうです。故障……もしていないようです。
 私は一瞬ぎくりとしました。でもすぐに考え直しました。誘拐……はありえないでしょう。周囲には同じ学校の生徒がたくさんいてここでさらったりしたらすぐに警察に連絡され捕まってしまいます。自宅にも身代金なんて用意するだけの蓄えはありませんし、第一堂々とナンバーをつけて誘拐する犯人がいるとは思えません。
 では何でしょうか? 私が不思議そうに車の横を見ていると、歩道のガードレールが途切れたところで音もなくその車は停止しました。シェードの張られた後部座席のウインドゥがゆっくりと下り始め、同時に運転席のドアが開いてタキシードに身を包んだ初老の男性が降りてきました。その男の人は私を一瞥すると挨拶するでもなく私の前を通り過ぎ、後部座席のところまで近寄っていきました。窓からは黒い髪が先ず見えていました。そしてガラスの縁が憂いを含む艶やかな髪に移り、整った睫毛と眦が下がり気味の黒真珠のような瞳を徐々に現し、鼻の頭が見える前くらいで停止しました。
「……」
「はっ、かしこまりましたお嬢様」
 車内の女性が彼に何かを命じたようです。“女性”と判ったのは運転手の台詞からと窓の隙間から覗かれている顔の上半分からですが、奇妙な疎通というか共感のようなものが超自然的に伝わり自分と近しい存在であると認識したからでもあったようです。
「突然の非礼をお許し下さい。私は来栖川家で執事をさせていただいている者でございます」
 その男性はつかつかと私に歩み寄ると太く力強い声でそう言いました。別段大声ではなかったのですが威嚇に近い圧力に感じられ、私は不安で一歩後ずさってしまいました。そうでなくとも黒塗りの大きな車から出てきた見知らぬ男の人にいきなり声をかけられたのです。警戒する私の自己をどうして自我が責められましょうか。
「あ……あの……」
「これは失礼。別にあなた様を怖がらせるつもりはございません」
 怯えを顕わにしているであろう私を観て、この人はさらに深々と低頭の姿勢を取りました。これ以上下げると転んでしまうかと思われるほどです。私は逆に心配になってその人が転倒しないために頭を上げていただけるよう言いました。
「は、どうもありがとうございます。さて単刀直入にもうしますと、お嬢様があなた様に用があるとのこと。是非お車の側まで来ていただきたく存じます」
 私はコクリと頷いて、そそっと車窓へと近付きました。最初から1m位しか離れていなかったので2歩ほど進んだだけです。この距離ならば直接声をかけて下さってもいいのですが……話してみてすぐにその疑問は解けました。
「こ、こんにちは。あの……え、“こんにちは”? は、はい、こんにちは」
 その女の人は私に負けず劣らず小さな声で呟くようにコクンと頭を下げました。私はつられてつい二度も挨拶をしてしまいました。
「え……“車に乗りませんか?”ですか? あの……」
 小さい頃に先生から「知らない人の車に乗ってはいけません」と教わってきた私にはとても躊躇われる誘いです。加えて今の言葉に執事の人がピクンと反応し表情を堅くするのが視界の端に観られました。その目は明らかに、下々の者をお車に乗せるなど以ての外、との意志を語っています。
 おろおろしている私に業を煮やしたのか、その女性は執事に視線を移して何か指示をしました。
「……」
「は、しかし……承知いたしました」
 男性は心の底から同意しているわけではなさそうで、僅かに渋々の態度を漏らしながら後部座席のドアを静かに開けました。
「どうぞ、お乗りになって下さい」
 私に対して開かれたその奥には私と同年代の女性が着座していました。先程窓から少し見えただけの顔からはずっと大人じみた静けさが漂っていたので年上の方なのかと思っていたのですが、召している衣装はセーラー服なので卒業を間近に控えた私と多分同じのはずです。
 私が今着ている白地に青を基調とした制服と色彩だけ対象を為した赤いその服は、少し離れた高校の指定であったと記憶しています。同じデザインで色だけ違うのは奇妙なことですが、全国に数多くある高校で全く同じ制服が2つあってもおかしくはないし、それが偶然にも近接地区にあるいうだけで摩訶不思議なわけではありません。
 同い年とのこともあって私の警戒はかなり解けました。それと、高級車に乗った体験が次の作品に活かせるかも、との不純な動機も加わって私は誘うようにこちらをじっと観ている女の人の横に腰を下ろすことにしました。
 私が車内へと入ると執事の人は少しだけドアを荒く閉め、何を言っているのか分からない程度の小声でぶつぶつと呟きながら運転席へと戻って車を発進させました。エンジンの音は外にいるときよりもさらに小さく、まるでふわりと浮かんだ魔法の箱が私を運んでいるかのようです。
「……」
「え、“では本題に入ります”ですか」
 コクリ
 その人はまるで私がいつもしているように頷いて返事をしました。いえ、私は自分のそんな姿など見たことはないので知るわけがないのですが、多分こんな感じでしていたに違いありません。
「“私とユニットを組んで下さい”ですか? あの……ユニットって、同人誌のですか?」
 ……ふるふる
 彼女は少し間を置いてから、これも私がするかのように首を横に振りました。多分“同人誌”の意味を考えていたのでしょうが、何のことか分からなかったので否定したのだと思われました。仲間が増えたのではと喜んでいた私は寂しくなりました。
「……」
「え? “伝説と噂されるあなたしかいません”って? あの……私はそんなふうに呼ばれては……え、“とにかく達人が必要なのです”と言われても……」
 そういえば最近私に変なことを尋ねてくる人が増えています。大抵髪の色を脱色していて活動的な感じの中・高校女生徒なのですが、見本を見せてほしいと頼んでくるのです。見知らぬ人にそんなこと言われても困るのでいつも断っているのですが、以前一度だけ断りきれなくて言われたとおりにするとその依頼した人は当てが外れた顔をして怒りました。一体何のことなのか全く私には解らず、ただ謝ってその場を離れました。それ以来二度と人前でそれをしたりしませんが、それでも何故か私に質問してくる方は続いています。
