コップ一杯の狂気  投稿者:ざりがに


 ……指定された喫茶店の、指定された席で、指定されたとおりコーヒーを頼んだ。
 テーブルの上に封筒を置き、指定されたとおりトイレに立って、五分後、戻ると金の入
った封筒はなくなっていた。
 だまされたのではないかと恐れつつ、とりあえず椅子に腰を下ろすと、指定されたとお
りカップのコーヒーを飲み干した。

 カップの底には、駅前のコインロッカーの鍵が沈められていた。



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  『コップ一杯の狂気』

    A CUP OF MADNESS

           by
        ZaRiGaNie
          1999

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 あの事件の夜の後、瑠璃子を失った代償に、世界には色が戻ってきた。


 戻ってきたつもりになっていた。



 もちろん、そんなことはあり得ない。そんなに簡単にすむはずがない。
 世界が色を失うほどの絶望は、なにも、かの事件を原因として心に芽生えたものではな
い。事件は、確かに自分を見直す機会にはなったが、それで全てが良い方向に変わるはず
がない。


 世の中を渡っていく上で出会う、ありとあらゆる不快な現実。



 小学生の時、教師に当たり前のことがなぜ当たり前なのかと真摯に問いかけ、教師はさ
もめんどくさそうに『当たり前だからだ』と祐介に答えた。
 中学生の時、本人の前では絶対に口にしない言葉だが、親友だと思っていた人間が陰で
自分をなんと呼んでいるかを他の友人に知らされた。


 世界の中で、自分だけが異質であるという、圧倒的な絶望感。



 『自分だけが特別である』という感覚が、理想と現実との間に溝のある若者にありがち
な妄想の一変形であることは知っている。厳しい現実の中で、理想を捨てきれない若者は、
その原因を自らではなく世界に求める。あるいは、あまりにもありきたりな人間である自
分を、まるで王侯貴族のごとくに特別視する。
 本当ならそれは、過去、百万回も繰り返された、青臭い議論の蒸し返しにすぎないはず
だ。



 だが、今の自分には……長瀬祐介には、『電波』がある。










 『スキャナーズ』という映画を知っているだろうか。クローネンバーグの『スキャナー
ズ』。
 いま、祐介は自室の照明を落として、クローネンバーグの『スキャナーズ』のビデオを
繰り返し繰り返し鑑賞していた
 この映画で描かれる超能力は、目に見えない力で他者の思考を嗅ぎ取り、目に見えない
力で他者を自由自在に操る、きわめて『電波』に近いものだ。
 その『スキャナーズ』の中でも、特に悪名高いシーンがあった。祐介が繰り返し見てい
るのは主にそのシーンの周辺だ。



 ……とある企業の『スキャナー』が、超能力で他者の思考を探ろうとする。
 だが、相手はその企業に敵対する、より優れた『スキャナー』であり、企業『スキャナ
ー』は相手の超能力で頭を粉々に吹き飛ばされる。



 証明の落とされた部屋の中で、テレビのモニターだけが光を発する。祐介の青白い顔に
も、テレビの光が照り返す。
 また、テレビの中で『スキャナー』の頭が吹き飛んだ。


 それを見ながら、祐介は言う。


「明日、学校でためしてみよう」


 明日で事件から一年が経つ。
 正確には、祐介が事件に巻き込まれる原因となった事件、太田の発狂からの一年だ。
 祐介は手の中で拳銃を持ちかえた。金と電波を駆使して手に入れた、いくつかの『武
器』のひとつだ。


「忘れることは許さない」


 祐介は立ち上がり、拳銃のスライドを引いて薬室に弾丸を送り込むと、テレビモニター
に銃口を向けた。




 世界にはじき出されたものにとって、世界に受け入れられた(あるいは、世界に埋没す
ることを受け入れた)者はすべて敵だ。

 祐介は敵を許さない。

 そう、敵は誰も許さない。誰も、誰も、誰も、誰も、誰も、誰も誰も誰も誰も誰も誰も
誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も
誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も
誰も誰も誰も誰も誰も誰もダレもダレもダレもダレもダレもダレもダレもダレもダレもダ
レもダレもダレもダレもダレもダレもダレもダレもダレもダレもダレもだレもだレもだレ
もだレもだレもだレもだレもだレもだレもだレもだレもだレもだレもだレもだレもダレモ
ダレモダレモダレモダレモダレモダレモダレモダレモダレモダレモダレモダレモダレモダ
レモダレモダレモダレモダレモダレモダレモダレモダレモ…………………………

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 ダークな話を書こうと思ったのだがなんだか途中でおかしくなった。
 にしても、『雫』って暗い話だよな。