ヤタガラスどもの逆襲(前篇)  投稿者:マイクD


【お読みになる前に】
 このSSは筆者が悪ノリで書いた一種の"ファンタジー"です。実在の人物、場所、
団体名がバキバキ出てまいりますし、悪意を込めた文も多く含まれております。
 したがってシャレの判らない方、サッカーに興味をお持ちでない方がお読みになられても害を催し、
不快感を感じるだけですので、お読みにならない方が賢明だと思われます。
 もしお読みになるのでしたら、筆者の妄想、無知、幼稚性から来た物として、
笑って許していただければ幸いです。

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 日本サッカー界は危機に陥っていた。
 
 74日間に及ぶ、フランスワールドカップ・アジア最終予選の苦闘の末、
ようやくにして果たした悲願の本戦出場。
 しかし本戦フランスにおいて予選リーグ3戦、全て敗退。いわゆる、『惨敗』。
 翌年、南米サッカー連盟より招待され出場した、パラグアイにおける南米選手権、
"コパ・アメリカ"。これもまた、2敗1引分けの末、予選敗退。
 
 日本は所詮、『お客さん』に過ぎなかったのだ。
  
 西暦2002年には自国においてワールドカップを開催する国でありながら、
この体たらく。このままでは60年以上続く、世界最大規模の大会において、
『史上初、予選リーグ戦を突破できずに決勝トーナメントまで進む事の出来なかった開催国』
として、非常に不名誉なレッテルを与えられることになる。
 リミットまで、あと3年しかない。

 敗因はいろいろと挙げられるが、数ある中の一つとして、『得点力不足』を挙げることができる。
 FW陣、"ストライカー"、点取り屋の不在。
 点をとってなんぼというスポーツにおいて、これはもはや致命的欠点である。
 
 データをご覧になると、よりご理解頂けると思う。人は数字に弱いのだ。
 
【'98 フランスW杯】 フランス
 6/14 0−1 アルゼンチン
 6/20 0−1 クロアチア
 6/26 1−3 ジャマイカ(得点者 FW 中山雅史)

【キリンカップ'99】 日本
  6/3 0−0 ベルギー
  6/6 0−0 ペルー

【コパ・アメリカ パラグアイ'99】 パラグアイ
 6/29 2−3 ペルー(MF 三浦淳宏、FW 呂比須ワグナー)
  7/2 0−4 パラグアイ
  7/5 1−1 ボリビア(FW 呂比須ワグナー)

【キリンチャレンジ'99】 日本
  9/8 1−1 イラン

 数字というものは恐ろしい。1の数字は100の言葉に勝る。
 過去の試合結果を見ると、いかに1点に泣いた試合が多いということか、
ご理解頂けると思う。
 日本最大の弱点。それは"得点源"に他ならない。


『名ストライカーは、皆、人でなし』

という格言があるのを、読者の皆様はご存じだろうか。

 筆者の記憶が確かならば、この格言の提唱者は敬愛してやまないスポーツライター、
金子達仁氏の筈であるが、この言葉を訊いた時、妙な納得をしたものであった。
 
 ここで一つ、読者の方に質問致します。
 あなたは学校の授業、クラブ、フットサル、まあ何でもよろしい、サッカーの試合に
出ているとします。そしてあなたは今、味方FWが相手ゴールに向かって、
ボールをシュートしようとする場面に出くわしております。
 さてこんな時、あなたは何を思いますか? 
 
 次の3択からお選び下さい。

1. ゴールが決まれ!と念じる。
2. ゴール、決まるな!と念じる。
3. 1999年、地球は核の炎に被われた。だが、人類は生き残っていた。

 大抵のまともな人間ならば、1を選択するでしょう。それが至って素直な人間の考え方
だと思います。
 だが、ストライカーという人種は違う。
 彼らがそんな場面で念じることは、2。即ち、

「ボールよ、入らずにゴールポストに当たれ!」
「ボールよ、GKの手を弾いて俺の所に転がって来い!」

なのです。
 
 このような思考をする人間というのは、相当の根性曲がり、人でなしと言わねばならない。
なにしろ味方の失敗を望み、己の成功を最優先に考えるのだ。人でなしと言わずして何と言おうか。
 彼ら、ストライカーという人種は屈強のDF、GKをかわし、騙し、ねじ伏せ、地に
這いつくばらせ舐めさせる、と力づくめでゴールにたたき込む事に最大のカタルシスを
感じる。とてもではないが、まともな神経の持ち主では勤まらない。
 
