『止まない雨(中編)』 投稿者: 健やか
朝。
眩しいばかりの朝日も無ければ、鳥達の囀る声も無し。

さざぁぁぁぁぁぁぁ………………。

ただ、弱まる事の無い雨足だけが、地上物を叩いて効果音となる。

「ふぅ…いい加減、止まないもんかなぁ…」

耕一は布団からムックリと起き上がり、そう呟いた。


               『止まない雨(中編)』

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「あ、耕一さん、おはようございます」
「千鶴さん、おはよう」

洗面所に向かう途中、千鶴とすれ違う。

「初音が朝御飯の用意をしていますから、居間に来てくださいね」

にっこりと笑う千鶴の笑顔は、やはり梅雨とは関係無く爽やかだ。

「うん、分かった」

耕一は応え、千鶴とすれ違う。

その時。
・・・ふわり……。

(…あ)

千鶴の髪から発せられる芳香は、最近流行りのハーブシャンプーだろう。
暗雲とした気持ちをリフレッシュさせる香りだ。

(最近、湿気ばかりで花の香りなんて、感じないからなぁ…)

耕一は少し、朝から得した気分になった。

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「おはよう、初音ちゃん」
「あ、おはよう、お兄ちゃん」
「耕一さん、お先によばれています」
「あ、うん、構わないよ」

居間に入ったとたん、味噌汁の味噌の香りが鼻につく。

「あ〜、味噌汁のいい匂いだ〜」
「ちょっとまっててね、すぐ入れるね」

初音は席を立ち、台所へと向かう。
耕一は畳の上に置かれた新聞を手にし、1面を見る。

…特に大きな話題はない様だ。
相変わらず、銀行の不良債権がどうとか、業界再編だとか、
もう特に意外性を持たない話題が充満している。

「はい、お兄ちゃん」
「お、有難う…さ、て。いただきま〜す」

新聞を畳の上に置きなおし、手をあわせて、早速、箸と味噌汁に手を伸ばす。

「ズズズ……う〜ん、美味しいっ!!!」
「そっかな…?」
「うん、やっぱり初音ちゃんの手料理は良いよなぁ〜」

いつもは簡易携帯食やパンで済ます朝食も、こうやって人の手で作られた
食事をして初めて、その有り難さが実感出来る。

「うふふ…これからは毎日手料理だよ」
「あ〜、毎日初音ちゃんの手料理かぁ〜…。贅沢モンだよ、俺は…」

そう言って耕一は、グッスンと鼻をならす。

「クスクス…お兄ちゃんって、前からそんなにお世辞上手だったっけ?」
「酷いなぁ〜、本心だよ、ほ・ん・し・ん!」

そう言って耕一は、目の前にある卵焼きに手を伸ばす。

「ン〜、コレも美味しい!! さっすが初音ちゃん!!」
「え? それは…」
「あのぅ、耕一さん…」

耕一の言葉に、初音と千鶴が申し訳なさそうに言う。

「え? なに? これって出来合い物だったの?」
「いえ、その、その卵焼き……私が作ったんですけど…」

そっと千鶴が呟く。

…。
柏木家の居間を沈黙が襲う。

「えぇえぇえぇえぇ!!!!!!!!!!!!!」
「きゃあ!」
「ひっ!」

一呼吸おいたあと、耕一の悲痛な叫び声が上がる。
あまりの耕一の声の大きさに、千鶴と初音も悲鳴を上げる。
当の耕一は、

「あえべべべ、あかおろろ、ヤバヤ馬ヤバイぃぃ…」

とブツクサ言いながら、視線は宙をさ迷っている。

「だ、大丈夫だよ、お兄ちゃん」

初音が耕一を現実に引き戻すべく、声をかける。

「千鶴お姉ちゃん、もう結構お料理出来るようになったんだよ?」
「…え? そうなの?」
「(ぽぽっ…)」

途端に千鶴の顔が赤くなる。
誰の為に修行したのか、一目瞭然である。

「そうかぁ…千鶴さんが…」
「は、はい…」

千鶴は次の耕一の言葉が怖くて仕方が無かったが、
卵焼きをジッと味わったあと、自分を見つめながら

「美味しいよ、千鶴さん」

と微笑みながら言う耕一の言葉を聞いた途端、
思いっきり抱きつきそうになる自分を、
ぐっと抑えるのが精一杯だった。

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時計の針が、昼の2時を指そうとする頃。
ここは、旅館『鶴来屋』の社長室。

「ふぅ…」

もう馴染んでしまったと言って良い、千鶴の仕事場だ。

今現在、鶴来屋を動かしているのは事実上千鶴一人だ。
前までは補佐役の人物…それも、自分の父や叔父を支えてくれた、
優秀な初老の人物がいた。

…だが、その人物も去年の暮れに亡くなってしまった。
あまりにも急だった。

それでも、千鶴は社長職から退く訳には行かない。
自分たちの生活もあるし、妹達に精神的な負担を掛けたくなかったし、
なによりも、父や叔父が守り通して来た『鶴来屋』の看板を守りたかった。

