あえてこそ(後編) 投稿者: マイクD
 前編の最後で、『海まであと5キロ』などと軽く言ってしめたが、
その5キロという距離は徒歩という移動手段の俺達、いや、俺にとっては極めてハードであった。
 普段の運動不足が祟ったのか、ひーこら言いながらがら海岸めざして歩く。 
マイクDの奴、『5キロ』だなんて軽く書きやがって、くそ。
 俺の横を歩くはるかの表情はといえば、やはり何も感じないような顔。 無表情ですたすたと歩く。 
普段チャリンコに乗っているだけあって、さすがにタフだ。
 
 俺達は口を開くこともなく、ただひたすら海へと歩く。
 
 その間、交わした会話といえば、
「正樹、レディーボーデンって、最近見ないね」
「んだな」
これだけだった。

 あ、見るとこいつ、いつの間にか何処から取り出したのか、一人で麩菓子なんか食ってやがる。 
おいはるか、俺にもよこせ、一本くれ。
「いや」
けち。

俺達は歩く。 ただひたすら。 無言で。
 やがて磯の香りが強くなってくる。 
そう、海はすぐ目の前に。



 さすがに海水浴のシーズンが過ぎ去り、海岸は静然としている。 
 それでも釣り客やアベック、家族連れでも来ているのか、海岸線沿いに走る車道の脇には、カローラやクラウン
といった感じの乗用車が数台止められてある。 この平日だというのにヒマな奴らもいるもんだ。 
って、俺達もその中の一つか。  類友だな。
 車道を離れ、海岸の堤防から砂浜へと続く階段を降り、俺達は砂浜へと立つ。 砂浜には貝殻や流木と共に、
海水浴客が残していった空き缶やゴミがあちらこちらにちらばっており、夏の喧騒がそのまま秋に置き土産をして
いった、とでもいうような形容が似合う風景になっている。 近くには海へ小便するガキ、いやお子様を連れた家
族連れや、ここは私達の世界よ3m四方はあんた達入ってこないでと言いたげな強いオーラを放つセメントカップ
ルがいる。 お熱いね、ひゅーひゅーだ。 それにしても君達何か勘違いしてないか。 君達はセメントだ、セメント
カップルなのだよ。 君達はセメントカップルとして、公園の噴水に具えられてある小便小僧の銅像としてくっつい
ていればよろしい。 何が楽しゅうてこんなところでセメントとしてくっついているのだ。 どこかよそへ行きなさい。
くそ何だかムカムカしてくる。 そのまま水洗便所に流してしまいたくなるな、あんなセメントカップル見ていると。 
 と、そんなことはどうでもいいことであって、とにかく俺とはるかはセメントカップルのいない、否、人気のいないと
ころを探そうと、しばらく砂浜を歩くことにした。 
「正樹、それ、ひがみ」 はるかがぼそっと、俺に呟く。 
「やかましい」 俺ははるかとセメントカップルに、中指をおっ立てた。 

 相も変わらず、俺とはるかは何も口を交わさない。 俺は使い捨てライターで煙草に火をつけ、ぼおっとしながら
煙草を吸い、歩く。 はるかもやはり、ぼおっと海を見たりしながら花束を両手で抱え、俺の前を歩いている。
 沈黙の時が続く。 沈黙が続く中、はるかがまた何やら奇妙な真似を始めた。 
はるかは両手両腕を肩の高さまで平行に上げ、左右にゆらゆら揺れながら前を歩いた。
「はるか、何の真似だ?」 
「ん。 あのね、風が強くなったから、空を飛ぶ振りしてみたの。 ほら、こう、両手でね」
 やはり謎である。 こいつもエイリアンに違いない。