「……」
「は? “来栖川財団の調査によるとこの前開催された同人誌即売会にあなたは出ていますね”ですか? は、はい確かに私は出ましたが……あの時の事はどうしても思い出せなくて……え? “その会場内で伝説のスーパープレイをしましたね”って? い、いいえ、私はそんな事なんて……」
 これも質問してくる人が多く聞いてくる内容です。しかし本当に私は全然覚えていないのです。あの日は開始前に徹夜作業でお友達のコピー本を手伝っていてお夜食をみんなで食べてから後、こみパ会場内の介護室で気付くまで何をしていたのかという記憶が抜けています。私がふるふると顔を振って否定をすると、その人はしばらくじっと斜め前を向いて黙っていました。何やら考えているようです。
 そのまま1分ほどするとまた何か話しかけてきました。
「……」
 どうやら「実は私には妹がいるのです」と言ったようです。私は何もせずにそのままじっと聞いていることにしました。今度は私がいつものように数少ないジャスチャーで応対する番のようです。
 私が首を傾げて「?」と意思表示をすると、次に「先週とても口惜しい想いをしました」と続きます。相変わらず小声で、もしこの車が普通の乗用車かそれ以下であったら確実にエンジン音でかき消されていたでしょう。また外部からの防音もしっかりしており、今隣に並行して走っているオートバイの音すら遙か遠くでアイドリングしているようにしか聞こえていません。とにかくこの人は何かに腹を立てているようです。
 そして小さな拳をギュッと握りしめ唇を噛むと「姉として思い知らせてやらねばなりません、がっでむ」と多少声を荒げて呟きました。なんだか不穏な空気が流れています。私はちょっと退いてしまいがちになりながらも、自分に似ているこの人の言葉を黙って聞いていました。
「……」
 ふるふる
「……」
 コクリ
 今のは、彼女が「協力して下さい」と頼むので私は「そんなこと言われても困ります」と態度で示したのです。さらに「どうしても?」と念を押すので、頷いてお断りの返答をしました。
 すると彼女は座席の前に装備されている小型冷蔵庫(私はそのような装備は初めて見ましたので最初は何なのか分かりませんでした)から銀色の筒を出すとキュッキュッと音を立てて蓋を回し、同じく冷やしていたカップにコポコポと注いで無言ですっと私に差し出しました。
 私が首を傾げていると彼女はコクリと頷きました。どうやらその飲み物を私に勧めているようです。私はコクコクと二度頷いてそれを受け取りました。そしてその中をじっと見てからチラと同学年らしい女の子を見ました。中身が何なのか気になったのです。彼女はそれを解してか、説明をしてくれました。どうやらどこかで採れたキノコを煎じた秘薬らしいです。四匹の猛獣が守護する秘境にのみ生えている妙薬で、No.2の雌が特に凶暴で危険なのだそうです。ただしそれは単純な力のみで、一見友好的に見える最も年老いたリーダーが実は一番恐ろしい存在だとか。色々とお話ししていただいたのですがオカルトに疎い私には充分理解することは出来ませんでした。それに先程の妹さんとこの飲み物のどのような関係があるのでしょうか? いえ多分関連はなく単に親切にしてくれているだけなのでしょう。私も趣味でハーブティーとかを作っていますから、それと似たような趣味をこの人は持っているだけなのだと思います。
 それでもまだ飲もうとする気が起きてこない私を察してか、彼女はまず自分からその煎茶を口に含みました。そしてちゃんと飲み干してから期待している目つきでこちらをじっと見ているので、私は礼儀としてそのキノコの飲み物を唇まで運びました。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ギャギャギャギャァーーーーーンッ!
「イエー! 最高得点よ!」
「おおっ、相変わらずすげーな」
 街の大通りに面したどこにでもあるようなアミューズメントスペース、その一階入り口すぐでそんな歓声が起こっている。大人気ダンスゲー『盆踊りレボリューション』と背中合わせに配置されているそれは、先日発売されたばかりの最新機種『和太鼓マニア4thMIX』と『三味線フリークス5thMIX』である。この二機種の特徴はそれぞれ独立している筐体を通信ラインで接続することによって協力プレイつまり同じ曲を一緒に演奏できることだ。感覚的には簡単なストリートライブと言っても良かろう。個別では今ひとつ盛り上がりに欠けるが、バンドのフィーリングを容易く体験可能とあってこの二つを接続設置してあるゲーセンは絶えず演奏の音とそれを聞いているギャラリーで賑わっていた。
 だが今日の興奮は並ではなかった。盆レボが男プレイヤーばかりしていたら盛り上がらなかったように、如何に人気機種でも女性の参加無くしては頭打ちである。特にバンド系の女性は希有であり、現在壇上で演奏を興じているような女性を見かけるのは人通りの多いこの場所でも珍しい。
「きゃー! かっこいーー!」
 群衆の中から寺女の制服を着た一段が声援を送っている。それに応えて三味線型コントローラーを抱えた女子高校生はバチッとウインクしてワイリングのパフォーマンスを加えて魅せた。
「あっちも超COOLじゃん!」
 唇にピアスを付けたストリート系の青年も思わず呻るほどのドラミングが併設された筐体から響いている。無表情で嵐のようなヴァイブレーションを正確に刻み続けている少女は、汗一つかかず激しい演奏を難なくクリアしている。“汗一つかかず”というのは比喩ではない。その少女の虹彩に変化のない眼球の奥には高性能CCDカメラが装備されており、耳にはサテライトアンテナを兼ねた30cmほどの細長いカバーが装着されている。それは近年急速に需要が伸びた人型アンドロイドである証だ。だが現在発売されているメイドロボではここまで激しい動作は出来ないし、加えてこれ以外の汎用性つまり一般生活もなさしめなければならないとなれば現行機種ではあり得ない。
 キューーン ギャァン!