「次は…と」

サポートを失った結果、忙しさは、それこそ半端では無かった。
他の人物にサポートについてもらっても良かったし、そういう話もあった。

しかし、それには千鶴は慎重だった。

本当に自分の為にサポートしてくれる人物であるかどうかはわからないし、
あまりサポートに頼ってばかりいては、自分の実力もつかない。

ブブーーーー。

内線電話のブザーがなる。

「…はい、何か?」
「あ、社長、『もろ急旅行企画』の柏木耕一さん、と仰る方がお見えですが」

(…そういえば、今朝出掛けに耕一さんが、「今日、そちらの方に寄せて
 頂くかもしれません」って、丁寧な口調で言ってたわ…)

その事を思い出し、

「あ、すいませんが、社長室までお越しになって貰う様、お願いして下さい」
「わかりました」

プッ…。
内線が切れた。

耕一は、恐らく会社の仕事の話で来るのだろうと、予想はつく。

…が。

そんな事より、千鶴はひとときでも耕一の顔が見れるのが嬉しかった。

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「…というわけで、2泊3日の『隆山温泉保養ツアー』についての
 御協力をお願いに参ったんですが…」

耕一が社長室にある長椅子(上座)にすわり、
千鶴はそれを一つ椅子(下座)に座って聞いている。

要するに、商談である。

耕一の会社は国内専門の旅行業者で、ほぼ全国の地域をカバーする、
わりと大手の企業である。また、それだけに魅力的なツアーなどを
用意する必要が有り、その土地土地に合ったプランや老舗旅館との
共同計画を推し進めているのである。

当然、この土地1番の鶴来屋にも、話は来る。

去年までもプランは組まれていたが、それまでは観光用プランだった。
それに対して今回は、保養を目的としてプランを組もう、と言うのである。

耕一の話を聞き終り、千鶴は口を開く。

「…お話は判りました。私どもに、2泊目の宿を提供してもらいたい、
 ということですね」

千鶴の目は、明らかにいつもの目ではない。
一人の経営者である証の、鋭い目だ。

耕一はそのプレッシャーをひしひしと感じながら、
気持ちで負けないよう、胆に力を込めて話を進める。

「そうです。今回のプランでは、恐らくお年寄りがかなりの数になると
 思われます。ですので、部屋の割り振りやお料理の面など、検討して
 頂かねばならない案件も多く有ると思いますが、ぜひ…」
「…私どもと致しましても、このような新しいツアーに参加させて頂け
 る事を嬉しく思います。ですが、先ほど仰った面を含め、採算の面で
 上手く合せられなければ意味が御座いませんので、その辺りを含め、
 1度皆で話を詰めて行きたいと思います。ですので、結論まで多少の
 お時間を頂かねばならないと思いますが…」
「それは一向に構いません。どうぞよく話し合われた上で、皆様の一致
 した意見で協力して頂いた上で成功する計画でしょうから…」

話終えた耕一は、すっ、と席を立つ。

「それでは、結論が出ましたらば、こちらの方にお電話下さい」

そう言って、千鶴に名刺を渡す。
千鶴も立ちあがり、名刺を受け取る。

「はい、分かりました…どうも、ご苦労様でした」
「いえ、それでは失礼いたします…」

耕一は、社長室の扉を開けようとした直前で、ふと思い出したように、
千鶴の方に向き直り言葉を発した。

「ああそれと…これは柏木耕一自身の私信です。今日は新人歓迎会があり、
 帰宅は遅くなる、ということです」

そう言って耕一は、ニッ、と笑う。

「え? あ、はい、分かりました…」

千鶴は少し残念そうに応える。
まぁ、新人歓迎会なら仕方あるまい。

「では…」

そして耕一は、社長室から出て行った。

(…ふぅ…。耕一さん……随分と変わった…)

千鶴は強くそう思った。
千鶴本人の想いとしては、出来れば耕一にこの鶴来屋を任せたいのが本音だ。
その方が恐らく、社内外に対しても支配力が強いだろう。
自分のように、なめられるような事は無いはずだ。

かと言って、いきなり任せる訳にも行かない。
それなりに経験を積んでもらわないと、また空っぽの地位になってしまう。
…自分がそうであったように。

だから、実際旅行会社に就職してくれたのは有り難い。
耕一自身にも、同じ想いはあったのかもしれない。

(でも、彼の事だもの…私を立てて、自分は控えめでいるんでしょうね…)

千鶴は、耕一自身が身の回りのことを考え、
そして成長してきた事を心底喜んでいる。

だが、自分や妹達のことを考えるあまり、
耕一自身の自主性を失っては欲しくない、
それでは過去の自分の二の舞になってしまう…と、思う所もあった。

「……」

千鶴はそっと窓に近づき、下を見た。
ちょうどその時、耕一が雨の中を走って出ていくところだった。

「…耕一…さん……」

一つの旅館を取り仕切る者として。
一つの家族を守る者として。

そして、

一人の男性を愛する者として。


…千鶴の想いは、複雑だった。
だが、その想いはどこまでも純粋で、真っ直ぐだった。


………ザァァァァァァァァ………………。

…雨はまだ、当分止みそうにない。





                            <… 続く …>

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<筆者あとがき>
 どうもどうもの健やかです(笑) 『止まない雨』、第二回目です。だいぶんと
 話が進みました…が、予想外な部分もあって、少し連載続きそうです(苦笑)
 あとは、後編と終編(もしくは末編)とでもして出すつもりです。
 つまり、あと2回って事ですね。

http://www1.kcn.ne.jp/~typezero/