 そこから沈黙は途切れ、先程の沈黙が嘘だったかのように、俺達は色んな話をし始めた。
マイクDが金がないので江戸ムラサキとマヨネーズとマーマレードを一緒に御飯を食べて下痢をした話とか、
高校時代何故か知らんが周りから「ウツボ」とあだ名されていた校長が、女子生徒に手を出して妊娠させ、
さらにその女子生徒が理事長の娘だったとかいう、救いようのないオチの話とか、美咲さんが最近小説を書き始め、新作
にぶっきらぼうな主人公の男とその幼馴染の女の子、そしてその女の子の親友との三角関係を描いた恋愛小説
を執筆している話とか、彰がレコードを買ったはいいが、プレーヤーがなかったため、レコードの溝を読んで小刻
みに体を揺らし、一人楽しそうに踊っていた話とか、とにかく取り留めのない、何でんない話をした。

 やがて俺はどさくさに紛れ、以前からはるかに聞きたかったことを口にした。

「はるか、兄さんが死んだ時、どう思った?」

 前を歩いていたはるかが足を止めた、動かない。 再び沈黙に戻る。 
 俺はしくじった、と思った。 やはりこんなこと、聞くべきではなかった。 肉親が死んだのだから、悲しかったのが
あたりまえではないか。 しかしはるかの答えは俺の想像に反するものだった。

「悲しかった。でも、ほっとした」
 
 意外なはるかの答え。 今度は俺が沈黙する番だった。

「正樹、兄さんのお葬式の時のこと、覚えてる?」 はるかは俺の前に立ち、いつもの口調で淡々と話す。 
でも体をこちらに向けず、その表情はわからない。 向こうを向いたまま。
「覚えてる。 あん時、雨降ってたよな」 何の感情もない、無機質な俺の返答。 

 そう、あの葬式の日は雨が降る中だった。 はるかの兄貴はその人望、将来を物語っていたか、
参列する人の数は大変なものだった。 親族はもとより、学校の知人友人顔馴染み、教職員、テニスの関係者。 
様々な顔ぶれが揃っていた。 その中、俺は完全なエキストラ。 ただバカみたいにぼおっと突っ立ち、参列に加わっていた。
人が死んだ悲しさより、ああ死んじまったんだな、というような無想感とでもいえばいいのか、ただ漠然と人が死ん
だんだ、ということを感じているだけだった。 
 親御さんは、はるかの両親だが、顔をくしゃくしゃにし、ただ泣いているばかり。 あたりまえだ。 実の子が死ん
だのだから。 その隣にいたはるかはといえば、俺と同じくぼおっと立ち、ただ無表情に兄貴の御棺を見ていたよう
に記憶している。
 「同情された?」 またもバカなことを聞く俺。
「うん、同情してくれた。 みんなから」 やはり淡々と答えるはるか。
 沈黙。 ただ、さざ波の音がするばかり。

「特に何も変わらなかったよ」 はるかは続ける。
「そうか」 煙草を咥え、ぼおっと呟く俺。
「うん」 向こうを向いたまま、表情を見せず返答するはるか。
 ここで話は途絶えた。




 やがて俺達は人気のいない、あまりゴミが落ちてない海岸に辿り着いた。 ここらなら花束を投げるという、くさい
ことをしても、まあ恥ずかしくないだろう。
 目の前、一面に拡がる海。 
 沈黙と静寂。 ただ、さざ波の音が聞こえてくるだけ。 俺とはるかは海をただぼおっと見つめ、眺めていた。 

「正樹、私ね、兄さんのこと嫌いだったんだ」
 ここで口火を切ったのははるかだった。 はるかの言葉に俺は正直驚いた。 そんなこと全然わからなかった。 ただ顔は彼女の方に向けず、ぼおっと海を眺めていた。
「私はいつも兄さんと比較されていたから。 父さんや母さんも、いつも兄さんの方にばかり関心向けていたし。 友達だって、周りの人だって、
私の側に来る人はみんな兄さんに関心があるだけだった。 兄さんは私が嫌いだったってこと、知らなかったみたいだけど」
いつになく、多弁なはるか。 ただやはり表情は変えず、淡々とした口調。 
 「だから私は兄さんみたいになろうとして、同じテニスを始めたりして、兄さんみたいに、違う私になりたかった」
 さざ波の音。 それに加えて近くから飛んできたウミネコの鳴声。 俺はもう一本、煙草に火をつけた。

