あえてこそ(前編) 投稿者: マイクD
 残暑が続く9月のある日、夏の匂いと秋の香りが混ざりあうような午前のひととき、俺は学校をサボり、駅前の
ロータリーのベンチに座り込み、前を通り過ぎる若い女のケツを眺めては一人、ウヒヒとにやけていた。 煙草を吸いながら。 そこで見知った顔を見つけた。
河島はるか。 俺の幼馴染だ。 大きな花束を抱え、駅に向かっていそいそと歩いている。
 俺ははるかに声をかけた。

「お出かけですか?」
「れれれのれー」

 ・・・・・・ありがとう、はるか。 俺はうれしいぞ。 ボケてくれて、俺は今猛烈にうれしいぞ。
 とか、そんなことはどうでもいいわけで。

「お嬢さん、そんなに急いで、どちらへお出かけ?」 俺は改めて、はるかに呼びかけた。
「海へ行くの」 相変わらず淡々とした答え方。 やっぱりはるかだ。
「男とデートか?」
「ううん、一人」 首を横に振り、無表情で答えるはるか。
「じゃあどこへ?」
「だから、海へ行くの」 
「花束抱えてか?」
「うん」 要領を飲み込めない。
「何しに?」
「花を捨てにいくの」 話が掴めない。

「花束を海に投げるんだ。 ドラマでよくやるやつ」 にっこり微笑むはるか。

「・・・・・・・」
「・・・・・・・」

 暫しの沈黙。

「くっせー」 くさい。プンプン匂う。
「うん、くさいね」 にっこり微笑むはるか。

「正樹、今ヒマ?ヒマだよね。だったら一緒につきあってよ」 微笑みながら、はるかは俺の袖を指で軽く引っ張った。


 ウルトラ警備隊はキングジョーを追って西へ向かったが、俺とはるかは海をめざして南ヘ向かった。
 私鉄急行で約40分、海はそこにある。
 列車に乗り込んだ時は午前中とはいえ結構な数の乗客が乗り込んでいたが、繁華街の駅を過ぎ、住宅地
周辺の駅を通り抜け、やがて車内の乗客はまばらになり、俺達二人はその辺の空いた席にでんと腰を下ろすことにした。
それにしてもはるかの抱える花束は大きい。 見ればバラ、ユリ、白菊、蓮、ケシ、ウツボカヅラ、ラフレシアと
様々な花が紙束に包まれている。俺は花の名前なぞ知らないし適当に名前を言ったまでだが、とにかくその数からして、
結構な値段に違いない。 中にマシンガンでも隠せそうな大きさ。 本当に花束の中にマシンガンを隠して
いるとしたら、俺は君のことをチョウ・ユンファと呼んであげよう。 

 などと下世話なことを考えていると、はるかが何やら奇妙な真似を始めた。 見れば、向いに座っている女性
が、胸に抱いて赤ん坊をあやしている。 赤ん坊は虫の居所が悪くなったのかいきなり泣き始め、母親はあやす
のに一苦労している様子。 はるかは赤ん坊を見て、自分の唇を横に引っ張ったり舌を出したりして相手をしてい
た。赤ん坊は泣きやまない。
 泣き声が車内に響く。 するとはるかは今度は俺の鼻に指を突っ込み、首を羽交い締めにして、更に俺の瞼
と口を、何処から取り出したのか洗濯バサミで挟み、顔を赤ん坊の方へ向けた。 それを見た赤ん坊は泣くのを
止め、きゃっきゃと笑い始めた。 失礼なガキ、いやお子様だ。
「あはは、正樹ほら、あの子笑った」 そうかそれはよかった、ってちっともよくない。 なぜ俺を使う。
「だって正樹が一番使いやすいから」 俺は赤ん坊のガラガラか。 どうでもいいが鼻に突っ込んだ指を拭うのはやめろ。 俺の服で。
「だって汚い」 
 やかましい。

 そんなやりとりをする中、列車は進む。 海へと向けて。
 
 そう、海まで15キロ。



 赤ん坊はやがて落ち着き、眠りにつく。車内に静寂が戻る。 
 俺とはるかは何をするわけでもなく、一言も話すことなくシートに座っている。 
 ガタゴトと揺れる列車。 車窓も喧騒から静寂のそれとなり、片田舎と言えばいいのか、
田や畑の中に民家がちらほら見れる景色に移り変わっている。
 
 ふと、はるかの横顔へ視線を向ける。 いつものはるかの表情。 視線はまっすぐ、憂いも喜びもなく、ただただ
無表情。 この場合もポーカーフェイスとでも言えばいいのか。 
 いつも思うのだが、こいつはいったい何を考えているのだろう。 この無表情の奥底に何を思っているのだろう。
こいつとは幼稚園の頃からの付き合いだが、こいつの心の奥底というものを俺は見たことがない。 
 いや普通の人間と相対する時、どんなに親しい間柄の人間でも、その人の心の奥底などというものを
見極めることなどできはしない。 
 さらにはるかの場合、本当に、本当にわからない。 
 昔から彼女はそうだった。 行動を予測できない。 読めない。 きっとスパイに違いない。 
 女バスター・キートン、河島はるか。 俺は密かに、彼女をそう呼ぶ。