 『貪欲なハングリー精神を持ち、他人を、ひいては味方をも欺き、利用する傲慢さ』。
 
 これがストライカーに望まれる必要十分条件である。
 
 
 90年代イングランドを席捲、名門クラブチーム、マンチェスター・ユナイテッドで
その名を轟かしたフランス人ストライカー、エリック・カントナ。決定力、個人技、
そしてカリスマ。正しく歴史に残るストライカーとして、引退した今も尚サッカーファンの目に焼きついて止まない。
筆者にとっても今だにフェイバリットな選手の一人である。 
 が反面、文字通りの問題児でもあった。フィールドで倒れた相手選手の胸の上を、
スパイクでわざと踏みつける行為におよんだ事があった。結果、即退場。ケースはまだ
ある。観客席から飛んできた下種な野次に激怒、プレイ中にもかかわらず観客席に突進、
野次を飛ばした観客めがけ飛び蹴りを食らわし、結果1年間の出場停止処分。その後一年
のブランクの後、見事に一線にカムバック。有終の美をかざり、現役を退いた。現在は
映画俳優に転向しているとのことらしいが、まだ引退する程の歳ではないと思うし
筆者としてはもう一度フィールドに立って欲しいのだがいかがなものでしょうか、
とまあ主観入りまくった文はこのくらいにして、と。
 同じ時期、80年代後半に登場、90年代前半に活躍したオランダの名ストライカー、
マルコ・ファンバステン。イタリアの名門クラブACミランでの様々な活躍、
否、88年欧州選手権決勝、対ロシア戦、角度のない位置から決めるという今や伝説
として語り継がれるゴールを決め、オランダ代表を優勝に導いた男。彼は周りからの尊敬
も多いが、敵対する人間も半端な数ではなかった。敵対する人間はこぞって彼の事を
こう罵る。"世界一のエゴイスト"と。かなり傲慢な人格であったらしい。
 最近の例では同じくオランダ代表、そしてスペインの名門クラブFCバルセロナの
センターフォワード、パトリック・クライフェルト。的確なポジショニング、マーカーを
振り切るしなやかでしたたかな動き、正確なシュート、高さ、と現代のFWに求められて
いる物を全て兼ね備えている選手だが、試合中暴言を吐き、その場で一発退場処分を
受けることもしばしばある、という激情家である。
 ブラジルのロマーリオ、エジムンド、ロナウド、古くはガリンシャ、ジュニオール、
コロンビアのアスプリージャ、彼らはそれぞれ世界最高のストライカーとして名を馳せた
人物であるが、その生まれはリオ、もしくはボゴタのスラム出身。掠め取らねば生きてい
けないというギリギリの環境、弱肉強食の世界で育った野獣どもである。これは南米系の
選手に傾向が強い。
 
 彼ら、名ストライカーに共通する点はただ一つ。
 こぞって、皆、人でなし。
 そして、旺盛なハングリー精神の持ち主。
 その一点につきる。

 さて翻って、我らが日本代表。
 なる程、確かに顔ぶれを見てみると、なかなか個性の強そうな面々が揃っている。
個性が強くなければ、FWなどというポジションは勤まらない。
 だが、それでも尚、弱さを感じるのは筆者だけではないだろう。
 それもその筈である。こう言ってはなんだが、日本のFW陣は世界の名だたる
ストライカーに、"人でなし"という点で、既に格負けしている感がある。
 それは何故か。答えは簡単。
 
 "現代日本においては、人でなしは育たない、否、育てられない環境となった"
 
