『止まない雨(閉幕)』 投稿者: 健やか
ザァァァーーーーーーーーー。

先ほどまでより、更に強くなった雨が降る。

「…さっきまで、こんなに悲しい音だとは気付かなかったわ…」

千鶴はポツリと、湯船の中で呟く。
その呟きは、浴室内で反響する雨音に掻き消された。

               『止まない雨(閉幕)』

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千鶴が帰ってきたのは、夜中の十二時より少し早い時間だった。
その時初音はまだ起きており、姉がずぶ濡れなのに驚いたが、
直ぐにお風呂の準備をし、なにも言わずに台所に行った。
恐らく、お茶を沸かす準備をしに行ったのだろう。

(はぁ、妹にこれだけ気を使わせて…。お姉さん失格ね…)

ザバァ…。
少し勢いよく、湯船からでる。
そしてボーッとしながらも、体と髪を洗い、もう1度湯船に入る。

「はあぁガバババババ……」

ゆっくりと湯船に入ってゆき、そのまま鼻の辺りまで湯に浸かる。

(あの人…誰なんだろう…?)

だいぶ落ちついてきた性か、色々と必要の無い事を考えはじめる。

(…ずっと前から…? それとも、会社で知り会ったのかしら…)

思考はもちろん纏まることなく、感情だけが揺れ動く。
その時。

「お姉ちゃん、湯加減はちょうど良い?」
「え? ああ、ええ、ちょうど良いわよ」

初音が浴室に向かって声をかけた。
そこで千鶴の思考は途切れ、切り替わる。

(こんな事では駄目だわ…。私は……)

ザバアッ!!
先ほどよりも強い勢いで、千鶴は入浴を終えた。

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「ああ、美味しい…」

千鶴は初音の入れてくれたお茶を飲みながら、
目の前にあるおにぎりに手を伸ばす。

「…ん、おにぎりも美味しい…」

そう言って、にっこり笑って初音を見つめる。
初音も嬉しそうに笑った。

「千鶴お姉ちゃんに喜んでもらえて良かったよ」
「ふふ、初音の作る料理は残せないわね…」

そして姉妹で笑い合う。

…そんな時だった。
渦中の人、耕一が帰ってきたのは。

「ただいまぁ〜」
「あ! お兄ちゃんだ!」

声を聞いて初音は玄関にタオルを持って走る。
千鶴は。

深呼吸を一つして、心を落ちつかせてから動いた。

「おう、ただいまぁ、初音ちゃん…」
「お帰り、お兄……ちゃん、その人…誰?」

初音は、耕一が担いでいる女性を見て言う。

「ああ、この子ね、同じ会社の同僚でさぁ、新人歓迎会で見事に
 酒で潰されてねぇ。ベロンベロンで放っておけなかったから、
 連れて来たんだ…。それで初音ちゃん、悪いんだけど、この子
 を俺の部屋で寝かせてあげたいんだけど…」
「…あ、うん、分かった…。パジャマは私ので良いかな…?」
「うん、有難う…」

とりあえず話に区切をつけ、耕一は玄関に女の子を下ろした。

「ふぃぃ、疲れたぁぁ…」
「…耕一さん、お帰りなさ……」

玄関にきた千鶴は、座っている女の子を見て固まる。

「あ、千鶴さん、ただいま。……? 千鶴さん、どうかした?」
「え? あ。いいえ、別に…」

耕一が怪訝そうな顔をするが、千鶴はなにも無い表情をする。

「とりあえず、俺も着替えて風呂に入るよ…」
「あ、今ならちょうど良いお湯ですよ?」
「そうなんだ。じゃあ直ぐに入るよ」

耕一は女の子をもう1度担ぎ、自分の部屋へ向かう。
その後ろ姿を見ながら、千鶴の心はさまざまな感情が揺れ動いた。

…愛情、憎悪、嫉妬、喪失感…。
そして何よりも、耕一との別れが一番怖く、そして大きく映った…。

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「参ったよ、全く…」

風呂から上がった耕一は、初音の入れてくれたお茶を飲みながら、
千鶴と初音を前に今日の惨状を話していた。

「男の先輩は皆脱ぎ始めるし、女の先輩はそれを囃し立てるし…。
 それに何より、一人一つのピッチャーが与えられるってのはなぁ…。
 あれ、軽く大瓶三本は入るぞ…。酒に弱い女の子にはキツイよなぁ…」
「は、ははは…」
「…」

その話を千鶴と初音は苦笑しながら聞く。
そして初音が、あの女の子の事を話題にした。

「それよりお兄ちゃん、あの人の名前は?」
「あれ? まだ言ってなかったっけ? あの子は芝村さん、って言うんだ」
「芝村さん…は、どこに住んでるのかな?」
「さぁ…? 俺も今日親しくなったばっかりだしなぁ…」