 演奏が終了し、画面にはプレイヤーのテクを最大限褒め称える表示が為された。
「やっりぃ! またトップ1プレイヤーいたたぎねっ!」
 ストリング側の女生徒は寺女のブレザーを翻して一回転し観衆にVサインを送る。並の女性では浮いてしまいかねないサインも深い藍色の髪を靡かせる彼女には嫌み無く合っていた。
「お疲れさまです、綾香様」
 和太鼓の筐体から離れたドラマーがすかさずしゃみせニストにタオルを差し出す。プレイが終わりどっと吹き出してきた汗をそのショッキングピンクのタオルで拭きながら、綾香と呼ばれた少女は相棒にも労いの言葉をかけた。
「セリオもご苦労様。今日も最高だったわ」
「ありがとうございます。ところでネームエントリーはいかがいたしましょうか?」
 別段喜びもせずHMX−13の型式を持つメイドロボは主(あるじ)にそう伝えた。綾香としてはここら辺が不満ではあったが、冷静沈着な友達が一人出来たと思えば腹も立たないし、何よりその完璧さは無表情のマイナス点を補って余りある。現に自分の全力プレイに付いて来られる女生徒はこの開発中のアンドロイドを除いて皆無であった。
 彼女の心境を理解するには、男性の場合、感情豊かではあるがひ弱でとろく能力の低い美少年アンドロイドが自分にまとわりついている状況を想像すれば難くないであろう。機械人形の甘えが許されるのは、一部の例外を除いて使用者と異なる性タイプだけだ。
「ああ、はいはい。んじゃいつも通り、<A&S>……と」
 トップランキングスコアラー画面にはその3文字がNo.1から5まで並んでいる。しかも5位から6位の間にはただならぬ点差があり、当分この順位に変動はなさそうだ。
「ふっ、このゲーセンも制覇したわね。っていうか世界ランキング1位なんだから当然だけどね〜」
 タオルの次にコールドドリングを受け取って、綾香はさも当然に自分の記録を評価した。これも普通のプレイヤーなら自意識過剰女であろうが、ワールド1の称号を他にもいくつか持っている彼女にとっては無理に自慢して言っていることではない。
「確かに綾香様は有名ですものね」
「あら〜セリオだって大したもんじゃない。申請してないから非公式だけど、インターネットランキングと比べてもぶっちぎりのトップなんだから」
「いえNo.2です」
「そして私は三味線部門1位で……って、え?」
「それに綾香様も日本じゃ2番目です」
 どうやらセリオは衛星を通じて綾香の今の記録をインターネットに載せていたらしい。そこで自分たちより上のスコアが登録されていることを発見したのだ。
「ちょっ、ちょっと、二番目って……じゃあ一位は誰なのよ!?」
 遊びに徹していたつもりの綾香であったが、自分が王座から引きずり降ろされたことでプライトが傷ついていくのを感じていた。それで真剣な表情になって次世代機種最有力候補のメイドロボに問いつめた。
「スコアネーム<真A&S>です」
「し、真A&Sですってぇ〜! ふざけてるわ! どこのどいつよそれは!?」
「現在検索中……検索終了。駅前のロケーションにてエントリー」
「そ、そこは私のホームグラウンドじゃない!?」
 二重のショックが昨日までNo.1だった少女を襲った。地元に敵なしと見なして物見遊山に出かけている最中に政権交代されていたとは……甲斐の武田家の心境が理解できたような綾香であった。
「こうしてはいられないわ! セリオ、急いで戻るわよ!」
「はい、綾香様」
 本来なら携帯でセバスチャンを呼び出すはずの来栖川財団次女であったが、どうせこの時刻は姉の送迎中であろうと予測して、自らの足で沿線の駅まで走っていった。久しぶりに乗る電車にいらつきながら、綾香は最短時間で地元の駅に辿り着き見慣れたゲーセンに飛び込んだ。
 ズギャギャーーーーン!
 ドドドドドドドドド!
 雷鳴のような空気の振動が屋内いっぱいに響き渡っている。ちゃんと打ち分けているはずの大太鼓・小太鼓やバスはあまりの高速度に一つにしか聞こえず、まるでベースのごとく刻むビートは信じられないことに細かくコードを変える津軽三味線のものだ。店内には、いや入りきらず路上にまでギャラリーは溢れかえり、一つのコンサートが行われているかのようだ。
「キャー! TOSHIKIよ! 絶対TOSHIKIに違いないわ!」
「こっちはHEADEじゃねぇのか!? 奴が蘇ったんだよ!」
 興奮のるつぼにある観客は口々に尋常でない会話をしている。伝説のロックバンドX−NIHONのスーパープレイヤー二人がこんな場所に姿を現しているはずがないではないか。しかも片方は既に他界し、もう片方はそれまでのあまりに激しい演奏に再起不能寸前まで身体を痛めて療養中のはずだ。
「ちょっとどいて!」
 綾香は我を忘れて人垣をかき分けて前に進んだ。今耳に入っている演奏は確かに自分を凌駕するテクである。しかしこれほどのプレイヤーが今まで人知れず地元に潜んでいたなんて……。綾香は自分への疑惑と焦燥に駆られてひたすら最前列を目指した。
 ズゥゥゥゥン ギャン!
 丁度演奏が終わった直後に綾香はやっと最前列に顔を出し演奏者を確認することに成功した。特設大画面に表示されている画面には最上位ネームエントリーが誇らしげに映し出されている。下を見ると自分のスコアネームは既に圏内から消えていた。ほんの数日前までベスト10全て<A&S>で独占していたディスプレイなのに。そして今、又一つ自分の順位が下がる光景を目の当たりにした。<A&S>より遙か上、最高位に記録されたその文字は……
「<真A&S>ですって!? じゃあこいつらが!」
 綾香はそのまま鍛え上げた全身のバネを使ってステージへと飛び上がった。まるでエクストリーム大会決勝のリングへ上がるときのような面持ちだ。走ってきたためにウォームアップは完了済み、いつでも闘いOKの臨戦態勢に仕上がっている。綾香は横を向いたまま一呼吸入れ、そしてギタリストの方を向き直りビシッと相手を指さした。
「あんたたちが<真A&S>ね? この私の前でそんなふざけたネームを名乗ろうなんていい度胸……ってあれ?」
 ドガァ!
 衝撃音が響きYAMABA製の太鼓皮が飛散する。モニターのガラスは粒となってステージに撒き散らされ、スピーカーを覆う木製のボディが砕けた。
「きゃー何してんのよ!?」
 演奏終了直後の和太鼓マニアプレイヤーがいきなり今まで自分が興じていた機械を破砕し始めたのだ。派手なメイクな上に顔のほとんどが隠れるほど前髪を垂らしているので表情は伺えないが、獣のごとく息を荒げて毛細血管の筋が明確な示されるほど目を血走せている。
 平常の綾香なら躊躇無く暴徒の関節を捻りあげているところであるが、あまりの異様さに手足が竦んで前に踏み出すことが出来ずにいた。呆然としている総合格闘技の達人の前で、音ゲーの最新機種が無惨にも千々になっていく。
 そのとき三味線側をプレイしていたユニットのもう片方が暴れている相方につつ……と擦り寄り手をかざした。綾香の脳裏には手首の先ごと殴打される惨状がありありと浮かび上がる。それを機にやっと動くようになった体で反射的に破壊者を封じに出た。しかし時既に遅く、差しだされた手は暴力の圏内に完全に入ってる。
 なでなで
「は?」
 そのストリング担当は無警戒に危険人物の頭をなで始めた。するとあれほど激しく暴れていた和太鼓プレイヤーは、原子炉炉心に減速材でも挿入されたかのように急に興奮を冷まし沈静化する。相手からのどんなに速く鋭い攻撃でも反応できる自信を持つ綾香だったが、この情景に対する防御は手数に入っていず何をしたらいいのか迷ってしまった。
 綾香は一撫で事を納めたそのしゃみせニストを……自分が啖呵を切った相手がどこかで見たことあるような気がした。いや絶対、というより毎日見ている。
「ま、まさか姉さん!?」
 ズギャギャーン!
