Interlude of Multi's story HM開発課-2 マルチの心──というよりも、その行動パターンは人間の手によってプログラムされたものである。 そしてマルチはロボット──機械である。 その彼女に心があると思う人間がいるならば、マルチは、チューリングテストに合格したということができるかも しれない。しかし、前述したように、誰も「心」を定義したことなどないのだ。 (* 作者注 チューリングテスト・・・コンピュータに知性があるかどうかを判断するためのテスト。 ある試験官が、別室にいる二人と会話する。うち一人はテストを受けるコンピュータで、もう一人は試験官とは面 識のない人間である。試験管が二人に出す様々な質問に対し、コンピュータは、自分がさも人間であるかのようにふ るまって試験管を騙そうとする。もし、コンピュータが試験管を騙しとおすことができたならば、そのコンピュータ は人間と同様に、考える力を持っていることになる・・・というもの。 様々な反論があるが、有効な手段であろうことは、おおよそ認められているらしい。) だが、「人間と同様、或いは、人間に近い心を持つ」かどうかならば、推測の域をでないながらも、確信を持てる ようになるだけの手段があった(もっとも、チューリングテストも、人間に近い思考能力があるかないかを計るため のものなのだが)。 「人間と同様、或いは、人間に近い心を持つ」かどうかは、プログラムしていないはずの感情を持っているかどう かにかかっている。本当に感情を持ち、人間と同様、或いは、人間に近い心を持つならば、その心は成長してゆくだ ろう。そして、成長する環境が人間と同じであるならば、同じように成長するはずだった。 プログラムされていない感情も、持っているはずだった。 無論、そう言い切れるわけではない。 たとえ心を持っていたとしても、知らない感情はあるだろうし、学習していないこともある。 逆に、心を持っていないとしても、人間の行動パターンから推測し、その本当の意味を知らぬまま、学習している かも知れないからだ。 どちらにせよ、真実など誰にも分からないのだ。そう、おそらくは彼女自身達にさえ。 だが、それでも長瀬は知りたかった。人として、技術者として。 それがたとえ、気休めであることが分かっていても。 「それで、君たち二人に問いたい・・・。 君たちはこれから、おそらくはもう二度と目覚めることのない眠りにつく。人間でいえば、死ぬということとほぼ 同じ意味だ。そのこと自体をどう思う? 決して目覚めることなく、もはや誰にも会えない。どこに行くこともない 。ただ、無という存在に近い者になってしまうことを。 自分を知っている者が消えてゆき、忘れ去さられてゆくこ とを・・・」 「・・・」 「・・・」 「・・・」 しばしの無言が続いた。 「正直にいってくれ。それで誰かに迷惑がかかるとかいうことはない・・・」 「・・・恐いです」 長瀬の言葉を遮るようにして口を開いたのは──マルチだった。 微かに震える声で、しかしはっきりと、「恐い」と。 その瞬間──長瀬は歓喜した。そして同時に自らの罪を知り、恐怖し、心が凍り付いた。 自らのつくり出したもの。 それは「生命」だった。 ふつうの人間が考えているようなものではないだろう。 マルチは、(本来の意味で)呼吸をしているわけでもなければ、食物を摂取してもいない。 これまで地球に誕生してきた生命を基準として考えた時、彼女は生きているとは言えないのだ。 だが、外界を知覚し、考え、独自の判断をくだし、その結果と過程を学習する。 自身の存続を願い、死を恐怖する。 ──独自の意志を持ち、自己を認識しうる認識力。 「自分」という概念を持ち、理解しているということ。 それは、一個の「知的生命体」の証だった。 純粋に、技術者としてなら喜ぶべきことだろう。 だが、人としては恐怖せざるを得なかった。 ただの──人間のように、そばにいて安心でき、信頼できるような──、メイドロボを作ろうとしただけだったの だ。マルチの開発コンセプトは。 その過程で、限りなく人間の感情を、精神の動きをシュミレートしていった結果が、これであった。 「そうか・・・。恐いか・・・」 長瀬は、やっとのことでそれだけを口にした。 「・・・私には、マルチさんのおっしゃられる意味がよく分かりません」 それまで、沈黙していたセリオが顔を上げる。 「私たちが眠りにつくのは、始めから分かっていたことです。ただ・・・」 そこで言いにくそうに一旦言葉を切る。 「ただ、ここで私自身が終わることは、あまり前向きに捉えることはできません。できうるならば、存在を続けて いきたいと考えています」 いつもの感情のこもらぬ顔で、しかし、どこか悲しみを湛えた眼で、セリオはそう告げたのだった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 今回は疲れました。思ったよりも話がすすまない・・・ 結構きついですね。 では今回はこの辺で。 それではまた!