 それに他ならない。
 
 以下の文も、金子達仁氏のコラムの受け売りになり恐縮だが、

 現代日本の人間教育は、何に重点を置いているか。
 それは、
『国語が0点で数学が100点の人間よりも、5教科平均80点をどのような条件下でも確実に取れる人間』
を育てることにある。これは官僚、サラリーマンなど、予め定められた仕事を100%
こなす人間を育てるには、極めて合理的かつ効果的な教育である。
 しかし、職人、芸術家など一芸に秀でた、個性で勝負する人間は育たない。
 今の日本で、例えば体育の授業中100メートル競争などで1番を取り、
彼もしくは彼女が、
「俺(私)がかけっこで1番速かった。だから俺(私)がこのクラスで一番偉い奴だ」
と臆面もなく言う、そういう人間が許されるだろうか。許されないだろう。排除される。
筆者も実際にそういう奴が目の前にいたら友達としてはとても付き合えない。反面、
そういった個性の強烈な人間の不在に寂しさを覚えるのも事実であるが。
 しかし今の日本社会では、まず許されない。抹殺される。
 かくして、没個性化が始まる。これでは名ストライカーが育つ土壌など生まれない。


 日本サッカー協会はこの事態を憂慮した。
 ストライカーの不在。繰り返すが、これは致命的な事である。
 最初にも書いたように、日本は2002年、W杯開催国としてそれ相応の活躍を世界に
見せつけねばならない立場に在る。
 面子を殊の外重んずる協会上層部の面々は、戦々恐々とした。
 
 出せない結果。
 迫りくるW杯。
 面子。
 進退問題。
 いつまでも甘んじなければならない、サッカー6等国のレッテルと地位。
 
 永遠のライバルといわれた韓国には、ようやく勝てる様になった。しかしこう言っては
何だが、アジアは今だ、世界のサッカー界においては黙殺される様な立場である。アジア
で勝てるようになっても所詮は内弁慶の範疇に過ぎない。サッカーはW杯本戦で結果を
見せて、初めて認められる世界である。
 協会側としてはは絶対に2002年、結果を出さねばならなかった。世界で確固たる
発言権を、立場を得る為にも。自分たちの地位を揺るぎないものにする為にも。

 そして検討の末、協会は苦肉の策、最終手段を選んだ。
 即ち、サッカー界とは全く無関係なフィールドから、日本に置ける最高の"人でなし"を召喚する事に。
 これは官僚的思考の持ち主で占められた協会上層部としては、極めつけの英断とも言えた。



――――かくして召喚された5人の"人でなし"が、ヤタガラスの旗の下、今集う。


 Mr.毒電波。月島拓也。
「瑠璃子、見ていておくれ…。お兄ちゃんはきっとやってみせるよ」

 鬼の末裔、柳川裕也。
「ふふふ…俺は戦いの中に生き、戦いの中で死ぬのが望み。深遠の炎こそが、俺を導く唯一の輝き…」

 おたくの帝王、九品仏大志。
「ふっ、吾輩の如きの様なリーフキャラ新人を、こうして国の代表として選抜して頂くとは恐悦至極…」
 
 最凶の女たらし、藤井冬弥。
「……俺は女たらしじゃない!!」
だって、そーじゃん。

 神岸あかりにフラれる為に生まれてきた男、矢島。
「女たらしの藤井はともかく、何で俺が人でなしなんだーーーーーーーー!!」
いや、ただ、何となく。

 かくして集められし5人の人でなしは、日本代表チームに合流。
監督フィリップ・トゥルシエの元、指導を受けることになった。
 人並み外れた能力を持ち、人並み外れた個性を持ち、人並み外れた人でなしの5人は
名だたるプロ選手が集う代表チームの中メキメキと頭角を表わし、レギュラーポジション
を奪取。様々なテストマッチ、練習試合で結果を出した。
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 そして、本番の2002年。日本において、アジア初のワールドカップは開幕された。

 当初、開催国チームの特典として地域選抜予選リーグ戦を免除された日本は、
その実戦数の少なさから活躍に首を傾げる声も外から上がっていだが、そんな声は杞憂
に過ぎなかった。明晰な頭脳で持ってポストプレー、アシスト役に徹する月島兄、生まれ
ついての戦士柳川、意味不明のパワーをかもし出す大志、そしてボーとしてるだけの
冬弥と矢島。彼らの活躍でもって本戦予選リーグ3戦を全勝した。

「「これじゃ俺たち役たたずじゃねーか!」」
と憤るのは、冬弥、矢島の二人。

だってお前ら、特徴ないやん。書き様ねーのよ。

「「ド畜生ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」」

 とにかく、日本代表は圧倒的な強さで決勝トーナメントに進み、ベスト16に残った。
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(長くなりましたので、後篇、下の段に続きます)