 高校2年の時、こんなことがあった。 下校途中、俺とはるかは並んで歩道を歩いていた。 横は車道。 車が道を走っている。
そこへいきなり、はるかが飛び込んだ。 「私が消えたらどうなるかな」などと謎なことを言いながら。 
幸いなことに、その時車は寸でのところで止まり、はるかも車に弾かれずに済んだ。 お陰で俺はとばっちりを受け、
はるかと一緒に運転手から大目玉をくらったが。 
 なぜあの時、はるかは車道へ飛び出し、車に弾かれようとしたのか。 今でも謎だ。
 そして今日もそう。 大きな花束を抱え、海へ行く。 投げ棄てにいくために。 今時巷の安っぽいTVドラマで
も、そんなくさいことはしない。 それをはるかはやりにゆく。 ひらがなばかりだとやすっぽくなるな。 
例え何でそんなことをしにゆくのかと聞いても、きっと彼女は答えないだろう。 だから俺は何も聞かなかった。 
彼女に理由を聞かなくても、憶測で判断してみる。 だいたい花を海に投げる行為は死者に対する弔いを意味する。 
 と、言うことは彼女は弔いのために海へ行くということか。 
 でも誰が死んだ?
 
 そこで俺は思い出した。 3年前の出来事のことを。 そして今日が何の日であるかのことを。 
俺はその事をついぞ忘れていた。 今日ははるかの兄貴の命日だった。 

 再びはるかの方へ視線をもどす。 相も変わらず彼女は無機質の表情。 
 その表情のまま、彼女は窓を開け、外を眺めていた。 風がすさぶ中、じっと外を眺めていた。 
どうでもいいけど寒いぞ、閉めろ窓を。
「いや」 
 けち。


 俺とはるかの兄貴は、直接あれこれ話したという思い出はあまりない。 
 覚えているのはテニス部のエースで、品行方正、絵に描いたような優等生、背丈もあってスマート、
学業も優秀、教職員からの信頼も厚く、女生徒は言うに及ばず、同性からもその人柄の良さからか人気のある人だったということくらい。 
要するにゲームなどによく登場する、ステレオタイプなモテモテ人間だったのじゃよ、センチメンタルアニスキー。 
ん、誰だこんな意味不明な言葉を俺に吐かせる奴は。
 それはともかく、俺とは180度違う、別世界の人間、俺に言わせればエイリアンの様な人だったのだ。 
 ああそういえば、よく背中をカミキリムシに噛まれていた人だった。 いくら女にモテても、カミキリムシに噛まれちゃあお終いだ。 
ああ気の毒なことだ。 よりによってカミキリムシに。 まことにもって御愁傷様である。 
 と、こんな風に言うと、俺がまるで悪意を持ってるように聞こえるけど、俺は別に彼に対して悪意を持っていたわけではない。
俺と違う世界に住む、俺と全く違う人種の人であったということが言いたいのだ。そこんとこヨロシク。
 いかんな話がすぐ脱線してしまう。 元に戻そう。

 俺とはるかの兄貴はガキの頃から面識がある。 家も近所だったし、俺がはるかの家に遊びに行ったりした時に
当然話くらいはしている。 にもかかわらず、俺は彼に対して接点を保つことはなかった。 いや、保とうとしなかっ
たのだろう。 
 俺は無意識に彼を避けようとしていた。 俺は彼と比べたら、まるでこの世に必要のない、欠陥だらけの人間な
のだ。 勉強も嫌い、運動にしたって死んだふりしてサボるだけ。 恋だって疎い方だし、隙あらばなまける、
道を傍若無人に歩くババアがいたら後ろから蹴り飛ばす、ただイイカッコしたいだけの人間。どこを見ても、欠陥だらけの俺。 
 他に、俺の姓は「曽我部」というのだが、この自分の姓のことが大嫌いだった。
こいつのおかげでガキの頃から「すかぶー」「すかぶー」と呼ばれ、随分からかわれたものだ。 もっとも今はそれほど嫌ってはいないが。 
 要するに俺は何でもそつなくこなす彼にに対して、ある種のコンプレックスを持っていたのだ。 まあコンプレック
スといっても、そんな殺意を覚える程のものではなかったが。 世の中にはそういう方もいるんでございますわねえ、
ああそうですか、といった感覚のソレだ。

 俺とは逆に、はるかはそんな兄貴を自慢の兄、誇らしい兄として憧れの目で見ていた。 
俺といる時も必ず兄貴の話が出てきた。 周りからも羨望の目で見られる。 はるかにとって、兄は絶対者だった。



 そして高校2年の今日、彼は死んだ。 死因は交通事故。 車にはねられ、即死。



「正樹、駅についたよ」 
 俺がぼおっとしている横から、ふいにはるかが声をかけてきた。 外を見ると確かに終着駅。 
「じゃあ、行こう」 はるかは花束を抱え、俺の手を軽く引っ張った。俺とはるかはぶらぶらと歩きながら、海辺をめざした。 
 どうでもいいけど、さすがここいらは海の側だけあって、風が強くて寒いな。 はるか、風盾になれ。俺の前に立て。
「いや」
 けち。

 そう、海まであと5キロ。


(後編に続く)