Interlude of Multi's story 第5話 投稿者:笹波 燐
       Interlude of Multi's story  HM開発課-2

 

 マルチの心──というよりも、その行動パターンは人間の手によってプログラムされたものである。
 そしてマルチはロボット──機械である。
 その彼女に心があると思う人間がいるならば、マルチは、チューリングテストに合格したということができるかも
しれない。しかし、前述したように、誰も「心」を定義したことなどないのだ。

 (* 作者注  チューリングテスト・・・コンピュータに知性があるかどうかを判断するためのテスト。
 ある試験官が、別室にいる二人と会話する。うち一人はテストを受けるコンピュータで、もう一人は試験官とは面
識のない人間である。試験管が二人に出す様々な質問に対し、コンピュータは、自分がさも人間であるかのようにふ
るまって試験管を騙そうとする。もし、コンピュータが試験管を騙しとおすことができたならば、そのコンピュータ
は人間と同様に、考える力を持っていることになる・・・というもの。
 様々な反論があるが、有効な手段であろうことは、おおよそ認められているらしい。)

 だが、「人間と同様、或いは、人間に近い心を持つ」かどうかならば、推測の域をでないながらも、確信を持てる
ようになるだけの手段があった(もっとも、チューリングテストも、人間に近い思考能力があるかないかを計るため
のものなのだが)。
 「人間と同様、或いは、人間に近い心を持つ」かどうかは、プログラムしていないはずの感情を持っているかどう
かにかかっている。本当に感情を持ち、人間と同様、或いは、人間に近い心を持つならば、その心は成長してゆくだ
ろう。そして、成長する環境が人間と同じであるならば、同じように成長するはずだった。
 プログラムされていない感情も、持っているはずだった。
 無論、そう言い切れるわけではない。
 たとえ心を持っていたとしても、知らない感情はあるだろうし、学習していないこともある。
 逆に、心を持っていないとしても、人間の行動パターンから推測し、その本当の意味を知らぬまま、学習している
かも知れないからだ。
 どちらにせよ、真実など誰にも分からないのだ。そう、おそらくは彼女自身達にさえ。

 だが、それでも長瀬は知りたかった。人として、技術者として。
 それがたとえ、気休めであることが分かっていても。
 「それで、君たち二人に問いたい・・・。
 君たちはこれから、おそらくはもう二度と目覚めることのない眠りにつく。人間でいえば、死ぬということとほぼ
同じ意味だ。そのこと自体をどう思う? 決して目覚めることなく、もはや誰にも会えない。どこに行くこともない
。ただ、無という存在に近い者になってしまうことを。 自分を知っている者が消えてゆき、忘れ去さられてゆくこ
とを・・・」
 「・・・」
 「・・・」
 「・・・」
 しばしの無言が続いた。
 「正直にいってくれ。それで誰かに迷惑がかかるとかいうことはない・・・」
 「・・・恐いです」
 長瀬の言葉を遮るようにして口を開いたのは──マルチだった。
 微かに震える声で、しかしはっきりと、「恐い」と。
 その瞬間──長瀬は歓喜した。そして同時に自らの罪を知り、恐怖し、心が凍り付いた。
 自らのつくり出したもの。

 それは「生命」だった。

 ふつうの人間が考えているようなものではないだろう。
 マルチは、(本来の意味で)呼吸をしているわけでもなければ、食物を摂取してもいない。
 これまで地球に誕生してきた生命を基準として考えた時、彼女は生きているとは言えないのだ。
 だが、外界を知覚し、考え、独自の判断をくだし、その結果と過程を学習する。
 自身の存続を願い、死を恐怖する。
 ──独自の意志を持ち、自己を認識しうる認識力。
 「自分」という概念を持ち、理解しているということ。
 それは、一個の「知的生命体」の証だった。

 純粋に、技術者としてなら喜ぶべきことだろう。
  だが、人としては恐怖せざるを得なかった。
  ただの──人間のように、そばにいて安心でき、信頼できるような──、メイドロボを作ろうとしただけだったの
だ。マルチの開発コンセプトは。
  その過程で、限りなく人間の感情を、精神の動きをシュミレートしていった結果が、これであった。
 
  「そうか・・・。恐いか・・・」
  長瀬は、やっとのことでそれだけを口にした。
  「・・・私には、マルチさんのおっしゃられる意味がよく分かりません」
  それまで、沈黙していたセリオが顔を上げる。
  「私たちが眠りにつくのは、始めから分かっていたことです。ただ・・・」
  そこで言いにくそうに一旦言葉を切る。
  「ただ、ここで私自身が終わることは、あまり前向きに捉えることはできません。できうるならば、存在を続けて
いきたいと考えています」
  いつもの感情のこもらぬ顔で、しかし、どこか悲しみを湛えた眼で、セリオはそう告げたのだった。

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  今回は疲れました。思ったよりも話がすすまない・・・
  結構きついですね。
  では今回はこの辺で。
  それではまた!