痴漢電車 夕下がりのわななき(後編 1) 投稿者: マイクD
どの位の時間が経過したのか。
人にとっては45分という時間も、私にとっては45時間という長さに思えてならない。
あれから同じ路線、区間を4往復もした。
その間、私はあいもかわらず囮役に徹し、志保の痴漢退治とやらの播き餌にされた。
そして志保はと言えば、突如影から飛びだし、痴漢と疑わしき人を叩きのめしていく。

ある時は、麻○彰晃のような脂っぽい、長い髪をふりわけたサラリーマン風のおじさん。
またある時は、髪を金に染め、左耳にピアスをつけて、ダブダブの綿パンツを履いた遊び人風のお兄さん。
更にまたある時は、一見稲森いずみ、後ろを振り向いたら「あなた退場」とレ
ッドカードを提示したくなるようなOL風のお姉さん。なにしろ顔がいきなり牛なんです。
とどめにまたある時は、さるイベントで買ってきたのであろう、ものゴッツイ、
えげつない、もう勘弁して、You are the champion、あんたが大将というようなエロエロ同人誌
を、人の視線も気にせずに股間を膨らまして「立ち」読みしているマイクD。
みな志保の手にかかり、裸にされて川に投げ込まれた、無実で哀れな人々。
志保の手刀が首に炸裂、そのまま床に倒れ、さらにお腹へトゥーキックを力強く蹴り入れる。
『雨に唄えば』を口ずさみながら。
その後仕上げに服を脱がして裸に引っぺがし、電車の窓から川へ投げ棄てる。
その経過を事細かに書けばWordpadにして30枚という文量になるためここには書かないけど、
それはそれはとてもとても残酷で目も当てられない光景だったということを
追記しておきます。

鬼。
まごうことなき、鬼。
どう考えても最初の目的から逸脱している。痴漢退治という目的から。
その証拠に段々と志保の顔がすっきりしてゆく、生気が増してゆく、生き生きとしてゆ
く、満足感を増幅させてゆくというべきか、とにかく私の目には、はっきりと見てとれ
た。明らかに、普段溜まったフラストレーションを解消させているとしか思えない。こ
こぞとばかりに。
きっと彼女の頭には角が隠れてあるに違いない。
もしくはお尻に先っぽが尖った尻尾が生えてあるに違いない。

そして今も、私と志保はこうして駅のホームに立ち、電車が入線するのを待っている。
私は目をどんよりと濁らせ、空ろになる。
心身共に疲れきり、ただただ「ふふふひひひへへへはははほほほ」と乾いた笑い声を発する。
思わず歌なんか口ずさんだりしたりして。以前浩之ちゃんから貸してもらったロックの
CDでニルだかニラだか、そうそうNirvanaだったかな? その中の一曲で、特に印象
に残ったフレーズを。

「♪Hello,hello,hello,hello,how low? Hello,hello,hello,hello,how low?
Hello,hello,hello,hello,how low? Hello,hello,hello,hello,how low?
Hello,hello,hello,hello,how low… ?♪」(やあ、君はどのくらいひどい?)

「あかり、何ハウハウお経あげてんのよ。ほら電車が入線するわよ。
さーて、次はどんな奴を狩ろうかしら?ぐふふふふふ」
私の気も知らずに能天気な声をあげる志保。ポキポキと指を鳴らしながら。
やはりどう考えても最初の目的から逸脱しているとしか思えない。
「もうちょっとよ。もうちょっとで終わるから。やだなーそんなダウナーな顔しないでよ。
ね? 元気出して。アンタが囮役買って出てくれたおかげで、こうして変態ヤロー共を撃退できてんだから。
ね?ハッスルハッスル」
私は自分から進んで囮役を買って出たなどという記憶は毛頭ないんですけど。
それに『ハッスル』という言葉は死語だと思う。
「あ、そーだ。これあげるから、機嫌直して。ね?」
そう言って志保が私の手に渡したものは、一枚の小さな紙切れ。何だろうと思って見て
みると、それはヤクドナルドの新発売、テリヤキカツアゲビーフンバーガーの100円off
割引券だった。
こんなものでどうしろというのだろう。理解に苦しむ。
そしてホームに電車が入線した。