 相手は言葉ではなくコンローラーを弾いて音でYESの返事をした。逆立ちして半分だけ赤く染められた髪、白く塗りたくった上に面妖なメイクを施している顔、そして何故か校則ぴったりのままの制服をしているのは綾香の姉である来栖川芹香であった。
「ちょっ、ちょっと姉さん、一体どうしたの? え? “うるせぇこのアマ”ですって!?」
 音量の小ささは相変わらずだがいきなり羅刹のごとき言葉を発した姉に、綾香は僅かの間再び呆気にとられて立ち竦んでしまった。武道家が短い時間内で二度も意識を散らすとは、戦国時代か幕末なら既に屍と化していてもおかしくない状態である。それほど彼女にとっては異世界に近い瞬間に感じられたのであろう。
「え? “この前はよくも言ってくれたな〜”? なによこの前って? は? 盆レボ? 先週の日曜にやったアレのこと?」
 コクリ
「それがどうしたのよ。え? その時の復讐? 私何もしてないわよ。 は? “亀って言いやがったじゃねぇか〜”ですって? だって姉さんBAD連発してすぐにGAMEOVERするくせにしつこく何十回もやろうとするんだもん。私だって最後には怒るわよ。 何? “妹のくせに生意気! ふぁっきゅー!”ですってぇ!?」
 ゲームの効果音や店内放送でうるさいこの場で二人は不思議にもちゃんと会話を交わせている。姉妹故の一種のテレパシー或いは微妙な唇の動きで相手の思考が理解できるほどの慣れがあって、ギャラリーには関知できないレベルの会話を続けている。
「そこまで言うのなら受けて立ってあげるわよ。後で泣いても謝っても知らないわよ姉さん!」
 ふるふる
 クイッ!
 芹香は首を振ると親指を立てて地面を指した。
「きぃーっ! いい度胸じゃない! 長瀬、いるわね!」
 綾香が筐体の裏を睨むとそこからこそこそと長身の黒服が出てきた。いつもは堂々と背筋を伸ばしているのに今日はまるで怯えているかのようだ。確かにこの執事は綾香を苦手としているし逆らえないが、それ以上に芹香の暴走とそれを止められず命じられるままメイクまで手伝ってしまった自分に戸惑っているのだろう。
「は、はい何でございましょうか綾香お嬢様」
「今すぐ新しい台を用意して、ついでにバドルギグ用に設定しなさい!」
「そ、そんなご無体な。ゲームはご用意できますが、ソフトの改造までは……」
 品薄で入手が難しいこの業務用遊戯機器であっても来栖川の名が有ればどうにかなるだろう。しかしプログラムは金だけではどうにもならない。喩え彼女の一族が経営する会社の優秀な情報処理専門社員を呼んだとしてもだ。それに来栖川財団は重化学工業を中心とした巨大財閥であり情報産業にも手を伸ばしているがメインは高度な最先端技術で、アミューズメントは眼中に入れていない。一流のプログラマーも何百人と抱えてはいるがいきなりゲーセンに出向いて大幅な改造ができる技術者は皆無である。それはロケット工学の権威にスクーターの違法改造をさせるのと同じだ。
「私がやります」
「あ、セリオ。あなた出来るの?」
「はい。今、開発会社の研究用メインコンピューターをハッキングしました。外部から独立しているようでしたが、開発社員が会社に無断で自宅のパソコンとのルートを作っていたようです。その回線を利用させて貰いました。現在来栖川本社のSコンで解析していますから300秒ほどで完了します。新しい機械は既にオンライン上で緊急発送を指示してありますから、到着と改造時間を含めると750秒と予想されます」
「流石ね。姉さんいいかしら?」
 コクリ
「OK! じゃあ15分後に勝負開始よ。え? “逃げるなら今の内だぜ、牝チキン”ですって? ぜ、絶対後悔させてあげるわ!」
 怪しげな黒ずんだ逆三角形の目つきでクククと笑う芹香に、格闘家である妹は内心びびりながらも動揺を隠して強気に振る舞った。試合前のネガティブさは即敗北に繋がることを彼女は体験として知っているのだ。
 情報処理を他の機器に回している間、セリオは自分の演算装置を使い破壊を免れた部品を利用して接続部分の制作にかかっている。この融通の効き方は流石に高度な労務向きに開発されているだけある。同時に家庭用としてテストしているHMX−12では最初の命令さえ混乱してオーバーヒートしてしまうところだ。
 15分の間綾香は柔軟体操と精神的なリラックスを行っていた。先程ギャラリーの向こうから聞こえた演奏は並のものではない。それは音ゲーの頂点に近い者だけが分かる微妙な差だ。例えばシューティングゲームの点稼ぎで、素人には数千万点の内の単なる数百点僅差であっても全国レベルで競っているゲーマーにはその厚みがどれほどのものなのかがひしひしと感じられるものなのだ。格闘技においても、単純な殴り合いやポジションの取り合いに見えて実は高度な攻防の応酬である場合が多い。
 雑念を払うためにコンセントレーションに入ろうとする綾香の目に、筐体の反対側に陣取っている芹香の姿が映った。完全に落ち着きを取り戻したパーカッショニストと一緒にちょこんと並んで正座をし、仲良くお茶をすすっている。怪しげな魔法陣が刻まれたポットがあることから推測するに、姉特製の飲料なのであろう。
「余裕じゃない姉さん。でも音ゲー歴代1位の私の意地にかけても……」
「二位です」
 燃えている綾香の情動に消火剤を掛けるかのように、セリオが感情のない声で語りかけてきた。
「い、いいじゃない、そんな細かいこと」
「はい。すみません。ところで筐体の方はただいま到着いたしました。早速改造にかかります」
 謝罪するセリオの口調にはやはり感情はこもっていない。だが綾香にとってはそれが却って救いだった。
 実は綾香が音ゲーの玉座から転落したのはこれが初めてではない。ずっとぶっちぎりでNo.1だった盆レボのスコアがついこの前抜かれてしまっていたのだ。いつもの綾香ならここで奮起して逆転に努めるところであったが、相手の点数を一目見た途端に諦めた。頂点にいたからこそ自分の限界がはっきりと認識できていたのだ。