ピクリ。
『親しく』という単語が、妙に千鶴の耳につく。
しかも、今日。

「とりあえず、詳しい話は明日彼女が起きてからかな…」
「そうだね…」
「…じゃあ今日はもう遅いし、寝ましょうか…」
「そうだね。あ、でもお兄ちゃんの寝る場所、どうしようか?」
「ああ、俺はここに雑魚寝するよ」

耕一が畳を指差す。

「ここって…居間に?」
「そ。別に冬じゃないんだし、布団さえあれば風邪はひかないよ」
「でも…」

初音が心配そうな顔で見つめ、姉の様子を伺う。
千鶴はそれを感じ、言葉を発した。

「まぁ、そう仰るんでしたら、そうして頂いても…。
 楓や梓が使っていた部屋なら空いていますが…?」
「いや、いいっていいって。じゃあ、布団だけ貸してもらえるかな」

そうして3人は、その日の1日を終えた。

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(…はぁ……眠れない……)

千鶴はベッドの中で、もう何10回目になるであろう寝返りをうつ。
頭の中を巡っているのは、耕一の事ばかりだ。

(耕一さん、まだ起きてるかしら…)

もそもそとベッドから起きあがり、枕を抱える。

(こうなったら、思い切って本人に直接聞こう…)

千鶴は意志を固め、自分の部屋を出た。

サァァーーーー………。
物音というものは聞こえない。
ただ、降りつづく雨だけが、ともするとノイズのように聞こえてくる。

きぃ、きぃ、きぃ……。
歩くたびに床板が軋む。
時間が時間だけに、千鶴は慎重に歩く。

そして、居間の前にやってきた。

…すぅぅぅぅーーーーー……、はぁぁぁーーーーー……。
深呼吸をし、居間に向かって声をかけようとしたその時。

「…ほんとにゴメンッ!!!」
「いや、いいってば、もう」

女性の声と、耕一の声が聞こえた。
千鶴の体が固まる。
そんなことに構わず、中の二人の会話は続いている。

「うん、でも、ゴメンね…。泊まりまでさせてもらって…」
「ハハハ、困ったときはお互い様。俺に何かあったときは、
 よろしく頼むよ」
「うん、まっかせておいて! 仕事のほうでも、バッチリ
 サポートしちゃうんだから!」
「はははははっ」
「クスクスクスッ」

二人の会話が終わるのを待たず、千鶴はその場を離れた。
そんな事とは関係なく、芝村と耕一の会話は続く。

「それでね、耕一君…。私、酔っ払って変なことしなかった…かな?」
「…え? あ、いや、別に…はは、あはははは…」
「そう、そうなら良いんだけど…あは、あはは…」

二人の会話は、どこかぎこちなかった。

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朝。
昨日まで降り続いていた雨が、止んでいた。

「おはよぅ〜、お兄ちゃん…」

居間の障子をそっと開けながら、初音が声をかける。

「むぅ〜…」

耕一は眠そうに目を擦りながら、おはよう、と返事をする。

「あ、雨上がったんだ…」
「うん、そうみたいだね。さ、お兄ちゃん、すぐに朝ご飯にするね!
 だから顔を洗ってきてね」
「オッケー。ああ、味噌汁楽しみだなぁ〜」
「任せておいてよ」

初音は笑顔で台所に立つ。
耕一はそれを見届けてから、洗面所に向かった。

(芝村さん、ちゃんと起きれるかな…)

顔を洗って、朝ご飯の準備が終わるまでに起きてこなければ、
起こさねばならない。

(でもまぁ、雨が上がったっていうのは、嬉しいなぁ…)

庭にある紫陽花が、水滴を浮かべて咲き誇っている。
耕一は、居間からひと騒動あるなんて思ってもみなかった。

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「いただきまーす…」
「頂きます」
「…いただきます」

いつもなら明るいはずの朝の食卓が、異様に暗い。
それはひとえに、千鶴の様子がおかしいからだ。
眠れなかったのか、目は少し腫れ、顔色もさえない。
それより何より耕一が気になったのは、
『ほとんど自分と顔をあわせようとしない』ということだ。
何かあるのだろうが、何かわからない。
とりあえず、様子を見るしかない。