何度目になるのか。この光景を目にするのは。
始めのうちは珍しかった満員電車も、なんでんない、普通の光景に思えてくる。
始めのうちは乗客其々の表情と顔つきの変化にも見分けがつけられたが、今はそれもみ
んな顔を持たない、のっぺらぼうな無表情に見えている。
ドラマでいうところのエキストラ、その他大勢に。
他の方から見れば、私もそのエキストラの中の一人なのだろうけど。
主人公不在。満員電車は今の世の中を象徴している代物だ。
人はどんなに酷い環境に置かれても、やがてはそれが普通のものとして感じられるよう
になる、感覚が麻痺してゆくというが、それは本当のことだろう。最初に見た時は物珍
しく、なにやら異常なものに感じられた満員電車も、異常なものではなくなってくる。
人はこうして何の不満も持たない、疑問を持たない、飼い馴らされた存在に成り下が
ってゆくのかも知れない。
などという高尚で哲学的でサイコロジカルでサイコロステーキでちょっと無理があった
けどそんなことはどうでもいい訳で、とにかく私は5度目の正直というべきか、また
もや囮役として満員電車にのりこんでいる。私も段々自虐的になってきたな。やっぱり
少々慣れてきているのかもしれない。この異常な状況に。

なんて事を考えている時。
「ん?」
腕の辺りが何かむずっとする感触を覚える。
「え?」
今度はそれが下へゆき、腰元にくる。
「お?」
やがてその感触はつつつつつつつつつつつつうううういいいいいいいいにににににおお
尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻尻
にさし掛かってきた。
こここここここここここここここここここここここここここここここここここここここ
こここここここここここここここここここここここここここここここここここここここ
今度こここそそそそそそまままままま間違いななあああくまままごごごうことなき痴漢
さんかもしれない。
やがてその感触はお尻と同時に胸胸胸胸胸胸胸胸胸胸胸胸胸胸胸胸胸胸胸胸胸胸胸胸にも現れる。
羽でくすぐられたといったらいいのか。やわらか、だけど不気味で、そう、蟲が体を這
いつくまわるとでもいったほうがいい。
恐怖感に支配される私。
今まで痴漢に合わなかったから思いもしなかったけど、実際現場にあたるとこんなに恐
怖を感じるものだとは思わなかった。
体が動かない、いや動けないといったほうがいい、周囲を冷静に見ることができない。
誰?誰なの?
隣にいる新聞を読んでいるおじさん?
あくびをしながらドアの窓から外の景色を眺め見ている男の人?
それとも私の真後ろにいる誰か分からない人?
疑心暗鬼が恐怖感と共に私を支配する。
周りの人全てが痴漢に見えて仕様がない。
やがて全身が震えはじめ、体は凝固してしまう。
やだ、どうしよう。体が動かない。声も出せない。息も呼吸困難になってくる。
目の前は真っ白になり、意識が朦朧となってゆく。
がちがち歯を噛みたたき、ドアにへばりつく。
おねがいだからやめて。こんなに恐いものだとは思わなかった。
こんな時に限って、なんで志保は出てこないの? どこに隠れてるの?
もう恨んだり妬んだりしないから。みんな私が悪いから。
勘弁して、おねがい。おねがいだから。
助けて志保。
助けてお父さん。
助けてお母さん。
助けておばあちゃん。
助けて雅史ちゃん。
助けて浩之ちゃん、助けて……………。
助けてよう………。

その時列車が大きく揺れた。都合よく。例の急カーブ地点だ。ご都合主義だという突っ
込みは却下。そおっとしておいてください。話の展開上やむを得ないんです。
列車はやはり猛スピードをだしていたのか、カーブの地点に差し掛かった途端、大きく
車内を揺さぶり、またもや何度も目にした光景が車内に再現する。
倒れたりぶつかりあったりする乗客たち。幸いケガ人はいなかったようだけど。
でもこの揺れのおかげで私は体に自由を取り戻すことができた。
ふいに後ろを振り向く。痴漢が誰なのか。
やはりあれは私の真後ろにいた人に違いない。
驚くほど冷静になる私。緊張感は今だ持続しているが、体が自由に動けるようになった
今、却って精神を冷静にコントロール出来るようになっている。
見るとそこにはロングヘアでサングラスを掛けた……って……え?
それは私が今着ている制服と同じ、即ち西大寺女子学院の制服を着た男、いや、女の人。
そして私はこの人を知っている。
よーーーーーーーーく、知っている。見知っている。



(後編 2へ続く)