「兄さんが消えてしまえばいいって思ったこともあった。 でも本当に消えちゃった。 色んな人をいっぱい残して。 
私、あのお葬式の時の周りにいた人の私に向けた表情、忘れない。 『お前が消えればよかったのに』って顔」
俺は何も答えなかった。 それははるかの疑心暗鬼だろう。 しかし、彼女が心の奥底でこんなことを考えてたなんて、俺はついぞ知らなかった。 
「すごく苦しい。 胸がチクチクする。 何だかよくわからないけど」 はるかはその場に、顔を膝と腕で隠し、抱え込
むようにしゃがみこんだ。
 
「私は兄さんになれないのかな」 

 沈黙。 長い時が過ぎる。 はるかは膝を抱え、黙り込んだ。

 俺ははるかの問いに答えた。
「はるかは『河島はるか』だろ。 世界で唯一人の」

 あまりのくさい台詞に俺は自分で辟易したが、正直そう思ってる。 
 他に変えようのない、世界で唯一人しかいない、『河島はるか』。 そして俺、『曽我部正樹』。 
 ただ呟くように言ったせいか、はるかの耳にはいったかどうかはわからない。 
ふと彼女の方に、視線を向ける。 相変わらず、膝を抱えたままのはるか。 
かすかに頭を縦に動かしたのは、俺の気のせいだろうか。

「はるか、花束を海へ投げるんだろ。 兄さんを弔うんだろ。 ほれ」 俺は砂に落ちた花束を拾い、はるかに促す。
「うん」 彼女は起き上がり、花束を受け取った。 眼を真っ赤にして。


 はるかはジーンと靴を履いたまま、海の中へ入る。 膝ほど海水に浸かった場所に立ち、花束を投げようとモー
ションをかける。 しかし、途中で止めた。 腕を下ろし、ぼおっと突っ立つ。 

「はるか、どうした?」
「ごめん、私、やっぱり投げられない。 正樹、代りに投げて」 
「俺でいいのか?」
「うん、正樹なら兄さん喜んでくれると思うから。 兄さん、正樹のこと本当の弟みたいに思っていたから」
 それも知らなかったな。 

 俺ははるかから花束を受け取り、同じく膝まで海水が浸かるほどの場所まで歩き、花束を海へ投げた。
花束は放物線を描き、海へ落ちてゆく。 花束はしばらくの間、波の動きに身を任せ流れていたが、
やがて呑みこまれ、海の中へ沈んでいった。

「こらーーーーーーーーーー!」
 突然怒声が俺達の方へ鳴り響く。 見れば向こうから、『わかいあせ』とロゴを打ったTシャツを着た若い男が血相を変えて走ってくる。 地元の住人? 
いや、どうやらマイクDらしい。 この目立ちたがり。
「海へゴミを捨てたら、アカンやないか!」 白々しい台詞。
 俺達二人はとりあえず、謝っておくことにした。

「「ごみんに」」



 その場を離れ、しばらくの間砂浜を歩き、俺達は海をバカみたいにぼおっと眺めることにした。
空は蒼く澄み渡り、ところどころに雲がたなびく。 風がすさび、秋の匂いを感じた。
「なあ、この空をさあ、冬の寒空に会わせられたらいいのにな」
 俺はまた、ア痛っ!と思った。 もっともらしいが、なんてくさい台詞を吐いたんだと。
 でも、隣のはるかは、

「うん、そうだね」

俺を見て微笑んだ。

 やがて遠くから underworldの“Born slippy”のイントロが流れて聴こえてきた。 どうやら近くに停めてある車のカーステレオから漏れてきたらしい。
最後までなんてくさいんだと思いながらも、そのけたたましいテクノチューンが、ひょっとしたらこの世に間違って生まれてきたかもしれない俺とはるかに、似つかわしい曲かも知れないなんて思ったりもした。
 どうでもいいけど寒いな、ここ。 はるか、そろそろ帰ろう。
「いや」
けち。



『あえてこそ』 (完)