「あ、ところでお兄ちゃん、芝村さんは?」
「ああ、さっき部屋に行って起こしてきたよ。
 もうすぐ来るんじゃないかな」

初音と会話をしながら、ちらりと千鶴のほうを見る。
千鶴は黙って、モソモソと食事をしている。

「…あのぉ、おはようございます〜」
「おう、芝村さん。朝ご飯食べなよ」
「あ、お邪魔しま………」

挨拶をしながら居間に入ってきた芝村は、居間にいる
人の構成を見て、驚愕の表情とともに顔が真っ赤になっていく。

「…? 芝む……」
「すすすすいませぇぇぇぇぇぇぇんんんん!!!!!!」

どがぶぅわあぁぁぁっっっっっ!!!
柴村は猛烈な勢いで、土下座する。

「し、芝村さんっ!?!?」
「あ、え?!?!?!」
「????」

いきなりの行動にその場にいた耕一たちはびっくりする。
そんな中、芝村の独白は続く。

「あ、あの、私、ここにお住まいの方たちは、耕一君の
 家族だとお聞きしていたものですから」
「え、ええ、まぁ、そうですけど……」

何かわからないまま、千鶴が応える。

「それがまさか…、まさか耕一君の奥さんと娘さんだとは
 思いませんでしたぁぁ〜!!」
「「「……は?」」」

耕一たちの動きが止まる。
…何かおかしい。
何か誤解されている。

「うう、まさか耕一君が結婚しているなんて……」
「け、結婚って…。あの…芝村…さん?」

耕一が声をかけるが、彼女には届かない。

「私、ご家族の迷惑を考えずに…。すみませんでした、奥さん…」
「え? え? あ、いいえ、あの、その…」

千鶴が赤くなって、しどろもどろに応える。
芝村は『うがぁ!』という様子で頭を抱えながら、更に言う。

「ああ、言えないっ! 昨日酔っ払った勢いだけでキスしちゃったなんてっ!」
「しししし芝村さんっ!!??!!??」

耕一が驚愕の表情を浮かべ、ちらりと向けられた千鶴と初音の視線を感じる。

「私ってば、酔っ払ったら変なことばっかり…。宴会会場でも耕一君に…」
「あ、いや、ほら、もう良いってば、芝村さん」

耕一が静止させようとするが、芝村の一人よがりは止まらない。
そんな中。
一人だけ、心の中で安堵のため息を漏らすものがいた。

(…ああ、そうだったのね……)

耕一と初音が柴村を落ち着かせようと一生懸命な中、
その人物は、自分が裏切られたのではないことを、幸せに思っていた。

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「なんだぁ、じゃあ耕一君の奥さんと娘さんじゃあなかったんだ…」
「当たり前だろ…。俺にこんな大きい娘がいたら変じゃないか」
「そう言われれば、そうかも」
「まったく…」

芝村と耕一は、玄関先で靴をはきながら、話す。
苦笑しながら、初音と千鶴も続く。

「うん、でもホントにありがとうね。耕一君がいなかったら、
 私、一体どうなっていたことやら…」
「う〜、それは考えたくはないな…。でも、今度からは勧められても
 バカバカ飲まない方がいいよ」
「うん、そうする…」

カラカラカラ…。
玄関を開けると、眩しい太陽が、本当に久しぶりに出ていた。

「わぁ、良い天気…。それじゃあ、行ってきまぁす!」

初音が走って家を出て行く。

「行ってらっしゃい、初音!」
「おう、気をつけて行けよ、初音ちゃん!!」

千鶴と耕一はその背中に向かって声をあげる。

「じゃあ、私も帰ります」
「ああ、芝村も気をつけて帰れよ」
「お気を付けて…」
「はい、本当にご迷惑をかけて、申し訳ありませんでした…。それじゃあ」

芝村はテクテクと歩いて柏木邸をでる。
実は、芝村の家まで、ここから歩いて十分と近かった。

門の前で改めて玄関に向き直り、ぺこりとお辞儀をする。
それに耕一と千鶴は手を振って応える。

きぃぃ…………パタン。

門が閉じられ、少しの間をおいて…。

「ふぅぅ〜……」

という耕一の溜息が漏れた。
それを見ながら、千鶴はクスッ…と笑う。

「ん? 千鶴さん、どうかした?」
「いいえ、別に…。それより、ねぇ、耕一さん…?」
「え?」

ふわり…。
千鶴の髪がなびき……。

チュッ……。

二人の唇が重なった。

「…ん」
「…」

互いが離れた後、ポカンとして驚く耕一をみて、
千鶴はまたクスッっと笑う。

そして、とても柔らかい、暖かな微笑みを浮かべながら、言った。

「私は、酔っ払ってなんかいませんからね…」
                  
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眩しいばかりの太陽は、長かった梅雨の終わりを告げるとともに、
新しい夏の訪れを教えていた…。







                            <… 閉幕 …>

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<筆者あとがき>
 はい、どうも健やかでございます。作品の都合上、3話で締めることができずに
 四話構成という中途半端な結果になってしまったのは残念です。この最終幕も、
 区切り的に19という半端な数字…。四分割で終わらなかったです。これも全て
 まだまだ実力が足りない証拠なのでしょう。

 さて、今回は少しだけ後書きが長いです(笑) ええと、止まない雨、読んでくだ
 さった方々は、どう言った印象をお持ちになったでしょうか…? もしかしたら、
 予想通りだと思われた方もおられるでしょうし、意外だったと思われる方もおら
 れるでしょう。それは何より、書いている本人が一番、ありがちだと思いながら
 それがまた意外でしたから(笑)

 次に出すSS、大体構成は頭に浮かんでいたりします。次のSSは、更にレベル
 アップしたものを書きたいと思います。どうかその時は、また色々なご意見を頂
 戴できると嬉しいです。では。