 故に綾香は出場が決定していた盆レボ全国決勝大会をもそっちのけで新機種の『三味線フリークス』と『和太鼓マニア』に賭けていた。それでも盆レボのスコアラーの方も気になって探らせていたのだが、どうもとあるイベントで出された記録らしく、プレイヤーも自己申告していないので消息不明のままであった。ただ数百人の目撃者の前で正々堂々と出されたスコアだけが燦然と残り、伝説となって盆レボダンサーに流布されている。
「それよりセリオ、改造はどうなの?」
「ハードの改造は93%終了しました。現在ソフトの改造データがサテライトから転送されている最中です。それをROMに焼き直してセットすれば全て完了です。残推定時間47秒」
 綾香はその報告に頷くと椅子に座り直して目を閉じた。改造が済んだら正常動作の確認がされ、間もなく試合開始になるであろう。それまでの僅かな間、綾香はリングに上がるときと同じように体を休め、逆に精神を高揚させていく。
「綾香様、試合のお時間です」
「OK! じゃあ行くわよ!」
 ぱっと目を見開いて椅子から勢い良く立ち上がる。そして真っ直ぐ壇上へ上がり三味線型コントローラーのストラップを背に回して3つのボタンを握った。
 反対側から敵姉チームがもそもそと上がってきている。両方とも緊張感の欠片も無く無表情の短い歩幅で、まるでペンギンのようにペタペタと歩いてゆっくり位置に着いた。綾香は自分の横を姉の相棒であるパーカッショニストが過ぎるときにチラとその形相を観察した。脱色した髪に幾本が七色の筋が混ざっている。半分逆立て、半分降ろした髪はまるでパンクとヘヴィメタを中途半端に融合させたかのようだ。
「ふっ、まあいいわ。どうせセリオの太鼓にはかないっこないから。あとは私と姉さんの勝負ね」
 綾香か改造を命じたバトルギグステージとは、同じ曲を同時2チームにより演奏して点数を競う対戦である。しかも自分たちがコンボを完成させると相手のゲージが下がるようになっている。つまり相手が少しでも自分たちより巧いとすぐに負けてしまう厳しい設定なのであった。
「じゃあ行くわよ姉さん。曲はもちろんEXTREMEのFASTでいいわよね、ふふん。え? “そんな生温いことせずに最終隠し曲でEXTREME+でSUPER FASTでSUDDENでSUPERRANDOMでやれ”ですって? ちょっと待ってよ。いくらなんでもその設定は……え? “俺のケツを嘗めろ”? な、な、な、ぬぁんですってぇ〜っ! い、いーわよ。受けて立ってあげようじゃないの!」
 芹香が挑発してセレクトさせたのは、楽譜バーの落下を数倍速にし途中から突然現れさらに不規則になる究極のモードである。しかもENCORE StageのThe Least 100secを超えた最難クラスの曲『Art of Leaf』、地平線の見える広大な平地に吹き荒ぶ砂嵐と無数に打ち下ろされる雷そして早春の寒さを和らげる優しく穏やかな霧雨を同時に打ち消し会うことなく成り立たせるような華麗で繊細で野蛮で芸術とも言えるJ−POPの珠玉である。曲自体も難しいが、高速のパートが途切れることなく総演奏時間30分を越えるという組曲かソナタを思わせる体力面でも狂気のロックだ。さすがの綾香もこれは5分以上完璧に演奏する自信がないというほどのレベルで、過去これに挑戦した無謀なプレイヤーは皆1分以内にゲームオーバーか3分で倒れ数日間筋肉痛で苦しむかを選択することとなっていた。故に互いの実力を比較する間もなく共にゲームオーバーになるのがオチだ。
 常時の綾香であれば冷静にこれを却下したであろう。しかし“EXTREME”と名が付く勝負事で背を向けることは彼女には出来ない。
「ではスタートします」
 セリオがいつも通りスタートボタンを押すと前奏が流れはじめ、下から間隔の狭い数多くのバーが高速で出現してきた。
「くっ、流石に複雑で早いわ。でも私なら何とか……」
 綾香はこれまでの経験と技と持ち前の反射神経を駆使して次々と流れてくるバーを処理していった。常人なら1分も持たずにゲージが消えてしまうほどの曲を、綾香は苦しみながらも着実にこなしている。
「ど、どうかしら姉さん。もう諦めた方がいいんじゃない?」
 先日の姉のダンスから鑑みるに、もうゲージが0に近付いていてもおかしくないはずだ。そう思って彼女は相手の画面を横目で見た。
「う、うそぉ〜!?」
 ゲージ満タン、COOL連発、加えて綾香にはする暇もないワイリングプレイを余裕で行っている。これだけでも信じられないことであるが、妹の目撃した姉の演奏は想像を絶していた。虚ろな目つきと半開きで締まらない口元で両手ぶら〜りの姿勢のまま、芹香は首から遺骨でも吊すかのように三味線を装着している。指先は全くピックにもボタンにも触れていないはずなのに、何故か慌てず急いで確実に演奏されている。驚嘆して凝らす綾香の目は、姉の周りに漂っているもやもやしているものを捕らえた。
「ああっ、幽霊に演奏させるなんて卑怯よ! ずっこいわ! え? “弱い奴ほどよく吠える”ですって? く、くやしーっ!」
 最初は均衡していたが徐々に芹香と綾香のゲージ差は開いていった。無論疲労のある人間が不利に決まっている。
「きゃー! やっぱりHEADEよ! 彼があの世から帰ってきたのよ!」
 ギャラリーの中でX−NIHONのファンだった女性が黄色い声をあげる。確かに芹香なら降霊術で有名ギタリストを呼び出すことも可能であろう。いや現に彼を召還しているのかもしれない。
「セ、セリオ! あとはあなただけが頼りよ!」
 現状維持だけで精一杯と判断した綾香は自分のパートナーに救援を請うた。あちらが超自然のパワーならこちらは現代科学の結晶だ。どちらも疲れ知らずなのだから差はないはず。すると勝負は綾香の三味線VS芹香チームの和太鼓に変更される。
「人間相手なら不足はないわ! どこの誰だか知らないけど勝負よ!」
 綾香は今度はドラマーに向き直って睨みを利かせた。だがその女性は怯む素振りも見せず逆に下弦の月のように口を曲げると眼をギラリと光らせた。
「うらぁぁぁ〜〜〜〜!!! 薔薇と血〜〜〜っ!!!!」
 ズドドドドドドドドドドッ!
