「こころの枝、ぶどうの実」ver,4 投稿者: 美咲萌え紫陽
「こころの枝、ぶどうの実」

4.筆者 編(笑)

 カチカチカチ…
 先程から、我流と思われるブラインドタッチで、高速タイプしている男が居る。
 カチカチカチ…
 「そうか…やっぱり、これしかないか…」
 画面には、HM-12seriesの全体像と思われる透過図が映し出されていた。
 カチカチカチ…カチッ
 不意に、彼の小指がリターンキーを叩く。
 『Err1:Syntax error...』
 画面には、この文字が恥ずかしい程のサイズで、ウィンドゥ表示されている…。
後ろで彼を覆うようにして画面に見入っていた、助手と思われる男の研究員が、
眉をしかめる。隣に居る女の研究員は割と普通な顔をしていたが、一瞬溜息を
吐いたのは、誰にでも解った。
 カカカカカカッカッ
 彼は身を乗り出し、右手中指で神経質そうにBSキーを弾くと、
再びブラインドタッチの基本姿勢をとった。
 カチカチカチ………カチッ
 今度はシッカリとコマンドラインを確かめ、彼はリターンキーを叩いた。
 『HMseries VIDEO mente-tool ver2.012』
 画面にはこの文字列を筆頭に、あとは訳の解らない模様が現れた。
 彼はゆっくりと"g""e""n""c""h""a""n"と入力した。
すると、『PASS-WORD:』の文字列が表れ、『****************』と表示されると、
突然、今まで訳の解らない文字列だったものが、ハッキリと読み取れる内容と
なった。
 「博士、文字列の暗号化はいいですけど…」
 先程の、助手の一人と思われる研究員が、
ついに耐え兼ねんという顔をして話し掛けた。
 「なんだね、水沢くん」
 男はその助手の方に振り返った。
 「パスにマクロ使うの…やめません?」
 彼は、若干苦笑いしながら喋っているのは、よく解る。
 「ははは、あんな16桁の文字の羅列なんて…誰も憶えられないよ」
 男は、本末転倒な事でごまかそうとしている…
 「しかし…」
 彼がたじろいでいると、男は彼の耳に身を乗り出して、こそこそと喋りだした。
 「それにね、水沢くん、君は新任だから知らないだろうけど、これはね…」
 ひそひそ話しに耳を向ける彼…その内、彼の頭にイチジク並の汗が浮かんだ。
 「へ?」
 「そうなんだよ」
 「はぁ…趣味…ですか」
 彼がそう言うと、彼のイチジク汗もまた、ずり落ちていった。
 「大声で言うなよ、上司にバレたら、マタ何を言われるか…」
 「マタって…」
 「ほら…このぉ…あぁ−マルチの件だって、本部にはナイショでやってんだからさ」
 「…」
 彼の瞳に、徐々に霞がかかっていくのが、よく観察出来た。
 「ねぇ、わかってる?」
 「えぇ、全てを理解してしまいました」
 どうやら、助手はふっきれたようだ。やはり、若い人材は素晴らしい。
 納得したかに見えた彼だが、やや不自然な姿勢で扉の方に振り向き、また口を開いた。 「私、ちょっと用事を思い出しました」
 やはりショックだったのか、そのまま研究室を出ていった。

 彼は二度とこの研究室には、近づくまい。

-+-+-+-+-+-+-+

 それから、20分後。
モニターには、恐らくマルチの視点であろう映像が映し出されている。
 「さぁ…この辺かな?」
 男は煙草をくわえ、ジッポーで火をつけながらながら言った。
 「恐らくは。体調管理で、負の数値が出たのはこの日の日次締めですから…」
 腕組みし、そこら中を落着かなく歩き回りながら喋っている…女の研究員だ。
 「ひょっとして、虱潰しに調べる事になるんじゃないかと思ってましたよ」
 さらに、椅子を2つ並べてそこで横になっている別の研究員が喋った。
 「それはマズかろう…。彼…あぁ、マルチの御主人様はまだまだ若いからな」
 男は軽く笑いながら言ったが、周りが引いているのに気づき、やがて黙って
モニターに集中するようになった。

 研究室にマルチの聞いた物音達がひそやかにこだまする。
空調の効いたこの無味な空間に、マルチの感じた想いがそのまま、場違いに響いて
いるように見える。楽しく、やさしく、幼く…そういう色を含めて響くそれは、
まさにマルチのこころそのものと言っても過言ではなかった。

 心なしか、部屋がやさしい色に変わったような気がした。
 止まってしまったかのような、時間。
 窓から注ぐ陽光。
 いとおしい、時間。
 過ぎていってほしくない、時間。
 いとおしい、陽光。
 これほどまでにいとおしく思えるのは、この時間だけ。
 注げ、注げ、もっと注げ。
 マルチの“こころ”の明るさの分だけ…
 窓のそとに広がる悠久の蒼天。
 マルチの“こころ”に広がるあおぞら。
 そして、暗雲。
 終局の、色。

 「おっ…」
 不意に男が声を上げた。画面には、不安気な女性の姿が映っている。
そして、画面がゆらゆらと揺らぎ…そして正常に戻る。
 その画面には、転んだ浩之の姿があった。
 「おい、画面戻せ!」
 男が叫ぶと、横に居た女の研究員が、手際良くキーを操作し、また問題の箇所を
映し出した。
 画面には不安気な女性…大学生くらいの女性が、マルチの隣の辺りを見ている。
その背後には、紅葉が自身の終わりを察知して、いささか暗い、紅やウコン色を
発している。
 やがて、彼女は怯えているとも言える表情を見せる。
 画面が揺らぐ。
 浩之が倒れる。

 「もう一度だ!!」
 また男が叫ぶ。
 不安気な彼女。
 怯える彼女。
 揺らぐ画面。
 倒れる浩之。

 「まさか…そんな事が…」
 男があからさまに驚いた顔をしていると、今まで椅子で寝そべっていただけの
男の研究員が声を掛けてきた。
 「どうしたんです?」
 「…」
 問う彼に対し、男は黙ったままデスクに肘をついてしまった。
 「空間が…」
 代わりに女が答えようとしている…。その長い爪を歯で噛みながら。
 「空間が、歪んでいるのよ…」

To be continued