 嵐を越えた岩削機のような唸りが太鼓筐体から発せられた。冷静に感情を排してパッドに刻み続けるセリオとは対照的に、その女の子は派手に染められた頭を激しく振りながらものすごい速度と勢いで木棒を叩き付けていた。
「な、何よこの人一体〜!? え? これがあの『千脚の魔女』? 伝説の盆レボダンサーですって?」
 芹香の秘薬によって人格チェンジした彩は、元々の持久力と反転した瞬発力を併せ持つ締め切り日ギリギリ修羅場スーパー同人モードに入っていた。脚でペダルを踏んで叩く低音の大太鼓は秒間16連打に達し、中音の大太鼓・高音の小太鼓と鈴やドラも表示されるバーにクリティカルヒットしながらも余った時間分自分でアレンジして音を出している。心身を削って出す、破滅に向かう魂の律動である。正確で完璧だが単に機械的に演奏しているだけのセリオでは最早役不足が明らかであった。
「くぅぅ〜、だけど勝負は終わってみないと分からないわよ! このペースじゃ絶対最後まで持つはずがないんだから!」
 綾香は秒殺を諦め持久戦に賭けることに専念した。エキサイトゲージが0にならない程度に保ち、無理をせず確実にコンボを重ねていった。


 25分後……
「どうしてぇ〜? どうしてペースが下がらないのよぉ!?」
「どりゃりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜!!」
 綾香の一抹の期待に反して、彩のドラミングは微塵の翳りも見せず轟雷のパッションはいよいよ増すばかりである。画面下方ではバーの消失跡がプラズマの舞か銀河の星々でも見ているように華麗に発光している。一方それまで着実な連打を重ねていたセリオが所々ミスをし始めていた。関節各部分と頭からは白い煙が薄く上がり、時々プシュッとかパキッとかの不穏な音が聞こえてきている。
「セリオ! 大丈夫!?」
「オーバーヒート臨界点いっぱいです。危険指数98。即時停止命令を依頼します」
 主の命がなければ停止できない少女タイプのアンドロイドは自滅予告宣言を感慨無く伝達した。それは報告に寄らずとも徐々に濃くなり噴出する回数も増している白煙からも明確に分かった。
 綾香の方も既に限界を超えていた。幼少の頃格闘技のトレーニングを初めて以来縁の無かった筋肉痛と、明日の朝再会することになるであろう。そうでなくとも次の瞬間、筋が切れてしまいそうである。
 残りの一人、芹香は相変わらず焦点の定まらない虚ろな瞳を空に向けたままステージ上をふら〜と漂っている。それでも背後霊たちの演奏でゲージMAXを維持しているのだから奇怪なことこの上ない。
「ああ〜こんな勝負するんじゃなかったぁ〜!」
 強気の綾香についに泣きが入り始めた。しかしここで引き下がったら姉には二度と頭が上がらなくなるような気がして彼女は最後の力を振り絞り両足を踏ん張った。
「セリオももう少しだから頑張って! これが終わったら全身徹底的にオーバーホールしてもらうから!」
「了解しました」
 二人は残り5分に賭けて最後の力を投入した。だが……
「……」
「な、何よ姉さん、今忙しいんだから話しかけないで! え? “そろそろとどめを刺してやろう”ですって?」
 芹香は暗く澱んだ眼をさらに怪しく光らせ、何やらパンクの暴走彩に目配せした。
「でりゃあああああ〜!! 美学〜〜〜っ!!!」
 合図と共に彩は上半身のセーラー服を脱ぎ捨てた。下にはどうやって入れたのか不明なウエディングドレスを着込んでおり、そのピラピラの服装のまま木棒を振るっている。
「い、一体何ぃ?」
 混乱して何がなんだか分からなくなっているエクストリーム優勝者に追い打ちをかけるように、続いて彩は純白のドレスを外して素肌を顕わにさせた。あるのはビキニの胸当てだけでほとんどの部分、肌を露出させている。
「きゃー! やっぱりTOSHIKIよ! TOSHIKIが性転換したんだわっ!」
 観客の女性がさらに沸き立った。もちろん女子高生の過激なパフォーマンスに男性客も釘付けである。これで既に敗北が決している綾香チームにさらに決定的な追加打撃が入った。
 コク・コク・コックン
 ク・クッ・ク・ク・クッ・ク・ク・クッ・ク・クイクイッ
 ふ・ふ・ふるふる・ふ・ふ・ふるふる
 コクコク・コックン・ふるふる・クイクイッ
「ユニゾンのダンスぅ〜!?」
 綾香の眼前で、芹香と彩は演奏を維持しつつも完璧なシンクロをしたダンスを加えた。最早綾香を支える気力は全て抜け落ち、演奏を中断してその場にへたり込んでしまった。
「うう……負けたわ」
 それを停止命令と受け取ったセリオも同時にアクションを止めて急速冷却モードに移行する。水蒸気と共に強制排気された熱が間接各部から噴出し、メインコンピューターは安全装置が働き一時シャットダウンする。完全に動きを無くした綾香側のエキサイトゲージはすぐに下降し0まで落ちた。新たな音ゲークイーン誕生の瞬間である。
 パチパチパチ
「いやぁ素晴らしかったよ少女たち」
 未だ演奏を止めない真A&Sユニットの前に、手を叩きながら一人の青年が進み出た。灰色じみた短髪に小径の眼鏡を掛けたその人物を、観客たちはどこかで見たことがあると気付いた。
「もしかしてE・O?」
「そ、そうだ! 音楽プロデューサーのE・Oじゃねぇか!?」
 ざわめきは驚嘆の声に変わった。ハイティーンの神様・時代の寵児・若者にとってカリスマ的存在であるその男は何やら値踏みしながらプレイ続行中の芹香たちに歩み寄った。
「ね、ねぇ本当にE・Oなの?」
「ああ、そうだよ少女」
 まだ信じられないといった表情で尋ねる綾香に対し、彼は少しニヤリと笑って流し目を送る。あまりにも現実離れした都会のセンスがそこはかとなく滲み出しており、雄弁に語るよりもっと多くの真実を伝えていた。そう、こいつは本物である、と。
「姉さん、ちょっと姉さん! E・OよE・O! あの超有名音楽プロデューサーが居るわよ! え? “そんなもの知らぬ! 通じぬ!”って? そりゃあオカルトや同人じゃそうかもしれないけど……ってそんな問題じゃないわよ!」
 意外とミーハー趣味をしている、というかそれで普通であろう女子高生の綾香の慌てぶりに比して、どちらも世俗とは断絶気味である芹香ユニットは興味なさそうに時代のカリスマを一瞥すると、残り1分の前人未踏プレイへと没入していく。
「ふむ、激しい部分ばかり抜き出してアレンジした『Art of Leaf』をここまで達成するとはこの私も信じられないな」
「もしかしてあなたがこの曲を?」
「ああ、前回のダンスゲーからアレンジを担当しているが、この曲はテストのためお遊びで入力したものだ。隠しにしたのは到底人間の能力で完奏は不可能だったからさ」
 普通なら「そんなもん最初から入れるな!」とハリセンでもかまされるところであるが、この男がすると何か意味があるのではと勘ぐってしまってツッコミの手を出す気が起きてこない。これも大物故の威光なのであろうか。
 そういえば……と綾香が思いだしたことに、E・Oプロデュースのダンスゲーでも最初からクリア不可能と目されていた隠し曲があり、伝説の少女が唯一クリアしたのだと。それが現在目の前で稲妻のドラミングを披露している彩なのだ。
「で、彼女を見に?」
「ん? 偶然だよ少女。たまたま通りかかったら聞き覚えのある曲が耳に入ってね。だがこれは面白い素材だ。拾い物、いや天からの贈り物だな。二人とも磨けば光るかもしれん」
「姉さん聞いた聞いた!? すごいわ、E・Oが褒めてくれているわよ! ……え? ラストだから邪魔するな、って? それどころじゃないってば!」
 完全に状況を無視してプレイに没頭する芹香チームに、いつも羨望の眼差しばかり浴び慣れている有名人は苦笑いを浮かべて二人を見つめた。
「そうだな。俺もこの曲がクリアされる瞬間を見たい。そうは言ってもまぁこいつをこなせるようなプレイヤーはもうこの世には居ないがね」
 自身で制作しておきながら随分と無責任な発言をして彼は怜悧にクィと一度眼鏡をかけ直す。その仕草を視界に捕らえた芹香のまなこが隆起するごとく高く光った。それまで動きの無かった彼女の本体がやっとモゾモゾし出し、三味線を後頭部に回し肩に担ぐ。
「ね……姉さん、そのプレイはちょっと無理……」
 いくら何でも、と憂慮した綾香がツッコミ気味に忠告した。そうでなくとも曲自体がクライマックスに差し掛かり、もはや綾香の動体視力を持ってしても判別不能なほどにバーが高速大量複雑に出現してきている。間隔が3でバーが7、画面が黒くは見えず隙間を見つける方が大変なほどだ。
 だが妹の杞憂も超有名プロデューサーの歪み気味のプライドも打ち砕かれた。細い肩の上にあるコントローラーには激しいスコールでも浴びせられているかのような連打が正確に叩き付けられ、地獄の業火を吹き飛ばすがごとくバーを消していく。そしてピッキングポイントでは、宇宙開闢インフレーション時の幻想が再現されていた。濃縮な空間に対消滅で発生した光子がひしめき煌めいているのと同じく、画面上部では正確にプレイしている証拠である輝きが細やかに鮮やかに点滅する。最高のテクで魅せる芹香の背後に、アフロ型のオーラが浮かび上がった。
 非現実な超常現象を嫌と言うほど見せつけられて顎が外れそうになっている綾香だったが、震える指を懸命に動かして今姉に降りているモノについて尋ねた。
「あ、あの……その人って……。え、飲み物? “「地味で変なドリンク」”? ゲルルンジュースでも取り憑いたの〜?」
 常識の世界で生きている妹はそれ以上眼前で起きている出来事を口にするのを止めた。この勢いでジークンドーの創始者とか二刀流の剣聖とかを呼ばれたりしたらたまったものではない。怪力乱神は語らぬのが吉である。故極真会総帥なら好恵とかが涙を流して喜ぶのだろうけど。
 だがここに一人、とても落ち着いていられない者が飛び出した。長年生きている、それだけで知識は蓄えられていくものだ。隅で眠ったまま保持されていた記憶が重大警報を鳴らして彼の意識に蘇る。
「いかん! いかんですじゃぁぁぁぁぁぁぁぁ〜っ!!」
「な、長瀬? 一体どうしたのよ!?」
「もし芹香お嬢様に降臨したのが彼の者であったら……あったらぁぁぁぁ〜っ!!」
 どうなるのよ?と綾香が尋ねようとしたとき、芹香の背で弾かれていた三味線型コントローラーがふわりと浮かび上がった。ボタンやピックの超高速プレイはそのままに、それはゆっくりと回転し下を向く。頭上にコントローラーを頂いた芹香は、導かれるように顔を上げた。
「芹香お嬢様っ! お嬢様ぁぁぁぁぁぁぁ〜っ!!」
「だから、何なのよ!?」
 きょとんとする綾香の横で、憔悴と狼狽に冒されたセバスチャンが絶叫する。それが届いたのか演奏の轟音にかき消されて届かなかったのか……定かではないが、確かに妖しげに曇った芹香の瞳はにやりと鈍く光った。
 紫のルージュを引かれた唇が小さくぱかと開くとそこにコントローラーがパイルダーオン、並びの美しい乳白の水晶がピックを捕らえて挟み込み、前後に律動し始める。綾香の目には羞恥が、セバスチャンには絶望が現れた。
「姉さん、止め……止めなさいってば〜!!」
「うがぁぁぁぁ〜っ! やりおった! やりおったかぁぁぁぁぁぁぁ〜っ!」
 共に取り乱す妹と執事を尻目にギターの神が乗り移った芹香はいや増して魅せる超絶プレイを続けた。確かに神技には違いないがうら若き女学生がすると別の意味で一線を越えてしまっている。両手を垂らして上を向きぼ〜っと突っ立っているだけの姉の顔面で、不自然にもコントローラーが自動的に浮いて動いているのだ。喩えればその姿は巨大ブラシで歯磨きをしているのと似ていた。顔を真っ赤にした綾香が中断せよと叫んでもトランス状態に入っている芹香は聞く耳持たずだ。いつもなら真っ先に止めに入るはずのセバスチャンもあまりのことに蒼くなってへたり込んでいる。
 一方、妙な自信が壊されてこちらも顎を外して間の抜けた顔をしていた某プロデューサーも何とか立ち直っていた。そしてさすがは一流、すぐに前向きな野望へと手段を変更する。
「現代に甦った神業か……。イける。これはイけるぞ! 少女達よ、後で俺の事務所で話をしないか。絶対シンデレラ・デビューをさせると約束しよう!」
 それは芸能界を夢見る幾万の少女にとって最高の勧誘であった。この一言を得るためなら殺し合いをしかねないほど貴重な発言である。正気が摩耗しつつあった綾香もその一言で異世界から精神が戻された。
「すごいわ! 姉さんとあの伝説の彼女が芸能界デビューだなんて!」
「ふっ、まぁこの俺に任せておけば理奈や由綺に続いて次世代の……」
 自信に満たされた顔でE・Oが軽くにやける。そのとき、まるで空間を引き裂いて現れたかのように一つの影が急速接近してきた。
「許しませーーーーーーーーーーーーん!!」
 その影はスピードを乗せたままこともあろうに丸眼鏡の灰色頭を踏んづけて高くジャンプした。
 ダダダッダッダターン ギャァン!
 最後の楽譜バーがピックングポイントに辿り着く寸前、突如人垣を跳躍して飛び越し一人の女性がステージに降り立った。そしてラストの大太鼓に棒が振り下ろされた瞬間、和太鼓マニアプレイヤーの首筋に電光石火の手刀が打ち込まれた。あれほど凄絶に暴れ回っていた彩がその一撃であえなく沈む。
 踏み台にされ後頭部に足跡をくっきり印し、クールが売り物のミュージック超大物は小刻みに震えながら無礼な輩を糾弾した。
「失敬な! な、何だね君は!?」
 誇らしげに表示される『ALL CLEAR』の画面をバックに、その女性は気絶しているであろう彩を抱きかかえてE・Oを睨み付けた。
「この子は私が先に目を付けたの。音楽プロデューサーだかなんだか知らないけど、私のコミック界制覇の野望を阻まないでよね!」
 グレーのスーツに長すぎもせず短くもないタイトスカート、活動的にそろえられたボブカットの女性は事もあろうに日本音楽業界最有名人に喧嘩を売りつけていた。しつこくすり寄る女をあしらう事には慣れていたが、突き放されることは初めてだったE・Oは茫然と言葉を失っている。
「じゃあそういうことで。二度とこの子に漫画以外の妙な事を吹き込まないでよね! さようなら」
 ぽかんとしているその場全員を尻目に、彼女は彩と共に疾風のごとくゲーセンから姿を消した。いち早く正気を取り戻した綾香が後を追ったが、もう二人の背中は夕暮れに混雑する人混みの中に消えていた。
 戻ってくるとE・Oが尋常でない目つきをしながらガリガリと爪を囓り何やらぶつぶつと呟いている。
「くっくっくっ……由綺の他にもこの俺を燃えさせる女がいるとはな。次に会ったときには……ボティブロー……ふっふっふっ……」
 綾香は一瞬顔面蒼白し意識が消えそうになったが、何とか持ちこたえ、未だ壇上で三味線コントローラーを吊ってふらりふらりしている姉を抱えてそそくさとその場から去ろうとした。どうもあのプロデューサーに姉を任せるのは考え直した方が良さそうである。セリオは後でセバスに回収を命じればいい。
「じゃあ長瀬、後は頼むわね」
「心得ました! 芹香お嬢様の麗しき唇が触れた機材、一命に賭して守り通しますぞ!」
「そうじゃなくて……」
「むむっ、そこな不埒者、やらせはせん! やらせはせんぞぉぉぉぉ〜!」
 綾香が“セリオを……”と言う前に執事はステージで仁王立ちになった。新伝説の誕生を目の当たりにして興奮冷めやらぬ観客がステージに雪崩れ込んで来始める。その連中をセバスチャンは千切っては投げ千切っては投げバッタバッタと薙ぎ倒し、壇上の空間を死守していた。
「……まぁいいけど」
 障害になるギャラリーを長瀬が排除している間に綾香は姉を引きずって退散することにした。それにセリオなら長瀬に任せなくとも、冷却が済んだら自分で再起動しちゃんと帰ってこられるだろうから安心だ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 その次の日私は関節に少しの痛みを覚えながら登校しました。生活に支障を来すほどではなかったので特に気にも留めてはいませんでしたし、このくらいは原稿の締め切り後に何度か体験した程度なので心配する必要もありません。
 ところであの日、高級車に乗せられて女の子から勧められたお茶を飲んでから後の記憶がありません。気がつくと私は椅子に座っていました。状況が掴めなくて数分ほどぽけっとしてしまいましたが、そのうちきょろきょろと辺りを見回して自分の現状の把握に務めました。どうやら喫茶店……壁に沿って並んだコミックの棚が多いことから漫画喫茶にいるようです。滑稽な私の動作に気付いた客の何人かが単行本の端からこちらを見て笑っているのが感じられました。私は目の前のテーブルに置かれているミルクティーに気付いてしばらくじっと見つめました。長い間置かれていたようですっかり冷め切っています。口を付けた跡もないので多分私に対して注文されたものだとは思いますが、何となく飲む気がしなくてそのまま席を立ちカウンターに注文票を提出しました。店員さんはレジのテンキーに指をかけて代金を打ち込もうとしましたが、下に書いてあった文字を見て入力を止めました。どうやら既にこの代金は支払われているようです。伝票がテーブルに無いと店を出るときに迷うのではないかと、私をここに連れてきた人が言っていたそうです。レジの後ろの壁には人気声優の桜井あさひちゃんのサインが飾ってありました。ここの常連だそうです。その時私はここがどこなのか思い出しました。あさひちゃんで有名な漫画喫茶なら私の学校の近所のはずです。大体の現在位置が判ったのですから帰路も分かります。私は外に出て前と左右の景色を確かめました。すぐに見慣れた高層ビルとデパートの看板が視界に入りました。二つの目印から行くべき方向を頭の中で思い描き、それに倣って進むと間もなく完全に覚えのある路地に出ることができました。
 もうあれから数週間経とうとしています。近頃高校生の女の子に加えて二十歳半ばほどの女性からも声を掛けられることが多くありました。今度は同人誌即売会の音楽ジャンルにいる人のような感じの方々で、私にしきりに太鼓を叩くゲームをさせようとします。一度断りきれなくてプレイしましたが、すぐに人違いだと言われて二度と誘いに来はしません。どうやら私はダンスが巧くてパーカッションが得意な誰かにとても似ているようです。
 ところで私に一人お友達が出来ました。今頃流行遅れだと笑われるかもしれませんが、その子と一緒にときどきゲームセンターへ行って『盆踊りレボリューション』をします。彼女は私と同じく運動が不得意で、お互い一番簡単な曲も未だ満足にクリア出来ませんが、同じようなペースで一緒にパネルを踏むのが楽しくて気が付くと十数回していることもありました。少し前まで妹さんと喧嘩をしていたそうですが、今では元通りになっているようです。その妹さんにも一度だけ会い、一緒にダンスゲームをしたことがあります。プレイする前と後とでは私を見る目が違い、ペタペタとペンギンさんのようにしか踊れなかった私にとても怪訝そうな顔をしていましたが何故でしょうか?
 彼女はどこかの御令嬢らしく、いつも学校からの帰りがけに黒いリムジンで私を誘いに来ます。お付きの初老の運転手はとても渋い顔をしてゲームセンターまで送り迎えをしてくれますが、私と同じく交友関係の狭い彼女に親しくする同級生が出来たことだけは喜んでくれているようです。残念ながら彼女は同人誌や漫画のことには興味がないようです。それでも、オカルトや薬草の調合には詳しいので今度それらをまとめた本を出さないかと誘ってみようと考えています。。
 もう彼女はあの不思議な飲み物を私に出したりはしませんが、私の趣味でもあるハーブティーの参考にするため作り方を聞いてみるのもいいかなと思っています。

                               終わり


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 こんにちは

 ここも開闢時のインフレーションを過ぎ晴れ渡り(他の方が某お祭りディスクのSS募集に集中しているため、とも考えられますが(笑))、私の拙作でも通るようになったようですので投稿させていただきました。
 もう2年も前に別所で発表した作品で、少し手直ししての改訂版です。それと、niftyのあっちは未だ存在していますので、繋がる人はよろしく〜。

 e-mail:KHF11063@nifty.ne.jp